第八話 知りたくなかった事実
銀髪の魔人から逃げ出して追手が無いところを見ると、あの連中から何とか逃げ切れたようだ。
ただし、未だに森から抜け出せてないから油断は禁物である。どこまでが連中のテリトリーか分からない以上、まだ安心はできない。
まぁ……追ってくるのがゴブリンだけなら簡単にどうにかなるだろうし、そこまで悲観的になることはないけどね。
つっても、連中が攻め込むであろう街に向かっているんだよなぁ。どう足掻いてもこの先は面倒なことに巻き込まれるのは避けられまい。いっそのこと街なんかに行かずにこのまま使命とやらに専念した方が無難だと思うが……
(今からでも予定の変更は無理かな?)
(あなたごときに拒否権があるとでも?)
当然のごとく神様は俺の提案を一蹴してきた。
だが、その反応は既に分かりきっていたことだ。だから落ち込むことはなく冷静に反応する。
(ですよねー。で、街に行って俺は何をしたらいいんだ?)
(危険が迫っていることを伝え、街の方たちが対処できそうになければあなたが代わりに対処しなさい)
(だいたいは予想がついてはいたけど……あの連中には滅茶苦茶強い銀髪の魔人がいるんだぜ。いくら兵士が束になって挑んだとしても勝てるわけがない。どう考えても俺が対処するのは確定事項だろ……)
あの銀髪の魔人だけは明らかに別格で恐ろしく強い。しかも、大量のゴブリンを従えているからそれも厄介だ。生半可な戦力ではゴブリンの数だけで押し負けることもあり得るだろう。
それに、街にどれだけの戦力があるか分からない。あの連中が援軍を潰したとか言っていたことを考えると、あまり当てにならないのが予想できる。そうなってくると俺一人で戦う可能性も視野に入ってくるのでは?
(ええ、そうでしょうね)
(はぁ……よく簡単に言ってくれるぜ。俺としては凄く気が重いんだけど)
人使いが荒いにも程がある。
いやぁ、冗談抜きで辛い。ただ、どんなに辛かろうが今の俺には神様の指示に従う以外の選択はない。元の姿に戻る為、元の世界に帰る為、という目的があるからだ。
とはいえ………そのことを頭の中で理解していてもあまりの横暴に我慢できず、俺はつい愚痴をこぼしてしまう。
(あーあ、他の世界の人間ならぞんざいに扱うくせに、自分の世界の人間だと大切に扱うってわけか。たまったもんじゃないな)
しかし神様は機嫌を損ねることなく、意外な返答をするのであった。
(何か勘違いしているようですが、別に大切に扱うつもりはありません。正直に言いますと、私としても街なんてどうでもいいことなのです。本来ならばあなたの方がまだ価値が高いですし、リスクが伴う行動は避けてもらいたいところですが……)
(それは……どういう意味だ?)
(こちらにも色々と事情があるということです。さ、速く街に行きなさい)
(はいはい、分かりましたよ)
どんな事情があるか気になるところだが、この神様のことだ。どうせ聞いたところで教えてくれそうにないのが目に見えている。
それなら、最初から聞かない方が得策ということか……
(珍しく懸命な判断をしますね。少しは私に慣れてきたということでしょうか?)
(そういや、その気になれば俺の思考を読むこともできるんだったな……)
忘れた頃に読んでくるから油断も隙もない。いつ俺の思考が読まれているか分からないし、余計なことを考えるのは厳禁だな。
やれやれ、いつになったら気を休めることができるのだろうか。
(そこは安心してください。この件が終わり次第、使命を授けてあなたに干渉することは基本的にないですから)
(本当にチュートリアルみたいだな)
まぁ、チュートリアルにしてはやたらと難易度が高い気がするけど、この先はどうなるのやら……
神様の言う使命とやらも、内容が無理難題である可能性が高いだろうし……先のことを考えると本当に今から不安でしかないし、この調子だと生きて元の世界に帰れるのか怪しいものだ。
そうは言ってもまずは街を救うのが先だ。泣き言は後回しにして気を引き締めるとしよう。
(ところで神様、このまま進んだら街に着くんだよな?)
(はい、今の方向のままで大丈夫です)
良かった。この森の中だと、どの方向に進んだらいいのか分からないからな。
これに関しては神様に感謝したいところだが、それ以前の問題として一般人である俺を巻き込まないでほしい。
というか、どうして別の世界に住んでいる俺を選んだんだ?俺である必要性はあったのか?
今さらではあるが、改めて考えてみると疑問が尽きない。いつかこの疑問が晴れるといいのだが……
(あぁ、そのことでしたら今から教えてあげましょう。結論から言いますと、特に深い理由はありません)
(え……は?)
(そうですね……あなたの世界の住人なら、教養があって良識のある人ばかりで扱いやすいというのが大きいですし。それに付け加えますと、あなたが一人暮らしをしていて、健康的な男で、たまたま私の目に止まったからでしょうか)
(ちょ、ちょっと待て、本当に……本当にそんな理由なのか?)
できれば嘘であってほしいと内心で祈ってしまった。前半の言い分はまだ分からないこともない。しかし、後半に関してが問題だ。
まさか……独身の男なら誰にでもよく当てはまりそうな理由だとは思いたくもない。もし、もしもそうだとしたら、俺はただ単に運が悪かったということになるんじゃ……?そもそも有象無象の中から俺が選ばれるなんて、宝くじの一等を引き当てる確率よりもはるかに低いっていうのに?
嘘じゃないんだよな?
(残念ですが嘘ではありませんし、言うなればただの偶然といったところでしょうか)
(つまりは……俺である必要性はなかったんだな……?)
(はい。その通りです)
(……そこは否定してほしかったなぁ。じゃあ、俺の価値が高い理由はどうしてだ?)
(それに関してはまぁ……別の世界から新たに人を召還するのが面倒ですからね)
(前にも聞いたけど、あれ本当のことを言っていたんだな……)
(ええ、ついでにあなたには特別なスキルを授けていますので……これで納得してくれましたか?)
(あ、あぁ……だいたい理解した)
疑問は晴れたが俺の心の中は曇り模様であり、神様から告げられた事実が重く深くのしかかってきた。
というか、こんなことなら知らない方がまだ良かったまである。はぁ……よりにもよってどうして俺なんかが選ばれてしまったんだろうな。他に適任な人はゴロゴロいただろうに。
なんなら、自ら異世界に行きたいとかそんな願望を持つ人がいてもおかしくはない。てか、絶対にいると断言できる。
だが、残念なことに選ばれたのはそんな人たちとは真反対で、異世界に行くことを望んでいない俺である。
もしかしなくとも、これは人選ミスではなかろうか?俺よりもっとやる気のある人を選ぶべきでは?と現実逃避気味に思ってしまう。
(そこまで考慮するのは面倒でしたからね。やる気があろうが無かろうが、私の言うことに従ってくれたら構いませんから)
(で、本人の意思は無視ってわけか。酷い神様だな)
思わずそう言ってしまった。というよりも、あまりにも度の過ぎた理不尽を前に言わずにいられなかったというのが実情だ。
俺の世界にあったような創作に出てくる優しい神様たちと比べると、えらく大違いである。
(あなたが不満に思うのは結構ですが今さら後戻りはできないですし、今は為すべきことを為しなさい。いいですね?)
(……了解)
忌々しいが、神様の言うことはごもっともである。
もはや過ぎてしまったことだ。どう足掻こうが俺ごときではどうすることもできないのは事実。
まぁ、理由はなんであれ……偶然にも選ばれてしまうような己の運命を恨むことしかできそうにないな。
それに元凶である神様に文句を言ったところで何も変わらないだろうし、非生産的ですらある。故に文句を言わず、大人しく従った方が明らかに賢明だろう。
情けないかもしれないが、無力な俺は不条理な現実を甘んじて受け入れるしかないようだ。
「はぁ……やるせねぇな」
思わずそんな弱音を口に出してしまった。
ただ、幸いにも周りには誰もいない。神様も特に何か言ってくることはなく、話はこれで終わりということなのだろう。
とりあえず、元の姿で元の世界に帰る為にも、頑張ってやるしかない。
でも、やっぱり理不尽としか言いようがないよなぁ。
「街に行くか……」
声から気力が失せたのは気のせいではない。
それからしばらく進むと木々の隙間から明るい光が差してきた。ようやく森から出られそうである。
ここまで来たら襲われる心配はない筈だ。これで少しは安心できそうだが、問題はまだ別にあったりもする。
「結局……砕けた籠手は完全に修復できなかったか……」
銀髪の魔人によって握り潰された籠手は指にあたる部分が無いままであり、中途半端に修復された状態にとどまっている。
多少の傷なら自己修復機能であっさりと修復されるのだが、さすがに砕けてしまうと修復には時間が掛かってしまうらしい。
そうなると、完全に修復されるまではここで待っておくか悩むところだな。
(どうしたのです?ここまで来たのですから、さっさと森を抜ければいいじゃないですか)
(そうしたいのは山々なんだけどさ……まだ完全に修復されていないからどうしようかと思っていたんだよ)
(なるほど、理解しました。あなたが懸念しているように、街の住民にそれを見られるのは少々面倒なことになるでしょうね)
(だよな。中身が空っぽの鎧が歩き回って喋るとか怪しさ満載だし、もしそれがバレたら街を救うどころじゃなさそうと思ってさ)
てことは、やはり完全に修復するのを待った方が吉ということだな。ただ、どれくらいの時間が掛かるのか分からないのが難点である。
修復が終わった頃に日が暮れようものなら夜中に街に向かわないといけないし、夜は街に入れないかも知れないからそんな展開は避けたいところだ。
異世界の夜はどんな危険が待ち受けているか分からないからな。俺のいた世界の常識が通じる筈もなく、盗賊の類やモンスターが出てきてもおかしくはない。
ま、前者であれば相手は人だろうし、今の俺ならまだどうにかなりそうだ。しかし、後者のモンスターだったら話は変わってくる。
ゴブリン程度なら兎も角として、より強力なモンスターだったら太刀打ちできるか怪しいからだ。
(そういうことだからさ、後どれくらいの時間で修復されるか教えてくれないか?できたら、速く修復させる方法とかあったらそれも教えてほしいけど)
(……あなたの口の利き方にはいい加減に慣れましたが、いつか後悔しますよ)
(後悔ねぇ……それってどのくらい先の話なんだ?)
(私の口からはそれは言えません……。少し話が逸れましたね。完全に修復される時間ですが、そこまでかかることはないと思います。ですが、あなた少しでも速く修復したいと言うのならその方法を教えましょう)
何やら神様が意味深なことを言ってきたが、真意は掴めそうにない。どんな形で俺は後悔するんだろうな。少なくとも、神様自身が手を下す様子はなさそうだ。
だからこそ色々と気にはなるが、状況が状況なだけにそれを考えるのは後回しにしておこう。
今後の為にも、速く修復させる方法が知りたい。いざという時は役に立ちそうだからな。
(是非とも教えてほしい。もし、複雑な作業だったらやれる自信はないけど……それでも頼む)
(複雑な作業ではないのであなたが心配することはありません。することは至って単純ですから)
(ほ、本当か?それで俺は何をすればいいんだ?)
(マナを口にしたらいいのですよ。マナを吸収した後に、修復したい箇所に意識を集中させると完全に修復されるまでの時間は短縮されます)
なるほど。俺自身の強化以外にもそういう使い方ができるのか。だとしたら戦闘中でもマナを吸収したら応急処置もできるわけだ。それはかなり便利である。
そうなってくると是が非でもマナポーションが欲しいところだな。下手したらこれから先は必須になりそうだし。
だが、現状では入手手段が皆無である。この先で入手する機会があるとするなら、俺が向かっている街が一番有力だろう。
ということは、今すぐは無理なのか?
(いえ、マナポーションでなくともモンスターの血でもマナは吸収できますよ。比較的にお手軽ですが、欠点としてマナの濃度がやや低いので効率が悪いところでしょうか)
(へー、モンスターの血でもマナは吸収できるんだな。確かにマナポーションは無くてもいい。でも、どうしてあの時はゴブリンから血を飲むように言わなかったんだ?)
あれだけ数えきれないほどいたのだから、銀髪の魔人が来る前に大量のマナを吸収させて俺を強化してもよかったは筈だ。
たらればではあるが、あの時の戦いは俺が有利だったかもしれないのに……どうしてだ?
(理由は簡単ですよ。いくら量が多くても、質が悪ければあまり意味がないですからね。銀髪の魔人とゴブリンを比べると質の差は歴然です)
(雲泥の差って感じか?)
(ええ、あなたが想像している通りかと。ですが、あなたの強化は兎も角として、修復する分でしたらゴブリンのマナでもそこそこ効果はあります)
そこまで差があるのか……魔人という種族はさすがとしか言いようがないな。
だからこそ、あの時は首筋に噛みつけと言ったわけだ。今さらだけど、あれは本当に大チャンスだったのか。
しかし、酷評されているゴブリンの血でも利用価値は一応あるのな。
(とりあえず、だいたいは理解できた。確かにすることは単純だし、俺でもどうにかなるだろうよ)
(でしたら早速試してくれませんか?)
(いきなりだな……ん?)
そんな都合よくモンスターとかいないだろ。反射的にそう言い返そうとしたその時である。背後から足音が聞こえ、背中に無機質な硬い何かが軽く押し当てられる感触がした。
それから、続いて聞き覚えのある鳴き声がしたのだ。
「グギャッ!」




