第二十八話 魔獣の森 ②
「ガウッ!」
「ガルルッ!」
「ゴブリン程じゃないけど……数が多いのは少し面倒だな」
フォレストタイガーの死体があった場所から離れて数分後、今度はモンスターの群れに囲まれてしまった。
「いやぁ、こんなにも早く遭遇するとは思わなかったぜ」
とは言ったものの、フォレストタイガーよりも格下のモンスターが群れているだけだ。故に緊張感などは皆無で、むしろ余裕過ぎて欠伸出てしまいそうですらある。
「まぁ……欠伸なんて出ないけど」
今の身体では欠伸なんてできる筈もない。
とりあえず、そんな悲しい事実は置いておくとして……邪魔なコイツらを片付けてさっさと奥に進むとしよう。
「にしてもフォレストウルフねぇ。ゴブリンよりも一つ格上のランク『E』で、群れの規模によってランクが『C-』とか『C』に跳ね上がるんだったよな」
見た目こそ狼に近いが、フォレストタイガーと同じく毛皮は緑色となっている。外部の攻略サイトによると、森の中で身を隠すのに特化していて獲物を待ち伏せる習性があると記載されていた。
にもかかわらず、コイツ等はどういうわけか待ち伏せをせず、森の奥から走ってやって来たから何かおかしい。
「まさかとは思うが……血の匂いのせいか?」
見た目が狼に近いのなら嗅覚が鋭くて、手や口元に拭いきれなかった血を遠くから嗅ぎ分けることができてもおかしくはない。
うーん、俺自身の嗅覚がないせいで、血の匂いに気づけなかったのがマズかったな。
「やれやれ、これじゃ自分からモンスターを誘引しているみたいなものか。どうしたものかねぇ……」
そんな俺の嘆きをよそに、遂にフォレストウルフたちが一斉に襲い掛かってきた。
「「「ガウッ!!」」」
襲い掛かってくる様子を眺め、俺は何もしなかった。いや、どんな結果になるのかなんて既に分かり切っているから、何もする必要が無い。と言うのが正しいだろう。
そして、フォレストウルフたちが思い思いに俺の身体に噛み付いた瞬間には、情けない鳴き声を上げていた。
「「「キャウンッ!?」」」
「やっぱり、歯が立たないよな」
所詮は群れないと狩りを行えない格下モンスターだ。いくら束になったとしても、俺を殺すことはできはしまい。
だが、めげずに今度は爪で攻撃してきた。全く通用しないとも知らずに。
「おいおい、無駄は真似は止めとけって」
当然だが、フォレストウルフは攻撃を止めることはなかった。それでいて、巧みな連携で全方位から絶え間なく攻撃してきている。
判断能力はともかくとして、群れた時の連携には目を見張るものがあるな。
「つっても……無意味なんだよなぁ」
爪で攻撃されたとしても、耳障りな音を立てるだけでほとんど無傷。この調子ならそのうち諦めるかもしれないし、殺すのは面倒だからしばらく様子見してみるか。
と思って少し放置していたが、攻撃を止める気配が全く感じられなかった。
「どうしたんだコイツら……」
よく観察してみると、目が血走っていて興奮しているようにも見えて異様に感じる。そういや凶暴化しているって聞いていたけど、そのせいなのか?
なんにせよ、諦めないのなら当初の予定通りに殺すしかない。
「あーあ、返り血には気をつけたいところだけど……上手くできるかな」
今は左手にはコンパスを、右手にはフォレストタイガーの爪が握られている。おかげで両手が塞がっていて、殺すとしたら足で蹴り殺すしかないが……果たしてどうなるのやら。
「まっ、悪く思わないでくれよ」
そう詫びを入れつつ、手近なフォレストウルフの脇腹を強めに蹴り飛ばした。すると優に数メートル以上は宙を飛び、木の幹に激突しては地面に落ち、ピクリとも動かなくなった。言うまでもなく、死んだのは確実だ。
ひとまずは殺すことはできた。が、目の前で仲間が殺されたというのに、フォレストウルフたちは相変わらず攻撃を仕掛けているのだ。その様子を見て少し気味が悪いとさえ思ってしまう。
「もしかして……正気を失っているのか?」
だとしたら、これまでの異常な行動にも納得がいく。何があったのか気になるところだけど、そんなことを考える前にまずはコイツらを片付けることにしよう。
それから数分もかからず、計七匹のフォレストウルフの死体が地面に横たわっていた。
「どいつもこいつも、結局は逃げなかったか……」
最後の一匹だけになろうとも、フォレストウルフは無謀にも攻撃を仕掛けていたのだ。もはや正気を失っているとしか言いようがない。
きっと何らかの原因があると思うのだが、現状では知る手立てが皆無に等しく、情報が少なすぎて推測すらもできそうにない。ここはあまり深く考えず、先に進むことを優先した方が賢明かもしれないな。
ただ……確実に言えるとしたら一つだけ不安要素が増えたことだろう。
「この奥にも正気を失ったモンスターがいる可能性は十分にあり得るよな」
先程のフォレストウルフのように殺されるまで攻撃し続けてくるとなれば、否応なしに時間が掛かるから難点だ。
それを避ける為にも、モンスターを引き寄せてしまう血の匂いが付かないように気をつけなければ。
「できる限り血を拭ったし、すぐに遭遇することはないだろう。たぶん……」
と口にしたところで、唐突に頭上から木の枝が揺れるような音がした。
「うん?」
嫌な予感がして頭上を見上げると案の定モンスターがいて、しかも色んな意味で遭遇したくない面倒な連中だった。
「ウキーッ!」
「キキーッ!」
「げぇっ!よりにもよってアイツらかよ……」
頭上の木の枝に居座り、鳴き声を上げるモンスターの名前はフォレストストーカー。見た目は猿に近いが聴覚が発達しているらしく耳が大きい。そしてこのモンスターもまた緑色の毛皮であり、フォレストウルフと同じく群れで狩りを行う。
ただし、コイツらの狩りは一味違うというか……あまりにも陰湿過ぎて、悪い意味で有名だったりもする。名前からある程度は推測できるように、森に入ってきた獲物を延々とストーキングするからだ。
「コイツら……獲物が弱って安全に狩ることができるまで付いて来るんだよな」
そのうえ、戦ってる途中に枝や小石を頭上から投げつけてきたり、野次を飛ばすように耳障りな鳴き声を上げたりなどといった嫌がらせをしてくるから余計に質が悪い。故に、このモンスターはほとんどのプレイヤーから忌み嫌われている。
もちろん俺だって嫌いだ。前に苛立って殺そうとしたことがあるが、枝の上をすばしっこく動き回るから弓は碌に当たらず、何とかして地面に落としたとしても意外なことに怪力の持ち主であり、地上では暴れ回って殺すのに手こずったものだ。
で、やっとの思いで一匹を殺したのはいいものの……仲間が殺されたことにより、激怒した他のフォレストストーカーたちに襲われ、結果として集団リンチに遭って殺されてしまった。
「ホント、嫌な思い出だぜ」
そんなフォレストストーカーだが、陰湿さや地味に高い戦闘能力を加味すると単体ではランク『E+』で、群れの規模次第では『B-』相当にもなり得る厄介なモンスターである。こんな連中に目を付けられてしまったから、運が悪すぎると嘆きたくなる。
「はぁ……今すぐに何かをしてこないだけまだマシな方か」
少なくとも、戦っている途中に嫌がらせをしてきた程度では鎧の身体となっている俺にとっては妨害にすらならん。
ただ、耳障りな鳴き声を延々と聞かされるのは勘弁してほしい。聞いていると無性に苛立ってしまう。
しかし、枝の上にいるから手の出しようがない。
「仕方ない。ここは無視して先に進むか」
だが、この場でコイツらを殺さなかったおかげで、様々な事態を招いてしまう要因になるのであった。
まず最初は数分後のことである。
「キー!キキー!」
「ウキッ!」
「キィッ!キー!」
「うるせぇ……」
フォレストストーカーたちは煩わしい鳴き声を上げながら、常に俺の頭上を陣取っていた。冗談抜きで、この上なく不愉快に感じる。
「これなら、あの神様と会話している方がまだマシに思えるぜ」
俺を見下したり、勝手に記憶を覗いたり、思考を読んだりしてきたりなど問題点は多々あった。それでもある程度は会話が成立しているし、一人でいる時に比べると色々と気が紛れる。
まぁ、俺の方から干渉しないでくれと言ってしまったし、もはや後の祭りだ。こればかりはしょうがないと割り切るか……ん?
「何だこの音は?」
何の前触れもなく、前方から何かを薙ぎ倒す音と共に地面から振動が伝わってきた。こんな場所で、音と振動の原因はモンスター以外にあり得ない。
「にしても……コイツぁかなりデカそうだ」
姿が見えないというのにここまで伝わってくるのだ。少なくとも、ランク『C』のフォレストタイガーよりも格上なのは確実だろう。デカいというのは、それだけで十分に脅威なのだから。
「下手すりゃランク『B』かもしれんな」
仮にそうなると、いきなり強敵の登場になる。殺すのは相当に手こずるに違いないし、戦闘を避ける方法を模索するのもありかもしれない。
だが、そうは問屋が卸さないようだ。フォレストストーカーたちがいつの間にか枝から降りていて、俺を取り囲んでいたのである。
「こ、コイツら……」
何を狙っているのかはもはや明白だ。どうしても目の前からやって来るモンスターと俺を戦わせたいらしい。
だが、ゲーム内においてはこんな行動は見たことも聞いたこともない。やはり、多少なりとも行動に違いがあったりするのだろうか?
「なんにせよ、これで戦うのは避けられそうにないな」
俺がそう言い終えたと同時に目の前の木が薙ぎ倒され、ついにその姿を現したのである。そのモンスターは二、三メートルの岩の塊に四本の足と立派な一本角を生やしているという何とも奇妙な出で立ちだった。
それでも、その姿には見覚えがある。
「うへぇ……ランク『B-』のアーマードロックじゃねぇかよ」
『魔獣の森』に入って、初めてのランク『B』帯のモンスターだ。こんな序盤に会いたくなかったぜ。
しかし、それを口にする暇はない。
「あっぶな!」
アーマードロックは止まることはなく、俺に向かって突進してきたのだ。咄嗟に横に転がって回避をして難を逃れることができたものの、気がつけばフォレストストーカーたちは木の上に登っていた。
「けっ、本当にいい性格してるな」
高みの見物と洒落込むつもりなのだろう。ここまでくると本当に憎たらしいとしか言いようがない。いっそのこと、この場で殺してしまいたいという衝動に駆られそうになるが、何とか自制してアーマードロックに集中した。
「はぁ……コイツを殺すのは骨が折れるぞ」
ぼやきながら振り向くとアーマードロックがゆっくりと姿を現すと俺を角で貫くべく、問答無用で突進を繰り出してきた。
「クソっ!こんな奴と真正面からやってられるかっ!」
そう叫び、背中を向けて駆け出した。これは逃げているのではなく、攻撃するチャンスを狙うためである。
「突進も厄介だが、それ以前に岩の鎧が面倒だな」
このモンスターの正体は、自身の能力によってほぼ全身を岩を纏った大きな灰色の犀なのだ。その為、岩を取り除かなければ本体に攻撃が通じない。
故に、純粋な強さと防御能力の高さを加味してランク『B-』と評価された。ただし、強敵でありながらも攻略法は存在する。
「まぁ……邪魔な岩をどうにかしないと話にならないんだけどな。……うん?」
またしても頭上から音がして見上げると、フォレストストーカーたちが俺を追いかけていた。
「チッ、フォレストストーカーのしつこさは異常だぜ。うおぉっ!?」
走りながら見上げていたせいか、足元がおろそかになって木の根っこに躓いて倒れ込んでしまう。必死に立ち上がったが既に遅く、その時には振動が直に伝わってくる至近距離にまで迫り、駆け出す寸前に背後から胸にかけて衝撃が走った。
「がはっ!」
数日ぶりの激痛が容赦なく襲い掛かり、己の不注意を呪った。
「ぐぅぅぅっ!前を見ないで走った代償がこれかよ……」
そしてアーマードロックは俺を角で貫いた状態で振り回し、勢いよく投げ飛ばしやがったのだ。そのまま木に叩きつけられて地面に落ちたものの、フォレストタイガーの爪とコンパスは何とか無事だった。
しかし、こちらに歩み寄ってくるアーマードロックに対しては心もとない。
「どうしたものか……このまま死んだ振りしてたらどっか行ってくれないかなぁ」
地面に身体を伏せたまま、現実逃避気味に思わずそう祈った。が、現実はそこまで甘くはなく、すぐさま厳しいと思い知らされた。
俺にとどめを刺すつもりなのか、踏みつぶそうとしてきたのである。
「あっぶねぇっ!?」
すんでのところ横に転がり、踏みつぶされるのは回避することはできたが、アーマードロックが地面を踏みつけた威力を目の当たりにし、少しだけ怖気ついてしまう。
なにせ、踏みつけた衝撃で俺の身体は一瞬だけ浮き上がり、目の前で地面にくっきりと足跡を残したのだ。転がって回避しなければ、ただでは済まなかっただろう。
だが、これはチャンスでもある。姫様と呼ばれる少女に比べるとこの程度はまだ可愛い。と、己に言い聞かせて行動に移した。
「コイツでも喰らっときな!」
唯一岩を纏っていなくて、まともに攻撃が通じるのが目の前の足なのだ。このチャンスを逃さず、手に握ったフォレストタイガーの爪を深々と突き刺してやった。
するとアーマードロックは突然の痛みに怯んで後ずさり、その隙に立ち上がることができた。
「よいしょっと。やっと隙を晒してくれたのはいいけど、使い物にならなくなったか……」
岩が無くともアーマードロックの皮膚は分厚く、生半可な刃物では血を流させるのは厳しい。それでも、フォレストタイガーの爪は流血させるまでに至ってくれた。だが、その代償として半ばから折れてしまった。
「とどめを刺す時に使いたかったのにな。まっ、折れてしまったものは仕方ない」
役目を終えたフォレストタイガーの爪を捨て、怯みから立ち直る前にアーマードロックへと駆け寄り、立派な角に全力でチョップを振り下ろした。
「折れちまいなっ!」
俺の鎧の身体を貫く角は頑丈だと思うかもしれないが、貫通力が優れていても角の根本が一番脆かったりする。同時に、この状況では角を折ることが攻略の鍵となるのだ。
そうしてチョップを受けた角が根本から折れると、アーマードロックは声にならない悲鳴を上げた。
「ッ!?」
ただし……角が折れたからといって安心はできない。むしろこの瞬間が最も危険だったりする。角が身体から離れると、俺は両腕を構えて防御の態勢に入った。その刹那、纏っていた岩が細かく砕け散るかと思いきや、散弾のように全方位へと飛散したのだ。
「ぬおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
飛散した岩が俺の腕や無防備な胴体や足に直撃し、その衝撃で後に押し出されながら強烈な痛みが襲い掛かってきた。直撃した箇所は凹んだ程度で済んだのはいいが、周囲の木々は大小さまざまな穴が開き、一部の木は耐えきれず倒れてしまっていた。
「ホント、これが厄介なんだよな。おかげで滅茶苦茶いてぇや」
こうなることを事前に分かっていても、俺は近距離でしか戦うことができない。その為、岩が分離される際の全方位無差別攻撃を避けることはほぼ不可能なのだ。
いやぁ、冗談抜きでキツかった。とはいっても、これでやっと俺の攻撃が通じそうだし、受け止めた甲斐はあるが……まだ油断はできない。
「怒り狂っているだろうし、岩が無くなっても面倒なんだよな……」
アーマードロックの習性として、角が折れると激昂して鎧のように纏っていた岩を分離する。
そして岩で隠されていた本体を現すと……新たな角を生やすのだ。
「異世界のモンスターだからできることなんだろうけど、岩を自在に扱う能力って凄いもんだ」
目の前で、失われた角の代わりに岩で疑似的な角が生成されていた。それは大剣めいた角であり、武器としても十分に使える。そのうえ、岩で生成されたおかげか本来の角よりも遥かに頑丈で先端は鋭く、振り回されるだけでもかなり厄介だ。
故に、ここからが本番となる。
「どうにかして懐に潜り込まないと……」
狙うべきは、無防備に晒されたアーマードロックの腹部。それ以外は分厚い皮膚や堅牢な骨に守られ、拳では致命傷を与えるのは難しい。
だというのに、簡単には近づけないのだから歯痒いものだ。
「くっ!」
八つ当たりするかのように、周囲の木々を抉りながら角を振り回していた。当たってしまえば吹き飛ばされるだけでは済まないかもしれないし、これでは迂闊に近づくことはできない。
「避けることができても、近づけないと意味がないしなぁ……」
困ったな。いっそのこと逃げてしまえばと思いかけたが、きっと突進して追いかけてくる筈だ。
うん?待てよ。それを上手く利用すれば……?
「んー、できれば確実に殺したいし、あの折れた角を使わせてもらおう」
とりあえず方針が決まった。まずは振り回される角に注意しつつ、折れた角を回収した後に逃げた振りをする。
で、そこから先が少し不安ではあるが、それでもやってみる価値はあるだろう。
「よし。それじゃ早速拾いたいところだけど……攻撃が激しいな」
幸いなことに、アーマードロックの背後にお目当ての角が落ちている。しかし、拾いに行くには近くを通る必要がある。今は何とか攻撃を避けているものの、さすがに至近距離となると厳しい。
ここは様子見をしつつ、拾う機会を窺うべきだろうか?と考えていたところで、高みの見物をしていたフォレストストーカーの一匹が動きだした。
「アイツは何を……って、まさか!」
向かっている先にはアーマードロックの角が落ちている。もしかすると俺と同じく狙っているかもしれないし、多少の無理をしてでも拾いに行った方がよさそうだ。
「こんな時にしゃしゃり出やがって。これだからフォレストストーカーは嫌いなんだよ」
悪態をつき、俺は駆け出した。当然、そんな俺に対して角が振り下ろされたものの、何時ぞやの姫様と呼ばれる少女に比べるとあまりにも遅すぎる。
「はっ!当たるかよ!」
半身をそらして振り下ろされる角をやり過ごし、地面に叩きつけたその隙に横を駆け抜けることに成功した。これでフォレストストーカーよりも先に辿り着くことができる筈だ。
そして、無事にアーマードロックの角を拾うことができて、拾えなかったフォレストストーカーは恨めしそうな視線を俺に送りつつ、木の上に戻っていった。
「確保できてよかったぜ。後は……ぐふっ!?」
一安心した瞬間、突如として背後から衝撃と激痛が走り、腹部からは鋭く尖った岩が生えていた。この場において、こんな芸当ができるのはアーマードロック以外にあり得ない。
そう結論づけて振り向くと、また新たな岩の角を生成していたのである。
「やっぱりか……まさかそんなことができるとはな」
生やした岩の角を飛ばすなんて、ゲーム内では見たこともない。やはり、ゲームと現実では行動に違いがあるというのか?
ただ、そのことについて考える余裕はなさそうだ。岩の角はもう飛ばすつもりはないのか、アーマードロックは突進の態勢に入っていた。
「突進しながら飛ばしてこないといいけど……」
一抹の不安を抱きつつ、腹部を貫く岩を引き抜いて駆け出した。後はタイミングを見計らい、隙を晒した瞬間を狙うだけ。
「ところで……突進が速くなっているような。岩を纏ってないから?」
引き離すどころか、むしろ着実に近づいている。このままでは、またしても背後から角で貫かれて反撃どころではなくなってしまう。
猶予は残されておらず、もはや覚悟を決めるしかない。
「上手くいってくれよっ!」
振動が至近距離にまで迫ったのを感じた瞬間、横へ飛び込んだ。俺という目標を見失ったアーマードロックは急停止をするも、あまりの勢いに数メートルほど地面を抉りながら止まろうとしていた。
この瞬間だ。止まって振り向こうとするこの瞬間を待ち望んでいたのだ。この絶好のチャンスを逃さずべく、アーマードロックの背後に迫る。
「隙きあり!」
そうして振り向かれるよりも速く接近しようとしたものの、これまでに見せなかった素早さで振り向くと即座に岩の角を飛ばしてきた。
だが、これは想定済みだ。
「そんなもん!警戒してるに決まってるだろ!」
これが初見であれば、何もできずに頭部を貫かれていただろう。ただし、事前に腹部を貫かれているから完全な初見ではない。そのおかげで側頭部が僅かに擦れるだけで終わり、事なきを得ることができた。
そのままスライディングで一気に腹部の下へと潜り込み、そして……。
「さっきのお返しだ!死ねぇっ!!」
殺意を込め、右手で握った角を全力で腹部に突き刺してやるとあっさり皮膚を貫き、血肉をかき分けて臓物を抉る感触が手に伝わってきた。突き刺した箇所からはおびただしい量の血が溢れ出し、俺に降り注いだ。
これが致命傷であることは誰が見ても明らかで、もう助かるまい。血塗れになりつつ、内心でそう確信した。
「ざまぁみやがれ」
ただ、この時は相手がランク『B-』のモンスターであることを失念してしまっていた。さらに言えば、このモンスターもまた正気を失っていることを考慮すべきだった。
「ぐはっ!?」
致命傷を負っている筈なのに、まさかのまさかで踏みつけてきたのだ。予想外だったおかげで、致命傷を与えて慢心していた俺は避けることができなかった。
身体が地面にめり込んでは、身体から軋むような音やひびが入るような音が響き、激痛が襲いかかってきた。この状況はかなりよろしくない。今すぐにでも離れるべきだ。
なのに、思いのほか身体が深く地面にめり込んでしまったらしく、すぐさま動くことができずに二度目の踏みつけを喰らう羽目になる。
「このっ!死に損ないがぁっ!!」
こうなったら、俺が砕かれる前にアーマードロックを殺すしかない。そう判断して、離れるのを諦めて負けじと角を突き刺し、血塗れになりながら反撃をした。
それから踏みつけられる度に激痛に耐えながら必死に反撃を繰り返していると、アーマードロックの踏む力が次第に弱まり、ついには動かなくなって力なく倒れ込んだ。
「ふぅ……やっと死んでくれたか」
ようやく一息つける。だけど、アーマードロックの死体は大きいうえに重たいし、俺に覆いかぶさったせいで抜け出すのに苦労しそうだな。
しかし、その前にやるべきことがある。
「血を飲んでおかないと……」
胸や腹に空いた穴を中心に、大量のひびが生じているのが痛みで分かる。幸いなことにまだ致命的という段階ではないが、抜け出した途端に他のモンスターに襲われるかもしれないから、用心するに越したことはないだろう。
死体を少しだけ押し上げて傷口のある腹部へと移動し、溢れ出る血を口に流し込んだ。味に関しては……やはりと言うべきか不味い。フォレストタイガーと比べるとまだマシではあるが、それでも不味いとしか言いようがない。
「いつまでこんな不味い血を飲まないといけないんだ……」
そう愚痴をこぼしている内に身体の修復は完了した。が、未だに死体から血が溢れ出ている。
モンスターの血で俺自身を強化できることを考えると、このままにしておくのは勿体ない。この際、味は我慢して飲めるだけ飲んだ方がいいだろう。
「にしても、油断が過ぎたか。それと、いい加減に詰めが甘いところを改善しないとなぁ」
血を飲みながら思い返していた。もしも鎧の身体じゃなく、生身の身体だったら何度死んでいたことだろうか。
特に、最後のとどめを刺す時が駄目だった。下手すると、アーマードロックが死ぬよりも前に俺が砕かれていたかもしれないのだから。
「はぁ……次からはしっかり気を引き締めるか」
とにかく、今回のことは教訓にして次に活かすとしよう。
それはそうとして、このアーマードロックは正気を失っていたのかな。本来は温厚な性格で、身に纏っている岩は戦う為ではなく、岩に擬態して身を隠す為だったりする。まぁ、角が目立っているという突っ込みどころがあるが、そこは触れないでおくとして……基本的にはこちらから手を出さない限り、襲い掛かってくるなんてことはほとんどない。
しかし、現に襲ってきたわけだから、何かあったことは間違いない。考えられるとすれば、フォレストウルフと同様に正気を失っていた可能性は十分にあり得る。
「一体、この『魔獣の森』で何が起きているのやら……」
未だに原因が分かりそうにない。今の段階で分かるとしたら、正気を失ったモンスターは恐ろしく凶暴化して、相手または自分が死ぬまで執拗に攻撃してくることだけだろうか。
ただし、全てのモンスターが正気を失っているわけではないらしい。
「アイツらは襲い掛かってこなかったよな」
フォレストストーカーの陰湿さは相変わらずで、正気を失っているようには感じなかった。とはいっても、それはそれであまり嬉しくないのが本音だ。
「さてと、あまり血が出なくなってきたし、そろそろ移動するか」
色々と考えている内に、死体の傷口から流れる血が少なくなってきた。吊るし上げたらもっと血が手に入るかもしれないけど、手間がかかれば時間もかかる。危険な『魔獣の森』からは早く抜け出したいし、あまり時間はかけたくない。
「滅茶苦茶重いな……よいしょっと」
そうして死体の下から抜け出すと、フォレストストーカーたちが取り囲んでいて、俺の姿を見るやいなや威嚇するような鳴き声を上げていた。
「キーッ!」
「キッ!キーッ!」
「何のつもりだ……?」
まさかとは思うが、俺かアーマードロックの死体を狙っていたのだろうか。
ただ、前者の俺は完全に修復されているから狙いにはならない筈。それでも取り囲んでいるということは、後者を狙っているとしか考えられない。
「ふん、ハイエナかよ」
いけ好かない連中だ。こんな行動も見たこともないが、陰湿なフォレストストーカーがハイエナ行為をしてもそこまで違和感を感じないな。
ともあれ、俺に用がないのなら先に進ませてもらうとしよう。
「おっと、そういえばコンパスは……」
威嚇するフォレストストーカーたちを無視して握っていたコンパスを確認すると、何とか無事だった。
いやぁ、ずっと手で握っていたのにな。本当に運が良かったとしか言いようがないぜ。若干歪んだり、傷が入ってはいるが、機能的には問題なさそうだし、これで安心して南に進むことができそうだ。
「えーと……こっちの方向か」
そして、コンパスを頼りに南へと歩みを進めた。フォレストストーカーたちは威嚇しながらも手を出してくる様子はなく、むしろ邪魔しないように道を開けている。
やはり俺には用がないらしく、何事もなくフォレストストーカーたちの間を通り抜けることができた。だが、ある程度の距離を歩いた途端、何かを千切るような音や咀嚼音が背後から響いた。
それらを極力意識しないようにしつつ、木々の隙間から覗く空を見上げて呟く。
「もう少しで夕暮れ時か……」
空が茜色に染まりつつある。数時間もしない内に、この『魔獣の森』は闇夜に包まれることだろう。
夜の『魔獣の森』は間違いなく危険だろうし、このまま進むのは不安ではある。それでも、早く抜け出す為にも今は立ち止まるわけには行かない。と己に言い聞かせ、歩みを止めることはなかった。




