第五十八話 始まってしまう生身の異世界生活
(人外の)美少女や美女と同じ屋根の下で暮らしたいと思ったことありません?
気がつくとまた布団の中だった。布団を押し退けると、数分前に見たばかりの淡い青色が視界に映り込んでくる。
「また精神世界かよ」
うんざりするように言うと、神様の愉快そうな声が聞こえてきた。
『ふふふ、とんぼ返りでしたね』
「ふん、どうせこうなるって分かっていたんだろ?」
少し苛立ちながら起き上がる。やはりというべきか、布団しか存在しない淡い青色の空間は不可思議だ。
しかも、そんな空間で神様の声が聞こえてくるのだからなおさらである。
『何が不満なのです? オリディアのような美少女に抱き締められていたのだから、素敵な目覚めじゃないですか。ご褒美と言っていいほどに』
「だとしても、死ぬ思いをするのは勘弁だけどな」
『おや、まんざらでもなかったのでは?』
「……もういい」
ここで大人しく引き下がったのは、話にならないというのもあるが、否定しきれないからというのもあるからだ。
それはともかくとして、神様に聞き出さなければならないことがある。
「なぁ、どうして俺は生身の状態だったんだ? 神様の言う通りなら、自動的に『鎧化』が再発動するんじゃないのか?」
『そのことでしたら、目覚めたら教えてもらえると思いますよ』
「説明は他人任せか。相変わらずの面倒くさがり屋だな」
そう非難するも、神様は気にすることなく淡々と話を続けた。
『いえ、時間がないだけです。それと、彼女たちに対しては隠し事をする必要はありませんので、洗いざらい話しても構いませんよ』
「どういうことだよ……って、うおっ!?」
神様から詳しいことを聞き出そうとするも、突如として淡い青色の空間に激しい光が差し込み、顔面に液体が降りかかるのを感じると同時に意識が覚醒した。
「はっ」
「やっと目覚めたか。お主は随分とお寝坊さんじゃのう」
「っ!?」
俺を見下ろすその人物は、絶世の美女と形容すべき女性だった。
腰まで伸びた豪奢な金髪、気品のある綺麗な金眼、きめ細かな白い肌、そして美の女神でも嫉妬しかねない美貌。生きた芸術品とも言っても過言ではなく、その美しさに圧倒されてしまう。
しかも肩や胸元が剥き出しの赤いドレスを着ているものだから、白い肌やら谷間が見えて目に毒である。
ただし、その女性が放っているであろう既視感のあるプレッシャーは凄まじく、美貌なんてどうでもよくなってしまう。
当然、俺を起こした女性が誰であるかを即座に理解した。
「お、おはようございます……ゴルディア様」
このプレッシャーを忘れるわけないし、声を忘れるわけもない。俺を見下ろす女性は間違いなくゴルディア様だ。
「とうに昼は過ぎておるが……まぁよい。おはようじゃ、カイト」
挨拶を返すゴルディア様の手には逆さの杯があり、おそらくは俺を起こすために水を掛けたのだろう。
「顔を拭いて服を着るがよい。妾は部屋の外で待っておるからの」
「そうさせていただきます」
大人しく従わざるを得ない。というか、何故か全裸でベッドの上に寝かせられていたようで、流石に服を着ないとマズい。
言うまでもなく、ゴルディア様やオリディアには色々と見られてしまっていると考えていいだろう。
(時すでに遅しか。気にするだけ無駄だよな)
半ば諦めるように己に言い聞かせ、ベッドの脇に置かれた布で顔を拭く。
それから近くの机の上に目をやると、麻のような生地で作られた服が置いてあった。これを着ればいいのだろう。
「服を着るのが久し振りに感じる……」
どことなく感慨深く感じながら袖を通してみると意外にもサイズはピッタリであり、快適に身体を動かすことができた。
(寝てる間に採寸でも測ったりして……いや、もうよそう)
「そろそろ着たかの?」
「あ、はい。今出ます」
急いで部屋から出ると、ゴルディア様は既に背を向けて歩き出している。
「オリディアが待っておるからの。遅れずに着いてくるんじゃぞ」
「あの、どこに……って、歩くの速い!」
みるみるうちに背中が小さくなり、失礼にならない程度に早足で追いかけた。
しかし、とんでもない建物だな。床は大理石と見紛う鏡面のある石材で、壁は白い石材を使った石造りの建物であり、まるでお伽噺に出てくるお城や神殿のようだ。
それでいて、今歩いている廊下だけでも車道に匹敵する広さで、さらに壁には竜や竜人が描かれて幻想的ですらある。
「この建物そのものが美術品と言っても過言ではないな……」
内装の一部だけでも思わず見入ってしまうのだから、外観もさぞかし見応えのあるに違いない。
そう確信を持てるほどに圧倒されていた。
「後で色々と見て回ってみたいけど……早くゴルディア様を追いかけないと」
じっくり内装を眺めたい気持ちを抑え、足早にその場から立ち去った。
それから追いかけること数分。ゴルディア様がとある扉を開けて通って行き、俺も後を追うように続いた。すると、眩い光が出迎えたのである。
「眩しいな。ここは……中庭か?」
雲一つ無い青空に、容赦なく照りつける陽の光に、手入れが行き届いているであろう花壇。そして中庭の中央には噴水があり、近くには屋根つきの建物……確かガゼボだったかな。
そのガゼボの下では、ゴルディア様とオリディアが席についていた。
(二人が並んで座ってるだけで絵になるな……)
(褒めるのは後回しにして、お主もはようこっちに来て座らぬか)
(あ、はい)
あまりにも場違い感があって近寄りがたいが、促されてしまっては座るしかない。
二人が座るテーブルに近寄り、恐る恐る席につく。するとオリディアが笑顔で声をかけてきた。
「おはよっ、カイト。体の調子はどうかな?」
「あぁ……おはよう、オリディア。調子は悪くないよ」
そう言い終えると、すかさずゴルディア様が口を開いて俺に視線を向ける。
「挨拶は終わったようじゃな。よし、早速じゃが本題に入らせてもらうぞ」
おそらく、俺から根掘り葉掘り聞き出すに違いない。ならば、こちらから先に意思表示しておこう。
「お聞きしたいことがあれば、知っている範囲であれば何でもお答えします」
「ほほう、潔いのは関心じゃな」
しかし、一方では不満の声もあったりする。
「えー、何でわたしの時と反応が違うの? わたしはダメでゴルディア様はいいってどういうこと? これって贔屓じゃないの?」
「贔屓じゃない。事情が変わったんだ」
「くくくっ、気絶しとる間に許可でも貰ったのかのう?」
意味深な笑みを浮かべるゴルディア様は、言外にお見通しだと言っているようにも思える。
実際に、何らかの方法で察知している可能性もあり得なくはないな。
(それはともかくとして、オリディアに落ち着いてもらわないと話が進みそうにないな)
どうやって宥めようか悩んでいると、意外にもゴルディア様が助け船を出してくれた。
(仕方ないのう。どれ、妾に任せるがよい)
(あ、お願いします)
「オリディア、こやつに文句があるなら後にしてくれ。そうしてくれたら、詫びに何でも言うことを聞いてやるぞ……カイトが」
「っ!?」
まさか乗り込んだ助け船が奴隷船に様変わりして、あっという間に売り飛ばされるとは思わなんだ。
「えっ! 本当?」
「ゴルディア様! そんなこと了承した覚えは……う゛っ」
慌てて撤回してもらおうと声を上げるも、刹那に足先から激痛が走り、さらにはゴルディア様の鋭い眼光を受け、口をつぐまねばならなかった。
(分かりましたから……足をどけてもらえないでしょうか)
(物分りが良い者は嫌いではないぞ)
ゴルディア様の満足気な声と共に、踏まれていた足先からの激痛は収まる。
裏でそんなやり取りがあったことを知らないであろうオリディアは、無邪気に笑顔を俺に向けてきた。
「カイト、約束だからね!」
「あ、あぁ……」
ゴルディア様の圧に負けて不本意な約束を取り付けられてしまったが、もはや運が悪かったと思って割り切るしかあるまい。
せめて、無理難題なことを要求されないように祈っておこう。
「ふむ、改めて本題に入るかの」
「はい。それで、何を知りたいのでしょうか?」
とは言ったものの、やはり身構えてしまう。
もちろん聞かれれば正直に全て話すつもりだが、ゴルディア様はそれで納得してくれるのだろうか。
「先に言っておくが、妾はお主がここに来た目的はとうに知っておるし、お主を遣わした者についてもある程度は察しがついていてな。正直なところ興味はない」
「さすがはゴルディア様ですね……」
どうやら俺が答えることは何もなさそうだ。
と思いきや、本命は別にあるらしく、真剣な眼差しで俺を見据えて意外なことを言い出したのである。
「じゃがな、お主には興味がある」
どうも俺自身に興味があるらしい。となると、事細かに自己紹介でもすればいいのだろうか。
ただ、どうして俺なんかに興味を抱いたんだろう。そこが気になるな。
「ゴルディア様、俺のどこが気になるのですか?」
「色々とじゃな。とはいえ、ここで一気に聞くのもちとつまらぬ」
「はぁ」
答えをはぐらかされてしまったが、少なくともこの場で根掘り葉掘り聞き出すつもりではないようだ。
なら、どうするつもりだろうか?
「そこで妾は思いついた。お主を噛み砕いて殺しかけた詫びに、客人としてしばらくもてなそうとな。そして、滞在する間にお主のことを少しずつ知ればよい。悪くないとは思わぬか?」
ゴルディア様が名案と言わんばかりにそう語った。
確かに『一石二鳥』になって都合がいいかもしれないけど、俺としては受け入れるわけにはいかない。
「いいね! わたしは賛成だよ。カイトもいいでしょ?」
「あの、せっかくの申し出ですが、こと……お゛っ」
またしても足先から激痛が走る。ゴルディア様の方に視線を向けると、穏やかな笑みを浮かべていた。
無論、目が笑ってない。
(カイト、何故断ろうとする? よもや不満だと?)
(いえ! そんなことは決してありません。ですが、俺にとっては身に余る待遇だと思いまして……)
本音は全然違うが、それを悟られないよう必死に考えないようにしていた。
(ほう、では“至宝の果実”がいらないと申すのか?)
(それは……もちろん欲しいです)
俺がここに来た目的を知っているというのはハッタリではなく、本当だったようだ。
となると、他にも色々と見抜かれているかもしれないな。
改めて末恐ろしく感じてしまうが……臆するわけにはいかない。
(ちなみに“至宝の果実”を貰い受ける為には何をすれば?)
(そうじゃな、まずは遠慮せず妾の提案を受け入れてもらおうか)
前提条件として、提案を飲まないといけないらしい。
絶対に貰える保証があるとは限らないが、それでも飲む以外の選択肢は無いだろう。
(答えは決まったか?)
(決まりました。しばらくの間お世話になります)
(うむうむ、歓迎するぞ)
「カイト、どうかしたの?」
無言になっていた俺を怪訝に思ったのか、オリディアが心配そうな表情で声をかけてきた。
裏でのやり取りを悟らせぬため、表情や声が硬くならないように努めて口を開く。
「少し考え込んでいただけで何でもないさ」
「ふーん。それで、カイトはしばらくここにいるの?」
「あぁ、しばらくお世話になるつもりだ。迷惑かけるかもしれないけど、よろしく頼む」
「やった! じゃあ、後で色々と案内してあげるね!」
そこまで喜ぶ理由が分からないが、歓迎されているようだし少し安心だ。
ただ、どうして俺が生身のままなのか。その疑問が未だに残っている。目覚めたら教えてもらえると言ってたと筈だが、肝心の教えてくれる人物はゴルディア様だったりするのだろうか?
そう思いながらゴルディア様に視線を向けると、偶然にも目が合う。すると、何かを思い出したかのように話しかけてきた。
「おっと、お主に大事なことを一つ伝え忘れておったな」
「と、言いますと?」
「うむ、お主は疑問に思っておろう。何故スキルが発動しないのか、とな」
「その通りですが、何か知っているのですか?」
やっと原因を教えてもらえる。と思って期待したが、色んな意味で期待を裏切られることになった。
「知ってるも何も、妾がお主のスキルを封じておるからの」
「ふ、封じている……?」
「そうじゃ、お主はまだ気づいておらぬようじゃが、“封印の首輪”という身につけた者の力を封じる特殊な首輪をつけてある」
中々にとんでもない首輪だ。
つまり、俺が生身でいられるのは、“封印の首輪”によってスキルを封じられているということになる。
にわかに信じがたい話だが、現に『鎧化』が発動してないのだから、本当なのだろう。
「にしても首輪か。気絶してる間につけられていたとはな」
首元を触ってみると、確かに首輪がつけられている。
触った感触的には金属製ではなく、軽い素材で作られていて不快感はない。そのおかげで今まで気づかなかったのだろうか。
ただ、この首輪を素手で破壊するのは無理だろうと思えた。
それと同時に、肝が冷えるような恐ろしい事実に気づいたのである。
「じゃあ、これを外さない限りずっと生身のままってことに……?」
「そうなるの。じゃが、ここに滞在する間は“封印の首輪”をつけてもらうぞ。鎧の体で生活なんぞ、味気がなかろうて」
「そんな……」
ゴルディア様なりの気遣いかもしれないが、俺にとっては余計なお世話でしかない。
まぁ、口が裂けてもそんなことを言えるわけないし、思考を読まれる前に考えるのは止めておこう。
「くっくっく、そんなに首輪を外したいのか? 外したければ、オリディアに乞うことだな」
「ふっふーん、わたしが鍵を持っているんだよっ」
自慢気な表情を浮かべ、白金色の鍵を俺の目の前でぶら下げた。
この鍵さえ手に入れば、『鎧化』はまた使えるようになる。しかし、奪い取るのは実質的に不可能。故に、ダメ元で頼み込んでみることにした。
「頼む、首輪を外してくれないか?」
「だーめ」
屈託のない可愛らしい笑顔でありながらも、無慈悲に拒んできた。
とはいえ、この程度は想定の範囲内である。おそらくオリディアのことだから、何らかの条件を付けるに違いない。
「……何をすればいい?」
「察しがいいね。条件は一つだけだよ。それはわたしと戦うこと。もちろん、カイトが負けたら首輪はまたつけてもらうから。あっ、その代わり何度でも挑戦してもいいよ」
「それはまた……」
ある程度は覚悟していたが、あまりにも厳しいとしか言いようがない。
『鎧化』が発動するようになったとしても、オリディアに負ければまた首輪をつけられてしまう。最終的には勝てなければ意味がない。
「そうかそうか、オリディアがそれでいいのなら妾は構わぬ。じゃが、最低でも三日間は控えておくんじゃぞ」
「はーい」
「三日間も……」
それまで俺は無事でいられるのだろうか。というか、三日間を無事に過ごしたとしてもオリディアに勝てる自信が皆無だ。もしかしなくとも長期戦になるかもしれない。
そして、目的である“至宝の果実”を手に入れることができるのだろうか?
そんな様々な不安を胸に抱き、俺をそっちのけにして話し合いを始めたオリディアとゴルディア様を呆然と眺めることしかできないでいた。
スキルが使えなくなってしまえば、カイトはただの脆弱な人間に過ぎない。
さて、無事に三日間を過ごすことはできるのでしょうか?