「お節介さん」の裏事情
佐藤節はお節介だ。
いつもニコニコ笑顔の彼女は、非常に優しい心の持ち主で、面倒な係の仕事を率先して行ったり、孤立している生徒に声を掛けて悩みを聞き、友人をつくれるように手伝ったりと、常に誰かの世話を焼いている。
それに、キチンと制服を着こなして、真面目に学校生活を送る彼女は、先生からの受けが大変良い。
だが、決して堅苦しいわけではない。
そんな彼女の側は居心地がいいようで、周囲には多様な人間が集まって、いつも笑顔が溢れている。
『佐藤は、自分が裏でお節介って陰口を叩かれていること、知っているのか? 知っていてあんなにニコニコしているなら、いっそ、狂気だな』
優等生の鏡が故だろうか、佐藤の善良な性質を揶揄し、裏で誰々を虐めているだの、良い子気取りで自分に酔っているだけだのと、ボロクソに文句を言う人間が一部に存在している。
だが、佐藤の悪い噂には、いずれも、明確な根拠が存在しない。
恐らく、彼女には本当に後ろ暗いところが無いのだろう。
碌にダメージを与えられもしないだろうに、毎度毎度、ご苦労な事だ。
『俺も佐藤は苦手だし、わりと共感するところもあるけれど、助けてもらった奴らまで陰口を叩くのは、どうなんだ? あ、ヤベ……』
黒坂明はボーッと佐藤の方を眺めていたのだが、そうすると、彼女と目が合ってしまった。
佐藤はニコリと優しく微笑み、自然な足取りで黒坂に近寄って来る。
「こんにちは、明君。よければ、皆で一緒にお昼を食べない?」
他人が苦手な自分が、なぜ仲良くもない生徒に囲まれ、肩身の狭い思いをしながらモソモソと食事をしなければならないのか。
黒坂はそんな思いをのみ込み、代わりに苦笑いを浮かべた。
「ごめん、佐藤。俺、今日は用事があるんだ」
「そっか、残念。今度は一緒に、ご飯を食べてね」
いつもと同じ断り文句を口にすれば、佐藤はあっさりと引き下がって、仲間のもとへと帰って行く。
黒坂としては、かなり優しく断ったつもりだったのだが、少しでも二人への攻撃材料を手に入れるとはしゃいでしまう、一部の生徒たちが、
「佐藤さん、よく黒坂に声をかけるよね。私だったら、絶対に無理! だって、黒坂って、いっつも一人で、なんか気持ち悪いんだもん。絶対に変態のサイコパスだよ! 小動物とか虐めてそう。佐藤さんって、本当に偉いよねー」
だとか、
「えー、でも、佐藤さんだってウザいでしょ。あんなの、放っておいたらいいじゃない。大体、黒坂だって迷惑してるんじゃない? 毎回断られてたら、流石に嫌がられてるって気が付くでしょ。佐藤さんってさ、言っては悪いけど、結構おバカさんだよね。笑顔でアリの巣に、飴玉とか突っ込んでそう~」
だのと、陰口を叩いているのが聞こえてきた。
声は明らかに弾んでいて、隠し切れない意地の悪さが滲んでいる。
しかも、佐藤や黒坂に聞こえてしまっても構わない、むしろ、聞いて心にダメージでも負いなよ、もしも文句を言ったら、人の話を盗み聞きする変態って中傷してあげるからさ、と考えているところが、非常に質が悪い。
『佐藤は一旦おいておくとして、俺の方は完全にとばっちりだろ。佐藤が俺に話しかけてさえこなければ、無駄に攻撃されずに済んだのに。それに、用事があるって言っちゃったから、教室以外の場所で、メシを食わなきゃいけなくなったし』
黒坂は弁当の入った巾着を片手に、教室を出た。
そして、人目に付きにくい代わりに肌寒い、旧校舎のラウンジへと向かった。
もう一か月近くも、昼食のお誘いを断る日々を送っている。
このまま教室を追い出され続けるなど、たまったものではない。
歯を震わせて冷たい白米を齧りながら、黒坂は佐藤に文句を言うことに決めた。
放課後、ひっそりと佐藤を呼び出すと、彼女はそれに応じ、待ち合わせ場所に時間よりも五分ほど早くやって来た。
黒坂は「クラスで挨拶をしてくれる人はいますよ」系のしがないボッチだったので、放課後、本当に人目につかない場所を知っている。
旧校舎の空き教室はエアコンが稼働していないどころか、そもそも設置されていないので、雪のチラつき始める夕方には冷え込むが、佐藤は、
「寒いね」
とだけ笑って、文句の一つも言わなかった。
『佐藤も、コートとか着てくればいいのに。いや、俺は空き教室の冷たさを知ってるから対策で来たけど、普段こんなところに来ない佐藤には分からないか』
自分だけ黒いダッフルコートを着ていることに罪悪感を覚える。
黒坂は手短に用件だけを伝え、佐藤を速やかに帰宅させることにした。
「佐藤、どうして俺が、家でダラダラする時間を減少させてまで、佐藤のことを呼び出したか分かる? お願いだから、本当に、俺に関わるのを止めてくれ。毎日お弁当食べようって言いに来るけどさ、俺、毎回断ってるし、嫌がってるって分かるだろ? なんで俺が、名前も知らないクラスメートの、興味の無い話聞いて、神経すり減らしながらメシ食わなきゃいけないわけ? 部活もやってない、家帰って寝るか、若干マイナーぎみのゲームやって暇潰しするだけの俺が、佐藤たちの輪に入れるわけないじゃん。馬鹿にされたりとかするのは、もちろん腹立よ。けど、お誕生日席に座らされて、微妙な笑顔で『ご趣味は? へえ~、そうなんだ。今度見てみるね』って、気を遣われるのも結構心に来るんだわ。トラウマなんだわ。佐藤は俺に気を遣ってるって実績があればいいのかもしれないし、もしかしたら哀れな俺のためにご学友を! って思っているのかもしれないけど、ほんと、迷惑以外の何物でもないから。家出の時に置き手紙書いて、泣きながら出てくみたいなのじゃないから。ほんと、俺も、そろそろあったかいとこで飯食いたいから。あと、よく分かんねー女子に、動物虐待してる変態扱いされるのも嫌だから。とにかく! もう俺に二度と関わらないでくれ!!」
鬱憤というものは、気が付かない内に体内に溜まって濁り、腐るものらしい。
迷惑だから昼飯に誘わないでくれ、とだけ言うつもりだったのに、ボソボソ、グチグチと、理由までつけて話してしまった。
普段、誰にも話したことの無い心情を話すと、爽快感と共に喪失感を覚える。
何か取り返しのつかないことをしてしまったような感覚がして、黒坂が無駄に心臓を震わせていると、佐藤が、ふーっと長いため息をついた。
「なるほどね。アンタの言いたいことは、よく分かったわ。それこそ、痛いほどにね」
佐藤は頭と肩をそれぞれ片手で押さえながら、苦々しく言葉を出す。
口調や雰囲気がいつもと異なっているのも気になるが、それよりも、彼女の顔が青ざめ、なんだか体調が悪そうであるのが気になった。
心配になり、風邪でも引いているのかと問えば、佐藤は苦笑いで首を振る。
それから、少し思案した後、佐藤は肩を押さえたまま、
「少し不思議な話をしてもいいかしら?」
と首を傾げた。
その姿には妙な威圧感があり、黒坂が引き気味に「どうぞ」と頷くと、彼女は、少し変わった自分の能力について話し始めた。
佐藤には、他者への強い共感能力があるらしい。
他者の言葉を聞いて似たような気持ちになるとか、泣いている人を見て自分も泣けてくる、といったような一般に見られる共感の話ではない。
相手の心情など聞かずとも、あるいは顔や姿など見ずとも、自分の近くにいる強い感情を持つ者と自分の感情をリンクさせてしまうらしい。
この能力は物心がついた頃からずっと、佐藤とともにあり、かつ、感情を取得する範囲はちょうど教室内と同じ面積らしい。
すれ違う人間の負の感情を共有する程度ならばまだしも、ほとんど毎日通い、長時間拘束される教室内で、他者の負の感情を共有し続けるのは辛い。
学級崩壊が起こったり、いじめが起こったりしてしまえば、あらゆる種類、ベクトルを持つ負を共有することとなり、最悪、自我が崩壊してしまう。
そこで佐藤は、自主的に学級内の問題を解決し、人間関係を整えることで、自分と共有してしまう程の強い負の感情を持つ者が出ないよう、教室の環境を整えることにした。
それが、「お節介」と呼ばれる彼女の行動の裏事情だったのだ。
話をそのまま受け入れて、なるほど、佐藤も大変だったんだな、と同情するには、かなり無理があるだろう。
だが、佐藤の言葉を虚実や中二病による妄想と断定するには、妙な現実感があった。
特に、自分の両親の間で板挟みになり、二人の間で何が起こったのかさえよく分かっていなかったのに、懸命に二人の仲を取り持ち、離婚の危機を回避したという話には聞き入ってしまった。
これが全くの嘘だというのならば、彼女は将来、立派な詐欺師になれる。
一通り話し終えた、佐藤は妙にすっきりとした表情を浮かべていた。
「ここまで来たら察していると思うけど、私が明君に構うのは、明君が、強すぎる負の感情を慢性的に蓄積してるからよ。おかげで、明君の近くに行くと全身怠いし、肩は重いし、頭痛はするし、なんか、胃の調子も悪いし、ハッキリ言って、最悪よ。明君が転校してきた時は絶望したわ。本当は、私もアンタみたいな根暗構ってないで、素直に私のことを慕ってくれる可愛い女子たちに囲まれて、キャッキャとしてたいのよ。うぐっ! 今、精神的に傷ついたわね! 胸の奥が痛い!!」
いけしゃあしゃあと語っていた佐藤だが、黒坂が精神的に傷つくのと同時に胸を押さえ、その場でうずくまった。
「今のは佐藤さんが悪いだろ!? 俺の繊細な心を、無駄に傷つけやがって!」
黒坂が文句を飛ばすも、帰って睨み返されてしまった。
よほど痛いのか、佐藤は涙目になっている。
佐藤の様子を見ていると、本当に彼女は自分と感情を共有しているのかもしれない、という気になってくる。
しかし、黒坂は体の怠さや痛みが生活の一部になってしまっていて、今一つそれらについての自覚がない。
また、明確な悩みなども持っていなかったため、慢性的に負の感情を溜め込み、他者を害するまでになっているとも思っておらず、佐藤を信じ切ることが出来なかった。
彼女の話を扱いあぐね、しばし思案していたのだが、やがて意を決したように口を開いた。
「俺の感情が分かるってことは、転校したばっかの時に、みんな二年生で、しかも冬になってるから、それぞれグループ作ってるのに、早く友達作れとか言われて困ってたのも分かる? あと、俺が、ちょっと一人を満喫してたくらいで、居場所ないの? とか、なんかあったの? とか聞きやがって、こっちは高校生だぞ、自ら望んでボッチを謳歌してたのに決まってんだろ、邪魔すんなよって、内心、担任にキレてたのも分かったりする?」
この調子で黒坂は、ボッチを周囲になじませようとすることで生まれる同調圧力と、そのせいでかえって生まれる惨めさを語り、自らの名前にケチをつけ、二時間連続する数学の授業に文句をつけ、やたら運動部がもてはやされ、帰宅部は白い目で見られることを愚痴った。
その姿、まさに止められない、止まらないと言ったところだろうか。
「大体、そんなこと根に持つなとか、傷つきやすいよね(笑)とか言うかも知んねーけど、そういうこと言ってる奴ほど、言い返すと泣いたりキレ散らかしたりするし、根に持つじゃん。中学んときの女子が良い例だわ。俺? 俺は被害に遭ってないよ。俺の親友がフルボッコに遭って、事情も分かんねー先生と加害者女子に囲まれて、理不尽に泣きながら謝らされてるの見て、不用意な事を言うのはやめようって思ったからね。ああ、そうですよ。俺は、親友が詰られているのを助けることもできずに見ていたチキンでユダですよ。ごめんなさいね。いだっ!」
佐藤は当初、黒坂の実の無い愚痴を、相槌を打ちながら聞いていたのだが、彼のお喋りが三十分を超えたところで、うるさいアラームを止めるが如く、頭にチョップをした。
「明君、私が共有するのは感情だけで、明君の思考を読んだり、思想を知ったりはできないからね」
黒坂は痛恨の一撃を受けた。
「どうしてもっと早くに言ってくれなかったんだよ!? うわぁぁぁ! 恥ずかしい! あんな、あんな、ドヤ顔で語る前に教えてくれても良かっただろ!?」
黒坂は顔面を真っ赤にしてしゃがみ込み、絶叫しているのだが、佐藤の方は、さすがプロといったところだろうか、同じ羞恥心を共有しているにもかかわらず、赤面すらしていない。
涼しい表情で、何で、何で、と呻く黒坂を眺めている。
「だって、楽しそうだったんだもん。実際、話している時は、ちょっと気分が楽になったでしょ。明君は体調の悪さに無自覚だから、気が付いていないかもしれないけれど、話してる時だけは怠さも取れて、肩も楽になったのよ。ひねくれ過ぎてて、今までは明君のことを扱いあぐねていたけれど、なるほど、話すのが特効薬なのね。そうと決まったら、今日から毎日、話をしてよ。ほら、連絡先渡すから、何かあったらしゃべって」
佐藤はそう一方的に捲し立てると、スマートフォンの画面に某メッセージアプリの友達登録画面を出して、黒坂に差し出した。
しかし、黒坂は嫌そうに顔を背ける。
「嫌だよ。俺、別に話したいことないし。なんで、同級生にカウンセリングしてもらわなきゃいけないんだよ。大体、体調不良がどうこう言うけど、俺はそんなに辛いと思ったことないし、学年変わるまであと数か月だし、一か月と待たずに冬休みが来るだろ。その間くらい、我慢してくれよ」
問題児を宥めるような口調で佐藤を諭すと、彼女は両手を腰に当て、ムッと口を尖らせた。
「そうね。私も、普段ならそうしているわ。いくら私でも、どうにもしかねる子っていたし、慢性的な子は、特に扱いが大変だからね。でも、アンタはその中でも重いのよ。ホント、肩にダンベル背負ってる感じよ。おまけにね、私、偶然職員室で先生たちが、来年も私と明君は同じクラスにする予定だって言ってたのが、聞こえちゃったのよ。一年は無理よ! 一年は! 三年の気苦労が多い時期に、ショベルカー背負って歩けないわよ!」
佐藤は鼻息を荒くしたまま、そう捲し立てると、黒坂の尻ポケットからスマートフォンを奪いとった。
そして、素早く画面を操作し、強制的に友達登録を完了させた。
「わあ! 痴漢だ痴漢! スリで痴漢って、最低だからな!」
盗る時にお尻に触れてしまったのだろう。
黒坂は佐藤からスマートフォンを奪い返すと、距離をとって威嚇した。
「うるっさいわね。ガタガタ言うと揉むわよ。全く、繊細な男の子ですこと。ちょっと! 痛いんだけど! 本当に傷ついたの? ごめんなさいね。あと、友達として、一応忠告しておくけど、スマホにロックは掛けた方が良いわよ。人の手に渡った時、碌な目に遭わないから」
いっそ感銘を受けてしまうほど、ふてぶてしい態度で言い放つ佐藤に、もはや黒坂は、
「佐藤さんが言うと、説得力あるな」
と、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
例の放課後から、佐藤による黒坂のストレス解消計画が実施された。
初めは佐藤に促され、一日に一度お喋りをするだけだったのだが、時が経つにつれて、段々と学校でも話すようになり、今では、二人で弁当を食べたり、一緒に帰宅をしたりするようになっていた。
また、会話の内容も、愚痴めいたものから、普通の世間話や趣味の内容へと切り替わり、自然と明るい話題が増えた。
冬休みには、二人で出掛け、クリスマスのイルミネーションを眺めたり、初日の出を見たりして、初詣にも行った。
二人は友達以上、恋人未満といった雰囲気だ。
黒坂は、いつの間にか佐藤のことが気になり、彼女に恋愛感情を抱くようになっていた。
ベッドに寝転がっている今も、何となく佐藤のことを考えてボーっとしている。
『佐藤、今、何してんのかな? 真面目な佐藤だから、お勉強してるって言いたいところだけど、意外とテキトーなんだよな。小遣いの行き先は、大体スマホゲームの課金だし。まあ、佐藤がしょっちゅうスマホを弄ってくれてるおかげで、返信率も既読率もいいんだけど』
黒坂は、スマートフォンを片手に、ゴロリと寝返りを打った。
フォトアプリを開いて、友人になりたての頃の写真を眺める。
出てきたのは、「ストレス解消には意外と効果的よ!」と、五枚重ねのクッションをいい笑顔で殴っている佐藤の写真や、パフェの大食いチャレンジに挑戦している写真、謎のB級サメ映画のポスターの前でガチ泣きしている写真などだ。
彼女は、黒坂が首を傾げた、雰囲気だけで感動に持っていっている映画のラストシーンで号泣していた。
人の感性は様々とはいえ、普段の彼女の趣味嗜好からも不可思議な態度だった。
そこで、どういうことなのかと後から聞いてみたら、映画館にいた複数人の客と感覚を共有してしまい、無駄に泣いてしまったのだそうだ。
確かに、館内から客のすすり泣く声は聞こえてきたが、共有してしまうほど強い感情だったというのには驚いた。
他にも、「走るとストレスに効くらしいよ!」と、上下ジャージで自転車に乗って現れた佐藤の写真などもある。
『そういや、最初の頃はストレスの解消のために、ってことで遊びに誘われてたんだった。最近では、そういうの関係なく遊びに言ってたから、忘れてたな。いや、そう思っているのは俺だけか……』
黒坂は小さくため息をついて、毛布に潜り込んだ。
不意に、ブゥンとスマートフォンが微振動を起こし、ロック画面にメッセージアプリの通知を表示する。
メッセージには、「兄さんのプロジェクターで、映画でも見ない?」とあり、映画の概要を説明するリンクも貼られていた。
次いで送られてきた写真には、室内を暗くして映画館風にし、ミニソファーを並べ、プロジェクターの準備をする佐藤が映っている。
両手にポップコーンの袋とペットボトルのジュースを抱き、カメラに向かって、良い笑顔で親指を立てていた。
『お前はチャラ男か!』
心の中でツッコミを入れつつ、
「せっかく準備してくれたのに悪いんだけど、俺、今日は調子が悪いんだ。また今度にしてくれ」
と返信した。
近頃の黒坂は、佐藤の協力もあって大分メンタルが回復している。
少し前の自分を振り返って、
「確かに、あの頃は訳も分からずに疲弊していて、なんだか暗くなっていたよな」
と、思えるまでになっており、佐藤のサポートが不必要になる段階まで来ていたのだ。
そして、だからこそ黒坂は佐藤を避けており、彼女と会う頻度を減らしたがっていた。
仮病を使って断りを入れるのも、今日が初めてではない。
再度ため息をつき、スマートフォンを机の上に置いた。
そして、再びスマートフォンが微振動を起こすのを無視して、毛布の中で丸まり、落ち込んだ。
だが、そうやって沈んでいるのにも飽きて、気分転換に外出することにした黒坂は、財布のみを持って玄関を出た。
そして、バッタリと佐藤に出くわした。
「うわぁ! 佐藤!? なんでここに?」
黒坂は、寝癖だらけのモチャモチャとした頭髪に、三日くらい着続けている中学時代のジャージを着用し、裸足にクロックスを履くという、駄目コンボでキメていた。
どう考えても、意中の女の子の前に出る格好ではない。
大慌てで家に引っ込もうとする黒坂の腕を、佐藤がガシッと掴んで引き留めた。
「落ち着きなさいよ。病人のだらしない恰好見たって、引かないって。というか、風邪なのにマスクもつけず、冷たい風と微小の雪が降る中で裸足って、チャレンジャーね……ん? 明君、もしかして仮病使った? 最近のやつって、全部そうなの?」
佐藤がジトッと睨むと、黒坂はそっと目を背けた。
目を逸らし続ける黒坂を佐藤はしばらく睨み続けていたが、やがて、大きなため息をついて首を振った。
「そう。そうまでして、私に会いたくなかったの。じゃあ、いいわよ。ほら、コレ。これだけ渡して、帰ってあげるわ」
佐藤が黒坂に手渡したのはコンビニの買い物袋で、中には、スポーツ飲料が数本と、パウチのゼリーやおにぎりが入っている。
「明君、前に両親が共働きで、あんまり家に居ないって言ってたじゃない。風邪拗らせて、家にボッチでいると、家庭内の備蓄や病気の状況によっては結構危ないし、そういう訳で、買ってきてあげたのよ。でも、悪かったわよ。お節介焼いて……学校でも話しかけてほしくないなら、そうする」
寂しげに言って黒坂に背を向けたのだが、足を踏み出す前に胸を押さえ「いだだだ!」と悲鳴をあげると、涙目で彼の方を振り返った。
「ちょっと! あんたの方が寂しくて痛くなるって、どういう了見してるのよ! 悲しいのは私でしょうが! 全く! でも、ふーん、さっきの私の言葉に、何か悲しくなることがあったのね。へー、どれかしらね? 私、見当もつかないな~。どれかな~? こんな寂しい子を放っておいたら、余計こじらせて、数か月前の二の舞だな~。ねえ、ねえ」
理由など察しているだろうに、佐藤はわざとらしくニヤニヤとした笑みを浮かべると、ねえ、ねえ、と真っ赤になる黒坂の顔を覗き込み、揶揄った。
そして、意地でも口を割らないのを見ると、両手をワキワキとさせ、
「言わないとお尻を揉むわよ!」
と、脅し始めた。
黒坂の方へパシュッ、パシュッ! と手を伸ばし、鷲掴む動作をする。
とんでもない女子高生がいたものだ。
「わ! 止めろって、佐藤! なんですぐにお尻を揉もうとするんだ! や、止めろって! 言う! 言うから! 言うって言ってるのに、本当に揉みやがった! 痴漢だからな! この痴女! お巡りさん、ここに痴漢がいます!!」
「うるさいわね。そんな可愛いお尻を、二つもつけてるのが悪いんでしょうが。周囲の女の子を誘惑して危ないわ。同級生誘惑罪で逮捕されるわよ。危ないから、ちゃんとしまっておきないなさい」
お尻を両手で隠し、真っ赤になって狼狽える黒坂に、佐藤はふてぶてしく言い放つ。
そして、
「全く、お巡りさんにはいっそ、明君を逮捕してもらいたいものだわ」
と、呆れ交じりのため息をついた。
「コイツ! 俺が公道でお尻を出したみたいに言いやがって! ちゃんとジャージに仕舞われてるからな! このスケベ佐藤が!!」
そう言いながらも、なんだか自分のお尻が気になってしまったようで、黒坂はズボンの裾を引き上げ、すでにしっかりと仕舞われているお尻を仕舞い直した。
それに対し、怒られた佐藤は逆切れをして、むくれている。
「何よ、いいじゃない。減るものじゃないし。大体、その辺の変質者と一緒にされちゃ困るわね。私は、明君のお尻のみを狙い、明君のお尻のみを揉むわ。なんでもいいわけじゃないの。そして、私はフェアな精神を持っているから、明君がお望みなら、ワンタッチさせてあげますけど? うっ! 緊張で気持ち悪い……」
流れるように、こじんまりとした柔らかなお尻を向けられ、不覚にも心臓が跳ねあがった。
一瞬、揉み返してやろうか迷い、緊張と混乱で胸がドコドコと鳴ってしまったわけなのだが、佐藤はそれを共有してしまったようで、無駄にダメージを食らっている。
「勘弁してくれよ……」
さまざまな意味で疲弊した黒坂は頭を抱えた。
「さて、ふざけるのはここまでにして、本当にどうしたの? もしかして、私が定期的に明君のお尻を狙うから、貞操の危機を感じたの? あのね、明君、私、嫌がる明君に無理やり悪い事なんてしないわよ。あ、お尻モチモチはノーカンね。だって、モッチンしても別に痛くならないってことは、そんなに怒ってないんでしょ? 何なら、ちょっとよろこ……」
「それ以上言ったら、本当に家に引きこもるからな! ほんと、佐藤の能力って厄介だわ!」
黒坂は大慌てで言葉を遮ると、真っ赤になって顔面を覆った。
自分以上に自分の感情を把握し、見透かされるというだけでもキツイものがあるのに、その相手が好きな女の子なのだから目も当てられない。
『佐藤が好きって、俺、Mなのかな……』
羞恥心でドコドコと鳴る心臓を押さえつつ、観念した黒坂は、佐藤を避けていた理由を話し始めた。
「要するに、最近メンタルが回復してきて、これ以上回復しちゃうと、私に構ってもらえなくなっちゃうかもしれないのが怖かったと。いや~、相変わらずこじらせてるわね。ドラマだったら、主治医に『どうして、こんなことになる前に受診しなかったんですか』って怒られてるところよ。私を避ける前に、お悩み相談しなさいな」
佐藤は両手を広げ、ヤレヤレと首を振る。
だが、黒坂は、目の下にやんわりとクマができるほどの悩みを、あっさりと笑い飛ばされてしまったのが面白くなくて、そっぽを向いた。
それに、メンタル回復後も佐藤が近くにいてくれるかについては、半信半疑のままだ。
今まで通り友達として関われなくなるのも寂しいが、それよりも、今まで自分を気にかけて仲良くしていたのが、負の共有をしたくないから、という理由のみで、彼女にとって、黒坂など、その他大勢の内の一人でしかないのだと突きつけられるのが怖かった。
「いや、だって、悩みってほどじゃなかったし。言い難かったし。それに、実際そうなんだろ? 俺と違って、佐藤は友達いっぱいいるし。俺にかかりっきりだから、最近はお友達グループとも一緒にいないじゃん。なんか、ハブられるまでは行かないけど、俺と一緒にいるせいで、友達が減ってる気配がするし。俺に関わるのは、ショベルカーを背負いたくないからなんだろ。いいよ。週に一回だけ話してくれたら、肩にリンゴが乗るくらいで治まるよ」
ズーンと落ち込んで、一番言われたくない言葉を自分からブツブツと話すと、ため息をついた。
話すたびに自分の面倒くささを再確認し、余計に落ち込んでしまう。
グルグルと回って熱を持ち始める黒坂の頭に、佐藤はポンと優しく手を置いた。
「そう言ってる明君は、既にダンベルを乗せてるけどね。全く、本当に困ったちゃんだわ、明君は。安心しなさいよ。こんな寂しんぼの拗らせちゃん、怖くて放置できないから。いや、それはちょっと違うわね」
視界に入った佐藤は、明るく裏表のない笑みを浮かべている。
その姿と言葉にホッとすると、黒坂は、先程とは全く違った明るい気分のまま、何故か照れている佐藤の、追加の言葉を待った。
彼はあまり自覚が無いが、どんよりと俯きがちだった表情から一転して、穏やかでニコニコとした笑みを浮かべて、佐藤を見つめている。
「明君にとって私が、本音を話せる数少ない友達であるみたいに、私にとっての明君も大切な友達なのよ。こんなに私が素を出せる人、明君以外にいないわ。それと、負を共有するのが辛いからっていうのはもちろんだけれど、それ以上に、明君が痛かったり、苦しかったりするのが嫌なの。だから、明君のストレスを消してるのよ。酷いことを言うなら、今いるどの友達よりも、明君が大切だしね。だから、私が嫌なわけじゃないなら、そんな風に避けないで。流石の私も、ちょっと悲しかったわよ」
寂しそうに目線を下げれば、黒坂もバツが悪そうに頭を掻いた。
「それは、悪かったよ。なあ、その、プロジェクターとかって片付けちゃったか? 時間も早いし、まだなら、一緒に映画を見ようかと思うんだけど」
どうかな? と首を傾げれば、佐藤は明るく笑って頷く。
「ふふ、いいわよ! 今回は渾身の怪獣映画だからね! なすすべもなく倒される人類と建物を見て、ストレスを殺すわよ!!」
ホラー映画やサメ映画も好むのだが、佐藤が好んでいるのはいずれも、敵側が強い作品だ。
サメがビーチにいる人々を次々に食らっていくさまを、佐藤は前のめりになり、画面にかぶりついて見ていた。
また、墓を荒らすタイプの登場人物が悪霊に襲われている時、佐藤が持つ感情は「行け! そこだ! その無礼者をやってしまえ!」である。
かなり物騒な鑑賞者だった。
「目的が怖いわ」
苦笑いを浮かべた黒坂は、流石にまともな服を着るのだと、家の中に引っ込んで行った。
外で待つのは寒いからと、玄関に入れてもらったわけなのだが、そこから浮かれた足取りで階段を上る黒坂を見て、佐藤はふわっと笑みを溢した。
脳内では、少し前の安心しきった黒坂の笑顔を反芻している。
『相変わらず、明君はかわいいわね。良い笑顔だわ。私、明君が喜んだりした時に放つ、優しい感情が好きなのよね。もっと一緒にいて、幸せにしてあげたくなっちゃう。だから、嫌われてなくて安心したわ。それどころか、あの反応。もしかして私のこと好きだったりして……なんてね。そんなわけ、ないか』
初めは負の感情を共有するのが嫌で、面倒くさい奴だな、女々しいな、と思いながらも彼にかかわっていた。
しかし、そうやっている内に、気が付けば黒坂のことを考え、能力に関係なく彼と関り、同じ時間を共有したいと思うようになっていた。
要するに、彼女も黒坂に恋をしたのだ。
また、自分の心や感情を守るため、常に周囲に気を遣い、己を偽らなければいけない佐藤にとって、自宅や家族ですら、本当の安らぎは与えてくれない。
彼女の言葉通り、黒坂だけが素の自分を見せられる存在で、彼の隣だけが安心できる居場所だったのだ。
黒坂を想い、佐藤は小さくため息をついた。
『私は、正直あんまりいい性格をしてないし、この面倒くさい能力だって抱えている。黒坂だって、私みたいな女性は願い下げよね。こんな私でも、友達として大切にしてくれているのは、まだ誰も、明君の良さに気が付いていなくて、友達や恋人になろうとしないからだわ。だって、明君、笑顔が世界遺産レベルで可愛いし、格好良いし、かわいくて優しい性格してるし。駄目だわ! あんなにかわいい明君が、平然とお外を歩っていたら、癒しに飢えた獣たちにガブガブッとされてしまう! 私の明君なのに!!』
黒坂の平均程度の容姿を脳内で褒めちぎり、面倒くさい性格にかわいらしさを見出すと、特に現れる予定もない架空の敵に怯え、頭を抱えた。
『うう、もしも、もしも、明君が私以外にお尻をワンタッチされて、満更でもなさそうにしてたら……嫌過ぎる!! やっぱり、明君は皆に好かれてない方が……って、そんなこと思っちゃだめよ! ダークサイドに墜ちてはいけないわ! うう、明君をイケメンだって言いふらしたい欲求はあるのよ。でも、モテて彼女でも作られたら死……ああ!』
一人でムンムンと思い悩み、隣に彼女を侍らせる想像をした段階で限界に達し、佐藤はモチャモチャと髪をかきまぜた。
せっかくのストレートな髪に若干のパーマがかかったところで、黒坂が帰って来た。
黒坂は少し格好つけたい思いと、あまり待たせてはいけないという思いが混ざり、少々迷った結果、パーカーにジーパンという無難な服装になっていた。
「待たせてごめん。どうしたの? せっかく、可愛い髪にして来たのに、モッシャモシャになってるよ。ほら、直してあげるから」
変に意識をしなければ、あっさりかわいいと言ってやれるようだ。
黒坂はニコッと笑うと、軽く手櫛で佐藤の髪を整えた。
癖のない素直な髪が黒坂の指に従って、あっさりと真直ぐに戻る。
「ありがとう、明君。ふふ、お礼に、お尻を格好良く整えてあげるわね」
佐藤は黒坂のお尻が好きだが、ジーパンに包まれた彼のお尻はもっと好きだ。
衣服のチョイスにテンションが上がり、両手を構えて空中をモチモチと揉めば、黒坂が溜息を吐いて首を振った。
「バカなこと言ってないで、行くよ。コラ! 今日は回数が多いって!! 一日一回まで!」
躾のなっていない佐藤の手に文句を飛ばすが、彼女的には別の発言が気になる。
「え!? 一日一回までなら許されるの!? げ、言質とったからね!! 明日から覚悟してね!!」
両手をワキワキさせる佐藤に一瞥をくれると、ため息をついて、黒坂は先に家を出た。
佐藤は、お尻は触れても手は繋げない。
黒坂は、「寂しいから一緒にいてほしい」がバレるのは平気だが、恋慕がバレるのは恐ろしい。
行動や言動が大胆な割に、やけに慎重派で、変なところを意識してしまう二人だ。
両片思いが両想いになるまで、あとどのくらい、期間が必要になるだろうか。
最長で一年、最短で……。