第七話 一矢報いる
今にも砕けそうな両手を一瞥し、これからのことを考える。
まず、相当な激痛が絶えずに流れ込んでいる。つまり、今の状態でこの激痛ということは両手が砕けるとより凄まじい激痛が襲い掛かってくるに違いない。
故に、痛みは覚悟しておく必要があるだろう。
それから両手が砕けた後のことだが、正直なところ悩んでいる。何故かと言うと……。
(いいですか、相手は必ず隙を見せます。ですから、確実に致命傷を与えるためにも、首筋を狙って噛みつきなさい)
といった無茶ぶりを俺に要求してきたからだ。逃げてもいいと言ってたのに急な手のひら返しかつ、ハードルを上げてくるものだから本当に困る。
それでも、銀髪の魔人を殺せと言われないだけまだマシかもしれない。俺には殺せる自信が無いからな。
さぁて、考えている間にも両手から亀裂の走る嫌な音を立てて限界を迎えつつある。もはや考える余裕はなさそうだ。
はぁ……後はなるようになるしかないか。最後にそう締めくくり、両手が盛大な音を立てて砕け散る瞬間を目の当たりにするのであった。
「いってぇぇぇぇっ!!」
「何っ!?」
互いにそれぞれ大きな声を上げるも、どちらとも性質が違う。俺の方は激痛からくるものであり、銀髪の魔人は驚愕からくるものだろう。
でも、覚悟していたとはいえ激痛が凄まじい。そのうえ酷い喪失感に襲われて不安に駆られてしまった。
が、神様が『鎧化』のスキルには自己修復機能があると言っていたのだ。きっと元に戻るだろうと己に言い聞かせ、何とか落ち着かせる。そして銀髪の魔人はそんな俺とは違い、対照的だった。
「あるべき手が……無い?貴様の身体はどうなっている?」
「こんな時に質問してる場合かよ」
よほど動揺しているのか、あるいは気にせずにはいられないのか、悠長にも疑問を口にしていた。
そんな様子に少し呆れてしまったが、これは好都合である。神様の言った通りこうして隙を晒したのだから。このチャンスを逃す手は無い。
「ちょいと失礼するぜ」
そう言いながら銀髪の魔人を抱きしめる。別にやましいことをするのではなく、逃がさないようにするためだ。
さすがに抱きしめられて我に返ったみたいで逃れようと藻掻くが既に遅い。
「な、何をするつもりだ!放せっ!」
「これも上司の命令なんだ。悪く思うなよ」
問いかけには答えず、代わりに言い訳をしてから口を大きく開く。それから銀髪の魔人の思わず見とれてしまいそうな美しい首筋に、俺は容赦なく噛みつくのであった。
遮るものが無いおかげか、噛んだ感触は柔らかく、首に食い込ませるのは容易である。だが、深く食い込ませまいと頭を押さえ付けられてしまい、致命傷に至らせるにはあと一歩といったところである。
「くぅっ、き、貴様ぁ……やはり人間ではなかったか……」
「これでも一応は人間なんだけどな……」
噛みつきながら喋るという行為は我ながらシュールだなと思いつつ、引き剥がされまいと必死に抱きしめている。
しかし、そんな最中にある異変が俺に起きていた。
首筋から滲み出たであろう血が口に流れ込むのを感じたかと思えば、どういうわけか甘くて美味しいと思ってしまったのだ。それだけでなく、少し力が湧いてくるように感じる。
俺が覚えている限りでは『鎧化』のスキルを使っている状態だと味覚は感じないと聞かされている。ましてや、力が湧いてくるなんて聞いたこともない。これは一体……どういうことなんだ?
(ふむ、どうやらマナを吸収することができたようですね)
(ここでそんな単語を耳にするとはな。マナって確か魔力の大元だよな)
これもゲームで培った知識である。そもそもマナというものは大気中や水中や地中などといった至る所に存在する不思議な元素だそうな。
それからマナを皮膚や口から吸収することによって、体内で魔力に変換することができるらしい。故に魔力は自然回復することができる。
また、その魔力を手っ取り早く回復する手段も当然ながら存在する。それは特殊な素材を使って作られたマナポーションを飲むという手段だが、説明が長くなるのでマナポーションについては割愛させていただく。この異世界が俺の知識通りか分からないってのもあるからな。
で、そのマナを吸収したということは……銀髪の魔人から流れ出た血にもマナが含まれていることなんだよな?
(その通りです。味覚を感じるのは想定外でしたが、それはマナの影響でしょうね)
(ふーん、そうなのか)
(魔人の血中には濃度の高いマナが含まれていますからね。致命傷を狙うついでに、あなたを強化させるチャンスでした。それでどうですか?これであなたは多少なりとも強化されたと思いますが)
(あ、あぁ……少しは強くなった気がするかな)
劇的ではないにしても、銀髪の魔人を押さえ付けるのが心なしか楽になった。実際に俺が強化された証拠なのだろう。ということは、俺にとってマナはレベルアップするのに必要な経験値めいた存在になるのか。
(はい、その解釈で概ね合っていると思います)
(なるほどねぇ……)
しっかしまぁ、血を飲んでマナを吸収するなんて驚きだ。普通の人間がするような発想ではない。
いや、よくよく考えてみたら神様だからな。最初から人間ですらなかったか。
「しょ、将軍様っ!!」
唐突に悲痛な叫び声が響き渡り、ここにきてようやくゴブリンたちが戻ってきたようだ。
ま、いたところで関係ないけどな。いくら束になろうが俺との力の差があり過ぎて俺の邪魔をすることなどできるはずもない……。というわけでゴブリンは無視だ。
さぁて、まさか俺が強化されるのは予想外だったけど、このまま銀髪の魔人を殺すこともできるんじゃないだろうか。
思わずそんな高望みをしてしまうのも無理もない。それだけ気が楽になったのもあるし、早く終わらせたいという気持ちもあったからだ。ただ、この時の俺は慢心していたのかもしれない。
「あっ……ぐぅっ……お、お前たちは近づくんじゃない」
「で、ですがっ……」
ほほう、ゴブリンたちを無駄死にさせないためかな。やけに部下思いだなと思っていたが、次の言葉で俺の予想は裏切られる。
「お前たちを……巻き込むわけにはいかないからな……」
「将軍様……ま、まさか!」
「お、おい、何をするつもりだ」
何となく嫌な予感がした。とは言えどもこの好機を逃すわけにはいかない。あともう少しなのだ。あともう少しで、銀髪の魔人を殺せる筈なのだ。
俺が血を飲んで強化されたということもあって、じわじわと首筋に深く食い込ませつつある。着実に出血の量は増え、命を削り取っているに違いない。
だというのに……さすがに将軍と呼ばれているだけあってか、焦っている様子はない。
「ふっ、ふふふっ……よもや、貴様のような相手にここまで追い詰められるとはな……」
「どうしてそこまで落ち着いていられるんだよ」
不敵な笑い声を聞いて、思わず気になってしまう。
こんな不利な状況下においても、覆すことのできる奥の手があるのだろうか。まさかと言いたいところだが、落ち着いている様子からしてそれはあり得そうだし、これだけの猛者なら一つや二つはあってもおかしくはない。
ここまで追い詰めたというのに、そういう展開は勘弁してほしいぜ。やっぱり倒すのは無理ゲーではなかろうか。そう愚痴りたくなる。
でもまぁ、元から殺せると思っていなかったんだ。それに俺が不利になると決まったわけでもない。気持ちを切り替えるとしよう。
「けっ、奥の手があるのならさっさと使いな。それとも、このまま死ぬつもりか?」
「貴様に言われるまでもないさ。あまり使いたくなかったが使ってやろう……『黒炎の加護』」
聞いたこともない魔法のような何かを小さく呟くと、抱きしめていた身体が急激に熱くなってきた。これは錯覚や気のせいではないが……おそらく奥の手を使った影響だろう。ただ、奥の手にしては拍子抜けである。この程度で終わりなのか?
しかし、そんな俺の思いとは裏腹に銀髪の魔族は相変わらず落ち着きを保っている。まだ何かあるのかも知れないな。
「ふふっ……いつまで抱きしめているつもりだ?」
「どういう意味だ?」
この期に及んで何を言いたいのだろうかと思ったが、これが警告だと理解するのが遅かったようだ。
あろうことか、銀髪の魔人は黒炎に身を包まれたのだ。身体が急激に熱くなったのはこれの前兆ということか。それを理解した瞬間、もれなく俺も黒炎に巻き込まれてしまいとんでもない苦痛を味わう羽目になった。
「ぎゃぁぁぁっ!?」
「まったく、不思議なものだ。貴様の肉体は無いというのに、しっかりと苦痛を感じているのだな」
「ぐっ、ぐぅぅぅっ!な、何をのんきなことを言っているんだ。未だに首を噛みつかれていることを忘れるなよ」
「やれやれ……分かってないのは貴様だ。いい加減に離れた方がいいぞ」
「え……あぁっ!?」
銀髪の魔人に言われてようやく気付く、首筋に喰い込ませていた口の部分が徐々に黒炎によって溶かされているということに。しかもそれだけでなく、黒炎に触れている俺の鎧の身体さえも溶けだしている。
あまりにもマズいし、かなり痛い。『黒炎の加護』とやらの威力は『黒炎柱』にも匹敵するみたいだ。さすがは奥の手といったところか。
「ちっ、質が悪い奥の手だな」
「質が悪いのはお互い様だ。上等な鎧であっても瞬時で溶かすのだが、貴様を完全に溶かすには骨が折れるよ」
「そうかい、褒め言葉として受け取っておくぜ」
皮肉を込めながら言った。
さて、いい加減に離れた方がよさそうだ。さすがにこのまま溶かされるのは御免被るからな。もちろん普通に離れるだけでは味気ない。銀髪の魔人から離れると、意趣返しも兼ねて即座に前蹴りを全力でお見舞いしてやることにした。
「あの時の蹴りのお返しだ!受け取っておきな!」
「くっ!」
放った前蹴りは確実に決まり、勢いよく蹴り飛ばされていったのだが、どうも違和感を感じる。
というのも、あまりにも飛び過ぎているからだ。しかも空中で姿勢を整えて綺麗に着地までしているしで、まるでダメージを受けているように見えない。
考えられるとしたら、俺が何らかの攻撃をすることが織り込み済みでガードをしてわざと吹き飛ばされた。といったところだろうか。漫画や小説でそんなシーンを何度か見たことがあるからな。
仮にそうだとしたらまんまと向こうの想定通り動いたわけで、銀髪の魔人が俺よりも一枚上手ということなのだろう。敵ながらあっぱれである。
「やっぱ、あんたすげぇな」
「その褒め言葉は素直に受け取っておくが、貴様は酷いものだ。人を傷物にしておきながら容赦なく蹴りを放つとはな」
「なぁにが傷物だよ。傷痕が残ったとしても大したことないだろ」
「ほぉ……傷痕が原因で結婚ができないかもしれないというのにか?」
傷は男の勲章とか聞いたことがあるが、この異世界ではマイナスのイメージだったりするのだろうか。
だが、それ以前の問題としてかなり気がかりなことが一つある。
「まてまて、どうして結婚とか出てくるんだ。あれか、この戦いが終わったら結婚をするとか約束でもしたのか?」
もしも結婚が本当だとしたら……所謂、死亡フラグというやつを建ててしまうことになりそうだが、大丈夫なのか?
敵だというのに何故か心配してしまったが、それは杞憂に終わる。
「いや、そんな予定はないさ。例え話に過ぎん」
「そ、そうか……俺の考え過ぎだったか」
何というか……調子が狂ってしまったな。一応さっきまで俺を殺すとか言っていた筈なのに、そんな奴の口から結婚という単語が出てくるのはどうも不似合いというか……違和感が勝る。
それに例え話だとしても、もう少し時と場所を選ぶべきではなかろうか。いくら何でも緊張感が欠けると思う。
「ちなみに聞いておくが、酷い傷痕がある相手でも貴様は結婚することができるのか?」
「例え話はまだ終わってなかったのかよ……別にそのぐらいのことで嫌いになったりするわけもないし、愛し合える仲になれば結婚はするだろうよ」
「ふむ、思いのほか貴様の懐は深いのだな」
「はいはい……」
いやはや、俺は何て恥ずかしいことを口走っているんだろうね。加えて銀髪の魔人の質問の意図が分かりそうにない。本当に何が目的なんだ?
頭が痛くなりそうだ。実際に痛む頭は存在しないけど、とりあえず話題を変えるとしよう。
「はぁ……例え話はもういいだろ。それで、どうすんの?」
「どうするって、何がだ?」
「いやいやいや、このまま続けるかどうかだよ。俺としてはもう見逃してほしいんだけど」
「見逃したとしたら……貴様はどうするつもりだ?」
「そりゃあ、街に行って危機を伝えるに決まってるだろ……あっ」
「ふっ、詰めが甘いな。気が緩んでいるのではないのか?」
やらかしたな。調子が狂ったとしても、こうも簡単に口を滑らせてしまうとは……まさか、これは銀髪の魔人による策略なのか?
侮れないにも程があるぜ。
「せっかくだ。他のことも教えてもらいたい。貴様は人間だと言っていたが、どうしたら元の姿に戻るのだ?」
「はぁ?そんなもん俺が知りてぇよ。このスキルの解除方法とかまだ教えてもらっていないし」
「む、その姿はスキルによるものだったのか」
あーあ、またしても余計な情報を与えてしまった気がする。とは言っても、この程度なら大したことはないだろう。
問題なのは……俺が街に向かうことを知られたことだ。間違いなくそれを全力で阻止してくるのは明白である。俺のミスとはいえ、この場から逃走する難易度を上げてしまったかもな。
「そうかそうか……貴様は正規の軍ではなく、雇われた冒険者……いや、傭兵の類いだったりするのか?」
「さぁね。生憎だけど、それに対する答えは持ち合わせてないんだ」
どうして冒険者から傭兵に言い換えたんだろうな。そこが少し気掛かりであるが……今は関係ない無視だ。
とりあえず気を取り直すとして……どうしたものか。現状としては俺は多少の傷を負っているものの、じきに自己修復されるだろう。粉砕された籠手の部分を除いてではあるが。
見たところ籠手が即座に修復される様子がなく、もしかするとそれなりに時間を要するのかもしれない。
それに対して銀髪の魔人は今も黒炎を身に纏い、首から大量の出血をしたとは思えない堂々とした立ち振る舞いをしている。首筋の傷は黒炎で強引に焼き塞いだと思われるが、あの出血だと痩せ我慢している可能性も否めない。それでも……油断はできない。
はっきり言って、勝てるか怪しいうえに俺の方が分が悪いとしか思えん。
「理不尽だなぁ……」
「そう嘆くな。別に貴様を殺すつもりはないさ、だから安心して捕虜になるといい」
「どこに安心できる要素があるんだよ。俺の人生が詰んでしまうぜ」
「貴様は分かっていないな。命があるだけでも十分に希望が持てるだろうに。悲観しすぎだぞ」
分かってないのはあんただよ。なんてことを言いそうになったが、それを何とか飲み込む。
これ以上は余計なことを教える必要はないからな。と思っていたら、じれったくなったらしく銀髪の魔人はついに動き出した。
「まぁいいだろう。お喋りもここまでにするとしよう……『黒爆』」
「はっ!そんなんじゃ俺を倒せねぇぜ!」
腕をクロスし、爆発による被害を抑えた。しかもマナを吸収して強化されたおかげなのか痛みはだいぶ和らぎ、傷も格段に減っている。
ただ、黒煙のせいで視界が悪くなってしまった。これが狙いなのだろう。それから次にすることは……強力な攻撃魔法を撃ち込んでくるに違いないし、その読みは当たった。
「『黒炎砲』!」
「やっぱり、そうくるよな……!」
回避は最初から諦めている。視界が悪くて見えないというのもあるし、俺を確実に潰すのであればそれなりに範囲が広い筈だ。
故に今回も防御に徹するしかなく、ブレスめいた黒炎の奔流を真っ正面から甘んじて受け止める羽目になった。
「ぐぅぅぅ……っ!があ゛ぁぁぁっ!!」
俺自身が強化されたということもあって受け止めきれるかと思ったが、最終的には『黒爆』よりも強烈な爆発が起き、その衝撃でバランスを崩してしまって激痛を味わいながら吹き飛ばされた。
おかげで鎧の至るところがだいぶ損傷し、全身という全身が痛い。だが、悪いことばかりではなくて同時に好機でもあった。直撃したとはいえ動くの分には支障がなく、幸いなことに黒煙が辺りを覆っているのだ。
「まだ視界が悪いな。そうだな……次の攻撃魔法が撃ち込まれる前に……よし、逃げよう」
少し逡巡したけど、ここは逃げるべきだと判断した。
そうして、煙が晴れる前に背を向けて全力で駆け出すのであった。後ろから追撃がこないことを祈りつつ……。
オマケという名の蛇足
「む、逃がしてしまったか」
視界は完全に晴れ、満身創痍の鎧男が地に伏してると予想していたみたいだが、そこには鎧男の足跡しか残されていなかった。
それを確認し、銀髪の魔人が『黒炎の加護』を解除すると、ゴブリンが近づいて指示を仰いだ。
「将軍様……我々に追跡のご命令を!」
「必要ない。こちら側の被害の確認と死傷者の処理が優先だ。それに……」
「それに?」
「奴のことだ。どうせ街に向かっているだろう」
「ははっ。そういうことでしたら、確かに必要はありませんな。ところで……傷の方は大丈夫なので?」
このゴブリンは、首筋に噛みつかれていた光景をしっかりと覚えていたらしい。
現に首筋の噛まれた箇所は黒炎によって焼き塞がれている。その傷痕は酷い有り様であるが、だからといって銀髪の魔人自身の美しさを損なうことはない。
しかし首筋という急所とも言える箇所で残された傷痕を見てしまえば、心配するのは仕方のないことだろう。
ただ、今も何事もなかったかのように振る舞う姿を見る限りでは、特に問題は無さそうだが……実はそうでもないらしい。
「嘘でも大丈夫だと言いたいところだが、いささか血を流しすぎたようだ。しばらくは療養に専念しないといけないな……」
「ということは……街への侵攻は延期ということですか?」
「口惜しいが、そういうことになるな。作業が終わり次第、皆の者には英気を養うように伝えておけ」
「はっ!そのように伝えておきます。ですが、将軍様も無理をなさらぬようご自愛くださいませ。では、これにて失礼します」
言うだけ言うと、仲間にも命令を伝えるべくゴブリンは踵を返してその場を後にするのであった。
そうして銀髪の魔人は一人になり、ようやくひと段落ついたと思ったその時である。
「くぅっ……」
唐突に呻き声を上げ、ふらついたの。しかも心なしか顔色が悪く見える。
先程までの様子とは明らかに違う。もしかすると、ゴブリンがいなくなるまで瘦せ我慢をしていたのだろう。
つまり、血を流し過ぎたのは本当のようだ。
「あの鎧男め……我が血を飲んで強化したというのか……?」
拘束から逃れられなかったことを思い返しながら、恨めしげに呟く。
力は僅差で勝っていて、手こずりながらも逃れることはできるだろうとあの時は思っていたようだが……結果としては想定通りになるどころか、逆に奥の手を使うまでに追い詰められてしまう羽目になった。
となると、想定外の何かが起きたのだと銀髪の魔人はそう結論を下した。
そして、その何かとは鎧男があの土壇場で自身を強化したのだろう。現状ではそれ以外に思いつかないようだが、同時に疑問も残る。
「ふむ……血を飲んで強化するとしたら、吸血鬼の連中ぐらいしか心当たりがないな。ただ、仮に吸血鬼だったとしても、奴らは炎に弱いはずだ。なのに、あの鎧男はいとも容易く耐えていた……」
多少は苦しむ様子は見せても、逆に言えばその程度の効果しかなく、決して倒れることはなかったのを思い出す。
さらに言えば不可解なことはまだまだあった。
「そもそもだ。奴は多少の傷なら当たり前のように治していたぞ。吸血鬼の再生能力は凄まじいが、闇夜でなければそれもできないはず」
もしも、弱点を克服した吸血鬼がいたとしたら……と銀髪の魔人は考えてしまうが、即座に頭を振りかぶりその考えを掻き消す。
そんな吸血鬼がいたら今頃はもっと大騒ぎになっているだろうと考えたからだ。
「だが、あの鎧男が吸血鬼でないにしても、強化はともかく……確実に硬くなっていたのは間違いないな」
詠唱をして放った最後の魔法は相当な威力だと自信の持てる代物だったらしく、さすがの鎧男でもひとたまりもないだろうと思っていたようだ。
しかし、足跡しか残っていないということは……鎧男は健在であり、逃走する余力もあることになる。
「やれやれ……どこまで厄介なんだ。それに、よくも首筋にはこんなに酷い傷痕を残してくれたな……この借りはどう返したらいいものか」
銀髪の魔人は、鎧男と次に相まみえた時のことを考えてそう言った。
ただし……口調は恨めしそうではあるものの、その表情はどこか愉しげですらあった。




