第八十一話 敵はたった一人
鬱屈とした数日間。
テトラが帰らぬ一ヶ月。
俺は、どうする事も出来ずに一人書斎に籠っていた。
神滅因子など、もはやどうでもいい。
どうせ明日受け渡すのだ。
深く考えたところで意味が無い。
意味…か。
思えば、テトラと過ごした時間は短かった。
意味なんて、考える余裕が無かった。
でも楽しかった。
心からそう思う。
ああだめだ……俺はもう諦めてる。
いつもそうだ。
一度投げやりな気持ちになると、目先の事しか考えなくなる。
切り替えてしまう。
それで、自分も相手も傷つけてしまうんだ。
「何をお読みになって?」
メルフィアが手を重ねてきた。
あれだけ俺を避けていた彼女が、すぐ近くに。
数日前から、こいつの様子がおかしい。
ずっと何かに怯えている。
「神装、死神笛について」
「ああ、それですの」
メルフィアがずいっと太腿を寄せてきた。
浅ましい奴。
「ミーロンが所持していた得物と、特徴が酷似している。また、神滅因子と合わさることで、絶大な破壊兵器となることも」
「………」
「お前はこれを使い、何を企んでいた?」
「………」
メルフィアが沈黙を貫く。
黙りたければそれでいい。
こっちが勝手に話す。
「神滅因子と死神笛の同所持は禁止されている。死神笛が、神滅因子の力を吸い取ってしまうからだ。それに加え、聖級魔術、魔導剣士以上の取り扱いは死罪。魔術師兼貴族であるなら、お家取り潰しだな。従者も執事も貴様も、全員処刑台送りだ」
これだけ長い期間を置けば、死神笛は神装として完成している。
一振で都市二つは消し飛ばせるだろう。
戒禁という枷から解き放てれば、の話だが。
「いや…ですわ」
メルフィアが縋りついてきた。
ま、当然の反応だ。
誰だって死にたくは無いわな。
「でも当然の報いだ。あれだけの惨状を娯楽の一環で引き起こしたのだから。それでいて助けてくれ? 虫が良すぎるだろう」
「わたくしはまだ…死ぬわけにはいかないんですのよ!」
瞬くよりも早く、腕の関節を外された。
得意の体術で制圧か。
俺を相手に甘すぎるぞ。
「なあ聞けよ、メルフィア」
俺はメルフィアの首を掴んで持ち上げた。
「ぐじゅ…! くっ…!」
そして、そのまま壁に叩き付けた。
半殺しにするつもりで、5、6回打ち付けた。
壁は崩れ、隣の部屋と繋がった。
「考えてもみろ。お前は、現世の最王たるこの俺の愛弟子を性玩具にした挙句、忠告にも耳を貸さなかった。俺、言ったよな? 近寄るなって。お前の顔も、身体も、胸も、匂いも、何もかも、全て! 俺の大嫌いな奴のそれなんだよ!」
俺はメルフィアを叩き付け、旋回して放り投げた。
やかましい轟音に、衝撃が屋敷を揺らした。
「生きてるか、小娘」
一応聞いてみた。
啜り泣く声が聞こえた。
ああ、生きてたのか。
「お前は弟子でもなんでもない。頼むから消えてくれよ…」
顔をつき合わせるのも明日で最後だ。
精々、無様に転げ回ってくれ。
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夕方。
俺はゼルマと最終的な打ち合わせをした。
ここを経つ日は明後日。
それに伴い、神滅因子譲渡の際は、俺も同席して欲しいとのこと。
此度の受け渡しは最重要機密ゆえ、腕利きの魔術師を監督役として置きたいからだそうだ。
また、俺が目を光らせれば下手な勘ぐりをされず、揉め事も起きないらしい。
政府高官が招かれるのも、理由の一つとして挙げられるな。
「指名手配犯が監督して良いのか?」
「ええ、その方が世間体も良く、インパクトがある。終始来賓の目は貴方に集中するでしょうから、私共の秘密には目が届かない。最後まで隠し通せる」
「自覚はあるんだな。それで? 今貴様、隠しただろ」
私共の秘密、では無い。
メルフィアの秘密だ。
ゼルマは、自分だけ安全なルートを確保している。
暴かれるのはメルフィアの悪事だけだ。
「……はて? 何をでしょうか?」
「とぼけるな下郎。悟られずに済むのは貴様だけだ。他の連中はどうなる」
「知ったことではありません。私はもとより、メルフィア様の執事ではありませんから」
薄気味悪い化けの皮が、ようやく剥がれたな。
「これでも私は、貴方様を買っているのですよ。アビル様は何時いかなる時も覇道を征く、人類の頂点。その眼は世界を知り、五体は魔を掌握し、智は神に牙を剥く。混沌悪を溶かした大海を統べる、まさに魔術王の生き様。しからば、細部などに魂は焼かれないでしょう?」
塵も積もれば何とやら。
何処で得た情報だろうか。
「魂は焼けないが、壊れるぞ。ガラス細工は傷に強いが、衝撃には弱いからな。そんでもって、踏めば大怪我だ。壊れた人間の洞察力を、あまり舐めない方がいい」
「……そうですか。貴方は最後の最後まで、人間を主張しますか」
ゼルマが、ふっと笑った。
バチりと静電気が走る。
「明日、明確なお返事を頂戴します」
「もう返答したはずだが?」
「気が変わるかもしれませんから…ねぇ」
嫌な言辞を残し、ゼルマが立ち去った。
魅せる後ろ姿は、闇に溶け込む紫色の雷。
奴もまた、芯が一本通っていた。
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夜になり、自室にカグヤを呼んだ。
明日の話をしておきたくて。
「よっこーらせっ」
カグヤが俺の膝に座った。
レディーに失礼かもしれないが、ズシッときた。
大きくなったな。
よしよしすると、可愛げのある反応を示してくれる。
それに、いい匂いだ。
「早速だが、お前に頼みたいことがある」
「いいよー、なあに?」
カグヤが妙にべったりだ。
ま、いいけどさ。
「知っての通り、明日神滅因子の譲渡が行われる。もしそこで、何らかの形で厄介事が起こり、殺し合いに発展した場合、時間稼ぎをお願いしたい」
「殺し合いになんの?」
「確定では無いが、可能性は高い」
「ふーん、いいよ」
本当にわかってんのかコイツ。
何の前触れもなく、唇を重ねてきたし。
今日は、やけに力強いな。
しかも、舌まで…。
「んあっ…」
ほらみろ、呼吸できてない。
俺はカグヤをそっと引き剥がした。
「報酬は前払い制か?」
「ぶぶー。残念ながら前金だよ」
「ああそう……そうなのね…」
明日のことを考えると、武者震いがする。
最悪、俺も無事じゃすまないかもしれない。
でも負けられない。
カグヤの前で、無様は晒せない。
だから時間稼ぎを頼んだ。
覚悟しろよ、盟約の忠犬。
焼き切るしか脳の無い稲妻如きが、魔術王の深海に手が届くと思うな。




