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悪名道

金融業で成功した男が、金融業の手ほどきを受けた恩人が、集団詐欺に合い、倒産にまで追い込まれて、自殺した恩人の敵討ちをするハードボイルド物語。巧妙に仕掛けられて罠を、逆手にとって、騙した相手企業に、自分の全財産を掛けて復讐を果たすサスペンス。

この世の悪と言われた金貸しを組織やくざに理由は問わずに貸して、金儲けをした男が、、命に関わるやくざ抗争に巻き込まれて身を隠す、、その後の半生を弱者救済に走った男の波乱万丈な物語です。

短編小説「悪名道」原作者 献残屋藤吉郎


第一話「落ちこぼれ花」


第二話「悪道」


〇「第一話」落ちこぼれ花


1。どこで間違えた「こぼれ花」


人は誰でも生まれた時は可愛い、そして、みんなから愛される、花のように咲いているときは持てはやされて、優しくされる、、、

やがて成長し、世の中の雨や風や誇りにまみれて、色覚めるような。。。

晴には「桜が咲き」多くの人たちが酒を酌み交わしながら花を愛でる、.、

夏の日には朝顔が朝露を運び、太陽の輝きのもとではひまわりが咲き誇り、、、

秋には木々の葉が紅葉し、、また、酒を呼ぶような、、

冬には白い花が咲く、、、寒い雪化粧を。

人の人生にも人生花が咲く。人生道で成功すれば笑いの笑顔花が、、、、

しかし、人生道に躓き、花が萎れてしまうとき、、、寂しい泣き顔が、、、

人生とは面白い。人生が上手く往っているときにはいつも桜の花が咲いているような。。。

一端最後まで咲かずに、萎れてしまうときがある。

人は離れていく、、どこまでも、振り返ることなく、、離れていく。寂しいもの、悲しいもの、、、そんな首を垂れた花のようにだ、、、、

「落ちこぼれ花」になってしまう。

そんな男たちの、、、女たちの「こぼれ花」は悲しい。



3.夢をみると、、、最後まで


法界太郎の金貸し物語。。。

数多くの失敗者を見てきている、金に困り、息詰まり、金に引き回され、金に溺れたもの、、、いろいろだ。

人は面白いもので、金を借りるときは「神様仏様」と手を合わせ、涙を流す。

しかし、金に困り、返済する時にはののしり、神様仏様と言ったものが恨み事を言う。

借りておきながら、恨み事を言いながら、あべこべの言い方をする。人とは不思議な生き物だ。

法界太郎は東京港区麻布で金融業を営んでいる。

彼は産業廃棄物処理業や太陽光発電事業で財を成した。

不動産業も看板を出していたので、自然に土地に絡んで「金融業」も始めた。

法界太郎は常に現実的であり、何事にも緻密な計画をもってことに当たってきた。

不動産業は観光地のレジャー施設に安い売り物があれば買ってきた。そして、自分で商いをするときもあれば、転売もして来た。

法界太郎は合法的に、ものは安く買って、高く売る方針を貫いてきた。

金融業も合法的金利で金を貸す、、、但し、出来るだけ安く、負けさせて、、、合法的に売りさばく方法である。

法界太郎が社会の生き様を見るようになったのは金融業を始めたころからだった。

余りにも金だけが絡んだ取引、金貸しという商いは人生の、人の裏側を見てしまう。。。

それでも金がないと商いは行き詰まり、困って、がむしゃらに借りる、、、なりふり構わずにだ。

そんな人生のどん底に咲いた「落ちこぼれ花」は人の哀れを誘う、、、



4.人生道にはぐれて、、、、


人とは不思議な生きもの、普通に考えれば、その人間の収入に応じ支出を合わせれば、何も問題もなく生活ができる筈である。しかし、人は借金をする。

収入以上に借金をするようだ、、、そして、苦しむ生活をする、、、まったく、馬鹿げた話である。

今の世の中、金が借りられる仕組みになっているような。。。

あらゆる、カード会社、ローン会社、銀行までもが何事も起こさなければ借りられる。そして、余裕があれば証券取引き、先物取引と上手い話が転がっている。

そして、貸す方もあの手この手で貸しまくるようなシステムがあり、借り手はついつい借りてしまう。

今の世の中、使ってから返す、支払うという後払いがある。一昔前なら、金が溜まったら使う、、、

堅実な方法で生きてきた。しかし、どこで間違ったか、使ってから払うという、、、、楽しみを,先に得ておき、支払うという苦しみが後から追いかけて来る。

そんなことで、借金も手軽に、簡単に出来るので、、、トラブルが起きる。

法界太郎は、金を借りて、生きる死ぬを繰り返している人間を、、、いやだというほどみてきている。

法界太郎のところに借金を申し込んでくる人間には、借金には「利息」が付くことを、、、いやだというほど、耳にタコができるほど説明している。

そして、今、借りている金を返すのには時間がかかることを話すのだ。誰もが今借りている金の利息は高い、、、、

それを法定金利で返済するには時間がかかると、、、、

法界太郎は借金で苦しむ人々を救済しようとしているのだった。

今は金を借りたら、さらに高い金利で金を借り、という。

馬鹿な現象で事が推移している。

人と生まれたからには、「借金地獄」は経験したくないのだ。

其のためには、、「まず金を借りない」「金は貸せぐもの」

「金はもらうもの」を守ることだ。



5.道をまっすぐに、、金も範囲内で綺麗に。。。


人の道はどこまでも真っすぐに、笑って歩きたいものだ。

正々堂々と胸を張って、活きている間は生きていきたい。

人に後ろ指さされないように、背中に正義を翳して歩いていきたい。

人は誰でも、本当はそう思っている筈だ、、、

しかし、人生道には坂道もあり、下り路もある、ましてや凸凹道も、、、回り道もある。

そのどこかで躓き、気が付いてみたら、自分の思う道とは違う道を歩いているような、、、

人の心に差し込んだ暗闇は捨てて、日のさす道を選ぶように、、、少しでも努力をしないと。。。。

人生は長い、、、命も長く燃えている。

間違い、誤りは早くに訂正して、生まれた時からの心を見出して、、、活きなければ損だよ、「時間がもったいない」

人生長いと言っても「限り」はある。

だから限られて時間を精一杯、楽しく生きないと。。。

短い人生で「借金」でくよくよするな、、、借金で苦しむならほかのことに時間を使え。。。借金は考えるな。。。

自分の稼げる金で、、、自分の能力で。。。与えられた金を有効に使え、、、余計な金の事は考えるな。。。

自分で稼げるようになったら、余計な金の使い道を考えろ。、

(才能、器量)

人にはそれぞれ、もって生まれた器があるような、、、

頭の大きさには関係ないが、どうあがいても「能力、才能」以上のことは不可能なことのようだ、、、

努力すれば「人より水は飲める」「人より飯は食える」

しかし、そこまでだ。

誰しもが悪人になり、悪事を働くことは出来ない、、、人には良心があるから、、、、

誰しもが大金持ちにはなれない、、、人には「運」というものが、、、働けど働けど稼げないこともある。

人とはちょっとしたことで、、、右へ行く所を左に行っただけで運が開けることもあるようだ。。。

だから、一概に才能や器量があるようなことを言っても駄目だ、、、人には「運命」があるように。。

(環境、周りの人間関係)

人とはどんなに性格がいいか。。。それは生まれ、育ちが左右してくる。

人より余裕がある、、ゆったりした、穏やかの人柄は、生まれや育ちが、、、環境が影響してくるような。。。

せっかちやはやとじりも生まれながらが多い。

人には育つ環境が必要だ。。。植物だって、いい土壌、いい水が必要だ、、、

人とは生まれも大事だが、、、育る環境が大事なのだ。

教育だ。。。。

何度も言うが、働け、、、働けだよ。

勉強だ、、勉強だよ。。。そして、その人に合った分相応の生き方を見つけることだ。

「背伸びをするな。」

「努力と背伸びは違う」

人とは己の器量が左右する、、、「大将には大将の」

器量がある、、、人の器の大きさを知ることだ。。。

幸せになるための。。。「幸福切符」は己を知ることだ。



6.笑いの日常


人は誰しも平穏な日々がいい、、、過ごせるものなら、静かに笑っていたい。

四季折々の花を愛でていたい、そして可愛がって楽しく過ごしたい。誰も好んで苦労はしたくない。

法界太郎も働いた、そして「金」を儲け、貯めた。

人とは違うところは無駄な金は使わなかった。

人は誰しも。いつでも稼げるわけではない、人にはチャンスが訪れるのだ。日々。精一杯努力して、精進していればいつの日にか好機はやってくる。

それが人の持つ「運」なのだ、、、しかし、、誰もが気が付かずにやり過ごしてしまう。

もったいない話だ。

一度や二度のチャンスは必ず来る、、、だから、日々、気を張り巡らして、いつか訪れる好機を見逃すな。。。

法界太郎は人にいつも言っている、、、

「一日、一日を只、活きているな」

「自分に起きたことを偶然と思うな、、、いいと思ったら、記憶しておけ、、、記録しておけ」と。。。

「人が生きていることで、決して無駄なことはない、、、

何かにつながるから、、、日々、注意して生きて行け」

そう人にも話し、、、自分にもい聞かせていた。

人が生きている以上、、目的をもったなら、、、

法界太郎は言う、、、、、、

「時間を大事にしろ、、、無駄にするな」

「時間は待ってくれない、、、通り過ぎた時は戻らない」

「時間を大切には、、、時は今と思ったらすぐに実行」

「動き出した時は、、、止めるな」

人にはおもいっ切りが大切だ。。。

法界太郎は言う。。。

「進んだら迷うな、、、自分を信じろ」

「時には諦めも必要だ、、、いつまでも尾を引くな」

人生進んで、笑って、後悔のない人生を、、、、

「落ちこぼれ花」を咲かせずに、、、笑い花を咲かそう。



7.法開太郎の追い立ち


東京の下町、、、北区王子あたりで生まれたらしい、両親はいたが男親が呑兵衛で仕事もしなかったらしい、

それで15歳で法界太郎は家を飛び出し、知恵と腕力を頼りにあばれていたらしい。

18歳までいろいろなアルバイトをしながら、夜間高校を卒業して、大学も早稲田大学商学部を8年かけて卒業した。

ガキの頃から金はなかった、しかし、宵越しの銭は持たぬと言いながら,意地を張って生きてきた。法界太郎のとりえと言えば「キップがよくて、お人好しだ、」

大学も8年かかったのは、背活費、学費を稼ぐためにアルバイトが多かったためであった。

決して馬鹿ではなく、要領が悪かったためではない。人一倍に機転がよく効き、何事も慎重で考え深い男であった。

ガキの頃から腕ぷっしが強く、良く喧嘩をしていた。子供のころから頼れるものもいなく、なんでも一人で行動を決めていた。今も決断力はあり、こうと決めたらやり遂げる人間になった。

彼は自分の先祖には、江戸時代に有名な大泥棒、「鼠小僧次郎吉」と言われていた。「義賊」であつた。と言っている。

(法界太郎の裏話)

彼は運動神経もよく、動きも身軽だった。ガキの頃は頼る者もいなく、金はなかった。それで「コソ泥」をしていた。

捕まることもなく上手くいっていたので、どうせやるなら「大金」があるところ、、、ということで。

法界太郎は考えた、、、盗んでも、訴えの出来ないとないところ、、、そして、悪銭を稼いだいるところ、、、

ガキながら考えたことが「やくざ事務所」だった。

危険はあったが、先祖の「鼠小僧次郎吉」を思い出して、大袈裟ではあるが、少しだけは「義賊」を気取った。

先祖と違うところは自分のために使ったことだ。

法界太郎が、現在の低金利の金貸しができるのは、当時の泥棒基金があったからであった。いいわけでもぶってるわけだは無かったが、少しでも弱者、貧困者を助ける意味で、低金利での金貸しをしているのだった。

いいわけでも、責任逃れをするわけではないが、、、、

可笑しなことをしているような。。。



8.法界太郎の進撃、、、


法界太郎は頑張った。己一臂しかいないこの世の中を、只、がむしゃらに走った。横を向く暇もなく、てっぺんを目指して。。。金融業界でのし上がろうと挑戦してきた.

そして、合法的な生き方で歩いてきた。

ガキのころにやっていた「鼠小僧次郎吉」は忘れて、正攻法で知恵を出しきって、精進した。

人とはやれば出来るもので、気が付いたら一角の金貸しになっていた。大学を卒業してから金貸し修行を5年間務めた会社を訪ねてみた。

名古屋市内にあった浅野金融は無くなっていた。元、浅野金融で働いていた社員を探して見つけたので会うことにした。

営業担当の吉田輝夫という、今は名古屋市郊外で夫婦二人で細々と農業を営んでいた。

法界太郎が尋ねたら、喜んで迎えてくれた。

そして、夫婦二人の家に通され、昔話を聞いた。その中に、浅野金融の倒産の話が出た。

その話は悲惨なものだった。大手金融に騙されて、浅野社長は責任の後始末をして自殺してしまった。

残された一人娘の美香さんはその後無理がたたり、過労で倒れてしまった。

この話を聞いて、、法界太郎は涙した、悔しかった。

。。。相談してくれればよかったのに。。。。

と、本当に悔しがった。

法界太郎は浅野社長のお墓の場所を聞いて、東京へ戻った。



9.法界太郎の仇討ち前夜


金貸しの手ほどきを受けた浅野金融の浅野社長の話を聞いた法界太郎は悔し涙を流した、相談してくれればよかったのにと、、、しかし、後の祭りだ。

一人娘の浅野美香は苦労と心労が重なって、名古屋市立総合病院に入院していた、精神的な病が強く、話ができなかった。

法界太郎は、浅野社長を死に追い込み、一人娘の美香を廃人同様にした、第一総合信用金融を恨んだ。

出来たら一矢報いたかった。法界太郎が一人前の金貸しになれたのは、すべて、浅野社長のおかげであった。そして、美香さんには親切してもらい、感謝していた。

法界太郎は調べた、、、そして、第一総合信用金融を訪ねた。勿論、チャンスがあれば仕返しをしてやろうと隙を狙った。

第一総合信用金融は東京都中央区銀座に5階建ての自社ビルを

構えていた。見るからに大手金融会社に見えた。

興信所の信用調査でわかったが、会社ぐるみで罠に嵌めようと、計画的に狙われたら、信用してししまうだろう。

浅野金融は北海道、札幌郊外に山林を含めて原野を80万坪所有していた。いずれは、ゴルフ場、スキー場を含めたeジャー施設をと、計画は持っていた。

(策略、、、罠)

第一総合信用金融は子会社の銀座開発興行株式会社を表舞台に立てた。買い入れの申し込みは銀座開発興行の大和田信蔵社長と肥後信康専務が二人で名古屋まで訪ねて。

浅野金融の浅野社長も民政党の大物政治家と言われる織田信次郎の紹介もあって、会うことにした。

民政党の織田信次郎政調会長は今は時めく実力者であり、彼が関係することにより、許認可や融資の面で融通が効いたのであった。浅野社長は銀座開発興行の二人と、浅野金融の会社で商談をした。

だ一回目は挨拶と契約内容の説明などをして、検討するということになって、引きとぅてもらった。

(交渉そして契約)

浅野社長と銀座開発興行の2回目の話し合いは、東京銀座の銀座開発興行の本社で行った。

浅野社長も踏査もして、見当もして、今回の保証人は民政党の織田信次郎議員がしてくれると、、、織田信次郎議員が大株主であり、事実上の代表で、長男の信一が代表取締役をしている銀座土地開発株式会社が連帯責任をしてくれるということになった。

それならということで契約を結ぶことになった。

契約条件は「契約売買代金は90億円」で、、、契約金として「20億円を現金」で支払い、残金は約束手形で「14億円で5回分割とする、但し、1回目の支払いは契約日から2か月後とする」

以上の契約内容で、浅野金融の本社で決済することにした。

誰が見ても信用する契約内容であった。

しかし、この契約には罠が待っていた。

(第一総合信用金融グループの計略、罠)

浅野金融と銀座開発興行の契約がおわり、契約金20億円と約束手形で70億円の支払いが完了した。

「浅野社長、、ありがとうございました、、、来月から工事に着工しますんで、よろしくお願いします、、、」と、、

銀座開発興行の大和田社長が握手を求めてきた。

「こちらこそよろしくお願いします。。。わが社の担当窓口は吉田輝夫営業部長がしますので、これからの連絡業務は彼に願します、、」

と、、、吉田輝夫営業部長を紹介した。

その夜は名古屋市内の浅野社長行きつけの寿司料理屋で乾杯をした。

(銀座開発興行の策略)

浅野金融と銀座開発興行の契約がおわり、契約後2か月後の第一回目の約束手形支払い日がきた。

しかし、不渡りになった。

浅野金融はびっくりした、すぐに問い合わせをしたが担当の

大和田信蔵社長も肥後信康専務も留守だった。

「連絡を待ってますので、至急電話をするように」と、話を頼んだ。

浅野金融では二人からの連絡がなかなか来ないので、催促の

電話を入れた。しかし、留守だった。

浅野金融では浅野社長と吉田営業部長で、兎に角、銀座開発興行へ行くことにした。

約束手形は2回目が不履行になって初めて取引中止となり、不渡りが確実となる。

そんこともあって、銀座開発興行の近くにホテルを取った。着いた翌日、銀座開発興行を訪ねたら、会社事務所には電話番一人がいただけで、社員の姿は見えなかった。

浅野社長たちは慌てた。。。。

「大和田社長はどうしたんですか、、」すると、、

留守番の女子社員が言うには会社は倒産したとのことで、、、「社長は連絡が取れません、、社員は昨日から誰も出社していませんし、、、私は留守番を頼まれてるだけです、、そして、誰かが訪ねてきたら連絡先を教えるように言われてます。」

と、言って。。。大東京弁護士事務所、大岩幸次郎という名刺を差し出した。

浅野社長は、、、「やられたぞ、、やられたな、嵌められたな罠に、、」と、、、

そして、弁護士事務所に連絡を取った。

浅野社長は吉田営業部長がいたが、、全身の震bえええが止まらなった。

大東京弁護士事務所に連絡をとり、事務所が赤坂にあったので、すぐに向かった。全身がまだ震えたいた。

(銀座開発興行の巧妙な罠)

浅野社長たちは大東京弁護士事務所について、大岩幸次郎弁護士にあった。連絡をしておいたので、時間を空けていてくれた。

「初めまして、、、浅野です。どういうことか説明してくれますか、、、」と問い詰めた。

「大岩です、、銀座開発興行は債務過剰になり、行き詰ってしまったのです。不渡りは出したが会社は倒産はしていません、、、」と、担当弁護士からは簡単な説明があり、追加

説明があった。

「銀座開発興行は財務過剰により、親会社の総合信用金融の本社ビルに移転して、財政立て直しをしているところです。」と、、、、

「冗談じゃあないよ、、、連絡もしないで、いきなり不渡りを出してくれて。。。」

浅野社長はかみついた。

「連絡をしたはずですけど、、、連絡はいっていませんでしたか。。。おかしいですね」

大岩弁護士にはとぼけられてしまった。

大岩弁護士は会社が倒産していないので、確かに不渡りは出したけど、、業務はしていると言い張って、、、

子供の喧嘩ではないので、話し合うことにした。

「兎に角、不渡りの場合の保証人も要るので、、私は保証人と掛け合ってくるよ」と、、、

只、大岩弁護士が言うには、二度の不渡りは出ているが、会社は業務をしているので、保証人も話にはならない筈だ、、

と。

「ふざけるな、、、70億の不渡りだぞ。そんな馬鹿な話があるか、、、」と少々、興奮気味になってきた。

しかし、浅野社長も、吉田営業部長に言われて、少し冷静になってきた。

そこで、大岩弁護士の話で、銀座興行開発も交えて話し合うことになった。

浅野社長は自分の会社の顧問弁護士に連絡を取って、相談することにした。


(浅野社長の反撃)

浅野社長は顧問弁護士の足立法律事務所を訪ね連絡をしておいたので待っていてくれた。,、、

「先生、えらいことになったよ、今回の取引で、70億円の不渡りをくらったよ、、、どうしたらいいかわからない」

浅野社長は本当にどうしたらいいか分からなかった、、、慌てていた、、、「先生、細かく説明はしますが、教えてください、、」と、、、

浅野社長は不渡りになった内容を足立弁護士に説明した。

そして、指導を受けた。

まず第一は不渡りになった事実を証明して、その金額を請求する。手形発行者に、、、そして、保証人にも連絡をする。

すべて、文書での行動を足立弁護士にしてもらう。

相手の出方を待つ。

今の時点ではまだ、倒産をしていない、、、だから不渡りは出したが、その不履行金員については話し合いをしたいと言ってきいる。

しかし、浅野社長は不渡りを出した約束手形については清算をしてほしいと思っている。そして、当人がだめなら保証人に弁済をして欲しいと考えている。

だが、足立弁護士の話だと、そうは上手くいかないような、、、保証人も個人保証ではなく、法人保証をしているので、振出人が逃げずにいる場合は、保証の責任が無いのであった。

足立弁護士が言うには、初めから仕組まれた罠のようだと、、、,

不渡り手形分については双方の話し合いしか方法がないと言っている、しかし、法的に出来ることは、、、、

不渡り分の差し押さえができるので、訴訟に持ち込んで回収するしか方法はないという。

浅野社長は本当に騙されたと思った。現金20億円に引っかかったような、、、

足立弁護士の言うように訴訟で取り立てをするより仕方がなかった。

この気が遠くなりそうな話である、裁判になれば時間かかる、そして、長期分割は払いとなれば、、、70億円の長期分割である、

浅野社長は参った。今までの事業計画、これからの事業計画に狂いが生じてしまう。

今回の売り上げで、新規事業をもくろみ、すでに動きは始めてしまったのであった。

どうやっても、今回の70億円の回収がないと、すべてが崩壊してしまう。

そして、裁判で勝訴しても時間がなかった。

(浅野社長の失敗、甘かった計画)

浅野社長は今回の契約による売り上げ「70億円」を自分の新規事業に投資していたのだった。

それはレジャー施設を備えた、高級分譲マンションを計画して、工事を発注して始まってしまったのであった。

資金繰りは今回の約束手形の入金を充当させて。。。従って、すべて、今回の約束手形を担保に入れてだった。

回収に時間がかかれば、担保にしての回し手形が不渡りになり、その支払いをしなければならない。

今の浅野金融にはその余裕はない。間違いなく、破産に追い込まれれる。

そんなことで、回収しないと絶対絶命なのだ。

浅野社長は方法はないものかと、足立弁護士と話し合った。

浅野社長には不渡りを出したら、銀座開発興行のような言い訳はきかなった。

今回の新規事業の支払いには、手形分だけは自分の財産を賭けてしまったので、、、もとには戻らなかった。

しかし、足立弁護士の話では裁判をしてからの回収なので、間に合わないうえに、裁判中に銀座開発興行が事実上の倒産をしたら回収不能になり、回収金はゼロになってしまう。

浅野社長に残された時間はわずかだ、、、

地団駄を踏んだ、、、悔しかった。。。人生最後に来て騙されたとは、、、

いくら考えても資金のあてはなく、、、破産しかなかった。

出来る限りの清算をしたが、、とても、追いつかななった。

そして、、、「死」へと、、、、


10.法界太郎の仇討ち

自分が巣立った金融会社、浅野金融が社会悪の悪だくみに陥り、見事なまでに罠に嵌ってしまった。

この事実を知った時に、法界太郎は決意した。

今、いるのはすべて浅野社長が自分を育ててくれたからだ。

法界太郎には男気が合った。

自分の知恵、能力を使い、自分の持っている財力を使って、この社会悪ともいえる罠に、悪だくみを崩してやろうと、。。

そこで、浅野金融を潰して、騙しとった資金を、、、、

罠を使って、計略を緻密に組み上げて、回収かまたは親会社である「第一総合信用金融」を陥れてやろうと考えた。

(第一の罠を仕掛ける)

法界太郎は第一総合信用金融株式会社が担保に取って販売している東京赤坂の高級マンションを購入した。

買収価格は「50億円」だった。

現金で、法界太郎は即金で払い込んだ。まずは信用をつけたのであった。

それから半年間、法界太郎は第一総合信用金融とは手形割引きなどの取り引きをしていった。

そして、第一総合信用金融の大和田信蔵社長とは個人的な付き合いも重ねてゴルフなども行くようになった。

大和田社長は大のゴルフ好きであった。そして、法界太郎がシングルでゴルフ場を回った居たので、ますます、ゴルフの回数が多くなった。

そして、法界太郎は、第一総合信用金融が手掛けた「200億円のリゾート施設」」を買収することになった。

そこで法界太郎は頭金を「50億円」として分割で買収契約を済ませた。

150億円の分割手形であった。

先に購入した「50億円」の高級マンションも担保に入て、、、、

法界太郎は一人、微笑んだ。。。。

「やったと。。。さあ、、、これから料理してやるか」

これから始まる復讐劇が、、、第一総合信用金庫の断末魔の叫びが聞こえるようだった。

(復讐劇の幕引き)

法界太郎と銀座総合信用金融の大和田社長の付き合いは密になり、手形割引という商業でかなりの金員が割引されていた。人とは不思議なもので、一端信用すると、人にもよるが、、、法界太郎は初めから罠に落とす計画であったから、自分の財産もかなぐり捨てて、計略に突き進んでいった。

そして、手形割引も1000億円と膨大になり、大和田社長も抜き差しならないところまで行っていた。

法界太郎は初めから罠に嵌め、とことん追い詰めようと捨て身で構えたのだからたまらない。

人の世には採算を度外視した考えかたがあることを、自分を捨てて、、「肉を切らして骨を切る」という考えかたを持って進むと人間がいることを知らなかったのであった。

世の中すべてが合法的に進むと信じているものも、、、

世の中のすべてが「理」で片付くものと、、、

世の中には気ちがい花があることを知らない。

命を捨てて、身を捨てて咲いた花、、、落ちこぼれ花は美しい




11)仇討は桜吹雪、、、



法界太郎は割り引いた約束手形分については初めから不渡りにする計画であった。今までに割り引いてきた「約1000億円」分の手形の引き落し期日が近づいてきたのである。

そして、第一回目の不渡り期日が来て、、「約50億円の約束手形」が不渡りになった、、、法界太郎にしてみれば予定通りであった。 不渡りを出された銀座総合信用金融株式会社としては慌て、、大和田社長から法界太郎あてに連絡がはいったのである。

「大和田ですが、、、法界社長をお願いします、、」と、、、留守番の事務員が応えた。

「只今、法界は香港へ出かけていますので留守です、、、帰りは来週になりますが、、」と、返事があった。

大和田社長は慌てた、しかし、不渡りは出たのであるから、、なんとしても法界太郎と連絡を取りたかったのである。

「なんとか、、、法界社長に連絡をして、、、電話を欲しいと伝えてください」と、頼むより仕方がなかった。

しかし、、待てど暮らせど連絡はなかったのである。

大和田社長は更に焦った、、、

そして、親会社の「第一総合信用金融株式会社」へ連絡をしたのであった。

関連会社の「銀座土地開発株式会社」の織田信一社長にも連絡がはいっていたのである。

グループ企業である銀座土地開発(株)も法界太郎との契約で「約20億円」の約束手形を受け取っていたのであった。当該会社とは土地取り引きでの売買契約金である。

織田信一社長も親会社の「第一総合信用金融(株)」本社へ飛んできた。

そして、親会社の第一総合信用金融(株)本社で会議が開かれたのである。

親会社の織田剛三社長や本社役員を交えて、、、

「大きいな、合わせて70億円か、、先方には連絡して会うようにしてくれ、、、

それと顧問弁護士の大東京弁護士会の大岩幸次郎を呼んで打ち合わせをしてな、、、

絶対に対処しろよ、、、いいな」と指示を出して、今後の対策を練ったのであった。

大和田社長が参加した役員に、、、「1000億円の手形だからな、、、」

「回収に失敗すると、、倒産の危機に追い込まれるかもしれないので、、、全力を挙げて当たる様に。。。」

参加した役員全員が慌てたり、ざわついていた。

大和田社長は民友党の織田新次郎政調会長に連絡をして、、、関東連合睦会の辰巳権蔵会長への根回しも頼んだのである。

場合によっては反社会勢力の力を借りなければならないと考えたのであった。

法界太郎の「仇討桜」は咲いたようだった。

覚悟を決めての命がけの仇撃ちであり、、、法界太郎は桜吹雪を散らすつもりであった。



12)食われる覚悟の「1体100」の喧嘩


法界太郎は香港ではなく鹿児島にいたのであった。

大阪時代の悪ガキ時代の兄弟分が鹿児島で「薩摩隼人会」というやくざ組織の会長をしていたのである。そして、法界太郎はその薩摩龍馬会長と会っていた。

「太郎、、大丈夫か、、、先日頼まれた件は全てやっておいたから心配するな、、、お前には命の借りがあるから、、最後まで付き合ってやるよ、、、」

法界太郎が一番信用している男である。

「おお、、龍馬、頼むぞ、、、俺の最後の仕事だからな、、、命はお前に預けるよ」

と、、法界太郎も頼りにしていた。

日本国中、どんなやくざ組織が来ても引かないと約束してくれたのである。

「龍馬、、、今回は1体100の喧嘩だからな、、、命はすてているよ、、、骨はひろってくれ、、」

覚悟を決めた法界太郎に、薩摩龍馬も男をかけたのである。

その晩は久しぶりに天文館で飲んで、次の朝早く法界太郎は新幹線で東京へむかった。

そして、法界太郎はなんの憂いもなく、、、桜吹雪を散らせると、、、心で笑っていた。

東京の法界太郎の会社事務所についた、法界太郎は「銀座総合信用金融(株)」の大和田社長に連絡をしたのである。

「法界ですが、、、先日は留守をして失礼しました、、、不渡りの件は謝ります、、、資金ショートを起こしまして、2回目は大丈夫ですから、、、それと不渡りの分は急いで手当しますので、心配しないでください、、」

と、、言っても先方は不安で一杯になっており、、

「法界社長、、、大丈夫と言われても信用することが出来ませんので、時間を作ってください」

と、、、言うことになり、両者の顧問弁護士を入れての話し合いになったのである。

そして、確約書を取り交わしての罰則まで決めたのであった。

始めから「銀座総合信用金融(株)」を罠に陥れるつもりであるから、、どんな約束でも出来たのである。

一旦「和解」から安心はしてはいないかも知れないが、、、「銀座総合信用金融(株)」の大和田社長たちを安心させたのあった。


そして、計画通りに法界太郎は2回目の不渡りを出したのである。

「銀座総合信用金融(株)」と「銀座土地開発(株)」の2社に「総額70億円」の不渡りであった。

この不渡りには大和田社長は腰を抜かすほどの慌て方をしたのである。。。

この時には大和田社長も馬鹿ではないので、、、「やられた、、、騙された」と、、気づいてようだった。

今度こそ、「第一総合信用金融(株」グループ全体で慌てふためいたのである。。

しかし、、後の祭りだった。

法界太郎が見事に食ったのである、、、「1体100の喧嘩」はこれからであったのである。



13)法界太郎の喧嘩は始まった。


法界太郎に二回目の不渡りを掴まされた「第一総合信用金融(株)グループは大騒ぎとなったのである。。

グループ全体での不渡り金額は「約1000億円」であり、、場合によってはグループ企業の倒産もあるのであった。

今回は不動産売買による損害と、「現金貸し付け」という損害が発生するので、負荷が付いてくるのである。

その負荷部分の方が恐ろしかったのであった。

不動産売買による物件の行方が分からないので、どんな尾鰭が付いてくるかが心配であったのだ。

今回の第一総合信用金融(株)の損害は法界太郎のやり方では「2000億円にも3000億円にも」膨れ上がるのであった。

大和田社長たちが恐れているのは、、、売買した物件の流れを心配して、、すぐに手配をしたのであった。

北海道のリゾート用地や東京都内のマンション売買である。。。すべてが手形決済なので不渡りが出ると、大きな損失がでるのである、、、

「1000億円の手形支払いは800億円が不動産売買によるものであり、、すべてが損失になる」不渡り手形分の回収が出来ないと大和田社長たちグループは大打撃を被ることになる。

グループ全体の会議が第一総合信用金融(株)の織田社長のもとに集められて、、大号令がでたのであった。

顧問弁護士の大岩幸次郎が呼ばれて、、、今後の後始末の法的処置を依頼した。

そして、大和田社長や織田一郎社長にも支持を出したのである。

対処の仕方では資金崩壊を起こして、最悪は倒産ということもありうると厳命を下したのであった。


各部署で動いた、、、法界太郎の行方は捕まらなかった。

そして、売買した不動産登記簿謄本を取り寄せたのである、、すでに、名義は変更されて、第二、第三の担保が付いており、その金額3000億円を超えていた。

今回の不動産売買は「譲渡賃貸権つきの売買」なので、法界太郎から名義を第三者に変えることが可能だったのである。

その辺が法界太郎の巧妙な売買作戦で、口車に乗ってしまった大和田社であった。

ゴルフ誘導と女好きな大和田社長の落とし穴だったのである。

後の祭りだった。

第一総合信用金融(株)としては、第三者からの要求額で不動産を取り戻すか、、、損害を承知ですべての不動産を放棄するしかなかったのであるが、、、大東京弁護士会の大岩幸次郎が訴訟を起こしたのであった。

法界太郎としては「まってました」と、、受けて立ったのである。

法廷闘争となると時間がかかり、、最終的は「和解」となる。

和解となると法界太郎の思う壺であった。



14)法界太郎、表舞台で喧嘩する。


法界太郎は旅先の有馬温泉から戻ってきた。

「第一総合信用金融株)」から訴訟が起こされたことを顧問弁護士の足立法律事務所から連絡が入ったので、、法界太郎は会社事務所にでてきたのである。

当然の如く、大和田社長からも連絡が入り、、、会うことになった。

そして、大和田社長と銀座土地開発(株)の織田信一社長が、顧問弁護士の大岩幸次郎弁護士とやってきたのである。

事務所に入るなり、、挨拶なしで「どうしてくれるんだ、、、この不始末は、、、ええー」と、偉い剣幕で怒鳴りこんできた。

大和田社長と一緒の織田信一社長などは、、、「ふざけた真似してくれたな、、覚悟はしているんだろうな、、」と、、まるでやくざ並みの口調で言いよってきたのである。

流石に大岩弁護士は静かだった。

「一応、、、法的処置は取りましたよ、、、場合によった刑事事件で告発も考えていますので、、、」

と、、3人で迫ったきたのである。

そして、大岩弁護士が「法界さん、、、どうするかのご返答をしてください」と、、言ってきたので。

法界太郎は「すいませんでした、、、ご迷惑をおかけいたしまして、、何とか資金繰りを考えて、返済方法を考えますので、時間をください、、」と、頭をさげた。

若い織田信一が「頭下げて、すいませんですむことじゃ無ないだろうよ、、、ええーー、ふざけるなよ。

今でもすぐに1000億を用意してこいや、、」と、、怒鳴ったのである。

法界太郎は落ち着いて静かに話した、、相手の怒りに乗って対応してたら、いくつ命があっても足りないことを

知った上での対処であった。

「すいませんとあたま下げているじゃないですか、、、そして、弁済をしますと言ってるじゃありませんか」

と、、答えて先方の喧嘩口調にはのらなかったのである。

「法的手続きを取ったなら、、、それを受けますから、、、また、、、刑事事件にするなら仕方がないですね、、しないでくれとも言えませんから、、」

大和田社長が「わかった、、あんたがその気なら、徹底して訴訟と刑事事件で告発するから、、逃げるなよ。。」

啖呵らしき、脅しにもとれる言葉を吐いて帰っていった。

法界太郎は全面きっての喧嘩だと覚悟したのである。。。

浅野社長の仇討が出来るとほくそ笑んだ。

本当は「ざまーみろ、、、」といいたかったのである。



15)法界太郎、第一総合信用金融と全面戦争に、、、



法界太郎は第一総合信用金融(株)が割り引いて、現金化していることも知っていた、、第一総合信用金融(株)は元来が金貸しで有るので、法界太郎から受け取った約束手形は割り引いて「金貸業務」をしていたのである。

従って、法界太郎から不渡りされた金額は割り引いた金融会社から催促、取り立てをされているわけであるから、、、「1000億円の不渡り分は場合にっては2000億円」にふくれあがっているのであった。

そんな訳で慌てているにである、、、


法界太郎は第一総合信用金融(株)の大和田社長たちと別れてから、、新幹線で九州鹿児島に来ていた。

「薩摩隼人会」で、薩摩龍馬会長と会っていたのである。

「龍馬、、、いよいよ始まるぞ、、、頼むな、、、第一総合信用金融(株)が持ち込んだ先の一覧表だけど渡しておくな、、、不渡り分の回収はできる分から動いてくれよ、、、」

「龍馬、不渡り分の手形は50%から30%での買戻しでな、、、資金は500億円用意して持ってきたから、、」

それと不動産物件の買戻しの話が来たら「全て倍でな」と、、、打ち合わせをしたのであった。

「今後は電話連絡無しでな、、、俺が直接に来るから、、、宜しくな」

法界太郎は完ぺきにやったなと思ったのであった。

約束手形の買戻しは、薩摩隼人会長に任せったのである。

法界太郎は告げといた。

第一総合信用開発(株)グループについているやくざ組織は「東京連合睦会」だと、、薩摩隼人会長には知らせておいた。

当然、龍馬たちは知っての行動であった。



16)薩摩隼人会に手が伸びる。。。


東京連合睦会の若頭若槻大二郎から直接に薩摩隼人会の薩摩会長に連絡がはいった。

「電話で失礼します、、薩摩会長にお会いしたいのですが、、時間を取っていただけないでしょうか、、、誠に申し訳ありませんが、、鹿児島まで行きますので、宜しくお願いします」と、、、

薩摩隼人会としては断る理由もないので、、申し込みを受けることにしたのである。

そして、約束した日に東京連合睦会の若槻若頭が大岩弁護士を連れてやってきたのだった。

若槻若頭は二人の配下の者を二人従えていた。

薩摩隼人会の薩摩会長は本部い事務所で出迎えたのである。

「初めまして、、若槻と申します、、こちらが第一総合信用金融の顧問弁護士の

大岩幸次郎先生です、、、よろしくお願いします。」

と、挨拶をしてから、、話は分かっていると思うので、、、

「直接、本題に入らせて頂きます、、、法界太郎さんの不渡り手形の件で、、、会長に買い戻してもらいたいのですが、、、不動産名義が会長名義になっていますので、、、」

「私が薩摩隼人ですが、、、都合で買い取っていますので、、話は聞きます」

と、、答えた。

「若槻さん、、、分かっていると思いますが、、私はそちらの不動産売買では保証人もしていなし、、その取引には何の関係もありませんので,買い取る理由もありません」と、、、跳ね返したのである。

確かに、薩摩会長からして見れば、第三者のしたことなので何ら責任はないのだった。

大岩弁護士が聞いてきた、、、「薩摩会長は法界太郎さんとは関係ないのですか、、」と、、、

「私は直接には関係ありませんよ、、」と、、答えた。

「それでは、、どうして今回の様な不動産取引をしたのですか、、」

「あのねーー、どうして、、商いの中身をあなたに話さないとならないんだよ、、」

と、、答えて、、裁判なら別だけど。

薩摩会長は上からのような質問の大岩弁護士に腹が立ったのである。

そして、、そんな話なら、、薩摩隼人は話すことは無いから、、引き揚げて欲しいと言ったのであった。

若槻若頭が謝って「そんなつもりはありません、、ただ、、不渡りになった手形の件で相談に来ただけですから、、」

という話に戻り、、話を聞いて、出来る相談なら受けますということになった。

大岩弁護士のような質問責めなら、帰ってくれと言いたいのだと薩摩会長はいったのである。

そして、薩摩会長は自分も検討するから、、日を改めて、「答え」というか「何をしてほしいか」の返事を持ってきてくれということになり、、引き揚げてもらった。


17)東京連合睦会の若槻若頭と大岩弁護士が再び、、、


薩摩隼人会の事務所に翌日、東京連合睦会の若槻若頭と第一総合信用金融の大岩顧問弁護士が訪ねて来た。

「薩摩会長、、、ざっくばらんで言いますと、、法界太郎さんの振り出した約束手形を買い取ってほしいんですわ、、、」

と、、若槻若頭が言ってきたのである。

「なんのための買い取りですか、、、俺のところで買い取る責任はあるのかな、」

聞き返した薩摩会長であった。

大岩弁護士が「薩摩会長、、あんたらが仕組んだ芝居商いでしょう、、責任取るのが当たり前じゃないのかな、、」と、、、言ったから堪らない。

「大岩さん、、あんた、俺に喧嘩売りに来たんか、、そのつもりなら買ってやってやるよ。。。」

と、、薩摩会長に啖呵をきらせてしまったのである。

「若槻若頭もそのつもりですか、、、それでもいいですよ。。」

「いやいや、、、そんなつもりはないですから、、私は今回の不渡りに関してはまとめたいのです、、買取は全額とは言いませんよ、、考えてみてください、、」と、、大岩弁護士とは違って考え方が柔軟であった。

それから大岩弁護士は黙ったのである。

そして,薩摩会長と若槻若頭の二人の話し合いが続き、最終的には、、、

30%での買戻しで決着がついた。

薩摩会長は承知したのである、、、法界太郎との打ち合わせでは50%までは飲む覚悟であったのであるから。。。

法界太郎の思惑通りにはったのであった。

この第一総合信用金融(株)との不渡り喧嘩は、初めから法界太郎は捨て身で臨んでいたのである、、、元もとが世話に成った浅野社長の復讐劇であったので損失は覚悟の上であった、、従って、その目的がかなってきたのである。

手形の買戻しなどは気にしていなかった法界太郎であり、、、

薩摩会長に会いに行った法界太郎は、その話を聞いて満足したのであった。

まずは最初の復讐劇は成功したのである。



18)法界太郎の追い打ち戦法。。。



第一総合信用金融(株)は法界太郎を「手形詐欺」で告訴をしたのであった。

刑事事件として告訴されたので、、法界太郎は警視庁特捜部から呼び出しをされて、取り調べを受けたのである。

逮捕まではされずに、当初は「任意」での取り調べであった。

第一総合信用金融(株)は後ろ盾の織田政調会長に依頼して、、警視庁特捜部に政治力圧力をかけての捜査であり、、取り調べであった。

しかし、、法界太郎は覚悟していたので「任意」の取り調べに耐えたのである。。

あくまでも返済をして行く姿勢を示し、、故意に不渡りを出しての詐欺行為を否認したのであった、、、どこまで行っても「不起訴」に持っていこうと考えていたのである。

警視庁も困った、、、法界太郎は「手形詐欺」とはみちめなかったのである。

一週間の取り調べで事情聴取が行われたが、、、警視庁特別捜査班は確実な「起訴体制」で起訴を検察庁に提出出来ないままに、、

起訴をしたのであった。

検察庁に送られた「確定証拠」「確定供述」が無ければ、、検察庁は起訴にはしないのであった。

たとえ起訴して裁判になっても「無罪」か「不起訴」になる可能性がある場合には、検事も起訴を控えることが多い。

そんなことを経験で知っていた法界太郎は「不起訴」を勝ち取ったのである。

残るは「民事裁判」であった。

この民事裁判は時間がかかり、、第一総合信用金融(株)は,裁判で勝っても資金回収に時間がかかり、、まかり間違えれば倒産も起こりうるのであった。

全てが法界太郎の計画通りに進んでいたのである。

法界太郎は思った、、、「浅野社長、、待っててくださいよ、、」と、、久しぶりに

浅野社長の墓前にお参りして花を手向けた。。。


19)騙した法界太郎が民事裁判での法律闘争。。


第一総合信用金融(株)の織田社長を始め、、銀座土地開発(株)の織田信一社長、銀座総合信用金融(株)の大和田社長

は、、会議を開いた。そして、、終わってみれば法界太郎に騙されたのであった。

第一総合の織田社長は、「完全にやられたな、、、法界太郎に、、、不渡り手形で「1000億円」そして、買戻しで30%「700億円の損失」を被ったな、、」と、ため息をついた。

そして、不動案物件をまるっきり失ったのであるから、、、その損失は大きい、、更に開発工事の分での不渡りも大きい、、どうやっても損害は大きかったのである。

「リゾート開発工事部門の損失は2000億円はあるだろう、、とても取り返しはつかない、、、」

「この際だから、、銀座総合信用開発(株)と銀座土地開発(株)の2社は整理することにするぞ、、そして、第一総合信用金融(株)は事業縮小するから、、その準備にとりかかるように、、」と、、指示を出したのである。。

「裁判などはなまるっこい、、、何年も待ってられるか、、このお礼はしないと、、、」と、、、織田社長は何法界太郎に恨みは残った。

「ふざけやがって、、、今に見てろよ、、」と、、覚悟を決めたのであった。

そして、東京連合睦会の若槻若頭を呼んで段取りをしたのである、、、

「若頭、、、俺は我慢が出来ない、、、ここまでコケにされたのだから、あいつをこの世から抹殺したいのが俺の望みだ、、、高くついでもいいから、、やってくれ」と、、織田社長は若槻若頭に頼んだのだった。

そんなある朝に,織田社長に書留郵便で封筒が届いた、、、


20)手形不渡り事件が復讐と知る、、、


法界太郎が第一総合信用金融(株)グループに起こした「不渡り事件」は、過去に同社が罠に嵌めて騙した「浅野金融}の復讐劇だったことを知ったのであった。

「そうか、、、そうだったのか、、、それでは話がまとまる筈がない、、俺たちに対しての復讐だったのか、、」

と、、織田社長は唸った。

「いいか、、相手の法界太郎は捨て身だ、、、復讐ならそれらしく対処しないとな、、

俺が、連合会の若槻に連絡して、指示したことに間違いはない、、」

そう、確信した織田社長であった。

「法律的な裁判など糞くらえだ、、、待ってられるか、、、今すぐにでも法界野郎を捕まえろ、、いいな、、」

と、、更に織田社長は怒鳴りまわしたのである。

そして、織田社政調会長にも連絡を取り、、時間を取ってもらった。

また、連合会の若槻若頭にも行動を移すよに頼んだ。

織田社長は思ったのである、、、民事裁判で勝っても元通りに資金を戻って来ない、、

時間がかかるのであった。

二つの会社も整理した上に事業も縮小したので、、これ以上に失うものはなかったのであるから、、、逆に織田社長は法界太郎に復讐をしてやろうと思った。

法界太郎が考えてた復讐劇とは違った方向に進んだが、、とにかく、浅野社長の仇討は済ませたのであった。

その年の秋の夕暮れ、一人の男が名古屋の古びれた寺に入って行った。

法界太郎である、、、その寺に永代供養を頼んだ。。。

これで浅野社長の墓参りも出来ないと思った法界太郎であった。

これからは命を掛けた闘いになるからだ。。。

覚悟を決めての墓参である、、、

「浅野社長、、安らかに休んでください、、、悔しかったでしょう、、、でも、

これで我慢してください、、、そして、もう、二度とこれ無いですが、、」

と、、法界太郎は花を手向けて合掌したのであった。

その晩に名古屋市郊外に住む、浅野金融の元営業部長の吉田輝夫宅を訪ねたのである。そして、、今回の復讐劇を話した。

「そうですか、、、浅野社長も喜んでいるでしょう、、よかった、、」と、、涙を流して喜んでくれたのである。

法界太郎はその夜は名古屋市内のホテルに泊まった。

次の日に浅野社長の娘「美香」が入院している「名古屋市立総合病院」へよったのである、、、病院の入院費用は保険で、足りないところは吉田輝夫が補っていた。

法界太郎が「美香」の入院していることを知ってからは彼が全てを面倒を見て来たのであった、、そして、今回はしばらく入院が出来るように段取りをしたのである。

何も分からなくなってしまった、娘「美香」が哀れで仕方がなかった。

その原因を作った第一総合信用金融(株)グループが憎かったのである。。

法界太郎は浅野社長の娘「美香」に無言の別れを告げて、病院を後にした。

そして、、起こるであろう残酷な男たちの闘いが、、復讐劇の応酬が始まろうとしていたのである。



21)復讐劇の報酬は、、、


法界太郎は浅野社長の墓参を済ませて、、彼の東京事務所を閉めた、、、

「当分の間、休業いたします、、法界太郎」と、、入り口に張り紙をして東京から消えたのである。

法界太郎は充ての無い旅に出たのであった。

今回の浅野社長の仇討はやってのけたので、、後は第一総合信用金融(株)の出方だけであった。

ただ、待っているのは御免被りたいので、、、ひと先ずは旅にでたのである。。

復讐劇に使った気づかいや労力を癒そうと思い、、彼の好きな温泉に出かけた、、、中でも心が癒せる、ゆっくりできる鹿児島の「茗荷谷温泉だ。

一山の頂上に作られた一つだけの温泉、、寝室もキングベットで部屋中がガラス張りで夜景がすべて見えるのであった。夜空が綺麗だった。

大きな板の間の洗い場、まるで劇場の舞台のような、、そして、それには不釣り合いのような湯舟があり、、囲いは何もない、、、あるのは自然の木々があるだけで、世の中の汚い風邪で汚れた体を洗い流してくれるのだった。

その広い板の間の脇には、「ガラス張りの休憩場があり」澄んだ星空を見せてくれた。

食事はその山の中腹まで、迎えに来てくれた車で下り、、一人食事ができるのであった。食事処の脇には野菜畑があり、、選んで料理を楽しませてくれたのである。

そんな温泉で命の洗濯をした法界太郎は鹿児島駅前の「薩摩隼人連合会」を訪ねた。

「龍馬、、別れの挨拶に来たよ、、、今回は世話に成ったな、、ありがとう、、」

と、、法界太郎は龍馬の事務所に入った。

「太郎、、、やったな、、でも、別れか、、、寂しいな」

と、、薩摩龍馬の胸はいっぱいいっぱいだった。

「太郎、、、段取りは出来てるから、、、しばらく旅してこいよ、、」と、、送り出してくれた。


法界太郎が龍馬の事務所を出たところで、、銃声が聞こえたのであった。

龍馬が「しまった、、」というなり、、事務所を飛び出していった。

「太郎、、、大丈夫か、、、」と、、声を掛けながら拳銃を撃ってきた男に反撃をしたのであった。

法界太郎を襲ってきた男達は、薩摩龍馬にあっという間に斬り倒されたのである。

法界太郎も腕は撃たれたが大丈夫だった。。龍馬と一緒に飛んできた若い者に運ばれた。

事務所に入った法界太郎は応急処置を施して、、龍馬に連れられて、そん場を脱出したのであった。

龍馬は早く太郎を船まで連れて行かないと思い、、、

龍馬を襲ってきた「東京連合睦会」の連中のことは事務所の若い者に任せせて、法界太郎を船に乗せたのであった。

「太郎、、借りた命は返したぜ、、達者でな、、いいか、生きてろよ」

と言って薩摩龍馬は事務所に戻った。

法界太郎は龍馬の手配してくれた漁船で鹿児島を後にしたのである。。

いつ帰れるか充てのない旅に出たのだった。

「龍馬、ありがとう、、お前も生きてろよ、、」と、心の中で別れを告げた。



〇「第二話」悪名道


1)(悪人と呼ばれる極悪人)


この世の中に本当の悪人と呼ばれる人間は悪人には見えない。


人を人と思わない「真の極悪人」は世間では悪人とは言われていない。


だから、真の極悪人はわからないはずだ。


そんな極悪人がいたら、、、弱者は騙され、食われ、殺されてしまう


世の中の怖い話だ、、、極悪人がるのだ。。。


名前は「鬼塚極太郎」という。


2)(鬼塚極太郎、登場)

東京都新宿歌舞伎町でやくざや半ぐれ、水商売相手人に金貸しをしていた。


町金融の目立たない店舗を構えていた。


急ぎ、急場の金融には都合がよかった。いつでも,必要な金を用意してくれた。


ただし、金利も高く、取り立ては厳しかった。


あるときなんかは、やくざが支払いの延期や支払いで文句を言ったり、支払い約束を保護にしたときなんかは


そのやくざは潰されてしまったのであった。


後日、死体となって見つかったこともあり、、、取り立ては容赦なかった。


しかし、約束を守って、金を借りている場合は便利であった。


従って、鬼塚極太郎は裏社会では顔役でもあった。



3)(裏社会では便利な男)

この世の裏社会では便利な男だった。

急場しのぎの金は必ず用意してくれた、、、、、

特に人を殺した場合の遺体の処理もしてくれる。

この世の不都合なことでできないことはないような、、、、

鬼塚極太郎の過去は誰も知らないようだ。。。。

年のころは50歳を過ぎているような

しかし、彼を知っているものは誰もいなかった。

それでも、金に困った場合、、、どうにもならない、不祥事を片付けてくれる

本当の町の便利屋というか、、、困りごとの処理ごみやであった。、なおに

然し、約束を守らないと、、、、その掟というか、その示しはきつい、、、、

人の噂では、、、組織暴力団の組長だったとか、、、警察関係のお偉いさんだったとか

いろいろだ、、、、

しかし、過去がどうであろうが「悪人助けを」をしえくれるので、やくざや反ぐれ、、、悪徳商人たちには

評判がいいのだ。。。

不思議なのは誰でもが、す直に言うことを聞くのであった。

新宿歌舞伎町で事務所兼店舗を構えているのに、、、、誰もプラペードを知らないのであった。

夜になれば、、、どこかで飲むとか、、、遊ぶとかの噂がないのだ、

そして、どこに住んでいるのかも知らない、、、、不思議な人物だった。



4)(悪事には便利な金貸しだった)

裏社会の人間は、分かっていた、必要な時だけ利用している。

麻薬覚せい剤密売、銃の密売、売春に関するあらゆる悪行に金を貸すのであった。

やくざや反ぐれ、悪徳金融、悪徳水商売のように悪行が連中には便利であった。

ただし、返済には待ったなしで、金利も高い。。。。返済が送れた場合には「死」が待っている。

「死の金貸し」とも呼ばれている。

鬼塚極太郎のような悪に味方する、合法的な「死の商人」がこの世の一番の悪であり、取り締まることのできない

悪徳商法なのかも知らない。

今日も借り人が訪れた。

ホストクラブの経営者だった、、、、金のない女たちをたぶらかし,付けで「酒」を飲まして、売春や悪質な水商売を計画している

反ぐれたちであった。

時代は変わったものであるが、、、、女たちを食い物にする商売はかわらない。

悪徳金貸しである、鬼塚極太郎は金は貸しているが、女を食い物にする奴らには「反吐」が出るほどあった。

正直嫌いであった。

商いと割り切って金貸しをしているのであった。

だからというわけではないが、、、「取り立ては容赦なかった」

また、約束を破るものには「死」を与えていた。




5(掟には厳しく、、、、悪人にやさしく見えるが、非常だ)

鬼塚極太郎の素顔は誰もしらなかった。要務を

事務所にいて、金を貸す時以外に誰も、その素行をしらないし、彼は人には見せなかった。

新宿にある彼のオフィスビルは5階立の堅固な城だった。

事務所には1階に受付事務所があり、受付には西園寺絹子という、女子事務員がひとりいた

そして、一人ですべての業務を取り仕切っていた。

1階事務所には準番頭役の真田勇が控えていて、、、金貸しの内容を把握していた。

彼の指示で、3階の応接間に通されて、商談に入るのであった。

3階応接間には鬼塚極太郎の右腕ともいわれている「神宮寺健司」が引かえていた。

金融の相談はその応接間で神宮寺健司立ち合いで行わえる。

金の貸し借りは簡単であった、、、金銭借用書が取り交わされれば、、金は貸してくれ

るのであった。

しかし、返済は厳しかった。


鬼塚極太郎は背が低く、小太りなおやじで、いつも和服を着ていた。

一見お人好しな親父に見えるが、眼光は鋭く、人を見る目だけは持っていた。

普段はやさしそうな親父であるが、裏切りにたいしては冷たかった、、、そして、容赦なく切り捨てた。

しかし、悪党から見ると頼りがいのある親父であった。

必ず、頼まれれば一度は助ける。。。。そんな悪道でを歩く親父であった。





6(コソ泥の次郎)


鬼塚極太郎の事務所に出入りする中に「コソ泥の次郎と」いう若者がいる。

どういうわけか、、、、鬼塚極太郎は面倒を見ていた。歳は26歳の泥棒稼業の見習いを

しているところの半人前であった。

今日もコソ泥の次郎が訪ねてきた、、、、受付の西園寺絹子に、、、

「美味しい稲荷さんが手に入ったので、、、、爺さんに持ってきたが,、、いるかい」

と言いながら、いるとわかったら、、、、5階の特別室に上がっていった。

「こんちわ、、、爺さんの好物のお稲荷さんが手に入ったので、持ってきたから、、、食べてな」

と、元気な爺さんの顔を見たら、、

「じゃな、、、さいなら、、、また来るよ」と言って部屋を出ていった。

1階の受付の西園寺絹子に呼び止められ、、、、

「次郎さん、、、、会長がなんか用事がなかったのかと、、、言ってるけど、、、いいの、、、」

「ああ、、、今日は爺さんの顔を見に来ただけだから、、、」と言っておいてくれ、、、

そういって、コソ泥次郎は出ていった。

鬼塚極太郎を訪ねて、、金のことを言わずに帰るのはコソ泥次郎だけだった。

そんなコソ泥次郎が、鬼塚極太郎は可愛く好きだった。

金にすくったうじむしよりも、、、彼が好きで、、、時たまたずねてくる彼との過ごす時間がたまらく

好きだった。




7,(女が一人飛び込む)

鬼塚極太郎の事務所に、ある日、女が一人が裸足姿で飛び込んできた。

「助けて、、、殺される、、、」と言いながら

受付の西園寺絹子のところに転がり込んできた、、、、とりあえず、西園寺絹子は2階の部屋に入るように指示をした。

すぐ、あとから、反ぐれ風な男たちが入ってきて。

「すいません、、、今,女がここに入ってきませんでしたか、、、」

受付の西園寺絹子が答えた。。。。「来たよ、、、やばいと思ったから、逃がしたよ、、、裏の出口から出ていったよ、、、、

慌ててな、、、」

反ぐれ風な男たちは「わかりました、、、ちょっと急ぎなので、、、ごめんなさいよ、、、、後であいさつに来ますので」

そんまま、男たちは裸足の女を追いかけて出ていった。

男たちが出て行ってから、追いかけるように「コソ泥の次郎」が入ってきて、

「絹姉さん、、、女が一人こなかったかな、、、」と、次郎は慌てこんで聞いてきた。

西園寺絹子は、そうか、次郎関係の女かと、、、、

彼女は次郎に指をさして教えた、、、2階にいるよと。。。。

西園寺絹子は理由は後で聞くことにした。

彼女は次郎の女のトラブルだと思い。。。とりあえずはかくまった。


8)逃げ込んだ女

鬼塚極太郎の事務所に逃げ込んできた女は2階の部屋に座り込んで震えたいた。

コソ泥の次郎が入って行ったら、次郎に抱き着き、泣き崩れてしまった。

その所へ番頭格の真田勇が入ってきて、、、

「どうした、、、何があったんだ」と近寄り、

次郎に訳を聞くように指示をした。

次郎が女に問いかけると、、、泣くばかりで言葉にならなかった。

そして、西園寺絹子が来て、、、「次郎ちゃん、、ちょっと時間をおいてから、、、話したらいいよ」

といって、、、真田勇も西園寺絹子も部屋を出ていった。

しばらくして、次郎だけが1階に降りてきて、、、女から聞いた事情を話した。

「」ホストクラブに騙された、、、」というのであった。

今はやりの罠にかかり、、、借金が出来て、追い込まれていたのであった。

金が返済できなければ、「売春」をせまられて、やくざ事務所に監禁されて、

逃げ出してきたというのであった。

次郎としては彼女は幼馴染でもあったので、何とか助けたいと、、、

しかし、コソ泥の次郎には金がない、、、、、

困った、、、今すぐ「500万」はできない。。。

次郎は最後の手段で、、、、

「爺さん、、、俺に500万貸してくれ」と、、、、


鬼塚極太郎は誰にでも、筋が通った金で、担保さえあれば貸す主義であったので、

「次郎、、、お前の担保はなんだ、、」

と聞かれて、、、はたと困った。

「担保はない、、、しいて言えば、この俺の体が担保だ」

といいはなった。

「よし、、、金は貸してやろう、、、、しかし、明日からは毎日,わしの事務所に出てきて、

西園寺絹子の指示に従い、、、何でもするという条件なら、、、、」

そして、次郎は金を借りて、女を連れて出ていった。






9)こそ泥次郎は鬼塚極太郎の事務所に、約束通りに出勤してきた。

 「おはようございます、、、」挨拶をしてから、、、

 「絹子さん、、、掃除道具はどこにありますか、、、」聞いて、玄関先から掃除を

 始めた。

 そして、1階事務所の床から掃き掃除、机の上からと手際よく掃除を2階、3階、4階と

 始め、、、鬼塚極太郎が来る頃には、事務所内の掃除、片付けと終わっていた。

 5階は鬼塚極太郎が来てからということで、、、

 次に西園寺絹子に聞いていた。。。。

 「これからは、自分が朝の掃除、、お茶の用意はしますから、、、」と、、、

 次郎の動きは手際が良かった。

 今までに一人で生きてきたので、、、生き延びるために身に着けた所誠実であった。

 鬼塚極太郎が10時ごろに出てきて、、、、「おはよう、、、おお、、次郎、来てるな」

 「次郎、、、当分は掃除や走り使いをしててな、、、、そのうちに仕事も覚えてもらうから。。。」

 「はい、、、会長、、、よろしくお願いします、、、、それから、昨日はありがとうございました」

 今までの爺さん、、、コソ泥の関係は切り捨てて、、、次郎はけじめをつけて、、、

 なんでもやろと決めていた、、、、、


(10)コソ泥次郎の初仕事


次郎は鬼塚事務所に出るようななってから、1か月がたった。


朝から鬼塚会長に呼ばれて5階に行き、、、、


「今日は勇の運転手をやってくれ、、、そして、金貸の初歩である


仕事、、法務局へ行って、不動産の謄本の取り方を憶えてこい」






(10)コソ泥次郎はいよいよ、鬼塚極太郎事務所で働くことに


鬼塚極太郎は何となく、コソ泥次郎が好きだった、、、、

そして,毎日、次郎が事務所に出るようになってから、事務所内が明るくなった。

始めは西園寺絹子の手伝いをするように言われて、、、当分の間は西園寺絹子の指示に

従うように言われ、、、今日は彼女と一緒に法務局へ出かけることになった。

運転手を務めながら、、、関係法務局へ、今日は新宿地方法務局へ出かけ、初めて

登記簿謄本なるものを見た。

金を貸す時に、借主が担保にするものは不動産担保が一番多い、、、

今日は土地と建物を担保にするという不動産の登記簿謄本を取りに来ていた。。。

不動案や会社関係の登記簿謄本は、誰でも閲覧や取得することができる。

不動産等を担保に金を貸す場合は、、、、まず、その担保になる登記簿謄本を、それを

管理する法務局へ出向くか、郵送で取得する。

それを見て、金を融資する金額を決めるのであった。

従って、金を貸す場合、法人の場合は会社登記簿謄本、、、個人の場合は住民票を

それぞれに取得。。。そして、担保になる不動産関係の書類、謄本を取得する、、、

それらの担保なしでの貸し付けは、鬼塚極太郎が判断する、、、

とりあえずは初期的な仕事の段取りを、、、次郎は教えてもらうことで、西園寺絹子の手伝いを

しながら、事務的な仕事を覚えっていった。

そして、、、事務仕事を覚えながら、1年が過ぎた。






(11)鬼塚極太郎事務所は、、、

鬼塚事務所への借入者は多かった、、、、悪徳業者には便利な金貸しであった。

信用さえあれば、急ぎな金でも用立ててくれた。

やくざや金融業者には便利であった。

今回も顔なじみのやくざ金融が、急ぎ金を申し込んできた。。。

金額は「1億」で会った、、、いつものことなので、前もって担保は預かっていたの

鬼塚極太郎は用立てをした。

資金用途は、常連やくざの新宿興行なので聞かずに貸し付けた。

いつもならば問題はなかった、、、、

今回は覚せい剤の取引であった、、、しかし、、、取り期先と問題が生じた。

取りひきの最中に抗争が起きて、、、警察が中に割り込んできたのであった。

しかし、新宿興行は約束を守った、、、鬼塚極太郎との約束はどんなことがあっても保護には

しなかった、、、、警察にも金のでどこについてはしゃべらなかった。

それは確かな約束事だった。






(12)後始末

鬼塚極太郎はちょっとだけ「ヒヤリ」とした。

しかし、常連の取り期先なので、約束は守ってくれた、、、さすがは新宿興行だと思った。

念には念を入れて、鬼塚極太郎も心構えをしておいて、、、その日の内に箱根に出かけた。

運転者に次郎を選び、、、車を用意させた。

鬼束極太郎は番頭格の神宮寺健司に後のことを頼み、、、しばらく、温泉宿に出かけることにしたのであった。

警察関係に目をつけられると、面倒なので、、、しばらく身を隠すことにしたであった。

出かけに、、「健司、、、しばらく留守にするから、、、何かあったら連絡をしてくれ、、じゃあ、、いぅてくるよ」

と、、、さっさと事務所を出た。

箱根までの車旅をしばらくぶりに楽しんだ、、、

都心を離れた気分はいいものだ、、、次郎を共にのんびりと箱根へ向かった。

いつもの決められた宿屋までの心いやしの旅だつた。

新宿を夕暮れに出たので、、、ゆっくり旅でもあり、、、午後の9時には着いた。



13)鬼塚極太郎は番頭真田勇の連絡を待っていた。

今回の新宿興行の覚せい剤抗争があってから、、、鬼塚極太郎は番頭の真田イムからの連絡が来るまでは

箱根の「やまぶき山荘」」から、動かなかった。

次郎を連れて温泉に入り、、、しばしの休息をとっていたのであった。

山荘で目が覚めた朝、極太郎は、ひさしぶりに心にゆとりが出た。

そして、10日が過ぎた。

番頭の真田勇から連絡入り、極太郎は新宿の事務所に戻った。

今回の取引で失敗した新宿興行の大林若頭は、借入した1億を持ってきてくれた、、、

これでまた、、、いつでも融通することが出来るのであった。




14)鬼塚極太郎は新宿の事務所に戻った



鬼塚極太郎が事務所に戻ったのは、、、ニュースなどで、暴力団同士の抗争が多くなり、、

特に関西系の「関西連合山田組」がその資金の準備をしておこうと思ったのである。

彼の商いに関する感は鋭かった、、、、

案の状、、、関西からも関東からも、、、、資金調達の話が来ていた。

極太郎は二人の番頭に指示を出していた、、、

そして、、関東連合新宿興行からも資金調達の話があり、、、、「5億円」の借入申し込みがあり、、、

関西連合山田組からも「8億円」の話が来ていた。

鬼塚極太郎はいよいよ、抗争がはじまる、、、と、思い、資金を用意して待っていた。

極太郎にしてみれば、、、やくざ抗争が一番金になるからであり、、さらに「資金」を用意した。




15)関西連合山田組が全国制覇への夢始める

やくざ世界は関東も関西も、その勢力拡大を狙って動き出した。

現代ヤクザは武力をもって、さらに資金力にものを言わせていた、そのために

「金」はいくらでも欲しいのであった。

資金力がそのやくざの力であり、、、兵隊も集められた。そして、資金力で武器を集めたのであった、、、、金と武器と兵隊をそろえて、他の勢力内に攻めていった。

どんな世界でも「金の力」であった。




(16)

関東連合新宿興行の若頭の大林信一郎が訪ねてきた、、、、そして、鬼塚極太郎に面会を求めたので、、、会うことにした。

「鬼塚会長、、、噂は聞いていると思うが戦争が始まるので、金を揃えて欲。

いくらでも用意するので、、、よろしく頼みます」と。。

「若頭頼みだから、、、金はいつでも大丈夫だよ、、、相手は関西か。。。」

「頼みというのは、、、他でもない、、、資金調達はうちだけにして欲しい。」

「鬼塚会長はどこにでも貸すからな、、、義理とかはないし、、、商売だから

仕方がないが、、、、できるだけ抑えてほしい。

その分の金は用意するので、、、よろしく頼みます、、」

関東連合新宿興行の大林若頭は、、、見返りは考えているので頼みに来たのであった。

鬼塚極太郎は普段からの付き合いもあるので、、、できるだけ期待にそうと返事はしておいた。

ヤクザの喧嘩は分からない、、、、様子を見ないと、

出来れば長い付き合いはしたいと思っている。

鬼塚極太郎は最終的には金が儲かればいいのだった、、、、

しかし、関西連合山田組からも縁故を頼ってきたのであった。




(17)鬼塚極太郎の計算違い



極太郎も最初は両陣営に金を貸して、、、商いをしようと思っていた。

しかし、関東連合新宿興行の大林若頭とは長い付き合いがあり、、、頼まれると弱かった。

そして、謝礼金の多さにも負けたんであった、、、少しだけ、楽してとも考えた。

そんなことから、、、関西連合山田組の頼みを引き延ばしていた、、、、

そのうちに、関西連合山田組の系列のやくざ組織が、関東連合新宿興行の系列組織に抗争をしかけて

きた、、、、しのぎに関しては必至であり、、、少しぐらいの事務所荒らしでは収まらなかった。

両者ともひかなかった、、、毎日のようにやくざ同士の争いが絶えなかったので、警察も動き出した。

関西連合山田組は関西では絶大な力を要していた、、、資金力でも勢力でも、、、

どちらかというと、、、山田組は関東だけでなく、九州、中国地方にもその勢力を広げようとしていたのである。

山田組は全国制覇を狙っての動きであり、、、命知らずの鉄砲玉を飛ばしていた、、、、早い話が喧嘩を売って

行ったのである。「いちゃもんを、、、難癖をつけては暴力をもって、、制圧しようと」

暴力団なのであった。

力のないというか、、、、資金力のない、、、組員の少ない組織は組み込まれ、、、その配下に置かれて

行ったのであった。

関東連合新宿興行は、、、大林若頭はそれを許さなかった。

組員全員に通達を出して、、、組み全体に戒厳令を敷いたのであった、、、自分たちの縄張りは死守せよと、、、

関東者の意地をみせろと、、、、必死に守った。

そんな彼らを見て、、、鬼塚極太郎も義を見せたのであった。



(18)鬼塚極太郎の儀が、、、彼の身に異変が、、、

鬼塚極太郎は今までの付き合いから、、、東京連合新宿興行に肩入れをし始めていた。

始めは様子を見て、借りるものには誰でも貸そうと思っていたのであるが、、、

ついつい、新宿興行に頼まれれば、金を用意していった。

そして、知人を介して借り入れを申し込んできた関西連合山田組には用立てをしないでいたので

あった.

関西連合山田組からは紹介者を通して催促が来ていた、、、そして、抗争が始まると

催促が激しくなって、

最終的は誰でも金は忙しいので、東京の鬼塚極太郎の事務所まで、やってきて、、、

関東連合山田組の大河内参与が直々に、頭を下げたのであった、、、

抗争が始まると少しでも多くの資金が欲しいのだ、、、いくらあっても足りないのが金であった。

「鬼塚会長、、、私どもも事情は知っている積りですが、、それでも資金到達を頼みに来たのです。

何とか、助けても得ませんか」と、、、

極太郎も困った、、、、誰にでも金を貸す主義であるはずであぅたので、、、、先方はそれを知っている。

やりづらかった極太郎である。

「鬼塚会長、、、私どもは決して口外はしません、秘密は守ります、、、何とお願いできませんか」

と、平身低頭頼まれてしまったのであった。

極太郎も心が動いた、、、

自分は金貸しであり、、、本質的には誰にでも貸していたのであるから、、、

関西連合山田組の若頭クラスのやくざがひとりで訪ねてきて、敵地のど真ん中に命の危険も

顧みずに他のでいるのであった。

極太郎もその度胸といい男伊達にほだされてしまった、。

「わかりました、、、いくらですか」

極太郎は用立てする気になった。

「ありがとうございます、、、お言葉にあまえて、、、10億ほどお願いできますか」

そうして商談はまとまった。

その結果が極太郎の命に関わるとも知らずに。。。。





(19)鬼塚極太郎は金貸しの本業に帰る


極太郎は所詮は金貸しであった、、、関東連合にも関西連合にも貸したのであった。

もともと悪行金貸しであるから、、、、義理もないので、どちらも当人が男気を見せたので、

両方を面倒を見たくなったのであった、、、金貸しとして、、、、

相手が悪人であっても、やくざとして必死に生きて居るので、その生き姿を見ると、中途半端に生きている

人よりも応援したかった、、、、

現代ヤクザは資金力がないと、、、勢力を伸ばせないし、、、傘下のやくざ組織を養ってはいけないのであった。

抗争をしていない時のやくざ組織は、、、暴力団とか言われながら、、、今は肩身の狭い思いをしてる。

そして、ひとたび抗争が起きれば命掛けなのだ、、、、現代ヤクザはh割りが合わないかも知れない。

世間からはつまはじきにされ、胸を張って「威張れる」というか「大きな顔して」歩くこともできない、、、、

要するに日陰者でもあった。

やくざ組織といえども、、、人を脅かしたり、、みかじめ料なども昔の様にはいかない、、、、

どんなやくざ組織でも「其れなりの商い」をしないと生きていけないのだ、、、昔でいえば「二足の草鞋」

である。。。。。

やくざ組織は上部団体が面倒をみるのではなく、、、下の者が「上納金」を納めて成り立っている。

従って、やくざの顔、看板は「組」ではあるので、、、組員は幹部であろうが、、、組長以外は金を

集めなくてはならなかった。

今の世では、やくざは組長以外は、正直言って「いい思い」は出来ない。

組等クラスでは一晩に「1000万や2000万の金」博打で遊んでいるのであった。

しかし、ひとたび抗争が起きれば「命」は狙われる、、、

やくざ組織で苦労するのは若頭であり、、、命を的に戦う組員であった。



(20)鬼塚極太郎、命燃える

日本のやくざ社会も各地に散っていた極道たちも団体も統一に向かっていた。

それは弱小やくざでは組織では、成り立たなくなってきたからであった。

取り締まる国家権力の制圧で、身動きが出来なくなった来たからで、やくざ社会も力を組んで、

組織を守らなければ生きていけなかった。

そんな中で関西連合山田組が資金力で一歩先んじてた。

そして、関西から、九州、四国、北陸と勢力を伸ばし、、、関東にも足をのばしてきたのであった

その抗争劇を見ていて、極太郎はいずれは関東も制圧されるだろうと考えていた。

たとえ、制圧されなかったとしても、何らかの手打ちが行われ、共同運命体として生き延びるであろうと

予想していた。

非道な金貸しと言われて、生き延びてきた極太郎であったが、、、今の極道社会、、、反社会勢力の社会では、いつまでも金貸しはやってはいけないだろう、、、、いつかは、この世の裏社会では暴力には叶わない。

最終的には利用はされても、潰されてしまうだろうと、、、

鬼塚極太郎は考え始めた。

そして、二人の番頭である、真田勇と神宮寺健司に金融業としての独立を図っていた。

彼らには世話になり、、、極太郎のために命がけで働いてくれた。

その為のも独立をさせたのであった、、、それ相応の軍資金を持たせて。

二人には事情を話して、分かってもらった。

「会長、、、どこまでもついていきたいのですが、、、事情は分かりました」

と二人は身を引いてくれた。

そして、二人とも感謝を込めて、別れてくれた。

極太郎は事務所に残り、、、西園寺絹子に事務的な手続きを頼んで、その後の身が立つように

令を尽くしたのであった。

最後に事務所を出るときに、、、「次郎、お前はわしと一緒についてこい。。。いいな」

そして、極太郎は次郎を連れて、新宿の街を出た。

極太郎は決断が早かった、、、辞めるときも、見事に消えていった。

その後の消息は分からなかった、、、、、




21)鬼塚極太郎、、九州湯布院温泉に現れる。。。


金貸し極悪人言われた「鬼塚極太郎」は九州湯布院温泉にいた。東京でのやくざ組織の抗争に巻き込れそうになった、極太郎はコソ泥次郎を連れて全国の温泉巡りをして居たのであった。

そして、湯布院温泉に居心地のいい、、温泉を見つけて逗留していた、、、売り物の温泉宿を見つけて購入したのである。

「次郎、、、ここでしばらく、のんびり田舎暮らしでもするか、、いいな、、」と、、買った温泉宿の段取りをさせた。

「いいですね、、、親父さん、、ところで,みんなはどうしているかな、、会いたくなったな、、」

「いいか、、、次郎、当分は骨休みだ、、今までの事は考えるな、、、」と、、極太郎に釘を刺されたのであった。

「次郎、、年より夫婦で働けるように手配をしてくれ、、、」

と、、言われた次郎は地元のハローワークを訪ねた。

ハローワークの紹介で住み込みの老夫婦が見つかったので、、次郎は安心したのである。

見つからなければ、それまでは次郎が掃除洗濯、食事の支度とやらなければならなかったので、、、

そして、、「次郎、、散歩するために犬でも飼うか、、、見つけてこい、、」と、、言われて犬探しをした。

極太郎の犬の注文は「秋田犬」であった。

「爺さん、犬はいいけど、、、散歩はするんのかよ、、、毎日だから、、大丈夫だよな」

次郎は心配したのである、、多分、散歩当番は次郎に回ってくるとおもっていたので、、、次郎は嫌な予感がしたのであった。

秋田犬が来たので名前を付けた「権太」と、、、そして、毎朝、極太郎と次郎と一緒に散歩をしたのである。。

自然に恵まれた山道を歩いた、、空気も綺麗だし、木々も美しい、極太郎も今までにはない、さわやかな気分になった。

「次郎、、、いい気分だ、、しばらく、何もせずに湯に浸かり、自然の風に吹かれた居たいな、、」

と、、、爺臭いことを言ったので、、、次郎は内心、本当かよと疑ったのである。

そして、温泉宿を営業していると勘違いして、客がくるのであった。

それを何度も見ていたので、、、「次郎、、どうだろう、、一日一組だけと限定して客を入れてみようか、、、」と、、相談してきたのであった。

次郎はきたかと思った、、そろそろ、何かを始めるのではないかなと、、、

そして、住み込みの老夫婦はもともと、日本料理の職人というので、、やってみることにしたのである。



22)悪道の温泉宿開業「心魂」一日一組の温泉宿、、、手


鬼塚極太郎の気まぐれから始まった温泉宿は、、宣伝もしなかったが、一日一組という看板が目を引き、、温泉客が多数来たのであった。

それでも慣れない次郎は慌てた、、、しかし、雇った老夫婦が慣れていたので、旨く取り計らってくれた。

最初のお客は若い新婚夫婦のようなカップルだった。

老夫婦は榊原弥作、とみといって老夫婦の作った日本料理を新婚のお客は喜んでくれたのである。

「次郎、、、いい調子だな、、、人の為の仕事もいいもんだ、、、これからは人が喜ぶ仕事や、行いをいていきたい、、、頼んだよ。」と、、極太郎は心から喜んだ。

しかし、次の朝に事件が起きた、、、始めて来てくれた新婚さんが自殺をしたのである。

朝の食事の時間になっても来ない、二人を榊原とみが部屋に迎えにいったら返事がないので、鍵を開けて部屋に入って驚いた、、、二人ともまだ寝ていたので起こした、、、返事がないので、更に声を掛けて腰を抜かしたのである。

「うぁー、、死んでいる、、爺さん、大変だよ、、」と、大声を出したので次郎も飛んできた。

次郎が極太郎に報告をしたのであった。

二人の枕元にカラの睡眠薬の瓶があったので、、極太郎に断って警察を呼んだ。

枕元には遺書はあった。

そして、警察の検視が行われて、自殺と断定されたのである。

二人の遺体は警察が引き取り、二人の親もとには連絡がいった、、その日の内に新婚の女性の両親が来てくれた。

男の方の親元、親族は誰も来なかったのであ

女性の両親は温泉宿「心魂」に挨拶にきてくれた、、、迷惑を掛けたことを詫びて、礼を尽くして帰って行った。

極太郎も挨拶に出て、話を聞いた、、、二人は許されない結婚であり、駆け落ちをしたようだった。

女性の両親は「大門三郎で娘は早苗と」と名乗ってくれた、現在は新潟で造酒屋をやっているとのことであった。

そして、大門夫妻は二人の結婚を認めていたのであるが、、、男性の「湊陽介の父親が反対していたとのことで」

二人は追い詰められたようだった。

男性の湊陽介の家は代々の博徒一家であった。そして、その跡目を継ぐ身であったので、父親の湊泰三は嫁としてふさわしくないと判断してのことであったのである。

男親の言い分は「自殺するような息子はいない、、ましてや女と心中するような奴は迎えにはいかない」と、、警察に言ったそうである。

そして、「親でも子でもないので、、勝手に処分してくれと、、」と、、、

その話を聞いた極太郎は分かるようなきがしたんである。

男親の湊泰三は北海道釧路の地元極道であった。



23)極太郎、、西園寺絹子に連絡を取る。。。


極太郎は、、「次郎、、西園寺に連絡を取ってくれ、、、今は高知の実家にいるはずだから、、」と、、言われて電話をかけた。

次郎が電話をすると、、しばらくして西園寺絹子から連絡が入った。

「もしもし、、会長ですか、、、ご無沙汰しています、、、お元気ですか、、」

と、、電話があり、、極太郎が話をしたのであった。

「西園寺、今、次郎と湯布院温泉にいるのだが、、手伝って欲しいことが出来たので、来てくれないかな、、それと、仕事をしていなかったら、湯布院温泉で仕事をしてくれ、、」と、、極太郎に頼まれた「いや、、」とは言えなかった。

それで、すぐに来てくれたのであった。

心中した男親が「仏」を引き取らないと言い出して、、地元の警察も困っていた。

何かの縁で宿泊してくれた、最初のお客だったので、まるっきり、知らないとも言えないで困っていたのである。極太郎は極悪人ではあったが、、誰にもではなかった。

そして、、、仏になってしまえば、、皆同じで、誰がいい悪いはなかったのであった。出来れば「荼毘」に伏して、親元に送り届けてやりたかったのである。

そして、極太郎は西園寺絹子に頼んだのであった。

西園寺絹子は長年一緒に仕事をしてきたので極太郎の義侠心を知っていた。

それで北海道釧路までも行くと言ってくれたのである、、、

極太郎が、西園寺もう一つ頼みがあるといって、、、頼まれたのが、、、

「すまないが次郎を連れて行ってくれないかな、、、」と、いうことであった。

極太郎は次郎に社会修行を積ませたかったのである。。。

西園寺絹子は、、極太郎が次郎を可愛がり、ここまで連れての人生旅をしていることで、よく理解していたのであった。




24)西園寺絹子と次郎、、北海道釧路に向かう。。。


大分空港経由で羽田空港、、そして、釧路空港まで一日かかりで釧路に着いた、、、着いた日はホテルに泊まって、、ホテルから釧路市内の湊一家の事務所までタクシーで遺骨を抱いて行ったのであった。

次郎は心臓がどきどきしていた、、極太郎と湊泰三のやり取りを聞いていたので、、拒否されたらどうしょうと思っていた。

しかし、絹子さんは動じていなかった、、、堂々と挨拶をしていた。

流石に極太郎親父の見込み通りのひとだと次郎は関心してみていたのである、、これだなと次郎は思ったのであった、、

次郎は極太郎親父が俺に学ばせたかったことは、、なるほど、このことかと納得したのである。。

西園寺絹子は極太郎が望んだ通りの大役を果たした。

そして、湊泰三が涙を流して、拒んでいた息子の遺骨を受けと入り、抱きしめて云ったのであった。。。

「本当にありがとうございました、、息子もいい人に看取られて、さぞかし満足しているでしょう。。心から礼を言います」と、、西園寺絹子に手を合わせた。

「鬼塚さんにも,くれぐれもよろしく伝えてください、、、見ず知らずの泊り客に、、鬼塚さんでなければ息子は無縁仏になる運命でした、、本当にこんな遠くまで連れて来て下さいまして、ありがとうございました」

と、、何度も何度も頭を下げられたのである。

その様子を見ていた次郎は、、心で思った。「極太郎親父は凄いと、、、」




25)湯布院温泉の戻った次郎、、そして、西園寺絹子。


絹子と次郎は鬼塚極太郎に別府での報告をした。

「そうか、、お疲れさんだった、、ありがとう、、ところで絹子はこれからどうする、、」

と、、言われた西園寺絹子は、、、

「もし、、会長が良ければ、、ここで手伝わさせていただければいいのですが。。。」

「ああ、、、いいとも、、、頼みたいところだよ、、わしは嬉しい、、」

「そうですか、、それでは宜しくお願いします」と、なり、、

次郎が一番喜んだのであった。

東京にいるころから、次郎が一番なついていた絹子だったので、、、

「次郎、、絹子を部屋に案内しなさい、、」と、、言われた次郎は待ってましたとばかりに特別な部屋に案内した。。

「絹ねぇちゃん、、うれしいですよ、、よかった、、本当にいかった」と、、言って、部屋に案内した後に料理人の榊原弥作、とみ夫妻を紹介した。

「初めまして、西園寺絹子と言います、、今日からお世話に成ります、、宜しくお願いします、、」と、挨拶をしたのだった。

榊原老夫婦も笑みを浮かべて絹子を歓迎したのである。

その晩は5人で榊原調理人の魚料理で楽しい夕げをした。

極太郎も何となくではあるが,めったに笑わない男であったが笑みを浮かべていたような。。



26)温泉宿「心魂」も、、、、


西園寺絹子が加わった温泉宿「心魂」もなんか花が咲いたように明るくなったような雰囲気になってきた。

絹子の動きはてきぱきしていた。

「次郎、、おはよう、、玄関先の掃除はすんだ、、それがすんだら朝ごはんだからね、、会長に声を掛けて来てよ、、いい、、」と、、昔を思い出すようだった。

朝ごはんの席に榊原夫婦も入れて5人で食事を始めた、、、

極太郎が、、「おはよう、、今日から絹子を入れて5人だ、、みんなで仲良く一日を楽しくやろう、、宜しくな」と、、、優しい声掛けがあった。

絹子も思った、、東京時代の極太郎会長とは違うな、、、変わったなと、、、

温泉宿「心魂」の一日が始まった。

予約の有った泊り客がやってきた、、、大阪から、、老夫婦であった。

品のいい、物静かな客で2泊3日の予定であった。

二人で温泉に入りながら、食事の合間に散歩に出かけては部屋でゆっくりしていた。

二日目の夜に絹子と、榊原料理人が夕食の時に老夫婦から呼ばれて席についたら、、、

「とても美味しい料理ですね、、久しぶりに美味しく頂きました、、ありがとうございます、、」

と、、言われた。そして、「私たちにとって、、いい記念日になりました、、この心魂を選んでよかったです」

と、、老夫婦の女性からもお礼を言われた。

絹子が「そうですか、、それは良かったです、、余計な事ですが,何の記念日なのですか、、、」

と、、尋ねたら、、、

その老夫婦は大友健司で奥さんが康子と言ってくれた、、、

そして、記念日の理由を話してくれた。

大阪で40年間やってきたレストランを、後継者が居ないのでやめることにしたらしいのである。。その記念日で、二人で温泉に来たらしいのだった。

「そうですか、、残念ですね、、どうかごゆっくりしていってください、、」

と、、絹子と榊原料理人は下がった。

今は何の世界でも人で人手不足みたいだと絹子は思った、、しかし、聞いてみると評判のいい、繁盛しているレストランらしいのでもったいないと、、、

その話を聞いた極太郎は、何を思ったか、、「絹子、、ダメでもともとだから、、そのレストランを見に行って来い、、、場合によっては引継いでもいいと思う、、、売買なら買ってもいいぞ、、場所を見て来てくれ、、」

と、、絹子に頼んだ。



27)大阪の閉店するレストランを視察。。。


今回の宿泊客の大友夫婦と共に、西園寺絹子は訳を話して一緒に大阪北新地まで出かけたのであった。

絹子は極太郎から言われたことを守って、しっかり、大友夫婦のレストランを見てくることにして、、北新地の繁華街に立った。

極太郎から言われていることは、、自分でやるとしたら「出来るか、、場所は、お店はすぐに営業できるかを」

良く、監察してくるようにと言われたのだった。

絹子が見た限りでは場所はいい、、、人通りもあり、繁華街の中に含まれている、、そして、絹子はレストランを見せてもらった。「ステーキ専門店」で、、カウンター形式であった。

カウンターの中は一人で出来そうであり、、接客も一人で十分な広さである。

お洒落なゴージャスな雰囲気のお店で、、、明日は営業するので、その様子も見て欲しいということになった。

店舗は居ぬきで2階i維日「が住まいになっている。

店内ではワインも飲める風であり、、女同士でもワインを楽しみながら「ステーキ」が食べれるように感じられた。絹子であった。

翌日,絹子はワインを飲みながら様子を見ていたのであった。

客層は水商売の女性が多く、お客を接待しながらの食事風景が見られた、、早い時間が過ぎると若い男女のカップルが増えてきた、更に女性同士のお客もあり、、10時ぐらいまでは満席であった。

お店の開店時間は、昼間はお昼時間「11時から午後1時」そして「午後5時から10時までの昼夜で7時間営業である。、、、

大友夫妻に売り上げを聞いてみたら、、「一日平均7万円で、、20間営業で140万前後の売り上げがある」というのであった。、、、絹子は大友夫妻に礼を言って湯布院に帰った。

極太郎に報告して結論を待った、、、絹子としては答えは「合格」であった。

後は運営の仕方方法であり、、店を担当する人間の選び方によるものだと思った、、絹子であった。



28)悪徳金貸し極太郎、、人助けを始める。


絹子から報告を受けた極太郎はあることを考えていた。

人とは人を助けて活きることが素晴らしいことを知った極太郎だった。

今までの人生も人助けをして来たつもりでいる極太郎である、、、悪人であっても世の中のはじけたやくざでも困った時に極太郎は、頼まれて手助けをして来た積もりで「金貸し」をして来たのであった。

決して人を困らせるような、苛めるような金貸しはして来なかった。

この世の悪の世界でも少しだけ弱い者の見方をしてきたために、、大きなやくざ祖式に狙われたこともあった。

今は本当の弱者というか、、力なき者の見方をして、少しでも困った人間を助けて行きたいと考えるようになった。

今回も真面目人生を夫婦で働いて築いたレストラン、、、本人たちにしてみれば「お城」である、

それが後を継いでくれるものが居なく、、老夫婦が辞めれば、消えてしまう悲しさがやる瀬なかったのであった。

何とか大友夫妻が作り上げてきた心意気を引き継いで、常連のお客様にも喜んでもらいたいと思ったのである。

この世の何物もいつかは消える、、物の哀れを知っている極太郎であった。

極太郎は東京時代の極太郎の右腕とも言われた神宮寺健司と番頭役だった真田勇に連絡を取ったのである。

二人とも立派に金貸しをやっていた、、、神宮寺健司は東京渋谷で、真田勇は故郷に帰って仙台で金融業をしていた。

二人は「ご無沙汰しております、、会長、お元気ですか、、」と、、神宮司健司から電話が入った。そして真田勇からもその夜に連絡が入った。

「会長、すいませんでした、、電話にも出れずに、、本当にご無沙汰いたしました。」と、、、、

二人とも元気だった。

そして、極太郎が、、「相談があるので、、会いたいのだが、、時間は取れるかな。。」と、、言うと、、二人とも都合をつけて、湯布院に来てくれることになったのである。


29)世の中不安だらけで、中小企業、個人商店の倒産増える。。


極太郎が神宮寺健司と真田勇を呼んだのは相談があってのことであった。

最近、個人商店の倒産が多く、1か月間で、中小企業を含めると「1000件以上」起きているのであった、、、資金を借りられない人や、資金ショートを起こして困っている人たちが居るということである。

そこで、今、金融業をしている二人に現実を聞いてみたかったのであった。

二人が来て、揃った夜は久しぶりの再会だったので、榊原料理人に美味しいご馳走を用意してもらった。

極太郎は健司にも勇にも例を云った、、

「ありがとう、、遠くまで来てくれて、、俺の我儘ですまない、、」と、、

「とんでもありません、、ご無沙汰いたしまして、申し訳ありませんでした。」

と、二人とも挨拶をしてくれた。

「会長、、いい風呂でした、、心休まるところを見つけられましたね、、」

と、、勇も喜んでくれた。

「絹子さんも元気で良かった、、、次郎、ご苦労様、、これからは俺たちが会長の面倒も見るからな、、、見させて欲しい。。」

と、、いろいろと話は弾んだ。

極太郎を囲んでの楽しい夕げはあっという間に過ぎた。

その晩は美味しいお酒と肉料理をみんなで楽しんだのである。

次の日に極太郎からみんなに話が有った。

「如何だろう、、今の時代は何でも値上がりはしているし、世の中が不安定で、、健司や勇は実際に金貸しをやっていて、、どう思う。。」と、、聞かれ、、

「確かに不景気ですな、、特に個人商店の倒産が多く、借金の申し込みが増えてますね。」

と、、言う返事が二人から返ってきた。

「実際に、一致もハッチもいかない経営者が多いと思う、、、それらの救済事業をして見ようとおもんだが、、どうかな、、」

と、、極太郎は謎を掛けた。

その救済事業の方法は色々あると思う、、みんなで検討してみないかということになったのである。




30)悪行極太郎、、救済事業を始める。。。


鬼塚極太郎は、温泉宿「心魂」で、集まってくれた東京時代の仲間に話をしたのであった。

今回は「心魂」の宿泊客の大友夫妻の話を聞いて、、閉めようとする「ステーキハウス」を買いとって、借金で困っている人、、特にステーキハウスなどの経験者の救済に当てようと考えたのである。

神宮寺健司と真田勇は現在、金融業をしているので、金を貸して返済に困っている人たちを探して、出来たら助けて遣れるような救済事業をして行こうと思うのである、、ことを話した。

「いい話ですね、、、会長、、私は協力しますよ、、、」

と、、神宮寺健司は賛同してくれた。

そして、真田勇も「私も、、そんな人助けな仕事がしたいですね、、会長、宜しくお願いします」

と、、、やる気を見せた。

西園寺絹子も、、「私も、、是非、一緒にやりたいです。。」と、、笑みを浮かべて頷いた。

次郎は会長にずっと、東京からついてきたので今更、何もいえなかった。

「よし、、決まった、、、まずは大阪北新地の「ステーキハウス」から始めようか、、」と、、言うことになった。

「場所と物件は絹子が知っているから、、、細かい打ち合わせは絹子としてくれ、、

みんなが納得すればそれでいい、、すぐに準備をしてくれ、、、」

そして、、借金で困った客選びは,健司と勇でやることになり、、物件探しは絹子が担当した。

次郎は常に連絡係をして、仕事を覚えるようにと極太郎が指示をしたのであった。

その晩は「心魂」で泊まり、、食事をしながら再確認をしたのである。。

翌朝、次郎が健司と勇を湯布院の駅まで送り、それぞれに東京と仙台にもどった。


31)極太郎、、大阪北新地で「ステーキハウス」を始める。。。


東京の神宮寺健司から連絡が入って、、一人候補者が居るので案内をしたいということになり、西園寺絹子が大阪に向かった。絹子と神宮寺健司が会い、、連れて来た本人に「ステークハウス」を見せた。

健司が連れていった、、清水和夫と妻の冴子は一目見ただけで気に入ったようだった。

「とても綺麗に使っていますね、、、すぐにでもやりたいです、、」と妻の冴子がやる気満々だった。

健司が連れて来た二人は東京青山で「ステーキハウス」をやっていたが、、清水和夫が弟の保証人をやって、債権者に追い込まれたしまったのであった。

何とか返済をしていたのだけれでも、、その「ステーキハウス」を債権者が欲しく成、嫌がらせを始めて、お客が着ずらくなり、、閉店することになったのである。。その救済の手助けをしてたのであったが、、相手がやくざだったので、借金が膨らんでしまった。神宮寺健司は相手がやくざでも何でも引きはしなかったが、、清水和夫の妻の冴子が参ったのであった、、自分たちの子供に危害が及ぶようになったので、、恐ろしく成り逃げ出したくなったと、、弱音をはいた。

それで清水和夫は神宮寺健司に相談をしたのであった。

清水和夫は子供一人の三人暮らしで、、大阪の今回の話を聞いてやりたいと名乗りを上げたのである、、そして、妻冴子の実家が京都でもあったので、、飛びついてきたのである。。。

二人が気に入ったので、早速、営業をするための準備をしたのであった。

絹子は物件の説明をした、、「売買」でも「賃貸」でもいいと、、、または、、これから「ステーキハウス」のチェーン店を展開して行きたいので、、「一号店」」として参加してもいい、、と、、どの方法を選んでもいいといったのである。

清水和夫夫妻は喜んだ、、東京の件で金は使い果たしているので、、二人は「チェー店参加」を望んだ。。絹子は極太郎の意を組んで、便宜を図ることにしたのであった。

健司と絹子は相談をして、、そんな状態なら早い方がいいだろうということになったのである。

大阪北新地のステーキハウスは二階が住いなっていて、、全て揃っているので,身一つで来ても生活できるので、、

世の中には「善は急げ、、」という言葉もあるので、、すぐに引っ越す用意をして来るように勧めた。

すぐに来るというので、、絹子だけは残って清水夫妻を待つことにして、、神宮寺健司は東京へもどった。

残った絹子は清水夫妻が来てから、、準備も終わり、、開店するだけになったので湯布院に戻ったのである。。

後の連絡は絹子がすることにしたのであった。


32)鬼塚極太郎は弱者救済の事業を始めると決めた。


極太郎は今回の大阪北新地の「ステーキハウス」の成功で、、本腰を入れて、弱者救済の事業に乗り出すことを決めたのであった。。東京時代の西園寺絹子も戻り、神宮寺健司も真田勇も協力してくれると言事になり、、極太郎は西園寺絹子に、その準備のための情報集めをさせた。

次郎も絹子の指示で情報集めに走り回ったのである。。

日本全国で「個人商店とか食べ物店などを辞める人」や、「飲食店の継続ができ無くなったお店」などを探した。

また、借金で営業不可能になった店舗を求めて、、下見にでかけたのであった。

また、、神宮寺健司や真田勇の情報で、不動産物件を購入していった。

そして、借金で追い込まれたりして、夜逃げなどをしなくてはならない人たちを助けることにして行ったのであった。

極太郎は今までに危険な裏仕事や反社会勢力に都合つけて稼いだ悪銭を、、今更ではないが、、世の中の弱者に、、少しでも役に立てばと思い、、全てを使い果たそうと思ったのである。

「親父、、、凄くいいことだよ、、俺は何でもするよ、、体の続く限り頑張るから、、」

貧乏育ちの、浮浪児だった次郎を引き上げてくれた極太郎には感謝もし恩義を心底思っていたのである。

そして、次郎は嬉しくて涙さえ滲み出した。。。

絹子も「会長、、、分かりました、、、私に出来ることはなんでもします、、会長はお体を大事にしてください」と、、うれしかったのである。

極太郎の方針は決まり、、覚悟も決まったので新しい「心魂」の出発であった。

この話を聞いていた榊原料理人夫妻も感激していた、、、「よかった、、私たちも最後にいい人に巡り合えて、、仕事まで指せていただいて幸せです、、、ありがとうございます、、これからも、精一杯美味しい料理を作りますので、宜しくお願いします、、」

境原老夫婦は皴クシャナ顔に笑みを浮かべて感謝したのであった。

「会長、、図々しいのですが、、私どもの話を聞いていただけますか、、、」と、、言って身の上話をした。

榊原老夫婦には勘当した息子がいたのであった、、、その息子から最近、連絡がありり、、京都で修行していた日本料理をやりたいという話が有ったのであった。。

それで、、どこかに手ごろなお店が無いかという相談があり、、、つてを頼って探していたところだった、、、しかし、、なかなか見つからずに困っていた。

私たちの息子の場合は借金で困っているわけでもないので、、鬼塚会長に相談することも出来ずに、二人で探していたのであった。

「会長、、、もしよかっら、、何かいいお店でもあったら紹介していただけないでしょうか、、勝手な手前味噌な話なんですがお願いできますか、、」

と、、榊原老夫婦に頼まれたのであった。

鬼塚極太郎は気持ちよく答えてくれた。

「如何だろう、、あんたちさえよかったら、、俺のこの「心魂」に息子さんがきてくれないかな、、、この温泉宿を拡張したいのだが、、」

と、、言われた。

極太郎は将来を考えて、、温泉宿を大きくして、、一緒にレストランか日本料理店を開きたいので手伝って欲しいというのであった。

極太郎は絹子や次郎が、この先、この湯布院温泉の「心魂」で生活が定住できるようにと考えていたのである、、

誰にも言ってはいないが、、極太郎の体は、、「命の陽」は永くはないことを最近、知ったのであった。

「榊原、、一度あんたの息子を呼んで相談してくれ、、そして、、絹子、お前が新しく拡張する、心魂の切り盛りをしてくれ、、、次郎は絹子の言うことを聞いてな、、」と、、話をしたのであった。

極太郎は詳しい話は絹子に伝えたのである、、、

「心魂」は次郎に継がせてやって欲しいと、、、榊原料理人の息子には併設した料理店をわけて遣る様にと、、告げたのであった。

そして、、絹子には温泉宿「心魂」の女将としてやっていってほしいと頼んだのであった。。。

極太郎には悔いのない人生だった、、、跡を任せる仲間も出来たので、、、

次郎と過ごせた日々は楽しかった、、、、そう思う極太郎であった。

























悪徳金貸しと言われようと、、組織やくざが必要とする「銃買い付け」「麻薬取引」などに理由を問わずに大金を課して暴利を貪った男の半生を描いた物語。

また,,一代で財を成した金融業者が、世話に成った恩人が集団詐欺で騙されて、会社までも倒産にまで追い込まれて自殺したことを知った男が、その騙した企業に罠を仕掛けて、復讐をするハードボイルド物語。

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