第六十五話 逃れられなかった混浴
こんな混浴は嫌だ。
女神様はこうなることを予見していたからこそ、あんなことを言ったに違いない。恨み節を吐きたくなるが、まずはこの窮地を脱する方法を考えねば。
「まっ、考えるにしたって逃げる暇なんてあるわけがないんだけど……」
逃げ場所に至っては皆無に等しい。一応、この露天風呂には周りを囲む柵が無く、外へ逃げることは可能だろう。
ただし、その場合だと裸で真夜中の外を移動することになって、他の誰かに見つかってしまえば露出狂扱いされかねない。
「それに逃げてもどうせ次の日には確実に捕まりそうな気がするし、捕まったら絶対に詰められるよな……」
故に、実質的に詰んだも同然。そこまでは理解した。理由したはいいものの、解せないことが一つだけある。
「男の俺が温泉に入っているのに、わざわざ入るってのがどうもな……」
ゴルディア様の口ぶりからして、俺が入っていると分かったうえでの行動としか思えない。つまり、不幸な事故でないことは確定。ついでに俺に非がないことは明らかだ。
しかし、どうしてゴルディア様は俺なんかと混浴する気になったのだろうか。そこが気になって仕方ない。
「これもゴルディア様の気まぐれなのか? 俺としては混浴なんて全力で遠慮したいんだけど」
例え見た目が絶世の美女だとしても、真の姿は竜という人智を超えた存在である。しかも生粋のサディストときた。
混浴したって碌なことにならないのは目に見えている。だからこそ、何としてでも混浴は避けたいところだ。
「後は思い直すように説得するしかないか。ふぅ……すみませんゴルディア様! お一人で入りたいですよね? 今すぐあがりますので、少しお待ちを!」
「妾とお主の仲じゃ、遠慮するでない」
悲しいことに、思い直す気配が微塵も感じられなかった。
どんな仲だよ、と口から出そうになったが辛うじて堪えた。やはりというべきか、ゴルディア様は混浴する気満々らしい。
もはや混浴することは避けられなさそうだ。だが、それを理解していてもなお足掻かずにはいられなかった。
「心の準備ができてないので、またの機会でもよろしいでしょうか!?」
「なんじゃ、裸を見られるのか恥ずかしいのか? お主を引き揚げる際に隅々まで見ておるぞ。今さら気にすることでもあるまいし、そもそも減るものでもなかろう」
突っ込みどころ満載の返事を受けて目眩がしそうになったが何とか耐え切り、必死に反論した。
「で、でも! いきなり裸のお付き合いってのは不健全極まりないのでは!?」
「何を言うとるんじゃ……よし、着替え終わったぞ」
必死の抵抗が徒労に終わり、とうとうその時を迎えようとしている。
呆れ声と共に扉を開ける音が聞こえ、肝が冷えるほどのプレッシャーを肌で感じ取った。湯気のおかげでまだ姿を視認できてないものの、時間の問題でしかない。
「かくなる上は……」
頭の上に乗せた手ぬぐいを手に取り、目隠しをした。混浴は回避できないにしても、これならゴルディア様の裸体を見ることはあるまい。
ただ、こんなことをしても気休めになるかすら怪しいところだ。
「はぁ……どうなることやら」
そうこうしている内に足音が聞こえ、視界を閉ざしてもプレッシャーが迫ってくるのを嫌でも感じ取れる。
緊張して体を硬くさせていると、足音が聞こえなくなり……。
「何故ゆえに目隠しをしておるんじゃお主は?」
不意にゴルディア様の呆れ声が聞こえてきた。ついに俺の姿を視認したらしい。
それからお湯を流す音が聞こえ、温泉に入ってくる音も聞こえてきた。本当に混浴になってしまった瞬間である。
「お主がそこまで妾の裸体を見たくないとはのう。傷ついたぞ」
「見たくないというよりも、俺なんかが見てはいけないような気がしまして……」
「だとしても、温泉で目隠しは非常識じゃろ。足を滑らせて怪我をするかもしれないというのに」
(まさか非常識の塊に常識を説かれる日がこようとは……)
「カイトよ、気が緩んでおらぬか。妾のことをそのように思うておるとはな。心外じゃぞ」
「あ゛」
完全に油断してた。今のゴルディア様は思考を読めるらしい。
となると、不興を買ってしまったかもしれない。色々と覚悟する必要がありそうだ。
「やれやれじゃのう。そこを動くでないぞ」
そんな仕方なさそうな声が聞こえ、水音が近づいてきた。どうやらというか、絶対に俺のところに来ている。
プレッシャーの圧が徐々に強まって逃げ出したい衝動に駆られるも、目隠ししているから動きづらいし、何より下手に動けばゴルディア様の不興をさらに買いかねない。故に、その場に留まるのが最善である。
そして、ゴルディア様が目前まで接近したことを気配で感じ、審判の時が訪れると思って身構えてしまう。
「そう緊張するでない」
あくまでも穏やかな口調で語りかけ、ゴルディア様は目隠しに手をかける。
これは想定外の行動だった。
「何のおつもりで……あっ」
抵抗する暇もなく、呆気なく目隠しを取られてしまう。
驚きの連続で目を閉じるのを忘れたものの、意外な結果に終わったのである。
「み、水着……?」
そう、まさかの水着を着ていた。つまりこれまでの努力は無意味だったのだ。
「水着を着てるなら最初から言ってほしかったです……」
「おお、悪かったのう。言い忘れておったわ」
どことなく胡散臭い。おそらくだが、わざと言ってなかったのだろう。
でなければ、愉快げな表情を浮かべるなんてあり得ない。
「別にいいか……それで、ゴルディア様はどうして俺なんかと混浴を?」
「寝てる途中で目が覚めてのう。そしたらお主の声が温泉の方から聞こえてな。せっかくじゃから混浴でもして親睦を深めようと思いついたんじゃ」
親睦を深めたいときたか。にわかに信じ難いが、嘘を口にしているようにも見えない。
それはそうとして、気掛かりなことが一つあった。
「聞こえたということは……もしかしなくともお部屋から温泉が近いので?」
「うむ、三階に妾の部屋があってな。そのちょうど真下の一階に脱衣所があるんじゃ」
この時ほど、静かに入っておけば良かったと後悔したことはそうないだろう。こんな状況を招いてしまった原因が俺にあるのだから、頭を抱えたくもなるし、自身の迂闊さを恨みたくもなる。
ただ、何故かゴルディア様は納得したような表情を浮かべている。それに対して疑問を抱くと同時に、ゴルディア様が口を開た。
「しかし、カイトは別の世界からやってきたんじゃな」
そんな完全に想定外な爆弾発言を受け、先ほどまでの後悔していたことがどうでもよくなってしまい、頭の中では疑問の嵐が吹き荒れていた。
「っ!?!?」
どうやら、気付かぬ内に盛大なボロを出してしまっていたらしい。確信を得たからこそ、あの納得の表情を浮かべていたのか。
焦る気持ちを抑えながら状況を把握し、震える口を動かした。
「ど、どうしてそう思ったのですか?」
「初めて見た者の殆どは下着と言っておったぞ。なのにお主は一目で迷わず“水着”と言い当てたからのう。これは別の世界から持ち込まれたのじゃ。ところで似合っておるか?」
迂闊だったというのもあるが、この異世界における文明力や技術力といった知識が少ないのが原因だろうか。
『南の街』以外では、この異世界の文明に触れる機会が滅多になかった。こればかりは仕方のないことだろう。
(にしても、どうやって水着が持ち込まれたんだ? そこが気になるところだよな。それと、俺が別の世界からやって来たことに対してそこまで驚いてない。ということは、似たような境遇の人と接触したことがあるのか?)
「これ、考察なんてしてる場合ではなかろう。妾の水着姿の感想を言わぬか」
「ア、ハイ」
幸い機嫌はまだ悪くなってない。そのことに安堵しつつ、ゴルディア様の姿を改めてよく観察してみた。
水着そのものは黒のビキニでシンプルではあるものの、身に着けてる本人のスタイルの良過ぎるのもあり、いい画になりそうだ。
ただ、布面積が少ないおかげで目に毒ですらある。太陽の下であれば、色んな意味で凄まじいことになるのは想像に難い。
「と、とてもお似合いです。俺なんかにもったいないくらい目の保養になります」
「そうかそうか、遠慮なく見てよいぞ」
満足気に言いつつ、何故か当然かのように隣に腰を下ろしてきた。
お陰様で胸がドキドキしたが、これは身の危険を感じたからである。というか、相変わらずプレッシャーがえげつなさすぎて逃げたい衝動に駆られてしまいそうだ。
「さて、カイトが別の世界の住人ということは、おおかたあの女神に連れてこられたのであろう」
確認するかのような口ぶりである。答え合わせでもしたいのだろうか。
別に付き合う分には問題はないが、いささか近すぎではなかろうか。ともあれ、知られても問題はないから答えるとしよう。
「その通りです」
「ははは、カイトも難儀じゃのう。あの女神のことじゃ、どうせ無理やりじゃろう?」
「それも合ってます」
「手段を選ばないのは相変わらずじゃな。まぁ、使える手駒が殆どいなくなっておったし、手段を選べなかったのかもしれぬな」
「手駒……?」
ゴルディア様の言う女神様の手駒というのは、どういった存在なのだろうか。
いや、待てよ。そういえば、冒険者は女神の石像の前で忠誠を誓うとスキルを授けてもらえるとか聞いたな。
ということは、冒険者というのは女神様の手駒的な存在だったのかもしれない。それに冒険者がほぼいなくなっていたみたいだし、手駒がいないという辻褄は合う。
(しかし……仮にも神なんだから、手駒が冒険者だけというのは考え辛い。もっとこう、他に強力な手駒がいてもおかしくないのだが、どうしていないんだ?)
「何を余計なこと考えておるんじゃ。妾の話に付き合わぬか」
「す、すみません」
考え込んでしまったせいか、ゴルディア様が不満を表すかのように片頬を僅かに膨らませていた。
端から見れば可愛らしくも感じるだろうけど、間近にいた俺はプレッシャーの圧があからさまに増したのを感じたから、死を覚悟しなければと思いそうになった。
「す、すみません……」
「お主の悪い癖じゃの。まぁよいわ、それより聞きたいことがあるんじゃが、女神と約束を交わしておるのであろう。内容を教えてくれぬか?」
「約束……といいますと、使命を果たせば三つの願いを叶えてくれるみたいです。とは言っても、肝心の使命はまだ授かってすらないんですけどね」
「はっ、“至宝の果実”を手に入れるのは前座でしかないというのか」
「そうなるかと……」
面白くない、といった表情である。確かに、前座として扱うには相応しくない難易度だろう。
今はまだ無事ではあるが、これはオリディアに気に入られていたというのが大きい。もしも単独で『竜人の里』に訪れようものならば、今頃はこの世に存在してなかったかもしれない。
まぁ、その代わり暇潰しの道具めいた扱いを受けているのが今の現状だったりする。
「良くも悪くもあの女神は変わらぬな。おっと、質問を続けるぞ。お主がこっちの世界に来て、どれくらい経っておるんじゃ?」
「えーと、少なくとも一ヶ月も経ってないかと」
「意外と短いのう。お主がいた世界では兵士でもなっておったのか?」
「いえ、ただの一般人です。戦いとか殺しなんて縁のない比較的平穏な人生を送ってました」
とここまで言うと、ゴルディア様は怪訝そうな表情を浮かべた。
どこか引っかかるところがあったらしく、考え込む素振りを見せてから口を開いた。
「待て待て、話を聞く限りだではお主は戦いの素人ではないか。なのに、どうやってここまで戦い抜いてきたんじゃ。お主が相対した出来損ないが手負いとはいえ、普通なら素人が屠るなんぞ到底無理じゃろ」
「…………」
こればかりは何とも言えなかった。馬鹿正直に話してもいいが、それなりに時間がかかるだろう。ただ、話したところで困惑させかねないし、そもそも上手く説明できるか分からない。
確実に俺の言いたいことを理解できるとしたら、おそらくシーディア様だろう。
「すみません、それに関してはシーディア様を交えて話させてください。たぶん俺の記憶を覗けば理解してくれます」
「むぅ、それだけ説明するのが難しいということか。ならば続きは明日にするかのう」
質問はもう終わりらしい。となると、混浴も終わりなのだろうか?
なんて思いかけた矢先のことだった。
「ちなみにじゃが、カイトさえ良ければあの女神から離れて妾のところで仕えぬか? 悪いようにはせぬし、それなりに楽して暮らせると思うぞ」
まさかのヘッドハンティングときた。女神様は俺に価値があるとは言っていたが、俺なんかにそこまで価値があるとは思えない。
だからこそ困惑せざるを得なかった。
「……冗談が過ぎませんかね」
「本気じゃぞ」
そんなことは声色を聞いて即座に察している。
しかし本能が警鐘を鳴らしていたので、この場はなぁなぁでやり過ごそうとした。が、そうは問屋が卸さないらしい。
機嫌を損ねるかもしれないが、もはや率直に答えるしかあるまい。
「結論から言いますと、それは無理です」
「何故じゃ?」
「俺自身としては元の世界に帰りたいからです。女神様はそれを叶えることが可能と言っておりました。ですので、鞍替えする気にはなりません」
「なるほどのう……そのような願望があれば女神に従うしかなかろうて」
納得はしているものの、諦めているようにも見えない。おそらく、俺を引き込むために思考を巡らせていることだろう。
「ならば財や女を望むだけくれてやろう。どうじゃ、悪くなかろう?」
「魅力的な提案だとは思いますが、元の世界に帰れば財に困ることはないですし、女性に関しては過去に苦い思いをしまして……申し訳ありませんが遠慮します」
「むむむ、妾がここまで言うのに靡かぬとな。一筋縄ではいかぬのう」
まだ諦める気配が感じられない。そこまでして俺を懐柔したいのだろうか。
そこまでする理由が皆目見当もつかない。だが、元の世界でやることがあるのだから、どんな条件を提示されても考えを変えるつもりなんて毛頭ない。
「ふむ、カイトの意志の固さは分かった。ならば手を変えるまでのことじゃ」
「と、言いますと?」
「オリディアと勝負するであろう。お主が勝てば“至宝の果実”をくれてやってもよい」
「っ!」
こっちから申し出ようと思っていただけに、その条件は願ったり叶ったりである。『棚からぼた餅』とはまさにこのこと。
ただ、俺が負けた場合はどうなるんだ?
「代わりに、お主が負ければまた三日間は首輪を着けてここで過ごしてもらうぞ」
(たったのそれだけ?)
「無論、それだけではないぞ。負ければ客人としてもてなすことはないし、自由にはさせぬ。そして……」
「そして?」
「三日経てばまたオリディアに挑んでもらおうかのう」
「また挑むのですか?」
「うむ、お主が諦めるまで繰り返してもらうつもりじゃ」
「諦めるまで……」
何度も繰り返し挑んでもいいのなら悪い条件ではない。むしろ有利にさえ思える。
(だが、どこか落とし穴があるような気がしてならないな。あのゴルディア様はそう甘くない筈だ)
「察しが良いの。実のところ、妾の見立てじゃと今のお主では間違いなくオリディアに勝てぬであろう。ふふふ、何度も敗北する様が目に浮かぶわ」
「なるほど……」
確かに現状では勝てる見込みなんてまるでない。女神様から急かされなければ、そんな選択肢は選ぶことすらしなかっただろう。
しかも、ゴルディア様が断言しているのだから、承諾してしまえば地獄を見るのは明らかである。それこそ何度も敗北を喫して心が折れるかもしれない。
とはいえ、何度でも挑めるのはチャンスと捉えることもできる。試行錯誤すればいつかは勝てる可能性はある筈だ。ならば答えは一つ。
「その条件を呑みます」
「言ったな? もうあとに引くことはできぬが、いいんじゃな?」
「構いません」
「くくくっ……言質は取ったぞ。泣いても喚いても、お主が勝つか諦めて妾のモノになるまで続けてやるからのう。覚悟するんじゃぞ」
早まってしまった、と思えるくらいにゴルディア様は悪い笑みを浮かべていた。
それだけオリディアと俺の実力差は隔絶しているのだろうか。けれども、俺はまだ本気でオリディアと戦ってはいない。故に、絶対に勝機が無いとは言い切れない筈。
ともあれ、早急に作戦を練らなければ。
「それじゃ、オリディアとの戦いに備えたいのでお先にあがりますね」
「つれないことを言うでない。妾があがるまで付き合わぬか」
「えっ」
さすがに勘弁してほしい。ずっと温泉に浸かっていたせいか、頭が熱くなってきている。そろそろあがらなければ、のぼせてしまう。
なのに、ゴルディア様は逃がさんとばかりに背後から抱き締めて拘束してくる。
「カイトは妾と混浴するのが嫌なのか?」
「そういう問題では……いぎぃっ!?」
身体が軋み、全身に激痛が走った。おそらくはゴルディア様が力を加減しきれてないからだろう。
兎にも角にも、このままではのぼせる前に圧死しかねない。何とかして脱出しなければ。
「ご、ゴルディア! その……胸が、胸が当たっています!」
「何じゃ、妾の体に興味がないわけではなかったのか。やはりカイトも男じゃのう。ほれほれ、遠慮しなくてよいぞ」
「がはっ!?」
押し付けられる胸がどうでもよくなるほどに締め付けがより強まり、のぼせかけていたことも相まってか、意識が遠のきつつある。そして……。
「もう、無理……」
耐え切れる筈もなく、ゴルディア様の腕の中で呆気なく意識が暗転してしまったのであった。
今回も気絶オチですね。ちなみに、下手すればバッドエンドルートに突入してました。