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第四話 カグヤの願い

 先刻、片割れの村を見つけた。

 アルフォルドの証言を元に、くまなく探して、ようやく見つけた。

 カランド領、西北西に位置する小さな村。

 そうだと言われなければ素通りしてしまうほどの小さな村だ。名前はわからない。


 そこは酷く荒れ果てていた。

 住人は一人もおらず、風化した建物だけが取り残されていた。

 木々は枯れ、散在する瓦礫が抗争の後を物語る。

 一軒だけ息をしている家屋があり、入ってみると酷い悪臭に鼻を焼かれた。

 吐き気を催す臭いだ。

 

 家屋の中は暗く、何も見えない。

 多少の夜目は利く。感覚を頼りに奥へ進んだ。

 そこで気づく。

 光、風を通すはずの窓に木板が打ち付けてあり、暗闇の密閉空間になっていると。

 最悪の生活空間だ。

 

 扉を開けて、隣の部屋に移動。

 ふと、足元に違和感が。


<水気のある何かを踏んだ>


 ブシュと音がした。床に何かが落ちてある。

 周囲を照らして確認すると、恐ろしい光景が目に飛び込んできた。

 大小無数の遺体が切り刻まれていたのだ。

 何十人という単位で山のように積み重ねてあり、男女入り交じる肉塊からは悪臭が漏れ、蝿、蛆の住処と成り果てていた。

 狭い部屋にかき集められていたせいで、壁と床は腐食し、酸素が薄い。

 とても人の住める環境ではなかった。

 

 外に出て深呼吸し、一望して改めて思う。

 村そのものが死んでいる。

 もう何処も、息をしていない。

 母親どころか、人っ子ひとり見当たらなかった。


---


 俺は帰って来てすぐ、カグヤに問い詰めた。

 お前は誰と何処で暮らして、どういう意図で俺に接触したのかを。

 意味も無く、魔術師に話しかけるなんて有り得ない。

 いつだって魔術師は悪者なんだ。

 人を殺し、種を乱し、国を焼く力を持った恐怖の象徴なんだ。

 救世主にはなり得ない。

 それなのに。

 

「アビルは天才魔術師なんじゃないの? じゃあ魔術師じゃないじゃん」

 

 まるで答えになっていない。

 彼女は、俺に何を求めているんだ。


「ママを助けて欲しい。それが私の願い」


「わけを聞かせろ。なぜ俺なのかを」


「いいよ、教えてあげる。アビルは正直者だから」


 席に着き、カグヤは神妙な面持ちで話してくれた。

 ぽつぽつと、それでいて厳かな口調で。


 まず、母親のミコは武芸者として名を馳せていたそうで、魔導拳技[朱雀(すざく)]を編み出した人だという。

 父カミノは、とある流派の聖級剣士で地元じゃ敵無し。

 夫婦揃って有名人だったそうだ。

 仲睦まじい二人の間にカグヤは産まれ、地元を離れ、メイルイ王国に居を構えた。

 ここでも二人の実力は認められ、近衛騎士団に入隊を許可された。

 そこで二人は見た。漆黒とも言える王国の闇を。


 奴隷制度が当たり前の時代、他国から流れて来た同種族、亜種族の奴隷達を壊れるまで使い潰す風習があった。

 それは優良な人材として、玩具として、盾として。

 多岐にわたる使い道の果ては決まって凄惨。縁のない二人には狂気に映った。

 カミノは奴隷制度の撤廃をメイルイ国王に進言したが、まるで聞く耳を持ってくれなかったそうだ。


 程なくして二人は近衛騎士団を抜ける。

 ミコは帰郷を提案したが、正義感の強いカミノは奴隷達を解放してからと待ったをかけた。

 頭を悩ませる日々が続く中、もう一つの壁にぶち当たる。

 ある日、カミノは窓の外を見た。

 幽鬼のようにやつれた民、みすぼらしい服を着る子供。

 難癖をつけられ、殴り蹴られの末、事切れた老人。

 誰も彼もが辛そうだ。笑うのは身なりのいい者たちのみ。

 王宮の傍はあんなに色付いていたのに、なぜここは灰色なのか。

 王国全体の腐敗に気づくのに、そう時間はかからなかった。

 

 カミノは苦しんでいる者、一人一人に声をかけた。

 初めは食べ物を与え、次に衣類を与えた。

 懐を削りながらも、見返りは求めない。

 初めは警戒されていたそうだが、日を追う事に、段々と受け入れられるようになった。

 愚直なまでに素直な性格が彼らの心を開いたのだ。

 カグヤも手伝い、主に子供達と遊んだりして友好関係を築くのに尽力したそうだ。

 

 願わずして、カミノの後ろに付き従う者が出始めた。

 わかっていたことだ。でも、そんな関係は求めていなかった。

 しかし、彼らが真に解放されるには腐った国政を変えねばならない。

 燃え上がる正義感に身を委ねたカミノをミコは止めた。

 そんなことをすれば、愛娘であるカグヤに危険が及ぶと、夜通し怒鳴り散らしたらしい。


 それでもカミノは抵抗運動を断行。主導者として王国に牙を剥いた。

 結果は惨敗。

 当たり前だ。王国の盾である騎士団の面々は、上席の層が最後まで厚い。

 素人の寄せ集めで、どうこうできる相手では無いのだから。

 協力者は無論殺され、家族共々皆殺し。

 家屋は焼かれ、中に居た人達も全員焼かれた。女子供関係無く。

 それを目の当たりにしたカミノは、自身の過ちに気づき思考を停止。

 一時の感情が招いた最悪の結末だ。

 ミコは心身喪失したカミノの手を握り、走った。

 カグヤは泣きながら走った。

 友達が焼かれたんだそうだ。


 辺境の存在を知ってか知らずか、アルフォルドの居る村に着き、彼に匿ってもらうことになった。

 あいつは放っておけないタチなんだ、そういうの。

 まあそれは置いといて、だ。

 

 カグヤがカミノに言った。


『パパは悪くない! 悪いのはアイツらの方じゃん! なんだよ! お金持ちだからって偉そうにして、みんなみんな泣いてるのに見て見ぬふりして! 誰だって許せないよ…普通そうでしょ? 人間だもん』


 これがカミノを救い、立ち直らせた。

 三人で生きていこうと誓ったカグヤの叫びだ。

 

 ミコは黙ってそれを聞いていた。

 成長する我が子を想い、敢えて口出しをしなかったのだろう。

 逞しくも、一からまた始めようとカグヤは決意した。


 悪夢の日々は終わりを告げ、翌日からいつも通りの生活に戻ることができた。

 村人達の助力もあり、生活水準は安定していく。

 穀物や野菜の栽培に力を入れる農村地域であるため、王国に卸す品は多く、収益もそれに比例するように膨大。

 自分らを快く受け入れてくれた村には、そうした秘密があり、誰も彼もが優しかったそうだ。

 カミノとミコ両名は農業を見て学び、わからないことは聞いて回り、親交を深めていくことになる。

 二人は少しずつ笑顔を取り戻していき、ほとぼりが冷めたら旅がしたいとカミノ自身の口から漏れた。

 カグヤはそれが嬉しかった。

 

 二週間が経ったある日のこと。

 カグヤは村の子供達とかくれんぼをして遊んでいた。

 飽きを知らずに、昼刻から夕刻にかけての数時間もの間。

 楽しい時間は過ぎ去り、今まさに帰ろうとしたその時、異変に気付く。

 不自然な倒木の影に人影がある。

 カグヤは夜目が利き、洞察力にも自信があるそうで、すぐにわかった。

 彼女が感じたのは舐め回すような視線である。

 いらやしく気持ち悪い視線だ。

 不意をつき、視線の先めがけて石を投げた。

 キンと高い金属音が鳴り響き、何かに当たったのを確認。

 それが合図かのように、ガサガサと木陰から無数の兵士達が姿を現した。

 不運なことに、忍び寄る影は無数に存在したのだ。

 注意を引くためにわざと強い気配を放ったのか、はたまた本当に彼女を狙っていたのか。真偽はわからない。

 わかっているのは、泳がされていたということ。

 

 そして囲まれた。

 顔に傷のある剣士、余裕の笑みを浮かべる槍使い、豪華絢爛な鎧を身に纏う騎士。大きい空の麻袋と縄を持つ兵士もいる。

 およそにして20数名。

 敵の装いは様々で、その誰もが歴戦の猛者であることを伺わせる。

 じりじりと距離を詰められ、カグヤは問う。


『誰? 何しに来たの…?』


 足が竦む。声が震える。

 心臓の音が五月蝿い。


『言わずともわかるだろう。貴様の父カミノは、メイルイ国王に反旗を翻した大罪人である。娘の貴様も同罪だ、潔く首を差し出せ』


 首魁であろう騎士は切り捨てるように言った。


『嘘つきじゃん』


『なに?』


 カグヤは一人の兵士を指さした。


『だってそうじゃん、殺すならあんな大きな袋要らないじゃん。埋めればいいじゃん。縄だって必要ないじゃん』


『……ククッ』


 騎士は不敵に笑い、カグヤを壁際に追い込んだ。


『相手は男なんだしわかるだろう…?』

 

 その言葉を聞いた時、カグヤの震えは止まった。

 小さな拳で騎士の鎧を貫き、首を掴み、圧壊させた。

 大の大人の首を少女が千切るなど、有り得ない。

 目を疑う光景に、兵士達は戦慄した。


『き…貴様ァ! よくも――!』


 剣士は平手打ちを受けた。

 頭はちぎれて飛んで行き、木に当たって潰れた。


『ひぃい…!』


『あ…ああぁぁぁあ!』


『ハイド様が殺られるなんて…無理だ! 撤退だ!』


 兵士達は次々と武器を捨て逃げようとする。

 しかし、一人また1人と首を撥ねられた。

 静寂を味方につけた乙女の手によって。


『ねーどこ行くの? まだ話は終わってないよ?』


『く…来るなァ!』


 残るは一人。

 若い男の兵士は腰を抜かし、無様にも漏らしながら後退りした。


『お兄さんは兄妹とか居るの?』


 カグヤは優しげな笑みを浮かべ、兵士の頬を触った。

 ペち、ペち、と値踏みするように。


『えっと…兄が一人』


『そうなの!? じゃあ今度連れて来てよ! 見てみたいなー!』


 無邪気なカグヤを見た兵士は、さぞ安堵したことだろう。

 

『わかった。絶対連れてくるよ』


『やったー! 楽しみにしてるね!』


 兵士はフラフラと立ち上がる。

 見逃してくれたんだと、少しばかり油断があった。

 だから。


 背中に刺さる貫手に気が付かなかった。


『ゴボッ…ど…うじで?』


『逃がすわけないじゃん。少しは考えなよ…』


 背骨を掴み、壁に投げつけた。

 即死だった。


---


 俺はここでカグヤの話に区切りをつけた。

 休憩したかったから。

 話が重過ぎて頭が痛いんだ、さっきから。


「お前自身も犯罪者なのだな」


「うん。でも私、悪くなくない?」


「まあ…正当防衛で片付けられる話ではあるな。奴らがお前に何をしようとしてたのかは、大体想像がつく」


「私可愛いもんね」

 

「自分で言うか…」


 どの時代にも下衆は一定数存在する。

 相手の弱みに付け込んで手を出そうとするなど言語道断。

 まして幼い少女だ。

 到底許されることでは無い。

 

「ねー、アビル。続き聞きたい?」


「話してくれるのなら」


「重たくなるよ? もっと頭痛くなるよ」


 気づいていたのか。

 洞察力が良いのは事実であったか。


「構わん。俺は消化不良が一番嫌いなんだ。それに…お前の事をもっとよく知りたい」


「やっぱり、アビルは正直者だ」


 カグヤが後ろから抱きついてきた。

 不安になる暖かさを感じる。


「いい事教えてあげる。こうするとね、男の人は大抵喜ぶんだよ。そして、胸元をちらっと見せて両手を広げると飛び込んでくる」


「何故それを俺に」


「続きに関係するんだよ。私がどうやって生き延びてきたのかについて」


 上手く解析できないが、なんか嫌だ。

 胸が焼けそうになる。

 続きを聞きたくない。


「…まさか」


「違う違う違う! 多分、アビルが思っている事とは違うよ。心配しないで」


「そうか…ならいいんだが」


 静かにギュッと抱き締められる。

 なんだろうか、この気持ちは。

 久しく忘れていた感情な気がする。


 伝わり来るじんわりとした熱が眠気を誘い、ほのかな柑橘系の香りが心を癒す。

 いかん、このままだと寝てしまう。

 眠気覚ましに珈琲を入れるとしよう。

 多少の茶菓子はあるし、二人で食べるのもいい。


「茶菓子を用意する。少し待っていろ」


「あ! 私も手伝うよ」


 挽いた豆を乗せた紙をカップの上に敷き、お湯を注ぎ、ドリップ。

 カグヤが用意してくれた。

 手慣れたものだ、カミノが愛飲していたのだろうか。

 彼女には葡萄ジュースを用意し、魔術で精製した氷をグラスに入れ、棚からクッキーを出して皿に盛り付け、テーブルの真ん中に置いた。

 再度、席に着く。


「長々と話しても面白くないから、巻いていくね」


「今日はえらく饒舌だな。昨日までとは大違いだ」


「ふふっ…ありがと」


 上目遣いでクスクス笑い。

 これが素なのだろう。

 それでも悪戯好きの性根は変わらないようだ。


「じゃあ私が村に戻ってからの話をしよう」


「よろしく頼む」


 カグヤは皿に手を伸ばす。


「パパが連れてかれた。王宮魔術師に手も足も出なかったみたい」


「何? だとしたらおかしいぞ。カミノは聖級剣士だ、王宮魔術師ごときに破られるはずなかろう」


 王宮魔術師は、せいぜいが聖級魔術師。

 才のある者であれば、昇格するのに10年もかからないレベルの豆粒だ。

 乱級クラスは絶対にいない。

 となれば、正面戦闘で聖級剣士に勝てるわけが無い。

 潜り抜けてきた場数が違うからだ。

 後方支援の魔術師と違い、剣士は常に前線に立つ。

 計略、奇襲、索敵、その他諸々の判断力が求められることから、切れ者が多い職業だ。

 日がな一日のんびり過ごす魔術師も居るというのに、彼らは一貫して鍛錬を怠らない。

 戦の行方を左右する生粋の戦闘者集団と言えるだろう。

 そこの聖級ともなれば一騎当千の猛者であり、同級魔術師とは比べるべくもない。

 ただ、精神干渉系の魔術を得意とする外道魔術師が敵側に一人でもいた場合、少し厳しいけど。


「アル爺に聞いたんだけど、一人だけヤバい奴がいたんだって。皆を操ってパパを襲わせてたって言ってた」


 実際問題そんな気がしていた。

 当たりだったな。


「どおりで…実力が発揮できないわけだ」


「まーそんな訳で、パパは負けて、操られた皆も連れてかれましたとさ」


 村が二つに別れたのには、こういう訳があったのか。

 しかし妙だ。

 操られた者も連れていかれるとは。

 理由がわからない。

 それに、向こうの村とやらに生存者は確認できなかった。

 詳細を知るのはカグヤだけとなる。


「一つ質問だ。連れてかれた者達はその後どうなった?」


「殺されたよ。みーんな殺された」


 カグヤはクッキーを頬張りながら話す。

 動揺は見られず平然としている。


「たしか、お前とお前の母は処刑を免れたそうだな。それは…」


 俺は言葉を切った。

 カグヤが腕を組んで首を傾げたからだ。


「ん? 違う違う。最後、私達の処刑もあったんだけど、なんかアイツらの顔ムカつくから、ママと協力してボコボコのフルボッコにしてあげたの」


 殺ったな。これは。


「して、埋めたと」


「そーそー、わかってるじゃん」


 悪びれる様子が一切無い。

 それどころか嬉々として語る狂気。

 

「ではもう一つ。お前の家にあった死体の山、あれはなんだ?」


「あーヤバ、埋め忘れてた」


 こいつの反応に、いちいち驚かなくなってきた自分が怖い。

 嘘と決めつけるには彼女は強過ぎた。

 カグヤは上を向き、思い出すように話す。


「あれはね、私を追ってきた人達だよ。全部で何人いたかな。20辺りから数えてないけど、結構いた気がする」


 間違いなく刺客だろう。

 服装の統一感が無かった事から、集団で来たとは考えにくい。

 遺体の損傷が激しくて大まかにしか見てないが。


「ざっと30前後いたはずだ。あれはお前が殺ったのか?」


「そだよ。お金持ちばかりで本当に良かった」


「…………」


「あれれ、どうしたの? 急に固まっちゃってさ」


「あ…いや別に。お前が怖くなったとか、そういうことじゃない」


 怖くなった。

 先の見えない中、必死に生きてきたカグヤに失礼なのはわかる。

 でも何故か表情が強ばる。

 見つめられると視線を逸らしてしまう。

 ダメな奴だ、俺は。

 自分で聞いといて距離を取るんだから。

 カグヤはしばらく黙っていた。

 そして、

 

「うーん…あ、そうだ! ねーアビル。私が、どうやって悪い魔術師を退治したか知りたくない?」


 突然そんな事を言ってきた。

 カグヤは凄まじい勢いでベッドに飛び込み、横に来いとマットレスを叩く。

 気にはなるが、どうしてベッドなのか。

 またしても嫌な予感が…。

 それでも、俺は彼女の横に座った。

 

「私の家は布団なんだけどね。まあいいでしょう!」


「それで? どうやって始末したん――」


 ドンと音がした。

 息付く間もなく押し倒された。

 カグヤは俺の右足に股がり、強く押し当ててくる。

 

「おま…ちよっ、やめ」


 カグヤが前後運動を始めた。

 男を勘違いさせるような、艶のある表情で。


「足に股がって、こうやって…擦り付けるように座るの。するとね、男の人は自然と瞼が落ちてくるんだよ。勘違いするんだ、頼られてるんじゃないかって。んでね、許してとか助けてとか、相手が想像してるであろう言葉をかける。欲に忠実な間抜けは自然と耳を傾ける。そして、力になってくれそうな素振りを見せてきたら、耳元でこう言ってあげるの」


 カグヤは俺の耳をそっと掴んだ。


「うれしい…だぁいすき…」


 耳にこびりつくような甘い声が、右耳に注ぎ込まれた。

 右半身に痺れが走った。

 生暖かく湿った空気が鼓膜を通過し、頭の中で暴れ回る。

 強烈な一撃だ。


「てな感じでね。タカが外れた間抜けは私を押し倒すの。優しーく足を開かせて顔を近づけてくる。そこをガバッと挟んで、石でズガン。はいおしまい」


 駆け抜けるような説明だった。

 精神的外傷を受けた俺に、配慮してくれたのかもしれない。


「相手の虚をつく訳か、ある意味賢いやり方かもな」


「でしょでしょ!?」


「だが女魔術師にはどう対処する。色仕掛けは通用しないぞ」


「何を言っとん。そんなの無邪気に振舞ってれば隙を見せるよ。そこを包丁でズバッと」


「容赦無いな…」


「そうだね。でも、だからこそ私は生きてる。これからもそうやって生きていく。なりふり構っていられないよ」


 カグヤの目は真っ直ぐだった。

 それが間違いだと気付いていないのでは無く、そうするしかないから。

 

「そうか…ならもう十分だ」


「え?」


「俺が居る。何時いかなる時も傍にいてやる。さすれば、少しは、まともな生き方ができるだろう」


「……」


 カグヤの表情に影ができた。

 俺は胸ぐらを掴まれた。

 鬼気迫る感じだ。

 言葉選びを間違えたかもしれない。


「まとも…ね。ふざけないでよ。私が好きでこんな事をしてるとでも?」


「誰もそうとは言ってない。ただなぁ…どうせ生きるのであれば、陽の光を目一杯浴びるべきだろうなと思っただけだ」


 言葉は届かず、カグヤの手に力がこもる。

 ブチブチと襟が千切れる音がした。

 殺してやろうかとでも言いたげな顔で、俺は睨まれている。


「影に生きるのがそんなに悪いの…?」


「いや、悪くない。それも生き方の一つだ」


「ッ…! だったら!」


「但し、生き方と実際に生活する環境を結びつけてはならない。わかったなら外に出て、沢山日を浴びて、友達でも作れよ」


「いい! 私はそんなの求めてない!」


「ではなんで俺に近づいて来た。何故殺さない。最高のカモがここに居るのに」


「それは…」


「もしや、色仕掛けが通じないと知って、怖気付いたのか」


「違う…違う違う違う違う違う違う!」


 頭を掻きむしり、頑なに否定し続けるカグヤ。

 焦燥か葛藤か。

 いずれにせよ先程の明るさは何処へ行ったのか。

 まあ、そんな事はどうだっていい。

 問題は彼女がどうしたいかだ。


「では最後に一つだけ聞こう。お前の本当の願いはなんだ?」


 俺はカグヤの手を取った。

 ひとまず落ち着かせるために。

 憎しみのこもる歯の噛み締めよう。

 思えば、こうまじまじと顔を見るのは初めてだ。

 溢れんばかりの殺気を放ちながらも、つぶらな赤い瞳は健気な乙女。

 聖女のような目をしている。


「いつか…ママを助けたい」


 カグヤは視線を落とし、ぽつりと呟いた。


「その口振り、お前の母はもうこの国には居ないと取って良いのだな?」


「うん…」


 難儀な事だ。

 声色からして、母の安否もわからんのだろう。

 孤独に戦い続けてきた少女が打ち明けた本音は、少なからず自身の傷口を抉る形となった。

 傷心の彼女は静かに肩を寄せてきた。

 泣いてはいない。ただ、全身に力が入っている。

 握りしめた拳を誰に向けるのかは、母と再会してからわかるだろう。

 当面の目標は親子の再会。

 それでいこう。

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