第五十六話 陥落
城が燃えている。
街が燃えている。
そう伝え聞いたことはある。
かの有名な武将が裏切りにあい、焼き殺された事件を知っている。
重要なポストを与えられていたにも関わらず、少なからず恩義を感じていたにも関わらず、裏切った人間を知っている。
酷い人間だ。
何度読み返そうともそう思う。
しかし、それは誤りだ。
彼には、反旗を翻すに足る理由があった。
諸説あるが、彼の主は相当な悪人だったらしい。
それは、天下統一を果たすためなら冷酷無比に判断を下す冷血漢。
味方にこそ愛はある。だが、敵には残虐。
そんな主に仕えていた彼が、いつの日か変わった。
足蹴にされたからだ。
「なんだよ…これ」
実際目にしてみると、それはそれは恐ろしい光景で、目を覆いたくなるような惨劇だった。
昨日までハキハキと声を出し、笑顔で商いをしていた露天商が地面に転がっている。
毎日毎日、あれやこれやと口煩く鉄を叩いていたドワーフ達が散乱している。
毎朝、綺麗な花を一生懸命店頭に並べていた姉妹の首が無い。
あとは、焦げた焼け跡に混ざる動物の死骸。
先へ進むともっとあった。
気温は更に高くなり、大火が肌に触れるほど近い。
狭い。
崩れた家屋が薪となり、走る火だるまが着火する。
逃げ惑う人々にしがみついて、道連れに焼き殺す。
「う…! うぉぇ…ッ」
コウは広く充満する悪臭に吐いた。
鼻腔に突き刺さる人の焼けた匂い。
想像を絶する刺激臭。
「大丈夫かの?」
「えぇ…なんとか」
多少のふらつきはあるが、歩く分に支障はない。
ただし、疲労困憊の体には堪える。
「あ…」
今、王都から歓声が上がった。
それと同時に、王宮に繰り返し撃ち込まれる大砲。
落とされた。
「ああ…」
見るも無惨な敗北。
精神的なダメージは確実にコウの身体を蝕んでいた。
身を震わせてカチカチと歯を鳴らす。
熱いのに寒い。
この先が、一センチ先すら読めない。
「間違いなく王は死んだの…」
メルギアナが細々と呟く。
賢王エルドラドの事を。
でも、彼女は彼についてよく知らない。
興味も無い。
ただ、王の器は知っていた。
先程まで、懸命に指示を出す王の姿を彼女は見ていた。
王は民を死なせてはならない。
その行動は、矜恃は、彼女の心を強く叩いた。
しかし結果は惨憺たる有様。
王は死に、民も死んだ。
生き残ったのはほんのひと握り。
「あれ…? 姐さんは?」
ふと、コウが涙目で問う。
恋い慕う彼女の名前を必死に叫ぶ。
しかし声は届かず、追っ手が迫る。
「いたぞー! こっちだー!」
人相、風貌からして味方では無い。
囲まれた。
50、100、その他は死角にいる。
「まぁ当然と言えば当然じゃの」
メルギアナがコウを背負った。
虚ろな目で、立てなくなったコウを紐で縛り背負った。
よしよしと、まるで母親のように声を掛けて。
彼を姐の元に連れていくと決めた。
「退かんか豆粒共」
メルギアナがドスンと大きな音を立てて威嚇する。
踏み締める音色が強大過ぎて、誰も近寄れない。
流星騎士団は攻めあぐねている。
しかし、所詮相手は女一人。
どれだけ強い言葉を吐こうと、か弱き女。
捕らえたらどうしてくれようかと、騎士団の面々は冷たき刃を彼女に向ける。
「かかれぇぇええ――!」
騎士団長の大号令が響き渡る。
その瞬間、取り巻きの騎士達が一斉に彼女に襲いかかった。
剣刃は峰打ち。
殺す気など無い。
最も、殺すのは後でいい。
ひとまずは楽しんでからという愚かな判断が、自身らの首を絞めることになる。
「よっ、ほっ、はっ」
彼女は何重にも立ちはだかる壁をひょいひょいと飛び移っていく。
頭から肩へ、肩から腹にダイブ。
振り落とされる剣は右目が捉えた。
「遅いわ未熟者!」
メルギアナの鋭い蹴りが炸裂。
男は一瞬にして意識を失った。
「怯むな! 囲め囲め!」
騎士団長は額に血管を浮かせている。
ただが女一人に手こずる不満が爆発しているようだ。
こうなると、標的の生死は問わない。
生きていれば幸運程度に考える。
騎士団全体がそういう風潮らしい。
「めんどっちーのぉ…」
メルギアナは左手を天に掲げた。
そして、薬指に嵌める指輪に禍々しくも鮮やかな青い魔力を溜めていく。
警戒を強めた騎士団は、一二歩下がった。
それでも彼女の間合いにいる気がする。
光は小さいのに、悪寒がする。
「本当は使いたくないが仕方ない。可愛い魔術師の卵のためじゃ」
メルギアナはそう言い、異様な笑みを浮かべた。
そして、指輪から光が放たれた。
光は四枚の葉を形作り、彼女を守るように高速で回転する。
やがて、それはその速度を維持しつつ、騎士団に撃ち込まれた。
「精最王四枚翼」
全てが斬り刻まれていく。
血飛沫が広がっていく。
啼泣が届くより早く、渦を巻いている。
形成するは藍色の繭。
繭は解けて粒子となり、それは羽化した蝶のように空を舞う。
「昔と何も変わらん。変わったのは残された者達だけじゃ」
移ろう景色はそれでも尚混沌だった。
王都に近づくにつれて、過激さはより一層凄みを増した。
少人数を包囲して追い詰める賊軍が目に入った。
味方の前に庇い立つ勇敢な男の姿も。
「これ以上…奴らの好きにさせるなァ!」
彼は果敢に敵陣へ斬り込んでいく。
目まぐるしい速さ、強さで次々と両断していく。
鼓舞する度に声は掠れていた。
もう誰一人味方が声を発せなくても、彼は振り返らない。
背水の陣をものともせず、鬼神の如き峻烈さで白銀の鎧を真っ赤に染めた。
「負けるなよ…若造」
メルギアナは王都に向かって駆け出した。
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王都に到着した。
コウは幾分か持ち直したようで、すっかり歩けるようになっていた。
塞ぎ込んでいては何も始まらない。
未熟者なりにできることを探そう。
そう思い、コウがメルギアナの手を掴んだ途端。
王都中枢より一筋の流星が飛んできた。
流星は人だった。
「ゴハッ!」
男は、積み重なる瓦礫に叩きつけられた。
深い紫色の髪、折れた杖。
禍つを纏いて憎しみを孕んだ目をしていた。
「アバドン…」
メルギアナが彼の傍に寄る。
手は貸さず、自力で立ち上がらせた。
「これはこれはメルギアナ様。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
甲斐甲斐しい言葉の最後、そこだけが酷く落ち着いていた。
男の目元を伝う水滴が汗でないことは、誰の目にも明らかだった。
「敵は何処ですか? 俺達も手伝います」
「いいえ結構です。お逃げ下さい」
アバドンは突き放すように言う。
「でも!」
「いいから、さっさとお行きなさい。無駄死にされては困ります」
アバドンはコウの肩をポンと叩いて、おぼつかない足取りで歩いていく。
彼を追い詰めた敵は目前まで迫り、二人の退路を奪い去る。
「ふぉっふぉっふぉっ。やはり魔族は頑丈でありますなぁ」
恐ろしい声だった。
それは、おおよそ人間から発せられる声では無く、どこか気味悪い格調をしていた。
どういう形であれ、数々の難行を超えた二人が足を竦ませるほどの。
相手は両目を失った老人。
彼は、地まで届くほどの長い髭を蓄えて、汚れたローブを羽織っている。
腰にぶら下がる勲章にはメダルが付いていた。
メダルには、水晶を噛み砕く骸骨の絵が彫られていた。
「貴様…」
アバドンが折れた杖を握る。
今一度、首を狙うつもりで。
「私がご用意した余興は楽しめましたかな? あの方はどうも気乗りしていないようでしたが、きちんと役割は果たしてくれましたので、最終的には素晴らしいショーになりました。――あなた方もそう思いません?」
無いはずの目が、ギョロりと動いた気がした。
思えば。
彼が現れてから空気が変わった。
あれだけ騒がしく歓声をまき散らしていた敵兵が大人しくなった。
「思わん」
メルギアナがキッパリとそう言うと、凄まじい重力がここ一帯に立ち込めた。
「…はて? 何故でしょう?」
老人がメルギアナを見下ろしている。
まじまじと値踏みするように観察している。
「なるほどなるほど、なーるほどぉ…」
老人が口角を釣り上げて笑う。
馬鹿にしているようにさえ思える発声ではあったが、案の定違った。
「今宵は辞めておきましょう。今はまだ、その時ではない」
「懸命じゃの」
「ですが。いずれ必ず、あなたを喰らいに参りましょう」
老人が両手を合わせて、巨大な魔法陣を足元に出現させた。
「…逃がすか!」
すかさずアバドンが魔力弾を放つ。
弾はひとつに繋がり、魔法陣を収める鳥籠を作り上げた。
しかし、簡単に破られた。
「旧メイルイ王国の雑兵共よ! せいぜい死ぬまで足掻くといいわァ!」
老人は通り一遍の捨て台詞を吐いて消えた。
取り巻きの兵士達も消えた。
「……」
アバドンは力が抜けたように座り込んだ。
下を向いて、一言も発さずに動かず。
「してやられたの」
「………」
「おぬしは負け犬じゃな」
「……えぇ」
メルギアナは冷たかった。
失意に打ちひしがれた者に、追い打ちをかけるかのように冷淡で。
「わたくしは、あの方に何も返せていませんから…」
アバドンは辛そうに呟いた。
「んなもん、今からでも遅くなかろうて」
「遅いですよ。あの方はもう居ないのですから。死んだのですから…」
そう言いながらも、アバドンは杖を拾った。
ふらつきを堪えながら立ち上がり、重い足取りで歩き始めた。
「わたくしの王はもう居ない。ですが、もう一人の王が戦っている。なら最後まで死力を尽くしましょう」
そして、アバドンが走り出した。
二人から遠ざかるように、あっという間に視界没。
だが、突如現れた漆黒の閃光から居場所はわかった。
「行くかの」
「えぇ」
二人は、燃え盛る王都を横断した。
灼熱地獄に浸かるような苦行を敢えて選んだ理由は、王宮に最速最短で着くため。
散在する流星騎士を始末しつつ、二人は走った。
そして、最後の城門を抜けて王宮が見えてきた。
見えてきたが、コウが足を止めた。
「どうしたのじゃ?」
「…あれです」
「ん? あー、あれか…」
コウが指し示す先にあったのは処刑台。
処刑台には、王族を含む近衛騎士団が吊るされていた。
そこにはエルドラドの姿もあった。
見せしめに両手両足を落とされ、達磨にされた王族の姿があった。
吐き気を催す光景だ。
首を刎ねる場所は他にあり、今まさに処断される女の姿もあった。
金色の長い髪を結った、背の高い女エルフだ。
彼女は全身に打撲痕があった。
特に腹部が酷い。
何度も何度も、繰り返し殴られた形跡がある。
「これで最後だ。その力、その技巧、我が流星王国の為に使え」
流星騎士の男が剣を振り上げた。
彼女を取り押さえる連中は力を強めていく。
やがて、見物人を扮した流星騎士団が集まる。
歓声はここから上がっていたのだ。
「誰がお前らの鉄なんか打つか、ばぁーか」
女は唾を吐いた。
「そうか。なら死ね」
剣が振り下ろされた。
ジャッと斬れ味のいい水っぽい音がした。
舞う血飛沫は思いの外少なく、彼女の頭上から滝のように噴き出す。
「ぎぃやあああああ…!」
男が無い腕を抑えていた。
そして首、上半身、膝から上が順に消し飛ばされた。
「誰の許しを得て、俺の半身に手を出している」
魔術王アビル・スターマインが男を細切れにした。
「ア…アビル?」
「少し待っていろ。こいつらを始末したら、手当する」
アビルから流れ出る恩讐の感情。
杖を投げ捨て、己の拳のみで流星騎士を一掃していく。
彼らが彼女にそうしたように、何度も何度も、肉塊になるまで打ち続けた。
「この…バケモンが!」
流星騎士の一人が、アビルの首に剣を突き立てた。
かなりの練度を感じさせる鋭い太刀を向けた。
しかし、噛み砕かれた。
「ヌァァアアアア――!」
そしてアビルが両拳を地面に叩き付けて、極彩色の竜巻を発生させた。
この竜巻はとにかく威力と規模が凄まじい。
処刑台諸共、流星騎士団を一人残らず消し飛ばした。
「すっごいのぉ…アビル」
メルギアナは目を点にしていた。
己の弟子が、凡人を憐れんでいたあの弟子が、ここまで飛躍したのかと。
嬉しくなった。
「いや凄すぎです…なんですかあれ、恐竜?」
「キョウリュウとやらは知らんが、多分そんなもんじゃろ。て、そんなことを言っとる場合じゃない。はよ行くぞ」
「あ、はい!」
ここから先はメルギアナが転移魔術を行使する。
光を超えた速度で、小刻みに使用した。
王宮跡地に到着してすぐ、ドス黒い霧がカグヤの場所を教えてくれた。
「こりゃまた、厄介なもんが憑いとるのぅ」
メルギアナは頭を抱えた。
カグヤの胸部を泣きながら抑える獣が居たからだ。
その獣は全体的に不明瞭で、はっきりこうだと断言できない物の怪だった。
顔は霧で見えない。でも、体毛は生えている。
しっぽは多分、蛇。
見れば見るほど分からない、奇っ怪な獣がカグヤを護っていたのだ。
「姐さん!」
コウがカグヤに触れようとすると、獣が唸り声を上げた。
近寄るな、触るな。
言葉が通じなくても気は通づる。
コウは、離れた位置から治癒魔術をかけようとした。
「やめい。そんなことしたら、あの娘は死ぬ」
「どうしてです?」
「ほれ、そこな獣の手の下は空洞じゃ」
「…え」
コウは力無く尻もちをついた。
じゃあ無理じゃん。
だってそこ、心臓じゃん。
と、考えることはそればかり。
動悸と吐き気が止まらず、激しく取り乱した。
「な…なんとかして生き返らせる方法は無いんですか!?」
「あれは禁術じゃ。間違っても使用してはならん」
「んな事言ってる場合じゃねぇだろ!」
コウは煮え切らないメルギアナに食ってかかる。
しかし、メルギアナは無策でここに来た訳では無い。
何かしら用意があって来たのだ。
「ちっと待てい」
メルギアナが懐を漁り始めた。
ゴソゴソと、何か沢山収納されているようだ。
暫くして、コルクで締められた細長い瓶が出てきた。
「…なんですかそれ?」
「蘇生の薬」
「死者をですか!?」
「まあ、魂が残っとればな」
メルギアナがコルクを外した。
少し考えて、ゴクリと唾を飲んで、
「この娘を助けんと、後々アビルに恨まれそうだしの…」
瓶の中身を飲んだ。
正確には口に含んだ。
そして、獣の手をちょいちょいと突き、身振り手振りでカグヤを助けると伝えた。
「………」
黒い獣は手を退けた。
獣は彼女を信用しきれていない様子だが、自分ではどうすることもできないと、半ば諦めていた様子でもあった。
それを証明するように、カグヤの心臓部から無尽蔵に流れ出る血。
時間は無い。
メルギアナは、カグヤの上半身を抱えた。
すると、
「口移し……」
と、コウが羨ましそうに呟いた。
メルギアナはよくこの状況でそんな顔ができるなと呆れつつ、カグヤと唇を重ねた。
「…ん」
メルギアナは、少しずつ、少しずつ薬品をカグヤの口内に流し込んでいく。
喉を動かすペースに合わせて、ゆっくりと嚥下させる。
一滴も漏らさぬよう強く重ねて、最後まで流し入れた。
すると、カグヤの体がみるみるうちに再生していく。
出血は止まり、傷口も消えた。
ただし動かない。
目も開かない。
「…グォウ」
獣は軽く唸った後ふわりと消えた。
一足先に、カグヤの安否を掴んだようで。
「…あ! 姐さん!」
コウが震える声で叫んだ。
カグヤが目を覚ましたのだ。
「……コウ?」
「そうだよ! コウだよ! 姐さんだけのコウだよ!」
「鬱陶しいなぁ…」
カグヤは再び眠りについた。
気持ちよさそうにぐっすりと。
「副作用で丸2日は目を覚まさん。それまで看病してやってな」
「はい! ありがとうございます!」
「それと、このことはくれぐれもアビルには言わんように。私の名も伏せよ。よいな?」
「はい! ……でもなんで?」
「いいから。わかったかの?」
そう言ってメルギアナは、コウに人差し指を咥えさせた。
甘い言葉と甘美な時間を与えることで、彼を押さえ込もうとしているのだ。
もしかしたら彼女は悪い女なのかもしれない。
でも、コウにはわからない。
「…ふぁい」
「よろしい」
彼女は魔女。
奪われた魔女。
だからこそ、奪う気持ちを知りたい魔女。




