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Nigrum Agnus Dei-復讐の神官-  作者: 藤和
エピソード4:糸を引くセレネ
20/22

d:しあわせの中で

 挙式から数ヶ月が経って、どうにも体調が悪い日が続くようになった。このところ、暑かったり寒かったりを繰り返しているので、そのせいかもしれない。

 夫との仕事中についぼんやりしていると、夫が少しきつめの声でこう言った。

「セレネ、最近仕事のできが悪いじゃないか。どうしたんだ?」

「……実は、最近からだが怠かったり、吐き気がしたりって言うのが続いてて……」

 仕事に厳しい夫のことだから、ただの言い訳だといわれるかもしれない。そう思ったけれど、夫はすぐに不安そうな声を出す。

「それは、ずっとなのかい?

 だとしたらたいへんだ。仕事を休んで病院に行かないと」

「うん、明日もダメそうだったらそうする」

「明日も……そうだね、明日になっても続くなら、そうした方がいいよ」

 そして翌日、結局体調は良くならなかった。あまりにも私の不調が続くので、占星術の事務所を急遽休みにして、夫同伴で病院に行って、検査を受けた。

 はじめは内科に行ったのだけれども、そこで慌てて他の科に行くように紹介状を書かれた。

 医者に指定された病院は、産婦人科。

 それを聞いて思わず動揺しておなかに手を当てる。

 診察が終わって夫にこう告げる。

「……産婦人科行けって言われちゃった」

「産婦人科?」

 私の言葉に、夫はぽかんとした声を出してから耳を赤くする。

「そっか。それじゃあ、うん。産婦人科の予約取らないと……」

「紹介状も書いてもらったんだ。

 予約ももうこの病院から入れてくれてるって」

「ああ、うん。そっか。じゃあ、その日も一緒に病院に行こう」

 夫があまりにも照れるので、私の顔も熱くなる。

 産婦人科に行けと言われた理由に、心当たりは大いにある。けれども、まだ覚悟ができていなかったのでどうしても戸惑ってしまう。

 そんな私の頭を夫は優しく撫でてくれる。

 うれしさと不安で、その場に立ち尽くすしかできなかった。


 それから数日後、よく晴れて、暑いけれども爽やかな風が吹いて過ごしやすい日のこと。ここ数年で新設されたばかりの大きくてきれいな産婦人科に行って検査をした結果、やはり私は妊娠していた。

「妊娠……え……ほんとに……?」

 耳を真っ赤にして戸惑う夫に、私も耳が熱くなるのを感じながら頷く。

 すると、夫は私を抱きしめて声を上げる。

「ああ、たいへんだ、たいへんだよ!

 こんなにうれしいのは今まで生きてきてはじめてだよ!」

「もう、今からそんなによろこんで。

 こんなんじゃ生まれてきたときどうなっちゃうの?」

 照れ隠しに私がそう言うと、夫ははにかんでこう答える。

「わからないけど、きっともっとうれしい」

 夫の率直な言葉に思わず笑みがこぼれる。

 でも、それはそれとして、子供は欲しいと思っていたけれど、いざ妊娠したとなると不安も大きい。

 たしかに、夫の子供を授かったのはうれしいけれども、これから上手くやれるのかとか、ちゃんと無事に出産できるのかとか、そんな不安を実感してしまうのだ。

 でもそれはそれとして、妊娠したということを夫や私の家族、それに友人達に報告した。

 報告した人達は、みんな私へのお祝いと、神様への感謝を伝えてきた。

 正直言えば神様への感謝の言葉は忌々しいけれど、この人達はまだそうあるだけなのだと自分に言い聞かせてなんとかやり過ごす。

 そんななか、モイラからもお祝いのメッセージが届いた。そのメッセージにはこうある。

「おめでとう。母子共に健康であるように。

 ちゃんと元気に産まれてくるように。

 産まれてからなにごともないように。

 そうお祈りしてるから」

 文面を見て安心した。モイラは神様への感謝を押しつけてこなかった。お祈りしているというのも、神様ではなく新たな神にだろう。

 私は夫を呼んで、モイラからのメッセージを見せる。すると、うれしそうに笑って私のことをまた抱きしめてくれた。


 妊娠がわかってからというもの、夫は私に産休を出して、無理な仕事はするなと休ませてくれた。

 たしかに、星占術師の仕事は重いものを運ぶこともあるし、神経を使うので体調が悪いとてきめんに影響が出る。そうなると、仕事を休まされるのには納得がいく。

 でも、夫がしてくれたのはそれだけではなかった。

「つわりがある時って、食べられないものいっぱいあるんでしょ?

 買い物について行くから、食べられるものだけ籠に入れて」

 そう言って、食事の買い物には絶対に付いてきて荷物を全部持ってくれたし、掃除や洗濯などの体を使う家事もほとんどやってくれた。料理は基本的に私がやっているけれども、つわりがひどい時なんかは、夫が代わりに私が食べられるものだけを作ってくれた。そう、夫も私に合わせた食事にしてくれていた。

 正直言うと、結婚前の夫は仕事で人使いが荒かったので、そこが少し心配だったけれども、いざ結婚してみると、体調の悪い時はしっかりといたわってくれるので少しおどろいた。

「なんか私、びっくりしちゃった」

 夫との買い物中、ぽつりとつぶやく。

 そのつぶやきを聞き取った夫が、きょとんとした声で私に訊ねる。

「びっくりしたって、なにが?」

「だってあなた、仕事の時はあんなに人使いが荒いんだもん。妊娠してからこんなに気遣ってくれるなんて、結婚前は思ってなかったんだから」

 私の言葉に、夫は心外といったようすだ。

「なんだ、そんな人使いが荒いだけのやつとよく結婚する気になったな」

「人使いは荒いけど、理不尽じゃないし誠実だから」

「お、おう」

 夫が照れたように頭を掻く。その姿が微笑ましくて愛おしい。

 夫の優しさにはおどろいたけれども、悪いおどろきではない。

 夫にいたわられるたび少し照れくさい思いをして過ごしていると、時々モイラからも心配と励ましのメッセージが届く。

「最近調子はどう? 妊娠中ってつわりがひどいって聞くけど大丈夫?

 旦那さんも、セレネが選んだ人だから優しくしてくれると思うけど、もしひどいことされたら私が怒りに行くからね。その時は言ってね」

 大学時代と変わらない調子のモイラのメッセージに、思わず笑ってしまう。

 ああ、私は今しあわせなんだ。

 少しずつ大きくなっていくおなかを抱えて、しみじみとそう思う。

 私のことを励ましてくれているモイラを利用して、神様に対抗させようとしたまま、夫もそれに巻き込ませたまま、私はしあわせの中にいる。

 それなのに、もう、神様のことも新しき神のこともどうでもいいとさえ思うようになっていた。


 妊娠が発覚してからしばらく。出産予定日が近くなって産院に入院することになった。

 入院する部屋は、外の気温に左右されないよう空調が効いた個室で、正直言えば入院費もそこそこする。けれど、この産院は最新設備が整っているということで、すこしでも安全に出産ができるなら金に糸目はつけない。と夫が言うので、言葉に甘えてここを選ばせてもらった。

 入院中は医者も看護師さんもいるからなにも心配はないはずなのに、夫は心配そうにおろおろしながら毎日お見舞いに来てくれた。

 そして迎えた出産当日。お産はひどく痛いと聞いていてこわい。

 けれども。

「お産って痛いんですよね? すごく痛いんですよね? (じん)(つう)も痛いって聞きますよ?

 そんな痛くてこわいの、俺だったら絶対耐えられません!

 妻がいいと言うなら、()(つう)(ぶん)(べん)にしてください!」

「は、はい。じゃあ奥さん、どうですか?」

 なぜか私以上に夫が怖がっていて、半べそをかきながら医者にそう泣きついていた。

 その姿がおかしくて、それ以上に愛おしくて、思わず笑ってしまったけれど、無痛分娩に反対しないのであれば、私としてもその方がいい。

「それじゃあ、無痛分娩でお願いします」

「はい、わかりました。ではこちらの書類にサインください」

 無痛分娩に関する説明を聞いて同意する書類にサインをしたあと、分娩室で分娩台に乗り、麻酔の準備をしているのを緊張しながら眺める。

「今回は無痛分娩ということですが、ある程度陣痛が来るまでは麻酔を入れられませんので、そこはがんばってくださいね」

「は、はい」

 医者に言われて、緊張した返事をする。

 もうだいぶおなかは痛んでいるのだけれども、これは陣痛なのだろうか。よくわからない。生理痛ほどひどい痛みではないのでぼんやりと耐えていると、だんだんと痛みが増してきた。

「先生、いた……痛いです……」

 私がそう申告すると、点滴の管から冷たいものが入ってくる。それと同時に点滴の針を刺した場所がじんわりと痛くなったけれども、その痛みも、おなかの痛みも徐々に引いていった。

 痛くはないけれども、おなかになんだか違和感はある。赤ちゃんをちゃんと産めるようにがんばらないと。

 助産師さんに声をかけられるまま、呼吸を整えて力を込める。それをどれだけの時間やっていたのだろう。麻酔で痛みはほとんどないけれど、とにかく呼吸を整えて力を込めるのを繰り返しているうちに、疲労が溜まっていった。

 もうこれ以上がんばれない。そう思いながら思いっきり息を吐いておなかに力を入れると、なにかが出てくる音がした。

 ぐったりして横たわっていると、水の音がして大きな泣き声が聞こえた。

「えっ?」

 おどろいておなかに手を当てると、大きく膨らんでいたはずのおなかが平らになっている。

 そして、すこしの間水音が聞こえてから、助産師さんがちいさな赤ん坊を抱えて私に見せて、明るい声で言った。

「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」

 おくるみに包まれた生まれたばかりの赤ん坊を、助産師さんが手渡してくる。おなかの中にいる時はやたら大きいな。と思っていたのだけれども、いざ産まれてみると、私の赤ちゃんはあまりにも小さい。けれども呼吸をするための泣き声はとても大きくて、私のことを安心させてくれた。

 赤ん坊を抱きしめて泣きそうになっていると、ふとおなかに違和感を感じた。

「あ?」

 思わず声を上げると、股の間からまたなにかが出てきた。

 なんだろう。もしかして双子だったのだろうか。

 そう思ってどきどきしていると、医者が出てきたものを見ながら言う。

「あー、ちゃんと(たい)(ばん)も出てきたね。

 よしよし順調順調。

 胎盤見る?」

「……見なくていいです……」

 なるほど、胎盤も出てきたのか。そのことに納得している間に、医者と助産師さんが胎盤の処理をしつつ夫を呼ぶ。

 夫は私と赤ちゃんを見るなり、額を押さえて天を仰ぎ見る。気持ちがいっぱいいっぱいになった時の彼の癖だ。

「ああ、セレネ、よくがんばったね。

 ほんとうに痛くなかった?」

「まあまあ痛かったししんどかったよ」

「ほんと、がんばってくれて……ありがとう……」

 夫はそう言って、私の頭を抱きしめてから赤ちゃんの頬を指で撫でる。

 しばらくふたりで赤ちゃんの誕生をよろこんでから、病室へと戻った。

 病室に戻ってからも、夫はしばらく一緒にいてくれて、赤ちゃんのようすを見ていた。

 そのさなか、ふと赤ちゃんがまぶたを開いた。

 もう目を開けるなんてずいぶんと早いなと思いながら赤ちゃんの目を見る。きれいな菜の花色だ。

 そこでふと、嫌な予感がした。

 赤ちゃんのこの目の色、それに……私は慌てて赤ちゃんのことを見つめる。そのようすを夫は不思議そうに見ていた。

「どうしたの? この子、どこか悪いところがありそうなの?」

 少し心配そうに訪ねてくる夫に、私は戸惑いながらこう返す。

「……この子、神様の伴侶に選ばれる特徴が、全部ある」

 夫が息を飲む。私はこれからどうするべきかすかさず考える。

「あの、それは、神様が俺たちの前に顕れるかもしれない……ってこと?」

 明らかに動揺している夫に、私は頷く。それから、スマートフォンを手に取ってメッセージを書きはじめる。

「もしかしたら、この子は神様の伴侶に選ばれるかもしれない。

 それなら、神官さんに祝福しておいてもらった方がいいかもしれないから、神殿に依頼しようか」

 努めて明るい声でそう言うけれど、どうしても声が震える。私の言葉に、夫は口元に戸惑いを浮かべている。きっと、この子に神様からの祝福を与えたくないのだろう。

 私は続けて言う。

「あなたも知ってるよね。私の友達で神官をやってるモイラって子。

 その子に祝福をしてもらえるように頼んでみる」

 モイラの名前を聞いて、夫が(すが)るように言う。

「ああ、結婚式の時の神官さんだよね?

 あの人に頼むなら安心だよ。ぜひお願いしよう」

「わかった、これからメッセージ送るね」

 私がメッセージを送ると、夫が安心したようなため息をつく。きっと、神様に対抗している新たな神を祀っているモイラなら、私たちの子を守ってくれると思っているのだろう。

 それは私も同じだ。もしかしたら、モイラなら、神様から私たちの赤ちゃんを守ってくれるかもしれない。

 今私が縋れるのは、モイラだけなのだ。

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