a:運命との出会い
「モイラはうまくやってるみたいだね」
ネットニュースに目を通しながらつぶやく。
ニュース記事には、神殿庁が新たな神に対する注意喚起をしているという旨がしきりに書かれている。もはや注意喚起では収まらず、警告とも取れるようなものまであるほどだ。それほどまでに、今話題の新しき神への信仰が広まっているということだろう。
神様に家族を奪われた人やそれに同調する人、神様に選ばれずギフトを得られないことに不平等を感じた人などの間で新たな神の信仰は広まっているようだ。
ネットニュースの記事にはどういった層に信仰が広がっているかというのは書かれていないけれども、動画サイトで巧妙に誤魔化しながら新たな神のことを広めている動画を見ていると、そういった人達の間で広まっているということが手に取るようにわかるのだ。
その人達の信仰を神様の元に戻そうと神殿庁は必死だ。
ネットニュースを見ていて、広告が目に入る。神殿庁が人々の信仰を神様の元に戻そうと出しているものだ。
今まさに、神殿の広告が目に入った。
「今こそ神様の恵みを受けましょう。
神様は見守ってくださいます」
壮麗な祭壇を背景に、モイラが祈るように指を組み、跪いている写真にキャッチコピーが添えられている。
ずいぶんと前から、モイラは神様への信心を思い起こさせる神官としてネットで評判だ。だから、こういった広告に使うにはうってつけだと神殿庁は判断したのだろう。
神殿庁は知らないのだ。モイラが新しき神への信仰を広める教祖だということを。その姿をさらせばさらすほど、信仰はモイラに集まる。そしてモイラは、その集まった信仰ををのまま新しき神に向けさせているのだろう。
「ほんと、うまくやってるよ。あの子は」
思わず笑いがこぼれる。モイラはまんまと私の思惑通りに動いた。
誰も想像なんてしていないのだろう。神様と神殿の理に則って仕事を為す占星術師が、神様に反旗を翻すよう神官をそそのかすだなんて。
システム手帳のポケットに挟んでいるちいさな封筒から、三文字が書かれた紙を取り出す。この三文字は、かつて神様に攫われた私の妹の名前だ。その名前を絶対に忘れることのないようにと、こっそりとメモ帳に書いて、誰にも見られないようにずっと持ち歩いている。
私が小学生の頃に生まれた妹。お父さんとお母さんは妹が生まれてから丸一日をかけて名前を付けた。私も、妹のことをその名で呼んだ。あの時、どれだけうれしくてどれだけしあわせを感じていたか。今でもあの瞬間を夢に見るほどだ。
けれども、それから一週間ほどが経った頃に神様が顕れた。その時のことは今でもよく思い出せる。
鈴の音と共に顕れた神様は、ひとことこう言った。
「その子はもらい受ける」
それから、すやすやと眠る妹を抱きかかえた。
なにが起こったのかわからなかった。
「やめて! その子を連れて行かないで!」
神様が妹を連れて行こうとしているんだと言うことをなんとか理解した私は泣き叫んだ。何度も何度も連れて行かないでくれと神様に泣いて縋った。
けれども神様は冷たい声でこう言うだけだった。
「うるさい人間だ」
恵みをくれるはずの神様が、こんなことを言うの?
妹を連れて行かれる悲しみと怒りでただただ泣いていると、お父さんとお母さんは神様にひれ伏してこう言っていた。
「その子がお気に召しましたか。ありがたいことです」
「どうぞ、神様の伴侶としてお迎えください。これ以上の栄誉はないのですから」
お父さんもお母さんも、なんでそんなことを言うの? 神様がこわいからそう言っているの? きっとそうだ!
神様が妹の代わりに私たちにギフトを授けて去ったあと、私はまだ妹を連れて行かないでと泣いていた。
きっと、お父さんもお母さんも妹を連れて行かれて悲しいに違いない。そう思ったのに。
「あの子のことは忘れなさい。
神様から素晴らしいものをいただいたのだから」
そう言って、お父さんとお母さんはうれしそうに笑った。
どうして。あんなに妹が生まれるのを楽しみにしていたのに、どうしてそんな簡単にそんなことが言えるのだろう。
そう思ってお父さんとお母さんをじっと見ていたら、ふたりの本心が見えた。
神様に子供を捧げることができれば、素晴らしい人生を送ることができる。やっとその願いが叶った。
ふたりは直接そう言っていないはずなのに、私の頭の中に、お父さんとお母さんの声でたしかにそう聞こえた。
私は動揺した。もしかしたら私自身も、元々神様に捧げるつもりで産んだのではないかと思った。
それからというもの、私は両親の理想通りに振る舞って、上手く立ち回ってきた。
そう、妹のことは忘れろと言って、ほんとうに自分たちは忘れてしまった両親と同じように、妹のことを忘れたふりをしてきた。
神様から授けられたギフトは、たしかにお父さんとお母さんには恵みだったかもしれない。
お父さんは類い希なる思考力を与えられ、数学者としていくつもの未解決問題の解を出した。
お母さんは人の望みを聞き出す力を与えられて、服の仕立てをするメゾンでたくさんの顧客と信頼を得た。
でも、私は? 私は神様から与えられたギフトでなにを得た?
私は、自分のギフトは星を正しく読む力だと周りに話していた。
けれどもほんとうは違う。私のギフトは真実を見抜く力だ。
誰が嘘をついても、ごまかしをしても、隠し事をしても、善くも悪くも見通すことができた。
はじめのうちはみんな嘘つきばかりに思えて傷ついてばかりいたけれども、いつの頃からかこのギフトを利用して、物事を自分に有利になるように運べるようになった。
それでも、このギフトが妹の代償になるほど有益なものだとは思えない。このギフトを返上することで妹が帰ってくるのなら、喜んで手放すだろう。もっとも両親は妹よりもギフトの方が大事なようだけれども。
両親の目を誤魔化しつつ、私はずっと神様に復讐する方法を考えていた。
どうやったら神様に復讐できるのか。周りの人はみな、神様のことを信奉している。この状況下でどうやって?
悶々とそんなことを考えたまま大学に入り、入学式で隣の席になった女の子が目に付いた。
その子がモイラだった。
その時のモイラはなんの疑いもなく神様を信奉していて、信仰心は他の人の何倍も深かった。
はじめは関わり合いになりたくないと思った。けれども、入学式で隣り合っている間に、モイラの心の奥にあるわだかまりに気づいた。
幼い頃に、神様に弟を攫われた悲しみが、たしかにくすぶっていた。
それと同時に、モイラの信仰深さは、モイラ自身のギフトによるものだというのも察せられた。つまり、モイラは自分自身のギフトに振り回されているのだ。
その時のモイラにとって、神様から与えられたギフトは呪いとなっていたのだと思う。
信仰という名の重い呪い。
使える。私はそう思った。
モイラのギフトは神様に信仰を向けさせるものではなく、ただ信仰を集めるだけのもの。対象は問わないのだ。
入学式の間にモイラにターゲットを定め、近づくことを決めた。
入学式のあと、私はモイラに話しかけた。
「ずいぶん真面目に話を聞いてたけど、緊張してた?」
その言葉にモイラは緊張した声で答えた。
「あの、はい。
これから大学生活、上手くやれるかなって」
「そうだよね。履修届とかはじめてだし、上手くやれるか心配だよね」
「そう、そうなの。
だって、履修届出せなかったら単位が取れないし……」
緊張しているモイラとしばらく話をしていて、学科と、これから入るつもりのサークルについて訊いた。
モイラは文芸部に入るつもりだと言った。それはわからないでもない。文学部なのだから、そういうものにも興味はあるだろう。
少しずつ緊張のほぐれてきたモイラに、私は手を差し伸べて言う。
「私も文芸部に入ろうと思ってたんだよ。
これから仲間だね」
するとモイラははにかんで私の手を取った。
「うん。よろしくね」
モイラは今でも知らないのだろうか。ほんとうは、私が文芸になんて興味が無いことを。
それでも、モイラと過ごす大学生活はそれなりに楽しかった。
利用するつもりで近づいたけれども、少しやさしくするとモイラは私によくなついたし、甘えてきた。
そう、こんなふうに。
「セレネ、昨日うちでお母さんがクッキーを焼いたんだけど、食べる?」
「え? もらっちゃっていいの?」
「うん。食べてほしいな」
「それじゃあありがたく」
その時モイラからもらったクッキーは、とてもあたたかい味がした。柔らかい歯ごたえで、ほんのり甘くて、神様に連れて行かれた妹みたいだと思った。
「あのね」
クッキーを食べる私に、モイラはもじもじしながら言った。
「ほんとは、セレネにも食べて欲しくて、ちょっと多めに作ってもらったの」
「そうなの?」
「うん。お母さんのクッキーおいしいから」
マスクで隠れて見えない目元も笑っているのだろうというのがわかるくらい、モイラは無邪気にはにかむ。
ああ、妹みたいだな。そう思った。
気がつけば私は、モイラを利用するだけの相手ではなく、妹として扱うようになった。
それでも、ほんとうの妹を奪われたことは忘れられない。モイラも、時々奪われた弟のことを思い出しているようだった。
ああモイラ、かわいい妹。かわいい妹の代わりのひと。
私はそんなかわいい友人を利用して、神様に復讐するのだ。
モイラなら、神様に対立するようななにかを祀った教祖になれる。そう確信していた。
そんなある日のこと、モイラが神学校に行くと私に告げた。
「ねえ、ほんとうに神学校に行くの?」
沈んだ声で訊ねる私に、モイラは相変わらずなつっこい笑みを浮かべて答えた。
「うん。高校の時から神官になるって決めてたから」
「……そうなんだ。
そういえば、神殿直轄の高校だったよね。だからなの?」
「うーん、それはちょっと違うかも。
セレネも、私の弟が字を書けなかったのは知ってるよね?
私、弟が字が書けるようになるようにずっと神様にお祈りしてたの。そうしたら」
「弟君も字を書けるようになったの?」
モイラはうれしそうに頷く。素直に神様に感謝を捧げるモイラのことを肯定できなくて、苦し紛れにこう続ける。
「でも、それは弟君が書けるように努力したからじゃない?
神様のおかげもあるかもしれないけど……でも、やっぱり弟君ががんばったからだよ」
「そうだと思う。
でも、神様はそれを見守っててくれたから」
モイラは神様のことを信頼しきっていると自分で思い込んでいる。この思い込みが強すぎて、今の私では到底覆すことができない。
思わず動揺した。モイラまで神様に奪われるのかという焦りと、神様に復讐することができなくなるのではないかという焦りがあった。
その場では、神学校でもがんばって。と言葉を返したけれど、家に帰ってから自室で一晩中泣いた。神様に立ち向かうこともできず、何もかも奪われるのかと悔しかった。
でも、ここで全てを諦めることなんてできない。だから私は、モイラが神学校に行くことも応援する振りをして、神学校に通いはじめてからも、努めてつながりを保とうとした。
神学校に通うモイラは、大学時代の女の子らしい華やかさはなくて、ただ粛々としていた。それは、神官になってからも変わっていない。
モイラは夜にメッセージチェックをしていると聞いたので、その頃までにメッセージを送る。
「最近どう? 神殿の仕事ってたいへんだって聞くけど」
こういった些細なことを送ると、翌朝までには返信が来る。
「明日の朝も聖堂の掃除だよ。
最近膝が痛いけど、神様の側にいられるから大丈夫」
こういった返信が来ると、神様にモイラを横取りされた気がして仕方がない。
信仰の道に進んだモイラと話すたび、寂しさと悲しさともどかしさを誤魔化すので必死だった。
けれども、モイラが神官になってからしばらく、ネットでモイラのことが話題になった。あの神官と話すと、神様の恵みを深く感じると。
モイラはたしかに、人々の信仰心を奮い立たせていた。
けれどもそれと同時に、たまに通話をするとこんな悩みも聞かされた。
「あのね、これ、他の神官からも言われたんだけど、神様じゃなくて私に信仰を向けてる人がいる気がするって。
ねえセレネ、私、どうしたらいいの?」
それはそうだろう。モイラのギフトはそういうものなのだから。
「きっと気のせいだよ。モイラはいつも通りでいいと思うよ」
モイラの悩みにそう返して、モイラの悩みを聞いて、その間にモイラの内心を探る。弟を奪われた悲しみは、以前よりも大きなわだかまりになっているようだった。けれども、モイラはそのことに気づいていなかった。
モイラが神官になってから通話をしたのは数回。その中で私は好機を見た。
「セレネ、今日通話できてよかった。
実はちょっと緊張してて……」
「なにかあったの?」
「私、禁書の図書館の管理人になったの。
前の管理人さんが禁書を扱うのはすごく危険だって言ってたし、その人もすごく疲れてたみたいだから、私で上手くやれるかなって思って」
「禁書の?」
これは私にとって好都合だった。
「神官長様に任命されたんでしょ?
それならモイラの悪いようにはならないよ」
そう言ってモイラを元気づけながら、思案を巡らせる。
禁書に触れることができるのであれば、神様に逆らうということをモイラが知ることもできるだろう。
そう思った私は、強引にスケジュールを調整してモイラに会うことにした。
そう。あのエカントの守護を受けた人物がいるという占星術の論文を渡すのだ。
あの論文を渡したのは、賭けだった。私はほんとうに、エカントの守護を受けたのが誰なのかを知らなかったのだから。
結果として私は賭けに勝った。モイラはあの論文と禁書を付き合わせて、自ら神様に対抗するために祀る新しき神を探し出したのだ。
モイラが神殿に潜んだまま新しき神の信仰を広めていることを、私はずっと知っていた。
けれどもまだ、新しき神の信者になることはできない。
今はまだ、知らない振りをしてモイラを諫める振りをしつつ支えていかないと。そうした方がモイラは私の思い通りに動くのだから。
私の妹を奪った神様。今、私の仮の妹があなたの地位を脅かしている。
お前が地に引きずり落とされる日は必ず来る。




