d:信仰の示し方
あの豊かな巡礼者たちが去ったあと、私は何日も、誰にも邪魔されない禁書図書館の中で神様がもたらしたという経典を読んだ。神様の側に行くための条件はなんなのか、どうしたら救われるのか、それをあらためて確認したかったのだ。
救いについて書かれているところを何度も読み返す。するとやはり、私の記憶違いでもなんでもなくこう書かれていた。
[金持ちが神の国に行くよりは、らくだが針の穴を通る方が易しい]
これがほんとうならば、あの裕福な巡礼者立ちよりも、教会に十分の一税を納められない炊き出しに来ている人達の方が神様の側に行きやすいはずだ。
私はこれが真実だと思う。けれど、他の神官はどう思っているのだろう。少なくとも、あの日巡礼者の相手をしていたマモンさんは違う考えを持っているように私には感じられる。
マモンさんは私よりもだいぶ先輩だ。神殿にいるうちに気づいた真実もあるだろうけれど、それと同時に神様の教えを曲解している可能性もある。
真意を確かめるために、私はあの神官に問いかけをしてみることに決めた。
夕方の礼拝と夕食が終わったあと、私はマモンさんを廊下でつかまえる。
「すいません、少々お話があるのですが」
すこし固い私の声かけに、マモンさんは優しい声で返す。
「どうしました? なにか不安なことでもあるのですか?」
暗い廊下を点す蝋燭が揺れる。周りにいたほかの神官達は宿舎へと戻っていき、ふたりきりになった。
私ははっきりとした声で問いを投げかける。
「金持ちが神の国に入るより、らくだが針の穴を通る方が易しいと経典にはありました。
それと同時に、なにも持たないものこそが神の国に近いとも。
これがほんとうなら、先日の巡礼者たちよりも炊き出しに来るような方々の方が神の国に近いはずです。
そんな人々に十分に手を差し伸べず、つらい目に遭わせ続けていいのですか?」
勢いがついた私の問いに、目の前のマモンさんは祈るように両手を合わせてこう答えた。
「貧しい人々は貧しいからこそ神の国に近いのです。
ですから、あのままでいた方がしあわせでしょう。将来的には」
「炊き出しなどの施しも、本来なら必要ないということですか?」
思わずくってかかる。するとマモンさんは頭を横に振った。
「いえ、施しは必要です。誰が行うものであれ、善行は神の国への切符なのですから」
この言葉からは貧しい人々への気遣いを感じられない。まるでこれでは、神官やや協力してくれているボランティアの人たちが神の国に行けるように、貧しい人々を利用していると言っているようなものだ。
苛立ちを覚えながら、またほかのことを訊ねる。
「では、喜捨をする以外に信仰を示す術を知らないというあの巡礼者たちは、神の国に行けるのですか?」
その問いに、神官は満足そうに笑う。
「もちろん。免罪符があれば大丈夫です」
頭が混乱しそうだった。貧しい人は貧しいからこそ神の国に近い。善行は神の国への切符。それなのに、貧しくもなく善行を行うこともない人々も、大金を積んで免罪符を買えば神の国に行けるというの?
そもそも免罪符というのはなんなのだろう。そんなものは経典に書かれていなかった。神殿だけに口伝で伝えられている救いの術なのか、それとも神殿がお金を集めるために勝手に作ったものなのか、それすらもわからない。
私も、免罪符の作り方を習って実際に作っているときまでは疑問に思わなかった。今まで求める人に会わなかっただけで、求めれば誰でも手に入るものだと思っていたのだ。
けれども違った。免罪符はひどく高額で、一握りの裕福な人たちしか手に入れることができない。ただ奢侈に溺れる人が、お金で救いを買っているようにしか見えなかったのだ。
それとも、ほんとうに、神の国から遠い人を救うために作られたものなのだろうか。考えれば考えるほどわからなくなる。
けれども、豊かな人たちだって免罪符を買う以外に神の国に近づく方法はある。善行を為せばいいのだ。
「あの方々も、免罪符ではなく社会福祉のためにお金を使った方が神の国により近くなるのではないですか?
だって、善行は神の国への切符なのでしょう?」
震えそうになるのをこらえてそう訊ねると、目の前の神官はため息をつく。
「そうかもしれません。
でも、免罪符は目に見えてわかりやすいのですよ」
だから免罪符を求める。そう言いたげなマモンさんの態度に私は納得できない。
そこで、すこし話題を変えた。
「なるほど、そうなのですね。
それにしても、神殿はもっと貧しい人々に手を差し伸べた方がいいと思うんです。炊き出しだけでなく、宿坊の短期貸し出しとか。
そうすれば、神殿に所属する神官達も、より神の国に近づけるでしょう?」
私の言葉に、神官は当然と言った声で返す。
「なにを言うのですが、今実施している施しだけで十分です。
そもそも神殿に仕える神官は、ただそれだけで神の国に最も近いのですから」
なぜそんなことが言えるのだろう。私たち神官だって、元々は普通の人たちとなんら変わらない生活をしていたはずだ。それが、神学校に通って、試験に通って、神官のマスクとローブを賜っただけで、特権的に神の国に近くなるはずがない。神官以外の人々と同様、神の国に近づくためには善行という神の国への切符をただ重ねていかなくてはいけないはずだ。少なくとも私はそう思っている。
頭の中でいろいろな考えがぐるぐると回って黙り込む私に、マモンさんはさらに言葉を続ける。
「在家信者の方々は、神の国に近づくためにもっと善行を積み、そして喜捨をするべきです」
神殿の外にいる人々も善行を積むべき。それには同意できる。けれども、そこまで執拗に喜捨を求める理由がわからなかった。だって、神殿の外の人々、いわゆる在家の信者だって、毎年神殿に納める十分の一税の払っているのだからそれで十分なはずなのだ。人によっては、その十分の一税すら生活をする上で負担だろう。
「なぜそんなに喜捨を求めるのですか。十分の一税だけでは足りないのですか?」
なんとか絞り出した私の問いに、マモンさんは鼻で笑う。
「あなたがもっと積極的になるべきと言っている貧しい人々への施し。その資金はどこから出ていると思っているのですか?」
なにも言い返せなかった。今まで考えたこともなかったのだ。人々が納めている十分の一税で、奉仕活動の資金はすべてまかなえていると思っていたのだ。
けれど、より一層の奉仕活動をするとなれば、そのための資金もより必要になる。そうなると、ある程度豊かな人々の喜捨に頼るほか無いだろう。マモンさんの言うとおりだ。
「では、十分の一税を払えない人々は不信心なのですか? 以前あなたはそう言っていたでしょう」
次から次へと疑問がわいてくる。私はどうしてもマモンさんの言うことが納得できなかった。いや、言うことを受け入れたくなかった。
しつこい私の質問に、マモンさんはため息をつく。
「そうですね。正直言えば十分の一税を納めないのは不信心です。
ですが、払えないほど貧しい人々は十分の一税が免除されているのは事実ですし、経典にもそうあります。
十分の一税を納められないからといって、不信心ものとは決めつけられません」
ようやく私と近い意見が出てほっとする。けれどもそれはつかの間のことで、マモンさんは厳しい声でこう続けた。
「しかし、十分の一税を納められないほど貧しいということを証明する方法はありません」
その一言を聞いて、口の中に苦みが広がる。
貧しいことを証明する方法、それはなにかを考えて、なんとか言葉を絞り出す。
「あの、少なくとも炊き出しに来ている人は、貧しくて来ているのではないでしょうか。
住む家がない人も少なくないですし」
すると、マモンさんはすげなく返す。
「それがなんの証明になるというのです。
炊き出しに行くことくらい、どれだけ裕福であってもできます。多少くたびれた服を着ていれば怪しまれることもないでしょうし。
逆にあなたは、炊き出しに来ている人達全員が確実に貧しい人だと証明する方法を持っているのですか?」
なにも言い返せなかった。私は漫然と、疑うこともなく炊き出しに来る人々は貧しいものだと思い込んでいたのだ。けれどもマモンさんの言うとおり、裕福な人が紛れ込むことは可能だし、たとえ裕福であっても炊き出しのような無料で食事を提供する場にありつこうとする人がいてもおかしくないのを、ほんとうは私もわかっていたはずなのだ。
動揺して、混乱して、口からうめき声が漏れる。気持ちを抑えるために握った手に爪が食い込む。
そうしていると、目の前のマモンさんがそっと私の頬に触れて優しく言った。
「信仰篤きモイラ。信心深いあなたが不信心者を心配するのはわかります」
なにをわかっているのだろうか。思わず涙がこぼれる。マモンさんは頬を伝う涙を拭ってさらに言葉を続ける。
「あなたが呼びかければ、不正に施しを受けようとする者も含めて信心を持ち直すでしょう」
マモンさんの言う信心を持ち直すというのは、いったいどういうことを言うのだろうか。
震えてかすれる声で訊ねる。
「信心と信仰を証明する方法とは、いったいなんなのですか?」
マモンさんは慈しむように笑う。
「何度も言っているでしょう。喜捨と善行です」
もちろん納得などできるわけはなかった。
善行はいいことだけれども、喜捨がそんなに重要なことだとはどうしても思えないのだ。豊かな人々からの喜捨が、貧しい人々への施しに使われるといわれてもなお、このように喜捨を求めることはひどく強欲なように思えてしまうのだ。
十分の一税を払えないような貧しい人々は喜捨などできる余裕など無いだろうし、それに善行だって、それを行動に移せるほど身体の自由がきく人ばかりではない。マモンさんの言う通りなら、身体の自由がきかず、十分の一税を払えないほど貧しい人は、信仰を示せないと言っているも同然だった。
私はマモンさんの言葉に反論する。
「経典には、祈りこそが信仰とありました」
そう、たとえ神殿に通えなくとも、ただ祈ることが信仰であると経典には書かれていたのだ。
経典に書かれていることなら、さすがのマモンさんだって間違いだとは言えないだろう。
そして案の定、間違いだとは言わなかった。
けれども。
「その通りです。
そしてその祈りを証明するのが喜捨と善行なのです」
結局のところは、マモンさんが言う主張に帰結してしまった。
「喜捨と善行、どちらもできないものは、貧しさの中で神の国を待つしかないのです」
私はもう、言い返す言葉を見つけられなかった。マモンさんの言う言葉に納得できないのに反論できない。そのことが悔しくて唇を噛んでいると、マモンさんがまた私の頬を撫でる。
「あなたはまだ神官としては若手ですから、信仰の示し方について疑問や迷いがあるのでしょう。
ですが、次第にわかってきますよ」
マモンさんの言う方法しか信仰の示し方がないのであれば、そんなことわかりたくない。絶対に納得などしたくなかった。
頷くこともせず黙っていると、マモンさんは宿舎の方を向いてこう言った。
「とりあえず、今日はもう休みなさい。
もう夜も更けていますよ」
それから、宿舎の方へと向かって歩いて行った。
私はしばらくその場に立ち尽くしていたけれど、いつまでもここにいたって何にもならない。明日の礼拝に差し障りがないように宿舎へ戻らないと。
なんとか足を動かして宿舎へと向かう。その道中、ずっと誰かに助けを求めたかった。
宿舎の自室に戻り、シャワーを浴びて寝間着へと着替える。そのまま寝てしまおうかとも思いながら時計を見る。神官ならもう寝なくてはいけない時間だけれど、一般的な人ならまだ起きて和やかに過ごしている頃だ。
私は思いきって、家族にビデオ通話をかけた。前にかけてからそんなに間が開いていないのでおどろかれるかもしれない。それでも、私は今家族の声を聞きたかった。家族に助けて欲しいのだ。
スマートフォンにお母さんの顔が映る。
「あら、またかけてきてくれたんだ。
今度はどんなお話があるの?」
おっとりとしたお母さんの声に泣きそうになる。私は泣きそうになるのをこらえながら、お母さんにこう訊ねた。
「あのね、お母さんに訊きたいんだけど、信仰を証明するものってなんだと思う?」
私の問いに、お母さんはくすくすと笑う。
「なぞなぞかな?
うーん、そうねえ。私は神殿に行ってお祈りすることだと思うけど」
その言葉にひどく安心した。お母さんも、祈りこそが信仰の証明だと思ってくれているんだ。
「でも、急にどうしたの? そういうことはモイラの方が詳しいでしょ?」
「うん、そうなんだけど……」
お母さんの言うとおり、神様や信仰については私の方が詳しいはずだ。神学校の授業でもみっちりと教え込まれたし、神殿に勤めて実務もやっている。礼拝の準備もしているし、奉仕活動もしている。私の方が信仰については詳しくなくてはいけないはずなのだ。
それなのに、マモンさんのあの言葉にひどく動揺させられた。祈りこそが信仰だと思っているはずなのに、そのことに自信を持てなくなってしまったのだ。
沈み込んでしまう私に、お母さんが心配そうに話しかける。
「もしかして、最近いろいろこわいことがあったから不安なの?」
いろいろあったこわいこと。それがどんなことか頭の中で思い返す。
異端の本を狩るために暴走した信徒。高額な免罪符を買い求める巡礼者。そして、喜捨と善行こそが信仰の証明だというマモンさんのあの言葉。私はきっと、こわいだけでなくひどく傷ついたのだ。
けれどもそれを全部お母さんに話すわけにもいかない。みだりにほかの信徒の話をもらしてはいけないという神殿のコンプライアンスの関係もあるけれど、不必要にお母さんを心配がらせたくないのだ。
だから私は、すこし鼻をすすってこう返した。
「うん、ちょっと不安になることがあったの。
でも、お母さんと話せて安心した。ありがとう」
「そう? 安心したならよかった」
そんな話をしていると、小さな声が入ってきた。どうやらデクモが仕事から帰って、お母さんと私がビデオ通話をしているのに気づいたようだ。
「お母さん、姉さんと通話してたんだ。
ねえ姉さん、最近のこと聞かせて」
すぐさまにお母さんの横を陣取るデクモの言葉に思わず笑みが浮かぶ。
「最近のこと? いろいろあるけど、デクモはどうなの?」
「今日はちょっとトラムが遅延しちゃって、観光客っぽい人に絡まれたりしたなぁ。でもまあ、なんとかなったよ。
姉さんの方はどう?」
デクモもたいへんだなと思いながら、私はなんとか話せる範囲の近況を探す。思い浮かんだのはマモンさんのことだ。
「実は、ちょっと気になっている人がいて……」
すこし沈んだ私の言葉に、デクモは不満そうに下唇を噛んでからこう言う。
「気になる人って誰? 姉さんに恋人ができるなんて僕やだよ」
いかにも不満そうなデクモに、私はくすくすと笑いながら返す。
「そういうのじゃないって。すこぶる考え方の合わない神官がいて、その人とどうやって一緒にやっていくかで気になってるの」
「ああ、そっか……
でも姉さん、その人にいじめられたらすぐ言ってね。僕、すぐに行くから」
すこしだけ安心したあと、すぐに勢いづくデクモの肩をお母さんが叩く。
「もう、そんなにお姉ちゃんお姉ちゃんって言ってたらモイラが困っちゃうでしょ」
デクモとお母さんのやりとりについほっこりして笑ってしまう。そうしているうちに、お風呂から上がったお父さんも通話に加わった。
そのあとはみんなで和やかにたわいもない話をして、すこしだけ心が軽くなった。
けれども、神官と信徒、どちらの信仰が正しいのかという疑問は消えなかった。




