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第二十七話 魔獣の森 ①

「『魔獣の森』か……」


 姫様と呼ばれる少女と別れてから数日以上はひたすら南に進み、とある辺境伯の領地に入り込んだ。すると、そこで『魔獣の森』という単語をよく耳にするようになったのである。

 その領地に住まう領民や警備の兵士たちの話によれば……。

 ここ最近は『魔獣の森』に生息しているモンスターたちが凶暴化し、その一部が領地に入り込んでは領民や家畜を襲っているとのことだ。

 そのせいで領民は怯えて暮らさなくてはならなくなったうえに、辺境伯もモンスターの対策の為に資金を投入したが財政的に厳しくなったそうな。

 しかも、少し北にある『南の街』でもとある問題が起きてしまい、交易がままならなくなって物資も不足しつつある。

 そして極めつけには、辺境伯の奥さんが病に伏せてしまったというのだ。

 一応、治療薬さえ飲めば治る病ではある。ただ、その薬の材料にとあるモンスターの素材が必要となるのだが……そのモンスターは『魔獣の森』の最奥に生息しているから質が悪く、素材を入手するのは困難を極めるらしい。

 ここまで問題を抱えているとなると、会ったことすらない辺境伯に対して同情してしまうぜ。


「まぁ、それでも俺には関係のない話なんだけどね」


 むしろあまり関わりたくもない。困ってる人を助けないなんて非情だと思うかもしれないが、そもそも俺は領地に忍び込んだよそ者であるし、見つかれば不審者として捕まえられる可能性もある。

 そんなリスクを冒してまで、手助けをするほどお人好しじゃないからな。これまでに手に入った情報なんて、見つからないよう夜に移動していたらたまたま聞いただけだ。

 だが……『魔獣の森』とやらだけは無関係ではいられないらしい。


「見つからずに『魔獣の森』の近くに来れたわけだが、随分と酷い有り様だな」


 入り口と思わしき周辺には、木材の残骸が大量に散乱していた。

 たぶん、木の柵でモンスターの対策をしようとしたのだろう。しかし、この光景を見ると凶暴なモンスター相手には全く通用しなかったということが嫌でも分かる。


「で、そんな凶暴なモンスターがいる『魔獣の森』を通り抜けないといけないのか……」


 道中で昔話をしていたお爺さんの話によると、この領地の南の先にある『魔獣の森』を通り抜けて、その先にある谷を越えて、さらにその先にある沼地を通り抜けて、さらにさらにその先にある山を超えたら『竜人の里』と呼ばれる里が存在するらしいのだ。

 話を聞く限りではひたすら南に向かっているみたいだし、俺が会わなくてはならない『始原の竜』がいるとしたら、『竜人の里』である可能性が高いだろう。

 そう考えて、いざ足を踏み入れようとしたものの……躊躇ってしまっている。


「はぁ……モンスターが大量にいるって話だったよな……」


 『魔獣の森』と呼ばれるだけあって、森の中は危険なモンスターが生息し、奥に行けば行くほどより強力なモンスターが出てくるみたいなのだ。そのうえ最近は凶暴化しているというのだから、入る前から気が滅入ってしまうのも仕方あるまい。

 しかし、次の瞬間にはそうも言っていられなくなった。


「キャーッ!!誰か助けてぇっ!!」


「うっそだろ!」


 何の前触れもなく、少女と思わしき悲鳴が奥から響いたのだ。誰かがモンスターに襲われているに違いない。

 悲鳴を聞いたからにはさすがに見捨てるわけにはいかず、俺は反射的に駆け出しながら返事を期待して声を上げた。


「大丈夫か!どこにいるんだ!返事をしてくれ!!」


「誰かいるの!?お願い助けて!!」


 思ったよりも近い場所にいたらしく、すぐさま返事が返ってきた。その声が聞こえた方向へと進んでいくと、そこには少女が怯えた様子で尻餅をついていたのである。少なくとも怪我はしていないようで一安心できた。

 だが、肝心のモンスターの姿が見えない。


「おい、どうしたんだ?てっきり、モンスターに襲われていると思ったんだが……」


「違うの!怖いモンスターは茂みに隠れているわ。気をつけて!」


「茂み?」


 少女が指差す方向にあるしげみへと視線を向けるも、やはりモンスターの姿は見当たらない。この少女はモンスターを何かと見間違えたのではなかろうか?


「た、確かにいたのよ。だって、嫌な感じがして振り返ったら視線が合って……あら、どこに行ったのかしら?」


「視線が合ったのか……」


 少女の話を聞く限りでは、見間違いや嘘の類ではなさそうだ。となると、実際に目の前の茂みにモンスターがいたという事になるが……どこに行ったのやら。

 俺が乱入したから逃げたのだろうか?だとしても、獲物をそう簡単に見逃すとは思えないし……きっと今も近くで襲う機会を窺っていると考えた方がいいかもしれないな。


「ねぇ……助かったの?」


「いや、それはまだ保証できねぇな。何かあった時は、せめて君だけでも逃げるようにするんだ」


「そんな……恩人のあなたを置いて行くなんて……」


「残念だけど、一緒に逃げるわけにはいかないんだ」


「わたしが……足手まといになるからですよね?」


「それも理由の一つだけど、俺はとある目的の為にこのまま南に進んで『魔獣の森』を通り抜ける必要があるんだよ。そういうことだから、俺のことは気にせず逃げてくれ」


「どうしてですか……あっ!う、後ですっ!」


 しかし、少女が俺の後ろを指した時には既に遅く、背中に衝撃を受けてそのまま地面に押し倒されてしまった。

 そして背後から襲ったであろうモンスターは、俺を地面に押さえ付けては殺気を込めて低く唸っていた。


「ガルルルル……!」


「くっ、俺に狙いを変えていたのかよ!」


 だからすぐに少女を襲わなかったのか。俺を狙う理由は分からないが、これはこれで好都合だな。


「よし、今のうちに逃げてくれ。俺なら大丈夫だからさ」


「で、でも……」


「でもじゃない!俺はこう見えてもそこそこ強いし、こんなモンスターなんてすぐに倒せる!だから逃げるんだ!」


 ちなみにそこそこ強いと言った理由は、俺自身が姫様と呼ばれる少女と比べて遥かに弱いと認識しているからだ。


「分かり……ました。では、お礼にこれを置いて行きますので、無事に倒したらどうぞ使ってください」


「気持ちは嬉しいけど、早く逃げてくれないかな!!」


「は、はい!ご武運を!」


 そう言い残して、少女は『魔獣の森』の入り口へと走り去って行った。この時、俺の背中に乗っていたモンスターは少女の後を追うことはなく、足で頭を踏みつけて砕こうとしていた。

 ある意味では安心したが、頭が軋んで地味に痛いしで苛立つ。


「調子に乗りやがって……へし折ってやろうかっ!」


「ガウッ!」


 踏みつけている足を掴んでやろうとしたものの、さすがに警戒されたらしくモンスターは素早い身のこなしで俺から離れていく。

 おかげで身体は解放され、立ち上がってからやっとモンスターの姿を視認することができた。しかも、ゲーム内で見たことのあるモンスターだ。


「ほう、フォレストタイガーか……。なるほど、道理ですぐに姿を現さなかった訳だ」


 見た目こそ虎に近いが、現実の虎と違い体格はより大きく、毛皮は緑と黒の縞模様となっている。

 それから、このモンスターは自前の毛皮を活用して草木に溶け込み、油断している獲物の背後からの奇襲を得意とし、そのせいで初見殺しとしてはそこそこ有名だった。とはいっても、奇襲にさえ気をつければそこまで脅威的ではなく、外部の攻略サイトによればランク『C』に分類されていたっけな。

 確か、ランク『C』といえば……。


「熟練のプレイヤー四人がかりなら安定して倒せる程度だったよな」


 ランクは『E-』から始まり、『E』、『E+』、『D-』、『D』と順に繰り上がる。それからランク毎には適正人数があり、『E』なら一人、『D』なら二人、『C』なら四人、と文字が繰り上がる度に適正人数が倍になってく。さらに付け加えると、『-』が付くと適正人数では『容易』、何も付かないと適正人数では『安定』、『+』が付くと適正人数では『困難』、となっている。

 だが、ゲーム内でそういった記載がされている訳ではない。レベルやランク等の概念が存在しない為に、一部の熟練プレイヤーたちが目安として独自に考え出しただけに過ぎないのだ。


「まぁ、この異世界でそれがどこまで当てはまるかは分からないけどな。っと、痺れを切らしたか」


「ガルルッ!」


 フォレストタイガーは俊敏な動きで距離を詰めて飛び掛かってきた。

 この時の俺は、真正面から来るのなら対処のしようがある。と、心のどこかで思っていたようで、それがマズかったらしく……少し痛い目に遭うのであった。


「いってぇ!」


 ナイフめいた鋭くて大きい爪が振り下ろされ、それに対して両腕を構えて防御をしたものの、俺の予想以上にフォレストタイガーの攻撃が強力で、腕が浅く切り裂かれてしまう。

 しかも、流れるような動作で体当たりを繰り出してきて、まともに受けてしまって尻餅をつかされたのだ。


「やべっ……うおっ!?」


「ガウッ!」


 フォレストタイガーは尻餅をついた俺を押し倒し、鋭利な牙を首元に容赦なく突き立ててきやがった。それでも、突き立てられた箇所に軽く刺さった程度で済んだ。

 ただ、やはり痛いものは痛い。


「じゃれるにしては度が過ぎるぜ……っ!」


 これが生身ならとっくに死んでいることだろうと思いつつ、喰らい付いてくるフォレストタイガーの頭を掴んで力づくで引き剥がし、思い切り首を捩じってやると鈍い音が響き、断末魔を上げて絶命した。


「ガァッ!」


 そして死体と化したフォレストタイガーは力なく倒れ込み、そのまま俺に覆い被さった。


「地味に重い……よっと」


 やや手こずりながらも、死んだフォレストタイガーの下から這い出ることができ、ひとまずは安堵することができた。


「ふぅ、思ったよりも厄介だったな……」


 とはいえ、前に戦った魔鋼ゴーレムや魔人のギルに比べると弱い。魔鋼ゴーレムの強さなら、ランクは『C+』かもしくは『B-』に届きかねないし、ギルに至ってはランク『A−』か『A』相当は確実だろう。

 今にして思えば、俺がギルに勝てたのは運が良かったとしか言いようがない。俺の鎧の身体は魔法への耐性が異様に高く、それに対してギルは魔法を主に使っていた。その為に相性的には俺が有利な状態で戦うことができ、最後はギリギリで勝てたのだ。

 まぁ、『神格解放』によって武器を破壊したという要因も大きいが……。


「つってもなぁ、ランク『C』でこの様か…… ちょっとマズいかもかしれんぞ」


 腕は浅く切り裂かれ、首元に小さな穴が空いてしまっている。この程度の損傷ならまだ軽いものの、生半可な武器では傷一つ付かない鎧の身体に対して、傷を付けたという事実は看過できない。


「奥に進めばもっと強いモンスターが出てくるって話だよな」


 入り口付近の時点でランク『C』のモンスターがいるわけだから、奥に進めばランク『B』のモンスターがいてもおかしくはない。当然、モンスターのランクが高くなればなるほど攻撃がより苛烈となるのは必然である。

 ましてや、大半のモンスターは魔法に頼らず物理的な攻撃をしてくるに違いないし、武器を持っているモンスターに関してはいるかすら怪しい。故に、鎧の身体を脆くしてしまう『神格解放』はあまり頼れないだろう。

 つまるところ、この『魔獣の森』を通り抜けるのが困難であることはほぼ確実、ってことになるな。


「一瞬の油断が命取り……になったら洒落にならないし、気を引き締めるか。はぁ、まだ入ったばかりなのに先が思いやられるぜ」


 だが、嘆いたところで何も始まらない。まずはできる限りのことをするとしよう。ただし、今の俺にできることは一つしかない。


「念の為に修復させておくか、あまり気が進まないけど……」


 モンスターの血を飲み、マナを吸収することで自己修復のスピードが上がる。その有用性は十分に理解してはいるが、一つだけ欠点があるから気が進まないのだ。


「たぶんというか……絶対に美味しくないよな」


 思い出したくもないが、初めて飲んだモンスターの血はゴブリンだ。そしてそのゴブリンのランクは『E−』である。つまり、あれだけゴブリンの血が不味かったのだから、ランクが上の『C』だとしても味の期待はできまい。


「それでも、飲んでおくべきか……」


 この先で何が起きるのか分からないからこそ、出来る限りは完全な状態を保っておいた方がいい筈だ。いくら自動修復機能があるとしても、その修復の速度はかなり遅い。姫様と呼ばれる少女に両腕を切り飛ばされた後なんて、完全に修復されるまで優に半日以上はかかったのだから。

 そして軽い損傷が原因で、『あの時に飲んでおけばよかった』と後悔しない為にも最善を尽くすべきだろう。そう己に言い聞かせながら、飲む決心をした。


「さて、血を飲むにしてもどうやって飲もうか」


 フォレストタイガーは首を折られて死んだから、出血なんて皆無だ。となると、どうにかして血を流させる必要がある。

 舌を引き抜いたりとか、目玉を抉ると効率的だと思いはしたが、グロテスクな絵面になるのは確実だ。そんなものを見てしまえば精神衛生上あまりよろしくないだろうし、それは最終手段にしておこう。


「せめて刃物とかあればいいんだけど……あっ、あれなら使えるかも」


 刃物という単語でフォレストタイガーのナイフめいた爪を思い出した。俺の鎧の身体を軽く切り裂いたのなら、刃物としても十分に使える筈だ。


「うーん、改めて見てみると凄い爪だな」


 ナイフのように大きくて鋭く、それなりの厚みがあるからもはや武器としても使えそうですらある。まぁ、上手く扱える自信は無いから武器として使うつもりはないけどね。


「とりあえず、爪一本と血を頂戴させてもらうか」


 爪を一本だけ折り、フォレストタイガーの首元に突き刺した。それから溢れ出る血を両手で掬い、少しだけ躊躇いながらも一気に口へと流し込む。

 そして、やはりと言うべきか味は俺の予想通りだった。


「ま、不味い……」


 せめて救いがあるとしたら、吐き気を催す程に不味くないことだろうか。だとしても、ランク『C』ですら不味いとなれば、ランク『B』もあまり期待できそうにないな。


「はぁ……傷つく度に不味い思いをしなきゃならんのか。いやはや、こればかりは本当にキツイぜ……」


 だが、味が不味かろうが鎧の身体がすぐに修復されることを考えると、そこは我慢するしかない。現に、フォレストタイガーによって傷つけられた箇所はあっという間に修復されたのだから。


「で、血はまだ大量に残っているけど、どうしたものか……」


 俺にとってモンスターの血は、鎧の身体を修復させる以外にも使い道があったりもする。それは一定量のマナを吸収し、俺自身を強化させることだ。

 しかしながら、強化を重ねる度に強化に必要なマナの量は増大していくのが難点で、既に四回は強化している。たとえフォレストタイガーの血を飲み干したとしても、おそらくは強化されるには至らないだろう。

 それでも、この先で何体ものモンスターを殺すことになるだろうし、その都度に血を飲み干せばいつかは強化されることもあり得る。『塵も積もれば山となる』ということわざもあるし、ここは飲み干しておくのが最善であるのは間違いない。


「だけど、これを飲み干すのはしんどいぜ……うん?」


 半ば現実逃避するように、フォレストタイガーの死体からふと視線を逸らすと、そこには何かが置いてあった。


「そういや……あの少女が去る間際にお礼に置くとか言っていたよな。一体何だろう?」


 お礼と思わしき物を拾い上げてみると、それは俺がよく知る物だった。


「おいおい、こいつはコンパスじゃないか。まさかこれを使えば迷わず南を目指せるってことか?」


 またの名は方位磁石ともいう。

 意外な物ではあるが、俺が南を目指すと口にしたからわざわざ残してくれたに違いない。ただ、一つだけ疑問が残る。

 あの少女は、どうして『魔獣の森』の中でたった一人でいたんだ?


「コンパスを持っているということは、迷って入り込んだという線は無さそうだな。うーん、何らかの目的があるにしても、危険を犯してまで何をしたかったんだろう?」


 俺がいなければ、今頃はフォレストタイガーに喰い殺されていたかも知れないのに。まぁ、今回はたまたま助けられたから良かったけどさ。

 それはそうとして、せっかくだからこのコンパスは有り難く使わせてもらうとしよう。これなら迷わず南を目指せるからな。


「いやぁ、これで迷う心配が無くなったから助かる」


 そう一安心したところで、入り口の方向から人の声が聞こえてきた。それも複数人。


「お、お嬢様!お待ちください!いくら護衛の我々がいるとはいえ、奥に進むのは危険過ぎです!」


「そうです!お嬢様の身代わりとなられた人も今頃はモンスターの餌食になっているに決まっています。だから今は落ち着いて、一旦屋敷に戻りましょう」


「何を言ってるの?あなた達はわたしに命の恩人を見捨てろと言いたいのですか?」


 おっと、この声は……さっきの少女か。まさか護衛を引き連れて戻ってくるとは思わなかった。にしても、お嬢様と呼ばれているということは、親がどこかのお大商人か貴族だったりするのかな。

 改めて思い返してみると、あの少女は庶民と思えない程に身なりが良かった。さらに容姿も整っているし、琥珀色の瞳や紺色の長髪なんてとても綺麗で、美少女として分類されるには十分だろう。


「で、ですが……この『魔獣の森』は危険です。それに……我々も命が惜しいですから……」


「情けない……それでもあなた達はわたしの護衛なのですか?」


「そんなことを言われましても……第一、フォレストタイガーなんて我々では手に終えませんよ!」


「あぁもう!分かりました!でしたら、わたし一人で行きます!」


「あっ!お嬢様!だから危険ですって!」


 といった会話が聞こえた後に、複数人の足音が徐々に近づいてきた。


「おっと……面倒なことになる前に、そろそろ移動するか」


 フォレストタイガーの血を飲み損ねることになるが、この際は仕方ない。あの少女に見つかって、お礼をしたいと言われても困るからな。


「さてと、こっちが南か」


 そして、お礼として手に入ったコンパスを頼りに、俺は少女から逃げるように『魔獣の森』の奥へと歩みを進めた。



 オマケという名の蛇足


 カイトに助けられた少女がフォレストタイガーの死体を発見した時には、カイトの姿はどこにも見当たらず、お礼として置いていたコンパスもどこにも無かった。


「こ、これは一体何が……?」


「フォレストタイガーをたった一人で倒すなんて……お嬢様を助けた人はどれだけ強いんだ……?」


 護衛の兵士たちが驚いている中で、少女はただ一人だけ冷静にカイトの言葉を思い返していた。


「すぐに倒せるとおっしゃっていましたが……どうやらはったりではなかったようですね」


 そしてフォレストタイガーの死体に近づこうとしたところで、護衛の兵士たちに慌てて止められるのであった。


「お嬢様!ここは我々が確認しますので、お下がりください」


「そうです。見たところ血を流しているようですし、お嬢様をモンスターの血で汚すわけにもいけません」


「ふーん、だったらお願いするわ」


「「はっ!お任せください!」」


 少し離れた場所で、護衛の兵士たちがフォレストタイガーの死体を確認する様子を眺めながら、少女はあることを思い出して呟いた。


「そういえば……あの方は武器の類は持っていませんでしたね」


 鎧を身に纏っていたが武器を持っておらず、素手だったと少女は確かに記憶している。たとえ武器を隠し持っていたとしても、背後から襲われていた際には取り出す素振りなどは一切見せていなかった筈なのだ。


「なのに、あの死体はどうして血を流しているのかしら?」


 そう疑問を抱いたところで、護衛の兵士の一人が驚きの声を上げた。


「こ、これは……首がへし折られているぞ!」


「本当だ……じゃあ、この首元から流れている血は一体?」


「分からん。コイツを殺した人は何をしたかったんだろうな」


「というか、死因はどっちなんだ?」


 首がへし折られているというのに、首元から血を流している理由が分からず、護衛の兵士たちは困惑していた。

 さらに、よく確認するとある事実が分かったのである。


「おい、よく見ろ。爪が一本だけ折れて無くなっているぞ」


「言われてみれば……にしても、凄い爪だ。下手なナイフよりも使えそうじゃないか」


 そんな護衛の兵士たちの会話を聞き、少女はある結論に至った。


「爪を使ったのなら、首元から血を流させることはできるわね」


 しかし仮にそうだとしても、今度は新たな疑問が生まれる。


「だけど、それは何の為にする必要があったのかしら?」


 当然ながら、カイトの事情を知らない少女に見当がつくわけがない。それ故に、少女はこの場で悩んでも仕方ないと判断し、思考を切り替えた。


「まっ、これは本人に会って聞けばいいことだわ。あなたたち、その死体を屋敷に持って帰るわよ」


「念の為に聞きますが、この死体をどうなさるので?」


「使い道は色々とあるわ。最近はモンスターの素材の流通なんてほとんどないでしょ?だから売れるところに売りつけるのよ。あまり傷が付いてないみたいだし、きっと高く売れるわ」


「なるほど……さすがお嬢様です」


「いちいち褒めないでちょうだい。それよりも死体の回収を急いで。他のモンスターが血の匂いに誘われる前にね」


 そう指示を出したものの、護衛の兵士の一人がある質問を投げかけた。


「ところで……お嬢様を助けになられた命の恩人の方はどこに行ったのでしょうか?」


「あぁ……あの人なら奥に向かったと思うわ」


「な、何故ですか?奥にはもっと凶暴なモンスターが生息しているというのに……」


「さぁ?どうやら目的があるみたいだけど、それは本人に聞かないと分かりそうにもないわね」


「そ、そうですか……」


「とにかく、さっさと回収しなさい。これからやるべきことがあるのよ」


「「はっ!ただちに!」」


 やっと回収の作業を開始した護衛の兵士たちを視界から外し、少女はこれからのことを考えていた。


「そうね……あの死体がどれくらいの価値になるのかを調べないと。でも、これが高く売れたとしても、お父様がモンスター対策で消費した資金の補填に充てないといけないのが残念だわ」


 『魔獣の森』の入り口周辺に散乱した柵の残骸やその他諸々のモンスター対策の失敗が頭に浮かび上がり、少し落胆するのであった。

 そうなってしまうのは無理もない。偶然にも臨時収入が入ったかと思いきや、すぐさま消えていくことが確定しているのだから。


「まったく、お父様はモンスターのことを甘く見過ぎなのよ。まぁ、わたしも人のことは言えないけど」


 というのも、この少女もまた『魔獣の森』に生息するモンスターのことを甘く見ていたのである。


「はぁ、魔法が少し使えるからって、モンスターは怖くないなんて考えていたのが間違いだったわ……。話で聞いていたのと全然違うじゃない」


 つまるところ、慢心していたが為に『魔獣の森』へと一人で入り込んだのだろう。その結果として、運悪く遭遇したモンスターに睨まれただけで腰を抜かしてしまった。とはいえ、たまたまカイトが近くにいて助けてもらえたのだから、不幸中の幸いとも言えよう。


「にしても……私を助けてくれたあの人は本当に勇敢で、そのうえ強くて、素敵でしたわ」


 カイトのことを思い出していた少女は、こころなしかうっとりとした口調になっていて、表情もどことなく緩んでいた。

 まるで、カイトに特別な感情を抱いているようにも見える。


「お嬢様。準備が整いました」


「そう」


「では、屋敷に戻りましょうか」


 話しかけられた瞬間には、少女は何事もなかったかのように普段通りに戻っていた。そして護衛の兵士が気にする素振りを見せないということは、どうやらその変化に気づかなかったようだ。


「ところで、屋敷に戻ったら何をなさるつもりですか?」


「まずは、あの人を追いかける準備をするわよ」


「ど、どういうおつもりですか?」


 信じられないといった様子ではあるが、そうなるのも無理はない。何せ、少女が追いかけるであろう人物は、凶暴なモンスターたちが生息する『魔獣の森』の奥地へと向かったのだから。

 助けてくれたお礼をする為だとしても、あまりにも危険で無謀過ぎる。と、護衛の兵士は内心で思ったものの、それは見当違いであった。


「ねぇ、わたしがこんな場所に来た本当の理由を知ってるでしょ?」


 少女に言われ、護衛の兵士はあることを思い出したのである。


「確か……お嬢様は病に伏せた奥方様の為に薬の材料を手に入れようとしていましたね。ですが、それと恩人を追いかけることと何か関係があるのですか?」


「たぶんだけど、あの人なら『魔獣の森』の最奥にまで行けると思うのよ。それも、モンスターの屍の山を築きながらね。ついでに、死んだモンスターの素材を回収していけば一石二鳥になるわ」


 半ば確信したように、少女はそう言い切る。それを聞いた護衛の兵士は何を言いたいのかを理解したが、同時に不安を抱いてそれを口にしていた。


「モンスターの素材はともかくとして……その恩人の方が通った後なら我々は比較的安全に最奥へと行けると言いたいのですね。ですが、この広大な森の中で迷わず最奥に辿り着けるのでしょうか?」


 しかし、少女はそんな不安など抱いていなかった。というのも……。


「あぁ、それなら大丈夫よ。あの人にはコンパスを渡してあるから」


「一応……聞かせてもらいますが、お礼として渡したのですよね?」


「当然じゃない」


 即答だった。だが、護衛の兵士はやや納得し切れてない様子だ。


「その……非常に申し上げにくいのですが……命の恩人である方を都合よく利用しておられるように感じます」


「それは否定しきれないし、わたしだって気が進まないわ。だけどね……今は綺麗事を言ってられないの。お母様は病に伏せてしまったというのに、お父様はモンスターの討伐で忙しくて、おかげで領内の運営が滞っただけじゃなく、財政難にまで陥っているのよ。控えめに言っても最悪な状態だわ」


「す、すみません!出過ぎたことを言ってしまいしました……」


「別に構わないわ。あなたの気持ちも理解できないわけじゃないから」


 特に気に障った様子はなく、少女は至って冷静に返事をした。それは傍から見れば年不相応に思えるであろう。だが、次の瞬間には一転して表情を綻ばせると、年相応の女の子らしい可愛らしい笑みを浮かべ、口を開くのであった。


「でも、わたしがあの人を追いかける理由は別にあるのよ。だって、まだ名前を教えてもらってないし、できれば屋敷に招いて改めてお礼をしたいのよね。それと、お父様とお母様にも紹介したいわ」


 ただ、残念ながらカイトは少女の申し出を確実に断るであろう。理由は簡単で、時間を取られたくないからだ。だからこそ、カイトは少女が近づいてくるのを察知した途端、フォレストタイガーの死体を放置してこの場から離れた。

 なのに、そうとも知らず命の恩人であるカイトにまた会いたいと、少女は心の底から思っている。


「ふふっ、次に会った時は素顔を見せてもらいたいわね」


 言うまでもなく、それはそう簡単には叶わないだろう。何故なら、今のカイトには素顔がないのだから。


モンスターのランクについては後から設定を変更するかもしれません

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