第十一話 市長との対面
「へぇ、あんた一人でこの街を守るつもりかい?」
「まぁ……そうなるな。知ってしまった以上、見捨てるのも忍びないし。にしても……この街にゴブリンたちが攻め込むっていうのに、マリンダさんは怖くないのか?」
俺の言っていることが出鱈目と思って、聞き流しているのなら怖がることもないだろうけど。
それはそれで色々と厄介なことになりそうで、俺としては勘弁してほしいところである。でも、実際のところどう思っているんだ?
「別に、いざって時はあたしたち女が立ち上がるだけさ」
「なるほど……でも言っちゃ悪いが、正気か?」
あまりにも無謀だ。いくら勇ましくて強かろうが相手が悪すぎる。
ゴブリンだけなら、多少の被害が出てもなんとかなるかもしれないが、数が多いから分が悪い。しかも、そのゴブリンたちを従える銀髪の魔族が出てくると話はさらに変わってくる。
俺はともかくとして、黒炎でまとめて焼き殺されるかもしれないのだ。そう言えるくらいにあれは危険である。
「ふっ、だったらあんたこそ正気なのかい?たった一人でこの街を守るつもり?そんな無謀なこと本気でできるとでも?」
「できるできないの問題じゃない。やるしかねぇんだよ。たとえ、どんなに無謀と分かっていてもな……」
「……お人好しってわけじゃなさそうだね。訳ありみたいだけど、まるで仕方なくって感じがするよ」
「あー、そう感じたのならすまんな。でも、これだけは言わせてくれ。見捨てることはできないってのは本心だぜ」
つい本音が漏れてしまったか。これからは気をつけないと……場合によっては相手を不快にさせてしまうかもしれん。
でもなぁ、今回ばかしは状況が厳しすぎる。ましてや、街を守るための防衛戦ってどうしたらいいんだ?
「どうやって守るつもり知らないけど、その言葉は信じさせてもらうよ。ついてきな」
「え、街に入っていいのか?」
「この街を守りに来たっていうのに、入らずしてどうするんだい。ま、正式な許可を得るためにもまずは市長に会ってもらうけどね」
「あ、あぁ……」
マリンダさんが門の中に入り、俺もそれに続く。
何はともあれ、最初の鬼門はどうにかなったか。
ただ、次の鬼門である市長とはどんな人物なんだろうな。まともな人であるといいんだが、必要最低限の防衛戦力を街に残していない実績があるから、あまり期待できそうにはない。
下手しなくとも俺のことを信じなくて、逆に怪しいって理由で俺を捕まえてくるかもしれんな。
「ま、マリンダ!そいつを勝手に入れていいのかっ!?」
「それをこれから市長に判断してもらうんだよ。まっ、あたしは信用できると思うけどね」
「だけどよぉ……」
「おだまり!この男の言っていることが本当だったら、市長に知らせなきゃいけないんだよ!」
「わ、分ったよ。マリンダがそこまで言うんだったら俺はもう何も言わねぇよ……」
強い。相手は見た目からしてそこそこの年齢のお爺さんだが、退役軍人なのか筋肉がついていて体型はがっしりしている。
なのに女性であるマリンダさんに対して強く出られなく、逆らえない様子だ。見た目に反して気が弱いのだろうか、それとも他に理由が?
マリンダさんは一体……何者なんだ?
「おっと、一つだけ言い忘れてたことがあったね」
「言い忘れてたこと?」
「ようこそ、あたしたちの街へ。あたしは街の代表じゃないけど、歓迎させてもらうよ。これからはよろしくね」
「あ、あぁ、俺の方こそよろしくな」
そんなやり取りをした後に日没の合図である鐘の音が鳴り響き渡り、真っ暗になる寸前ということで急ぎ市長の邸宅へと連れて行かれた。
もちろん問題がなかったわけでもなく、市長と面会するにあたってひと悶着あったものの、マリンダさんのおかげで事なきを得ることができた。
いやぁ、一時はどうなるかと思ったぜ。
「お偉いさんとの面会ってややこしいんだな……」
「それは仕方ないさ。相手はこの街の代表だからね」
「そういった人を相手にしたことがないんだけど、やっぱりこの姿のままじゃマズいよな」
「マズいに決まってるじゃないか、普通ならね。でも、今は普通じゃない。あんたがゴブリンたちを殺したっていう説得材料にもなるし、今回は敢えてそのままの姿でお会いになることをお許しになったんだよ」
「本当にさっきは助かったぜ」
というのも、危うくこの鎧の中身が見られそうになったのだ。
なんでも、そのままの姿で謁見するのは失礼になるということで鎧を脱ぐことを要求された。
そこで中身がバレないようにする為に、魔人が放った黒炎に少し焼かれて中身は酷い有り様で特に顔に至っては火傷のせいで醜いことになっていると、咄嗟に誤魔化す羽目になった。
やや無理があるかもしれないが、これで押し通すしかない。後はマリンダさんの援護もあって、市長の執事もそれで納得してくれて今に至っている。
「つっても、あのロイとかいう子爵は一体何様のつもりだ?ここの主でもあるまいし、喚き過ぎじゃないか?」
「あー、あたしたちにとってもロイって奴は悩みの種でね。そもそも正式には子爵じゃないんだ。いずれは家督を引き継ぐ予定の子爵家の長男さ」
「ふーん……」
マリンダさんはいつものことみたいに言ってはいるが、何かおかしい気がする。市長の執事が納得して市長に掛け合ってくれると言ってくれたにもかかわらず、怪しいから鎧を脱がせとの一点張りだった。
しかしそこまで気にすることなのだろうか?自分の家でならともかく、他人の家で神経質になる理由が分からない。
他に気がかりなことがあるとしたらその時はかなり必死だったように見えるところだ。まさか俺の正体に感づいたとか……?
断定できないが、要注意だな。
「思うところがあるとあるだろうけど、相手にしないほうがいいからね。あの問題児は腐っても貴族なんだから」
「そんなこと本人に聞かれたら絶対にアウトだよな」
「なぁに、市長との面談が終わって帰ったんだ。聞かれる心配はないよ」
「お待たせしました。旦那様が執務室でお待ちしておりますので、ご案内いたします」
雑談しながらマリンダさんと待っていると、市長の執事が戻ってきた。どうやら、市長は俺に俺に会ってくれるみたいだ。
にしても、燕尾服を着た本物の執事を見るのは初めてだな。こうしてよく見てみると体幹がしっかりしているのか、姿勢がピンとしている。それに動きが洗練されて無駄な動作がなく、隙が無い。
ただ、柔和な笑みを浮かべているがどこか作り物みたいに見受けられる。とは言っても執事もサービス業みたいなものだし、作り笑顔を浮かべても不思議じゃないか。
それと他に気になることがある。
「案内されるとしたら応接室かと思ったんだが……俺を執務室に入れていいのか?」
「生憎、ここのところ忙しいらしくてね。たぶん、簡単な仕事を片付けながら話を聞くと思うよ」
「随分と市長について詳しいな」
「まぁね。理由は後で分かるさ」
ふむ、マリンダさんは市長と何らかの繋がりあるというのだろうか。
それはそれで納得できるんだけどね。こうして当たり前のように屋敷に入れてもらっているし、ただの一般庶民ではなさそうだ。あれ?仮にそれなりの立場の人物だとしたら……
「もう少し丁寧に喋るべきだったか?」
「ははっ、今さらそんなことを気にするのかい?あたしは気にしてないんだから、そのままで構わないよ」
「お二方、着きましたよ」
「あ、もう着いたのか」
市長の執事の声で執務室のドアの前に着いたことに気づいた。
にしても、会話しながら色々と観察してみたが、市長の邸宅にしてはやや質素な気がして、内装も所々に年季を感じられる。まぁ、質実剛健かもしれないし、案外これが普通だったりするかもしれないのか。
と感想を抱いてたところで市長の執事がノックをした。
「旦那様、お二人をお連れしました」
「来たか。入ってくれ」
「では、どうぞお入りください」
扉の向こうから市長と思わしき声が聞こえた。
入室の許可を得て、市長の執事がドアを開くとマリンダさんは物怖じすることなくそのまま中に入って行った。まるで散歩するかのように感じる気軽な足取りである。
対照的に、さすがに緊張してきた俺は硬い足取りになってしまった。
本当にマリンダさんは何者なんだろう?
気になりながら中に入ると、初老の男性が執務机の上で羊皮紙を整理しながら椅子に座っていた。
「わざわざ来てくれてありがとう。えーと……君が報告に上がっていた男かね?」
「どんな報告か分かりませんが、たぶん俺だと思います」
というか、絶対に俺以外にあり得ないだろう。
なんて口に出せるわけがないんだけどね。まぁ、生身の身体だったら表情に出てたかもしれないが、鎧の身体だからその心配は皆無である。
そう考えると、素でポーカーフェイスができるのは利点だな。ただし、心の内が読まれたらどうしようもない。特に神様がいい例だ。
「ふふっ、報告通りの格好だったから聞くまでもなかったんだがね。一応は確認のためだよ」
「は、はぁ」
「あぁ、そういうばまだ名乗っていなかったね。私はルジェス。この『南の街』の代表である市長だ。ま、堅苦しいのは苦手だから好きに呼ぶといい」
「わ、分かりました。えーと、俺はカイトといいます。それとこんななりで申し訳ないですが、鎧の下は火傷のせいで酷いことになっていますので、お見せすることはできません。ご了承ください」
「話はジャックから聞いている。あぁ、ジャックは私の執事のことだ」
「改めましてジャックと申します。カイト様、以後お見知りおきを」
「こ、こちらこそよろしくお願いします……」
うーん、たどたどしい口調になってしまったがよく分からん。貴族ではないにしても、並の一般人よりも遥かに偉い人になるからどう受け答えしたらいいんだ?
今のところは問題は無さそうだが、セーフとアウトの境界線が曖昧なせいでどこかで地雷を踏み抜きそうだから怖い。
元の世界でもお偉いさんを相手にしたことないからなぁ。礼儀作法とかどうしたらいいのやら。
「あんたさぁ、無理に猫かぶりしようとしていないかい?ここには身内しかいないんだからもっと気楽に喋りなよ」
「身内?」
「そうだとも。市長はあたしの叔父なんだよ」
「えっ!?」
「……まだ教えてなかったのか。驚かせて悪かったね。マリンダは私の姪だ」
なんてこった。まさかマリンダさんが市長の姪だとはな。
だが、同時に納得でもある。これまでの立ち振る舞いにも説明がつくし、市長について詳しいことも不思議ではない。
で、俺はそんな人を相手に最初からため口で喋っていたのか……
「後から口の利き方がなってないとか言ってきて、俺を不敬罪にするとかないよな……?」
「はっ、馬鹿馬鹿しいね。あたしらは貴族じゃないんだよ。それにあんたは恩人になるかもしれない人なんだから、大目に見るに決まっているじゃないか」
「そういうことだ。じゃあ早速だが、カイト君が見てきたことを細かく聞かせてもらえないかな?」
「あ、あぁ……」
良心的な人でよかったと軽く安堵しつつ、俺は森の中での出来事を説明した。もちろん、神様についてや俺の鎧も含めて詳細な部分は誤魔化しまくった。それと、この世界において異世界人はどんな認識をされているのか未知数だ。故に、別の世界から来たことに関しても誤魔化している。
嘘に嘘を重ねることになったけど、上手くバレないといいのだが……祈ろうにも神様がアレだからなぁ。
「ふむ、念のため聞いておく……カイト君は駆け出しの傭兵なんだね?」
「まぁ……そんなところですね」
「それにしてはよく生き残ることができたものだ。ビギナーズラックというのもあるかもしれないが、果たして本当にそれだけなのかい?」
暗に『他の理由があるのでは?』と疑ってくるか……厄介だな。
ただの良心的な人ではなさそうだ。優しい口調で温和な表情を浮かべながらも、さりげなく俺を射貫く眼差しがそれを雄弁に語っていた。おおらかな人かと思いきや、俺がぼろを出した瞬間に豹変しそうでなかなか侮れない。
市長という地位は伊達ではないということなのかね。下手な誤魔化しは通用しないかもしれないが、それでも押し通すしかないな。
「いやぁ、本当に運が良かったんですよ。この鎧なんてたまたま貰った物ですし。今にして思うと、この鎧がなかったら俺はあの森でとっくにくたばってましたね」
「ほぉ、確かに見事な鎧だね。だけど、どうやってそんな代物を手に入れたんだい?」
「知り合いが傭兵だったんですよ。ただ、傭兵稼業って命懸けじゃないですか。それでその知り合いはまとまった金が入ったから引退するって言うんで、せっかくだから俺にくれたんですよ」
思いつきでベラベラ喋っているが、内容のほとんどが限りなく真っ黒だ。
そもそもの話として俺は運が悪い。運が悪かったから酷い目に遭っているわけだしな。ただ、この鎧のおかげで生き残っているのは紛れもなく事実である。
入手方法については……神様が絡んでいるから正直に話せるわけがない。これに関しては徹底的に隠し通そう。
「そうか。ところで話は変わるんだが、君の言う黒炎を使う魔人とやらはそんなに厄介なのか?」
「あー、あれは厄介ってレベルじゃないですね。離れた場所を爆発させてくるわ、木なんて一瞬で燃えカスにしてましたし。しかも身体能力も並の人を凌駕しましたね」
こっちの方がだいぶ盛っているように思われるかもしれないが、残念なことに全部本当だから困る。
いやぁ、俺が生身のままだったら一瞬で殺される自信があるぜ。
「聞けば聞くほど君が生き残っていたのが不思議なのだが……まぁ今はいいだろう。それで、その魔人が我が街に向かっていたゴブリンの討伐隊を潰したと言っていたのだな?」
「はい。聞き間違いではなく、確実に言っていました」
「よくそんな重要なことを君に告げたものだ」
「油断していたんじゃないんですかね。俺を殺せばどうとでもなりますし」
「そして君は生き残った……ここまでくるとただ単に運が良いのではなく、神様の加護が付いていると言われた方がまだ納得ができるよ」
「は、ははっ……そんなことあるわけないじゃないですか」
皮肉にも、ルジェスさんの言っていることはあながち間違っていない。加護と言っていいのか分からないが『鎧化』というスキルのおかげで今まで乗り切ったのは事実だ。
だがしかし、俺はこのスキルを加護だなんて認めたくねぇ。俺の人としての自由を奪う枷であり、俺が神様に従わざるを得ない理由の一つなんだぞ。
加護ではなく、呪いと言った方がまだしっくりくるまである。
「どうかしたのかい?」
「あ、いや、何でもないです」
危ない危ない。神様に対する恨み言が漏れそうになったな。
しっかし、どうして神様のことを口にしたら駄目なんだろうか?
ルジェスさんが神様のことを知っている、あるいは信仰しているのなら話がスムーズ進んでいたかもしれないのに……やはり気になるな。だが、どうやってその理由を探ればいいんだ?それにこの世界における神様とは、どういった存在なんだ?
分からない事ばかりだな。どうしたものか……
「しかし……カイト様のおっしゃることが真であれば非常事態ですな」
「うむ、あの森がゴブリンを従える魔人の拠点となっているのなら王都に救援の要請を送るのは相当な時間がかかってしまう。そうなると、救援が来る前にこの街が攻められるかもしれん」
「え、それはどうしてだ?」
「余所から来たあんたは知らないだろうけど、速く王都に着くには森を貫くように作られた街道を使うしかないんだよ。で、戦略的にもその街道は封鎖されているだろうから、王都に行くには森を迂回する道を使って遠回りするしかないのさ」
となると、籠城戦はほぼ不可能に近い。籠城戦とは援軍がくることが前提だからそれがなければ籠城をしてもジリ貧で押し負けると聞いたことがある。
いよいよもって打つ手なしときたか。
「カイト君、もう一つ聞かせてもらうけど、その魔人はいつ攻め込むかは言っていなかったのかい?」
「さぁ……そこまで口を滑らせてくれませんでしたね。ただ、あまり猶予はないと思った方がいいかと」
「そうか……君の忠告には感謝するよ」
実のところ、一応は致命傷を負わせている筈だ。もし、銀髪の魔人があの時やせ我慢をしていたのなら、少なくとも明日ということはないだろう。
ただし、このことはルジェスさんたちには伏せている。どうやって致命傷を与えたんだと言われても、色々と返答に困るからな……
ま、あの連中がいつ攻め込んでくるのか分からないけど、猶予が無いのは確実だ。銀髪の魔人が復帰したら即座に進軍するに違いない。
「事態は深刻ですな。旦那様、今すぐにでも早馬を手配して王都に向かわせるのはいかがでしょうか?」
「そうしたいのは山々だがまだ確証を得たわけではない以上、すぐに決めるのは早計だ」
「ちょっと、それで手遅れになったらどうするんだい?」
「危険なのは重々承知している。だから明日にでも、カイト君とジャックに森の調査を頼むつもりだ。カイト君、いきなりで悪いが頼まれてくれないか?」
「別にいいですけど、ゴブリンの数は尋常じゃないですから危険ですよ?」
俺一人だけならゴブリン相手は怖くもないが、ジャックさんを守れるかと言われたら自信がない。
とは言っても、信用できる誰かに確認してもらわないと話にならないのも承知している。そうなると、ルジェスさんが最も信用できる人物といえば、この場にはマリンダさんとジャックさんしかいない。
せめて腕っぷしのいい護衛が一人でもいたら俺も安心して戦えるんだが……
「カイト様、私のことはご心配なさらず。自分の身は自分で守れますので」
「……ジャックさんがそう言うのであれば、断る理由はありません」
「ふーん、せっかくだからあたしも付いて行くよ。あたしだって、ゴブリン相手に遅れは取らないからさ。構わないだろ?」
「はぁ、止めろと言っても聞かないのはいつものことか。それにそこらの連中よりも腕が立つしな……好きにするといい。ただし、危険な真似は絶対にしてはいけないからな。カイト君、仕事を増やすようで悪いが、マリンダのことをよろしく頼んだぞ」
「ア、ハイ」
さらっと仕事が増えることになったが、大事な姪であるマリンダさんを守ってほしいという気持ちは汲み取れるし、無下に断るにも気が引けた。
それに……神様の無茶ぶりに比べるとまだ可愛いものだ。
「今日のところはこれで終わりにしよう。明日は早いから、今日は我が家に泊まるといい。マリンダ、私はまだやることがある。ジャックの代わりにカイト君を客室に案内してくれ」
「あいよ。じゃ、付いてきな」
「いやいや、俺なんかを泊めて大丈夫なのか?」
「あんたさぁ、人の好意は素直に受け取っておきなよ。ほら、さっさと行くよ」
「お、お言葉に甘えて……」
恐れ多くて泊まることに抵抗があったが、結局は押しに負けてしまい、俺はマリンダさんの後に付いて行き、執務室から出るのであった。
オマケという名の蛇足
マリンダとカイトが出ていき、執務室にはルジェスとジャックの二人が残された。
すると、ルジェスが口を開く。
「……どう思う?」
「よろしいのですか?」
「構わん。今は俺とお前だけだ」
「じゃ、遠慮なく」
二人きりになった途端、先ほどまでとは違って彼らの雰囲気が一変していた。
ただし、それは悪い雰囲気ではなくて、仲のいい昔馴染みと雑談するかのごとく、気軽なものである。きっと今の方が普段から隠している素なのだろう。
そして、表の仮面を外した二人はそのまま会話を続ける。
「カイト君だが、元ベテラン冒険者であるお前の評価はどうなんだ?」
「それを聞いてくると思ったぜ。まぁ、正直に言わせてもらうと……ありゃ素人だな」
「やっぱりそうか。俺もそんな気はしていたんだ」
しかし、カイトに低評価を下しつつも二人の表情が曇ることはなかった。それどころか、恐ろしく真剣な面持ちである。
まるでカイトが只者ではないと言わんばかりだ。
「素人であることは揺るぎない事実。だが、至る所にある焼け焦げた跡や匂いはどう説明する?」
「さぁね。返り血を浴びて、全身を焼かれたとしか言いようがありませんぜ。仮にそうだとしたら、どうやって生き残ったのかが気になりますな」
「待て、返り血だと?カイトは誰かを殺したと言うのか?」
返り血という言葉に反応して、ルジェスの表情は険しくなった。それは仕方のないことだろう。断定はできなくとも、殺人を犯したかもしれない人が姪であるマリンダの近くにいるのだから、至極当然の反応だ。
しかし、ジャックはそれを否定する。
「まさか、あれは人間の血じゃない。冒険者時代によく嗅いだ……ゴブリンの血ですぜ。死体を燃やす時にあんな匂いがしましたからね。ついでに言えば、手についていた血もゴブリンのもので間違いないですぜ。あの匂いは嫌でも忘れられませんから」
「お前がそう言うのなら間違いはあるまい。ということは、カイトがゴブリンを殺したというのは事実か。身体中に返り血を浴びていたのなら、相当な数は殺していそうだな」
「そしてその後は魔人の放つ黒炎に焼かれた。あの鎧を見る限りじゃ、全身が黒炎に焼かれたんでしょうね。それも、木を一瞬で焼き尽くすような強烈なやつを」
「おい、それは火傷程度で済むのか?普通に考えても、カイトは焼け死んでもおかしくないぞ」
「そうなんですよ。俺も聞いた時からそこがずっと気になっていたんですよ」
どうして生き残ることができたのか、どうして五体満足なのか、どうして鎧もほぼ無傷だったのか、どうして全身を焼かれたことを伏せたのか。
などとジャックが疑問に抱く点は多い。
それから、ある結論に到達する。
「まー、鎧を脱ぐことにかなり抵抗があるみたいですし、鎧の中に何らかの仕掛けがあるんじゃないんですかね?」
「ふむ、我々ですら知りえない何か特別な魔法が付与されていたりするのか……」
「かもしれません。ただ、あそこまで脱ぎたがらないのはかなり怪しいですけど」
「確かに怪しいが、今は捨て置いても構わないだろう。それよりも入手方法だ。間違いなく、貰ったのは真っ赤な嘘だ」
知り合いの傭兵から貰ったと言うカイトの嘘を既に看破していたようだ。しかも断言している辺り、聞かされた時から気づいていたに違いない。
だが、ルジェスはそれをカイトに指摘することはなかった。何か理由があるのだろう。
「盗んで手に入れた……はないな。カイトから邪な気配は感じられなかったし、マリンダが連れてきたのなら信用できる」
「姪御さんを贔屓にし過ぎちゃいませんかね。ま、俺もカイトは信用できると思いますぜ」
カイトという人物が信用に値する人物だからこそ、敢えて見逃したようだ。もし本人がそれを聞いていたら、苦笑していたことだろう。
ただし、カイトに対する疑問が消えたわけではない。
「それにしても、カイトは誤魔化していることが多過ぎる。駆け出しの傭兵でなければ、鎧は貰ったわけではない。一体何者なんだ?何が目的なんだ?」
「さぁ?俺も分かりませんな。ですが、マリンダお嬢様が言うにはこの街を救うつもりらしいですよ」
「となると、ますます謎が深まるな。この街を救うメリットがカイトにあるのか?」
街を救って多額の謝礼金を受け取りたいのか、それとも姪であるマリンダを狙っているのか、あるいは街を救った英雄にでもなりたいというのか。
様々な可能性を模索するも、どれもカイトが望みそうにないという結論しか出てこない。
しかし、必ず動機はある筈だ。それさえ分ればとルジェスは思うものの……
「旦那、情報が少ないんですからここいらでお開きにしましょうや」
「そ、そうだな……とにもかくにも明日は頼んだぞ。特にカイトのことはよく観察しておけ。それと無理はするなよ。証拠になりそうな物を手に入れたらすぐに戻って来い。それさえあればうるさい連中はどうにでもなる」
「へへっ、それなら楽勝ですぜ。ピクニック感覚で終わらせますよ」
「ふっ、明日が楽しみか?」
「もちろんですよ。カイトの戦いっぷりが見れるかもしれませんし」
「それも含めて報告してくれ。……くどいかもしれないが本当に無理はするなよ」
「分かっておりますよ。では、明日の準備があるので失礼させていただきます」
「う、うむ……」
話を切り上げるという意図なのか、ジャックは表の仮面を被って口調を元に戻した。雰囲気も一瞬で切り替わっている。
ルジェスとしてはまだ他に話したいことがあるものの、明日の準備を怠らせるわけにもいかないと判断して、大人しくジャックが執務室から出ていくのを見送った。
そして、最後に残されたルジェスは一人ごちる。
「一体何が起きているのやら。先月は軍によって街中の男たちが連れて行かれたかと思いきや、その隙を突くかのごとくゴブリンを従える魔人が攻めてくるなんて……」
あまりにもタイミングが良すぎる。あまり考えたくもないが、誰かが裏で糸を引いているかもしれない。その誰かとは恐らく貴族の誰かだろう。ルジェスはそう考える。
そんな考えに至った理由としては、王都を中心に怪しい動きをする貴族が増えてきたと、信頼のできる辺境伯に聞かされたからだ。
加えて、この街で動きをする貴族に心当たりがあった。
「今日会いに来たロブ家の長男……ロイという男はここのところ妙な真似をしているらしいな。素性の知れない連中を屋敷に招き入れては過剰に人の目を気にしていたり、大量の私兵を雇っていると報告されていた……」
決定的な証拠がないにしても、後ろめたいことをしている可能性はかなり高い。
ただ、相手は腐っても子爵家の長男である。迂闊に手出しはできないうえに、王都には後ろ楯となる大物貴族がいると本人は仄めかしていた。
「ロイの奴め……わざわざ会いに来たと思えば、釘を刺すのが目的だったのか?」
ルジェスは思い返す。ロイが大物貴族と仲が良いと露骨に強調していたことを。
曰く、お近づきの印に蜂蜜を贈呈したところお礼に上等なワインが贈与された事。交流を深めるという名目で王都で開催されるパーティーに招待された事。そして、これ見よがしに友好の証として送られた指輪を見せつけてきた。
ルジェスとしてはただの自慢話かと思っていた。しかし、実際は関係性をアピールして言外に手を出すなと忠告していたのかもしれない。
「ふんっ、気に食わないな。だが……無視することができないのも事実か」
下手に敵を増やすのは得策ではない。
何故か名前を口にすることはなかったものの、相手が本当に王都の大物貴族なら辺境の街の市長では太刀打ちできないのは確実。
故にいくら怪しくても、ロイを捕まえるのはどうしても躊躇ってしまうようだ。しかも私兵がいるから尚更だ。その為に今は泳がせることしかできないのである。
「はぁ、本当にどうなっているのやら。ただ、今のところは推測に過ぎなくて決定的な材料があるわけでもない……とりあえずは魔人の対処が優先だな」
不安定要素は多く、何が起きているのか分からない。それでも、大量のゴブリンを従える魔人という明確な脅威が迫っている可能性が高い。万が一の場合に備える為、ルジェスは思考を切り替えて明日の準備に取り掛かるのであった。