第六十四話 温泉での密談
今年初の投稿ですね。今年もよろしくお願い致します。
「御馳走でした」
「お粗末様でした。綺麗に平らげてくれて嬉しいわ」
「いやぁ、残すのがもったいなかったので」
大皿に載っていたローストビーフを食べ尽くし、その他諸々もついでに食べさせられた。
本来だったら平らげるなんて無理な量だった筈。なのに、どういうわけか平らげることができてしまったのだ。もはや不思議としか言いようがない。
(原因があるとしたらシーディア様の“秘薬”だろうか。つっても、聞いたところで教えてくれないだろうなぁ)
「あら、わたくしの顔をじっと見てどうしたのかしら?」
「いっ、いえ……つい見惚れてしまって」
「ふふっ、誤魔化したって意味がないのに。だけど、今回は褒め言葉として受け止めてあげるわ」
「あははは……」
シーディア様が微笑んだというのに、乾いた笑い声と冷や汗しか出なかった。
気まぐれなのだろうか、何故か見逃してくれるらしい。いや、その気になればいつでも俺の記憶を覗けるからかもしれないな。
(確かに誤魔化しても意味はないか。ふぅ……ともあれ表情だけじゃなく、視線を向ける先も気をつけないと)
内心で改めて気を引き締めていると、シーディア様も食事を終えたようで、テーブルの食器を集め始めていた。
「わたくしはこれから後片付けをするから、カイトは温泉にでも入りなさい」
「では、お言葉に甘えて……ちなみにどう行けば?」
「この部屋を出て左に真っ直ぐ進んだ突き当たりに温泉の脱衣所があるわ。脱いだ服は空の籠に入れて、手ぬぐいと着替えの寝巻きは籠の中にあるから自由に使ってちょうだい」
「ありがとうございます」
お礼の言葉を残すと、すぐさま部屋から退出した。廊下は明かりが灯されてなかったが、月明かりのおかげで歩けないことはなく、早足で脱衣所へと向かう。
足早になったのは別に温泉が楽しみというわけではない。ただ単に一人になれる時間を確保したいからだ。
(さすがに男の俺が入浴中なら誰も乱入はしない……しないよな?)
何故か断言できなかった。間違えて入ってきてしまう可能性を考慮したというのもあるが、どうも嫌な予感がしてならない。
他に可能性があるとしたら、誰かの入浴中に俺が気づかず入ってしまうぐらいだろうか。
(とはいえ、オリディアは二日酔いでダウンしているし、ゴルディア様は先に寝た筈。シーディア様は後片付けしているから完全に論外)
もちろん、俺が入浴する前には誰かいないか入念にチェックするつもりである。
「裸で鉢合わせようものなら、温泉が血の色に染まって猟奇現場に早変わりしそうだしな……っと、ここか?」
真っ直ぐと言われたのに、そこそこ歩いたような気がする。それだけこの建物が大きいのだろうか。
とにかく、シーディア様の言う通り突き当りに着いたのだから、目の前の扉の向こうが脱衣所であることは間違いない。
(誰もいないとは思うけど、念の為にノックはしておくか)
軽く扉を三度叩き、扉に耳を当てて中からの反応を待つも何も音が聞こえないし、気配も感じられない。やはり誰もいなさそうである。
「失礼しまーす……」
誰もいないと分かっていても、扉を開ける直前に声をかけて確認してしまうのは俺が心配性なのだろうか。いや、念には念を入れるべきだろう。
それからゆっくりと扉を開き、慎重に脱衣所へと入室。壁際にある棚を見つけ、確認してみると幾つかの籠が置いてあった。
「この籠に手ぬぐいとか寝巻きがあるのか?」
薄暗い中、手探りでそれぞれ中身を確認すると確かに手ぬぐいと寝巻きがあり、一つの籠だけ空であることも確認できた。
後は脱いだ服を空の籠に入れて、浴場に向かうだけである。
「まっ、脱ぐと言っても下だけなんだけどね」
ゴルディア様のおかげで脱ぐ手間が少しだけ省けたと言っても過言ではない。
(いや、だからといって強引に服を破られるのは嫌なんだが……さっさと温泉に入るか)
脱いだ服を籠に入れ、浴場の入り口と思わしき扉へと向かう。
「向こうで暮らしてた頃はほぼシャワーだったからなぁ。肩まで浸かるなんていつ振りだっけ?」
過去の入浴歴を思い返しつつ扉を開けると、そこには息を呑む光景が待ち構えていた。
「温泉とは言っていたけど、まさか露天風呂だとは思わなんだ」
大量の湯気を発生させる温泉が月明かりに照らされている様子は風情がある。少し遠くを見渡せば水面に反射する月が映って美しい。上を見上げるれば綺麗な宝石を散りばめたかのような美しい満天の星が視界いっぱいに広がっている。
今までに見てきた景色の中で最も素晴らしい絶景であり、手元にカメラがあろうものなら即座に収めていたと断言できる。
「異世界でこんな絶景を鑑賞しながら入浴だなんて、思いもよらなかったぜ。最高かよ」
桶でお湯を汲みんで身体を洗い流し、絶景に圧倒されながら温泉に浸かった。
お湯はちょうどいい温度で、さらには大浴場に匹敵する広さということもあって、遠慮なく四肢を自由に伸ばすことができて快適である。
そして今は俺一人だけだ。つまり誰にも邪魔されず、心置きなくリラックスして、じっくり温泉を堪能することができる。
「あぁ、この誰もいない状況下といい、温泉で体がほぐされて精神的にも肉体的にも癒されるぜ。いやぁ、極楽極楽」
今日の疲れが取れていき、荒んだ心には潤いが戻ってきた。これなら明日も頑張れそうだ。
(あ、明日かぁ……いや、先のことを考えてもどうしようもないし、今は忘れよう。明日は明日の俺に頑張ってもらうかね)
辛い現実を思い出して憂鬱になりかけたが、何とか持ちこたえた。危うく、せっかくの絶景と温泉を台無しにするところだったな。
「ふぅ……ずっと夜空を眺めながら浸かっていたいなぁ。でも、のぼせてしまうからさすがに無理か」
何事もほどほどが大事である。ほどよく癒された後に、絶景を反芻しながら気持ちよくベッドで寝るのがベストだろう。
ともあれ、時間が許す限り温泉で癒されていたい。
(やれやれ悠長なことを考えてますね。そのような余裕があなたにあるとでも?)
せっかくの雰囲気をぶち壊すかのように、頭の中で声が響いた。嫌な予感の正体は神様……もとい女神様だったらしい。完全に盲点だった。
今この場では俺以外に誰もいないし、乱入される可能性が低い。だからこそ、密かに話し合うにはもってこいではある。
「はぁ……俺としては一人で静かに温泉で癒されていたかったのに、水を差すようなな真似は止めてほしいもんだな」
(ですが、あなたはオリディアとの勝負が控えているではありませんか)
確かに三日後にはオリディアと勝負する約束をしている。ただ、勝てる見込みがまるでないから、勝とうだなんて最初から考えていなかったりする。
しかも、オリディアとの勝負はそこまで重要とは思えない。
「向こうからして見れば、どうせ余興でしかないだろ?」
(やれやれ、考えが甘いですね。これは好機ですよ。戦って勝利し、褒美として“至宝の果実”を要求すればいいのです)
「正気か?」
あまりにも唐突かつ、突拍子もないことを言い出すから正気を疑ってしまった。
(ええ、正気ですとも)
「本気で言ってるのかよ。というか、他にいい方法があるんじゃないのか?」
(ならば、今すぐ代案を考えなさい)
「無茶振りもいいところだな……」
ただ、一応はそれなりに考えてはいた。
俺的に現実的な代案としては、オリディアを味方に付けてゴルディア様やシーディア様を説得して“至宝の果実”を譲ってもらうことだ。
「地道だけども、話し合いながら頼み込むってのはどうだ?」
(ほう、カイトらしい穏便な方法ですね。ですが、相当な時間がかかりそうですし、何より達成するまでの間にあなたが無事でいられるか怪しいのでは?)
「冷静に考えてみれば、俺が無事でいられる保証がなかったな……」
殺すつもりはないと言ってはいるが、それでもついうっかりで死んでしまいそうなうえに、プレッシャーに押し潰されて気がやられてしまいかねない。
故に、一日でも早くこんなところから去るべきだ。
「となると、俺の代案は却下するしかなくなるけど……仮に俺がオリディアに勝ったとしても、素直に渡してくれるのか?」
(カイトの懸念はもっともです。ですので、あなたも彼女たちが欲する何かを提示する必要があるかと)
「なるほど……」
こっちが負けたら何かを差し出さないといけないのは分かる。ただし、無一文どころか自前の服すらも持ってない俺は何を提示すればよいのやら。
そもそも身一つしかないのだから、身体で払うしかないような?
「いやいや、俺なんかが身体で払っても二束三文にしかならないだろ」
(意外とそうでもないかもしれませんよ)
「は?」
半分くらいは冗談だったのに、何故か女神様は大真面目な口調だった。とはいえ、俺としてはにわかに信じ難い話である。
「俺なんかにそこまでの価値があるとは思えんのだが。確かに、今日はやたらと好意的というか……俺に興味を示していたとは思うけど、どうせ一時的なものだろうし、すぐに飽きるだろ」
所詮は気まぐれでしかあるまい。俺のことを気に入っているらしいオリディアだって、そうに違いない。
(ふむ……ではゴルディアと話し合って確かめてみなさい)
「了解。ダメ元で掛け合ってみるとするかね」
とは言ったものの、まともに取り合ってくれるか怪しいところだ。もしかすると駄目かもしれない。
ただ、実際に話し合ってみないことには何とも言えないな。運が良ければ、上手いこと承諾してくれるかもしれん。
「で、仮に承諾してもらったらもらったで、大きな問題があるんだよなぁ」
(どうやって勝つか、ですね?)
「正直なところ、どう足掻いても無理ゲーって思ってた」
(それでは、負けるつもりだったと?)
「まぁ、勝つのは諦めてた」
素の状態でもとんでもなく強く、そして素早く、遠近共に対応できていて今のところ死角はない。さらに『金竜の加護』と『銀竜の加護』という規格外なスキルでさらに強化されるからもう手に負えない。
もちろん弱点がないわけではないが、あまり現実的ではないのが厳しいところだ。
「敢えて『金竜の加護』を発動させて時間を稼ぐってのが理想的なんだが、いかんせん難易度が高過ぎる」
(それ以前の問題として、ゴルディアがそのような勝ち方で満足するか怪しいかと)
「ぐっ、正々堂々と真正面から倒すとなると、難易度がもっと高くなるんだが……」
元より殴り合いで勝てるとは思っていない。かと言ってオリディアの攻撃を躱しつつ、こちらの攻撃を当てることができる技量は持ち合わせてないしでもう無理。
「実質的に詰みじゃん。どうやって倒せばいいんだよ」
(幸いまだ時間はあります。どうにかオリディアの弱点を探すなり、攻略法を編み出すしかありませんね)
「簡単に言ってくれるぜ」
ここにきて立ちはだかるのがオリディアになるとは思わなんだ。いや、ゴルディア様やシーディア様と比べたらまだマシか。
マシではあるけども、打つ手無しとしか言いようがないのが現状だ。
「はぁ……どうすっかなぁ」
(この調子だと、文字通り身体で払うことも視野に入れなければなりませんね)
「だからそんなに需要はないだろ。あー、でも住み込みで働くとかならあり得そうか?」
(随分と楽観的ですね。その程度で済めばよいのですが……)
女神様にしては珍しく後ろ向きな発言である。俺のことを心配しているのだろうか。にしては、どうも違和感を感じる。何故だ?
(カイト、不思議がっているようですけど、今のあなたは異性を惹きつけるだけの魅力がありますよ)
「まさか」
反射的に否定するも、女神様は止まらず自慢げに語り続けた。
(謙遜しても無駄です。なにせ、このわたしが直々に弄ったのですから。それと正直に言いますと、わたしも悪くないと思い始めてます)
「おい、女神様は女しか眼中にないんじゃ……」
(おやおや、女神であると教えた覚えはないですし、同性にしか興味がないことは秘密だったのですが)
「いつものように俺の記憶を覗けば一発で分かることだろ」
前者はともかく、後者に関してはこれまでの言動からして女にだらしないことは明白で、嫌でも察しがつく。
しかも、否定しなかったということは、きっとそういうことなのだろう。
(ふむ……そうでしたか。ですが、カイトでしたら知られても構いませんし、一人増えた程度では問題ありませんね)
「俺なら構わないのかよ。というか、他にも知ってる人がいるんだな……」
あの時の口ぶりからして、シーディア様は知ってそうだ。となると、ゴルディア様も知っていてもおかしくはないか。
(ただ、わたしとしても男になんか興味を抱かないとは思っていたのですが……今のカイトの姿を見るとそそるナニかがありますね)
「そりゃあ、女神様好みに弄ったからだろうよ」
(ええ、ですから今となっては惜しいことをしてしまったなと)
「惜しい?」
(見た目を弄る際、ついでに性別を転換させてしまえばよかったと)
「マジで怖いこと言うの止めてほしいんだけど!?」
温泉に浸かっているのに、鳥肌が立って身を震わせてしまった。
この女神様の発言が欲望に忠実過ぎる。あれか、俺にバレたのをきっかけに、開き直って欲望全開になっているんじゃないだろうか。
(もちろん、今から強引に性別を転換するのは無理ですので、ご安心してください。その代わり、後学のためにじっくり観察をさせてもらいますが)
「安心できる要素なんてないし、それと恥ずかしいから観察とか止めてくれよ」
気持ち悪くなって即座に手ぬぐいで身体を隠そうとするも、女神様は目敏く反応してきやがった。
(おやおやおや、手ぬぐいで身体を隠そうとするのは健気ですが、お湯に漬けるのはマナー違反なのでは?)
「余計な知識を付けやがって……」
しかも、間違ったことを言ってないから質が悪い。こんな異世界で温泉マナーとかあるのか怪しいところだが、気が引けて無視することはできない。
渋々、身体を隠すのに使おうとした手ぬぐいを頭の上に乗せるに留め、腕や手で最低限隠せる箇所を隠した。
(いい眺めですね。温泉で白い肌が紅潮しているのも見応えがありますが……あからさまに嫌そうな表情をしているのは見ていて愉快です)
「一応は女神なんだからさ、やっていいことじゃないと思うんだがな」
あまりにもやることが斜め上をいっていて、頭が痛くなりそうだ。こんなことになるくらいなら、この異世界で過ごす間は鎧の体でいたいと思ってしまう。
でも、今は“封印の首輪”のせいで『鎧化』は使えない。そういえば、オリディアと勝負する際に外してくれる約束だったけど、俺が負けたらどうなるのだろうか。
「あっ……負けたらまた首輪を付けられるんだっけ?」
(そう言ってましたね)
「だとすれば、なおのこと勝たないといけないな……」
女神様の邪な視線から逃れたいし、何よりも生身ではあまりにも貧弱過ぎる。仮に温泉を堪能できなくなったとしても、まずは身の安全を最優先したい。
だからこそ鎧の体になる必要がある。こんな人外だらけの環境下で耐え凌ぐにはそれしかない。
「はぁ……頑張らないとなぁ」
(わたしとしては、カイトが彼女たちに嫐られる様を鑑賞してみたいですけどね)
「アンタさ、どっちの味方なんだよ。本当にいい趣味してやがるぜ。いっそのこと女神じゃなく邪神って名乗った方がいいんじゃないか?」
(冗談を冗談と理解できないのですか。相変わらず感性が乏しくて嘆かわしいものです)
これまでの発言からして、とてもではないが冗談に聞こえない。本当に邪神様と呼んでしまいそうな衝動に駆られるも、無益な言い争いに発展しそうだからここは堪えておく。
(とは言え実際のところ、あまり時間を浪費されてしまうと色々と支障が出てしまう可能性が出てきたので、わたしとしても困ります。ということで、この後のことも含めてオリディアとの勝負は頑張ってください。それでは)
時間をかけたくないのは理解できたが、その後に続く言葉が聞き捨てられなかった。
「オリディアのことはともかく……この後のことって、どういうことだ?」
しかし、俺の問いかけに対する反応はない。どうやら一方的に話を切り上げたようだ。
こちらとしても静かになる分には助かるのだが、女神様の口ぶりからして嫌な予感がしてならない。
「たぶんこの予感は当たるな。たくっ、何が起こるのか教えてくれたっていいだろうに」
あの女神様のことだから、どうせ俺が大変な目に遭うのを楽しんでいるに違いない。兎にも角にも、名残惜しいがさっさと温泉から出るのが賢明だろう。
そう考えて行動に移そうとした、次の瞬間のことであった。
「カイトー、温泉に入っておるんじゃろ? 妾も入るから背中を流してくれぬかのう」
「えっ……?」
脱衣所から声が聞こえ、全てを察した。既に絶望がすぐそこまで迫っていたということを。
大量の料理を平らげることができた原因は、秘薬ではありません。




