第二話 初めての異世界
土や草の匂いがする。
それを認識した瞬間、意識が覚醒して俺は目を覚ました。次に身体を起こすと、自分の身体をペタペタと触って、異常が無いかを確認する。
よし、今のところはあからさまな異常は無さそうだ。
で、問題は……どこだここは?
さすがに見て分かるが、俺の部屋ではないな。
周りを見渡すと木々がが生い茂っていて、足元の地面には草が生えている。まるで林や森といった自然の中にいるみたいだ。
というか、それ以外に考えられないのだが。
それに、手持ちに携帯端末が無いおかげで今の場所は分かりそうにない。
いや、あったところで電波が届かない可能性もあるか……それでも無いよりかはマシなんだよなぁ。いざという時はライトとして使えるし。
本当にどうしたものか。
そもそも、どうして俺はこんな場所なんかにいるんだ?お願いだから誰か説明してくれ……なーんてな。周りには誰もいないっていうのに、説明なんてされるわけがねぇよな。我ながら何を考えているんだか。
と、そう内心で諦めていたその時である。
(いいでしょう。少しばかりあなたに教えてあげます)
「は……?」
幻聴の類か? 急に頭の中で、男なのか女なのか判別がつかない不思議な声が響いた。
おかしいな、俺は幻聴が聞こえるまで精神的に追い詰められていた覚えはないぞ。だとしたら……俺がさっき聞こえた声はいったい?
(神の声とでも思っていなさい。それから、あなたには重要な使命を授けます)
「えっ? ちょ、ちょっと待ってくれ」
おいおいおい、いきなり神の声ってどういうことだよ。自分で言ってる辺りがかなり胡散臭いんだが。それにいきなり使命を与えるだなんて、いくらなんでも唐突過ぎて訳が分からん。
これなら幻聴の類であった方がまだマシなんだけど、はっきりと聞こえているし、そうでもなさそうだ。
だとしたら……本当に神様だっていうのか?
本当に神だったとしても、俺なんかにどういう使命を授けるのかねぇ。見当もつかない。
(時間がありませんので、手短にお話しします)
「わ、分かった……」
ここは大人しく聞いた方がよさげだな。何というか……反射的にそう思ってしまった。より具体的に言えば、時間が無いからこれ以上は教えられないという最悪の展開を恐れたからだ。
何であれ、人の話はよく聞いておいた方がいいからな……特に損はしないし、場合によってはかなりのプラスになる。
(先に言っておきます。あなたをこちら側の世界に召喚したのは私です)
「おう、ちょっと待てや。いきなり聞き捨てられないことを言ってくれるじゃねぇか」
大人しく話を聞く? 知るかそんなこと。
偶然ならまだしも、わざと俺をこんな訳の分からない状況に追いやった張本人が相手なんだぞ。落ち着いてられるか。
というか、今さら思い出したけどあの黒男はどうしたんだ。見たところ、どこにもいないが……。
(あぁ、あなたの言う男はこちら側の世界にはいません。今頃、あなたのいた世界で平穏な生活を満喫しているのではないのでしょうか)
「はぁ……そうかい」
とりあえず、黒男は置いておくとして、何を言っているのかサッパリ分からん。いや、より正確に言えば……理解を拒みたいというのが本音である。
だけどさぁ、神様が『こちら側の世界』と『あなたのいた世界』と言うのなら、嫌でも想像がついてしまうんだよなぁ。
所謂、異世界ってところに俺は来てしまったのか?
(理解が早くて助かります)
「ま、待ってくれ、俺はまだ信用なんてしていないぞ」
あくまでも、そういう仮定をしたにすぎない。
今からでも嘘でしたとか言われたら、それで納得してしまいそうだ。(それはそれでどういう種明かしをしてくれるか、非常に気になるけど)
本当に俺のいる場所が異世界で、本当に俺の頭の中で響く声の持ち主が神様だとするのなら、その証拠を見せてもらいたいね。
詳しい話はそれからだ。
(……いいでしょう。先程から、あなたのような人間ごときがこの私に口答えするのは少々気に食わないですが……警戒心からくるものでしたら今だけは目を瞑ってあげます)
俺のことをだいぶ見下しているんだな……。
ま、自分で自分の事を神様とか言っていたし、俺のことなんて下等な生き物と認識していてもおかしくはないか。
別に俺がどう思われても構わないけど、とにかくここが異世界ある証拠だけでも見せてもらいたい。
神様云々については……本物だったらどうしよう。馴れ馴れしい口調で話してしまっていたしなぁ。今さどうしようないよなぁ
とりあえず、そのことについては目を瞑るとか言っていたし、大丈夫だよね?
(散々強気でいたのに、実は小心者なのですね……。でしたら、私が神であることを証明したら、私に対する態度も少しは変わるのでしょうか?)
「さ、さぁね? それは証明してから分かるんじゃないかな……」
どことなく俺の声が震えているような気がするが、きっと気のせいだ。なんにせよ、証明してもらわないと話が進まない。
ただ、どうやって証明してくれるんだろうな。
でもなぁ……それが気になると同時に、嫌な予感がする。
(そうですね。説明が終わってから力……もといスキルを授ける予定でしたが、あなたには拒否権がないことですし、結果は変わらないので先に授けておきましょう)
「なんでいきなり不穏なことを言うんだよぉ!!」
嫌な予感が的中し、喚いている間にも俺に変化が訪れてしまっている。
頭の中に異物のような何かが入り込んでくるのを感じる。はっきり言って、もの凄く気持ちが悪い。
まるで、頭の中が攪拌されているみたいだ。それから、身体の奥底から力が湧き上がる感じがしたと思えば、一気に熱くなってきた。
サウナに入っているわけでもないのに、尋常じゃない量の汗をかいてしまっている。様々な異常が俺の身体に起きて、物凄く気持ち悪い。
だけど、それは思いのほかすぐに治まって落ち着いた。
(どうです?これで認める気になりましたか?)
なんだろう、声からしてドヤ顔してそうな気がするんだが。
それはいいとして、解ったというよりも強制的に解らせられたせいで、認めざるを得ないな。
具体的には言えないけど、異質な何かを俺にぶち込んだことは確実だ。たぶん、それが神様の言うスキルのことなんだろう。
そして、こんな芸当ができるのは、まさしく……人知を超えた存在としか思えない。
これなら確かに、神様だとしても不思議じゃないな。
「で、それはいいとして、俺にどんなスキルを授けたんだ?」
(口調は相変わらずですか……。まぁ、それもいいでしょう。あなたに授けたスキルは二つありますが、時間が無いので実戦で試してください)
「え、実戦?」
実戦ってどういうことだよ。俺は何をしたらいいんだ。
だいたいなぁ、心の準備とかできちゃいないのに、いきなりというのは勘弁してほしいんだけど。
……というか、さっきから周りの草むらから音が聞こえるのは、俺の気のせいだよな。そうなんだよなぁ?
(いいえ、気のせいではありません。それにいい機会ですし、ここがあなたの言う異世界であることを認識するには、もってこいだと思いますよ)
「へぇー、いい機会か……」
またしても嫌な予感しかしねぇ。最初に時間が無いと言っていたのは、こうなると分かっていたからか……。
これならさっさと異世界だと認めていた方がよかったな。
そうしたら、穏便に詳しく教えてもらえたかもしれないのに。
でも、結果論を言ったところで、もはやどうしようもないのも事実だ
現に、草むらからの音は大きくなっている。もう腹を括るしかないようだ。
(そう不安になる必要はないですよ。あの程度なら、余程のことがなければ死ぬことはないでしょうし)
「おーい、その言い方だと下手をしたら死ぬ可能性もあるんじゃ……?」
(……否定はしません)
「そこは否定してくれよ……」
余計に不安を煽っているだけじゃねぇか。どこに安心要素があるんだよ。
やっぱりあれか、これってモンスターが襲い掛かってくるパターンだろ。
もしも、ここで俺が死ぬとしたら、モンスターに殺される以外に考えられない。一応、異世界なら盗賊という線もあり得るが、人らしからぬ鳴き声が聞こえてきたし、それは考えにくい。
「グギャッ、グギャギャ?」
「あからさまに聞こえているんだからさ、隠れている意味がないよな……」
鳴き声からして、たぶんゴブリンかな。
ゲームでも、似たような鳴き声していたし、間違いないと思う。
だが、ここである疑問が生まれる。ゲームと異世界のゴブリンの鳴き声が一緒、ということは普通にあり得るのか?
もしかして、ここはゲームの世界だったりして……。
(ゲーム? というのは分りませんが、ここは紛れもなくあなたの言う異世界ですよ)
「だよねー」
即座に否定された。
まー、今のところはどう見てもゲームっぽくないしな。メニュー画面やステータス画面が浮かんでくることもないし。
試しに念じてはみたけど、そういうのが出てくる気配が感じられなかった。
それはともかくとして……この状況はどうしたものかね。
「ちなみに聞くけど、俺に授けたスキルって、所謂……チートスキル的な強力な代物なのか?」
(チートという言葉もよく分りませんが、そこまで強くないです。あなた自身が成長したら、強力になる可能性はありますが)
えぇ……絶対に今は微妙なやつだろ。俺が成長して強力になるとしてもだ。それは大器晩成型だよな。
もしそうだとしたら、異世界でいきなりハードモードになりそうなんだが。
先行きが不安になってくるな。
あっさりとゴブリンに殺されてもおかしくなさそうだ。
(言い忘れていましたけど、それは片方のことです。もう片方のスキルでしたら、恐ろしく強力ですよ)
「おおっ! それなら期待できそうだな!」
先に言って欲しかったと言いたいところだが。気分がいいから、別に言わなくてもいいや。
よしよし、そんな力があるのなら、ゴブリンなんて簡単に片付くだろうよ。
いやー、ゲームとかならともかく、実際に生身で喧嘩とか戦いは、一度もしたことがなかったからなぁ。
これで少しは安心できたぜ。
(水を差すようで悪いですが、今のあなたにはそれを使いこなすどころか、まず身体が耐えきれず死にますね)
「???」
何を言っているんだ? 酷い手のひら返しをされてしまったんだが。
死ぬ? どうして死んじまうんだ?
訳が分からない。物騒過ぎて使えるわけがないじゃん。
本当に俺にどうしろと? まさかこのまま死ねと言いたいのか。
(そういう訳ではありません。先に言っていた前者のスキルと組み合わせて使うと、数秒くらいはあなたの身体も保ちますよ)
ますます訳が分からない。
後者のスキルを使うにしても、先に前者のスキルを使うことが前提ということになるのか?
もし、仮にそうだとしても、その理屈が分からん。まるで想像もつかない。
ただ、残念なことにそれを考える時間は無いようだ。
(そろそろ来ますよ)
頭の中で警告の声が聞こえた瞬間。茂みの奥から何かが飛んできて足元に突き刺さる。
それを開始の合図にしていたのか、緑色の肌で俺よりも小さいモンスターたちが、草むらから一斉に出てきやがった。
やはりというか、見た目からしてゴブリンだな。
数は多くはないが、それでも短剣のような武器を装備した三体だ。しかし、足元に突き刺さっているのは矢である。
そうなってくると、弓矢を装備した奴は後ろで隠れているに違いない。この推測が正しければ、全部で四体になる。
さらに付け加えると、ゴブリンは群れで暮らしているモンスターだから、この四体の他にも仲間がいてもおかしくはない。
「マズいなぁ……」
思わずそう呟くが、それに対して神様が緊張感のない声で問いかけてくる。
(どうしたのです?戦わないのですか?)
気楽に言ってくれるぜ。
事実上、神様が俺に授けたスキルがまともに使えそうにもないのに、戦えるわけがない。丸腰でゴブリンの群れに挑むなんて、自殺行為にも等しいぞ。
「グギャギャ!グギャー!」
思い悩んでいると、一体が前に出てきて威嚇するように殺気の籠った鳴き声を上げてきた。
でも、さっきも言っていたように、ゲームで見たことがあるせいでそこまで怖いとは思わない。ただし、それでも油断は禁物だ。放たれる殺気は本物で短剣を装備しているのだから、刺されば痛いのは想像がつく。そして刺された場所によっては致命傷にもなる。
しかも、向こうは数で勝っていて俺は丸腰で一人だ。
うん、どう見ても俺が圧倒的に不利だな。そうだなぁ。ここはひとまず……。
「仕方ない。逃げるか」
そう宣言し、ゴブリンたちに背を向けて走り出した。
弓矢の追撃を警戒して振り返る。するとゴブリンたちも走り出していて、俺を追いかけるつもりのようだ。
まったく……さすがにゲームみたいに、あっさりとは見逃してはくれないか。それにしても、逃がさないという気迫を感じるのは俺の気のせいだろうか。
いやぁ、つくづく思う。
どうして俺はこんな目に遭っているんだろうね? 下手をしなくとも、俺はここで殺されてしまいそうなんだぜ? 俺は何も悪いことをした覚えがないんだが?
(さぁ、それはどうしてでしょうね?)
「張本人が、何をぬけぬけと言っていやがるんだ……」
本当に神様だっとしても、敬う気にはなれないな。
どんなに偉くて、人知を超えた存在だったとしても、絶対にろくでもない存在であることが分かった。
本当に……俺はこれからどうしたらいいんだ? そもそも、元の世界に帰れるのか?
(あぁ、そのことについて伝えるのを忘れていましたね。元の世界に帰りたければ、私が授ける使命を果たしなさい)
「マジかよ……」
ついで感覚で言って欲しくなかったし、一気に気が重くなった。もはや不幸だとか叫ぶ気にはなれない。というか、そんな余裕はない。
だが、敢えて言うなら……。
「こんなの理不尽過ぎるだろ……」
そして、話は冒頭に戻る。