第四話 強敵の登場
(いやいや、きっちりゴブリンは殺しただろ。何を言っているんだ?)
反射的にそう反論した。
思い出したくはないが、ゴブリンたちの死体を見た限りでは確実に死んだと断言できる。
首があらぬ方向に曲がったり、顔面や頭部が盛大に陥没していたりするのだ。あの状態で死んだふりというのは、あり得ないとしか言いようがない。
だというのに、片付いてないとはどういうことだ?
(おや、どうやら言葉足らずみたいでしたね。理由はこの後すぐに分かることになると思いますが……最後の矢の意味を考えてみてはいかがでしょうか?)
(最後の矢……?あぁ、あれのことか)
言われて思い出したが、あの行動が未だに解せない。
気になる点があるとしたら、矢にしてはだいぶ音が出ていたことだろうか。これは気のせいではなく、はっきりと聞こえていた。
待てよ……俺のいた世界でも鏑矢という音を出す矢がある筈だ。確か合図に使われていたと聞いたな。
ということは、最後のゴブリンは合図を出したことになるのか?
それで、どこのどいつに対してだ?……ってもはや考えるまでもないな。どうせ群れの仲間に何かを伝えたに違いない。
ここまでくるとさすがに状況が飲み込めてきた。
「あれが警報音的な代物だとしたら……控えめに言ってマズいのでは?」
(ようやく理解できましたか。逃げる暇は無いと思いますので、後は頑張ってください)
最初から知っていたのならさっさと教えてくれればいいものを……この神様は不親切にも程がある。
いや、それ以前の話として、合意も無しに俺をこんなところに連れてきたのだ。もしや、まともな思考は持ち合わせていなのではなかろうか?
それならロクに説明をしてこないのは納得できるのだが、同時に凄まじい不安を抱いてしまう。
果たして……こんな調子で俺は無事に元の世界に帰れるのか?
神様の言う使命とやらも、まだ詳しくは内容を聞いていない。ただ、あの神様のことだから、酷く無理難題の可能性だってあり得る。
それを考えるとこれから先が思いやられそうだ。本当に、どうして俺はこんな目に遭わなくちゃいけないんだろうな。
(嘆くのはあなたの勝手ですが、無事に帰れるか帰れないかはあなたの努力次第とだけ言っておきます。まぁ、ゴブリンごときで弱音を吐くようでしたら、私が授ける使命を果たせるか怪しいものですね……)
「けっ、そろそろ黙ってくれ。お出ましのようだ」
何が俺の努力次第だよ。冗談じゃねぇ……とは言っても、愚痴を言う暇はもうないか。
さっきまで辺りは静かだったのに、少し遠くから鳴き声やら足音が聞こえて、一気に騒々しくなってきている。俺の元に集まってきたな、間違いなく。
しかも絶え間なく鳴き声が聞こえているから相当な数であることは容易く想像がつく。既に包囲されているだろうし、逃げ道は無いと考えた方がいいだろう。
ま、神様はゴブリンの一掃を注文しているからな。ここで逃げ出すのはNGってことになる。つまり、片っ端から殺し続けないといけないのか。なかなかにクレイジーではあるが、それ以外の選択肢が今はない。
それに、この鎧というか神様から授かったこのスキルがあれば俺は傷を負うことがほぼなく、一方的にゴブリンを殺すことができるもんな。
色々と思うところはあるが、神様から貰ったこのスキルは本当にありがたい。地味で派手さはなくとも、これでも十分にやれそうだ。
「後は……俺がどれだけやれるかだな」
いくら傷つかないといえども、疲労は別問題である。今のところはまだ疲れていない。スキルで身に着けているこの鎧も特別仕様なのか、重さはほとんどを感じない。
体力的に考えてもしばらくは持つだろう。それでも、ゴブリンの数次第では俺が疲労で動けなく可能性は十分にあり得る筈だ。
やれやれ……どう考えてもハードモード過ぎじゃないか?
「グギャッ!ギャーッ!」
「………やる気満々だな」
目の前に躍り出てきたゴブリンは威勢よく鳴き声を上げ、その瞳は闘志で漲っている。
それから続々とゴブリンは出てきて途中から数えるのを諦めたが、最低でも百体は優に超えているのは確実だ。しかし出てきていない分を数えたら、どれほどの数になることやら……想像もつかないな。
それでいて、全員が俺に殺気を向けているのをひしひしと感じた。俺を絶対に殺したいのだろうか。
いやはや、人気者は困ったものだ……。そろそろふざけるのは止めておこう。さすがに俺も本気にならないと、向こうの勢いに飲み込まれかねん。
「さぁて、頑張るとするかね」
これも元の世界に帰るためだ。こんなところで死にたくもないし、やれるだけの事はやろう。
そう決心し、俺は目の前のゴブリンに殴りかかった。
「ギャバッ!?」
数の有利で慢心していたのか、ロクな回避行動を取ることもせずに目の前のゴブリンは脳天に拳を受けてしまう。そして脳漿をまき散らしながら断末魔を上げて、あっさりと死んでいった。
こうして、俺の先制攻撃によって戦いの幕が切って落とされたのである。
おかしい。何かがおかしい。
ゴブリンを一方的に殺し続けながらも、俺は強烈な違和感を抱き始めていた。
「まったく、いったいどうなっているんだ?」
体感的に一時間近くずっと殺しているが、ゴブリンたちは諦めずに立ち向かってきている。変化があるとしたら、俺に向けられる殺気が薄れていったことだろうか。
数えるのが億劫になる程に殺しているのだから、向こうの戦意はだいぶ削がれている筈だ。
そのうえ絶え間なく短剣やこん棒、矢といった様々な武器の攻撃を受けても、俺は未だに無傷。どちらが優勢なのかは一目瞭然である。にもかかわらず、ゴブリンたちは諦める気配を見せない。それなりの理由がありそうだ。
いや、ゴブリンたちが諦めないのも疑問ではあるが、それ以上に凄まじい違和感を抱いている。
……どういうわけか、疲労をほとんど感じていないのだ。俺自身でも信じられない程の怪力になったことに加え、疲労感が無いことに関してはありがたいと言えばありがたい。
だが、文字通り人間離れしているような感じがする。
それだけじゃなく、辺りにはおびただしい量の血肉が散乱していて嗅ぎたくもない匂いが漂っている筈だ。なのに一切匂わない。嗅覚が麻痺していても、ここまで無臭に感じるのはおかしい。
挙句の果てには、何体かのゴブリンは俺の身体に取り付いて鎧の隙間に短剣を差し込んだり、頭を石で殴ったりしきたのに悉くが無駄に終わっている。
短剣が鎧の隙間に差し込まれても肉体に突き刺さる感覚は無く、それを不思議に思いながらゴブリンの首をへし折って殺した。
背中に取り付いたゴブリンは、自身の頭よりも遥かに大きい石を両手で持ち上げて、何度も何度も俺の後頭部に叩きつけている。鎧が頑丈といえども、頭部に衝撃を与えたら気絶するかも知れない。それを狙っているのだろう。
しかし、ある程度の衝撃や痛みを感じても意識が遠のく気配はほとんどないのだ。それから冷静に背中に手を回してはゴブリンを掴み、そのまま何事もなく身体を握り潰して殺すことができた。
結果として助かってはいるけど、ここまで常軌を逸していると気味が悪いとすら思える。まだ片付いてはいないが、いい加減に聞き出さないと気になってしょうがない。
(神様さんよ……これはどういうことだ?そろそろ教えてくれたっていいだろ)
(あなたも相変わらずですね。もう少しは敬ってもいいでしょうに)
(茶化すな。俺の身体はいったいどうなっている)
(…………仕方ありませんね。落ち着いた状態で聞かせた方がよかれと思ったのですが、あなたがどうしてもと言うのなら教えてあげましょう)
考え込んでいたのか、返答にだいぶ間があった。それでもやっと教えてくれる気になったのは助かる。
ただ、ゴブリンたちはこっちの事情などお構いなしに現在進行で襲い掛かってきている。
煩わしいと言えば煩わしいものだが、会話をしてようがこの鎧を纏っている限りゴブリン相手に不覚を取ることはないだろう。
ここで問題になりそうなことと言えば……やはり、神様がこれから教えてくれる内容次第だな。
心して聞いておこう。
(まず、結論から言いますと……あなたのはスキルによって鎧そのものになっています)
(す、すまない、もう一度だけ言ってくれないか?)
一瞬だけ、頭の中が『?』で埋め尽くされたのだが。
神様が何を言っているのか、まるで理解できない。俺の身体が鎧そのものって……冗談にしては質が悪すぎじゃないか?
(私としては真面目に答えたつもりです。ちなみに、そのスキルの名前は『鎧化』と名付けています。シンプルで分かりやすいと思いませんか?)
(待て……待て……。じゃあ、あれか……俺の身体は鎧になっているんだな?)
今までのことを思い出すと、辻褄は合う。
鎧の身体なら疲労を感じることはないだろうし、匂いを感じないのも嗅覚の機能が無いからだろう。
それでいて鎧の隙間に短剣を差し込まれても痛みを感じないのは、中に俺の身体が無いからな。で、頭部に衝撃を感じて気絶することがなかったのも、同じ理由ってわけだ。
だけどな、理解できないことが一つだけある。
(鎧の身体になっているのに、どうして痛みとかは感じるんだ?)
(痛みに対してあまりにも鈍感過ぎると、不注意になってしまいますからね。無敵になったと勘違いされるのも困りますし)
確かにそれは一理あるな。鎧が頑丈といえども、その強度はさすがに限界がある筈だ。世界で一番硬いと言われているダイアモンドがハンマーで砕かれるのと同じように、『鎧化』による頑丈な鎧もいつかは砕かれるに違いない。
砕かれないようにする為にも痛みで攻撃の脅威を判断し、避けるべき攻撃は避けたらいいんだな。
そう考えながらゴブリンをサッカーボールのように蹴ったけど、威力が足りなかったらしく苦しみな悶えがらも生き延びている。
それからゲームでも見たことのあるようなビンをポーチから取り出して、不味そうに飲み干すのであった。回復ポーションだろうかと思いつつ、ゴブリンがそんなアイテムを持っていることに疑問を抱くが、それよりも気になることが頭の中で思い浮かんだ。
(ちなみに聞くけど、今の状態で嗅覚が無いとしたら……味覚の方はどうなっているんだ?)
(えぇ、もちろんありませんよ。特に必要性がないですから。当然、今のあたなは人間の身体ではないので食欲、睡眠欲、性欲とは無縁とも言えます)
やっぱり、予想は当たっていたか。
しっかしまぁ……神様の話を聞く限りでは、今の俺って戦闘用のマシーンみたいだ。こっちの世界で言うなら、戦闘用のゴーレムってところかな。しかも三大欲求に悩まされる必要もないときた。
だけどなぁ。そこだけを聞くと、完全に人間として大事な何かが失ってしまいそう気がするが……元の姿に戻りさえすれば、飯を食ったりはできるだろうし、今は気にしなくてもいいんだよな?
(残念ですが……元の姿に戻れません)
(……何て言った?)
(ですから『鎧化』のスキルが発動してしまった以上、あなたの意思で元の姿に戻れません)
(いやいやいやいや、ふざけんじゃねぇ!)
とんだ地雷スキルじゃねぇか!いついかなる時でもこんな姿でいろってことかよ! それだけじゃなくて嗅覚も無ければ味覚も無いとか、食べる楽しみさえも奪いやがったな!
こんなのあり得ねぇ、ふざけていやがる!
(ふざけているつもりはないのですけどね。あなたが簡単に死なれたら私が面倒なので、念には念を入れたまでですよ)
(俺の為じゃなくて、あんたの都合の為かよ!)
(その通りです。あなたの都合なんて関係ありませんから)
(よくもまぁ、あっさりと言ってくれるな!)
ますますこの先が思いやられる。
まるで悪夢を見させられている気分だ。いっその事、今までのことが夢であってくれるといいんだが、そうもいかねぇんだろうなぁ。
はぁ……何で俺がこんな目に遭わなくちゃいけないだ。平穏だった生活を奪われただけじゃなく、人としての生き方さえも奪われるだなんて……色んな意味でお先が真っ暗だぜ。
本当に、理不尽にも程があるだろ。
(あなたは何度嘆いたら気が済むんですかね。元の姿に戻って元の世界に帰りたければ、私の使命を果たせばいいのですから。ですが、先にゴブリンを片付けなさい。使命を授けるのはその後です)
「分ったよ!やってやるよ!」
自分に言い聞かせるようにそう叫んだ。
逃げ出すまで殺すつもりだったが、こうなったら仕方ねぇ。俺の為に死んでもらうしかない。
そもそも、神様の言う使命なんてまだ聞いてすらいないしな。コイツ等をさっさと片付けてから、使命を聞き出すとしよう。
「おい、もっと一斉に掛かって来な。まとめて潰してやるからよ!」
半ば自棄になっている自覚はある。
普段ならこんなことを口にすることはないだろう。元より、喧嘩とは全く無縁な生活を送っていた。今の状況があまりにも異常すぎるだけだ。
らしくはないが、それだけ頭に血が上っているのだろう。
あ、頭に上る血なんて今は無いんだっけか。まぁ、いいや。とにかくゴブリンどもを殺そう。
そう思っていたのだが、唐突に背後から恐ろしい殺気を感じると同時に、聞いたこともない声が聞こえて事態は一転した。
もちろん悪い意味でだ。
「貴様か……よくも多くの部下を殺してくれたな」
「あぁ?」
振り向くと、そこには大量のゴブリンを引き連れた男が鋭い目付きで俺を睨みつけながら立っていた。
ただし、見た目からして人間ではなさそうだ。
日に当たってないとでも言いたげな若干の青味が混じった白い肌に、光沢のある美しい銀髪のロングで、瞳はルビーのように紅く煌めいていて、さらに精巧に彫刻された石像かのごとく異様なまでに顔立ちが整っている。
街中で歩いていたら、きっと誰もがイケメンや美男子と口にすることに違いない。そんな人物が俺を睨みつけているけど、それでさえも上等な絵になりそうだ。
しかし、もっと目を引くべき箇所があり、それが人間ではない証拠でもある。それは……頭部から生えていると思わしき角のことだ。
頭髪の間から生えている二本の角は光沢のある黒曜石のようで、少し歪に捻じれている。コスプレの一種なのだろうかと思ったが、生やしている人物が恐ろしく美形ということもあってある種の芸術性を感じてしまう。
とは言え、重要なのは見た目ではない。何故なら……
「あんたは……もしかして魔人か?」
そう、これもゲームで知っていたことなのだが、見た目からして魔族以外にあり得ないのだ。
ゲーム内においては魔人は滅多に見つからないせいか極めて珍しい種族でもある。そんな理由もあって、いつ出会っても即座に識別できるようにと魔人の特徴だけは頭に叩き込んでいた。特徴と言っても黒曜石めいた角が生えていて、肌が白く、美形であることが条件だから分かりやすいけどね。
ちなみに、俺の運が悪いのかゲーム内では魔人を拝めなかったし、自力で拝みたいと思ったせいでネット上に出回っている画像は見なかった。故に、拝むのは今回が初めてであるうえに、画面越しではなく本物だから驚きだ。
でも、まさか異世界に来て早々に魔人の姿を拝めることができるとはな……。つっても、それで運が良いとは限らない。
「貴様の言うとおり魔人だが、驚くことなく言い当てたということは他に同胞を見たことがあるのか?」
そう言って、銀髪の魔人は否定することなく肯定した。
「お、やっぱり魔人だったか。だとしたらちょっとマズいか……」
全くお目に掛かれない魔人を見れてさらに想像していたよりも遥かに美形だったから嬉しいと思う反面、こんなところで会いたくなかったと思った。
というのも、魔人は珍しい種族ではあると同時に恐ろしく戦闘に特化した種族であると記憶しているからだ。基本的には魔法による攻撃がメインで、中には武器に魔法を付与してから、近接での戦闘を好む者までいるらしい。
目の前の魔人はどうだろうか?
一目で精巧な作りと分かる漆黒の鎧を身に纏っていて、きめ細かな装飾が施されている鞘を腰に下げているところを見ると近接戦もそれなりにこなせそうに見える。
だが、向こうが魔法による遠距離での攻撃に徹したら俺に勝ち目があるかは怪しい。
そこまで考えていると、銀髪の魔人は不機嫌な表情を浮かべていた。しかも、ゴブリンどもとは比べものにならない殺気を放っていて、俺を絶対に殺すという強い意思が感じられる。
「ふん、こちらの問いには答えないということか。随分となめられたものだな。だが、どこまでその余裕が持つかな。覚悟するがいい!」
「勘弁してくれよ……」
ゴブリンどもを部下と言っていた辺りから、この展開は避けられないと既に悟っていた。
ただ……ゴブリンを手下にする魔人とか聞いたこともないな。魔人の戦闘能力を考えるとあまりにも不釣り合いだし、もっと強力なモンスターを手下にすると聞いたことがあるんだが。
ま、向こうにはそれなりの理由があるかもしれないが、今はそんなことを考えている場合ではないな。
現に鞘から長剣を引き抜いて既に構えているのだから。
「これは部下の敵討ちの為でもある。本気で行かせてもらうぞ!」
「部下思いのいい上司だなぁ」
思わず口にしてしまった。
今現在、俺の上司にあたる人物と言えばあの神様くらいしか思いつかないが、きっと俺が死んだところで悲しんだりはしないだろう。俺のことなんか道具程度にしか見ていてもおかしくはないし、どうせ仮に死んでしまったとしても、次を探すのが面倒としか思わない筈だ。
いやー、上司ガチャでハズレを引いたってやつかな?
(あなたの想像通り悲しんだりはしませんが、それなりに評価はしていますので死なれたら困りますね。ですからここは隙を見て逃げなさい)
(逃げろって言うのか?ゴブリンどもを片付けろと言っていたのに、今度は正反対のことを言うんだな。それだけあの魔人が危険なのか……?)
そして銀髪の魔人が長剣の切っ先を向けた次の瞬間、神様が「逃げなさい」と言った理由をこの身で理解させられるのであった。
「何を呆けている!喰らうがいい!『黒爆』!」
「えっ?」
攻撃の魔法と思わしき、聞いたこともない魔法を唱えたということもあってか、つい戸惑の声を上げてしまった。
どんな魔法なのかと警戒すると、俺の目の前にこぶし大の黒い塊が唐突に出現し、それから瞬時に膨張したと思いきや破裂して強烈な爆発を引き起こしたのだ。