第四十六話 不変の師
霊峰に来て早10ヶ月。
俺はあることに気がついた。
「……」
「そんなにまじまじと見られると恥ずかしいよ…」
「すまん。ちょっと気になってな」
今から13年ほど前に目撃した黒髪の体術使いの女に、カグヤが似てきたのだ。
ひょっとして、あの女がミコなのか…?
だとしたら俺は、とんでもない思い過ごしをしていたかもしれない。
彼女とミコは別人だと決定付けて捜査してきたからな。
「まあ、どっちにしろ美人だ」
「え? それ私に言ってる?」
「お前にも言ってる」
「気味が悪いや…」
目撃証言が俺の記憶にあったとは。
俺は今とてつもない後悔に苛まれている。
もっと早くに気づくべきであったと。
そんな中、リンファの冷徹ぶりが身に染みる。
「ヌシらサボりか? ボコすぞ?」
リンファは俺の頭に座るのが日課になっていた
毎度の事ながら、首にかかる負荷が尋常ではない。
昨日は肩車だったが、どうも休憩中は俺の傍に来たがる。
昔はやたらと毛嫌いしてたのにな。
「サボりも何も休憩中じゃないですか。いいでしょ」
「オルテシアもケインも午前を振り返って熱心に打ち込んどるぞ?」
「へー」
「グズグズしとらんで、はよ行かんか!」
「ひぃい! わ…わかりました!」
リンファに怒鳴られて、カグヤ逃げるように行ってしまった。
休憩時間なのに理不尽過ぎるだろ。
「これでやっと二人きりじゃ」
ふと、そんなことを言うリンファ。
自分で言ってて恥ずかしくないのか、このロリババア。
「あと二月。よろしく頼むぞ」
「そんなこと言わんで、もう少しおったらええのに」
「悪くない申し出だが、このままでは俺の存在意義が無くなってしまう」
「…ヌシが師範代となり、カグヤの専属になればよかろうて」
「いつの時代の話だ」
「ヌシとあーしが出会った頃の話じゃ」
また随分と懐かしい話を引っ張り出してきたな。
もう300年以上も前の話だと言うのに。
あの頃は弟子と兄弟子でペアを組み、個人々々で修行を行っていた。
のんびりと育成する今の指導体制と違い、いつも張り詰めた空気が流れていた。
前堂主が厳格な古強者だったこともあり、怒声罵声は日常茶飯事。
弟子の失態は兄弟子の未熟と評され、決まって兄弟子に刑罰が下る。
俺の尻拭いは、リンファがしていた。
リンファが兄弟子だったから。
入門初日に堂主に喧嘩をふっかけるような俺と組まされるなんて本当に不運だよな。
迷惑をかけたよ、本当に。
その後も、何度も堂主に噛み付いては返り討ちにあった。
密書を盗み見て技法を再現した程度の半端な剣術で勝てるはずもなく、何度も地に叩きつけられた。
劣等生とまではいかないが、かなり落ちこぼれだったと思う。
最後まで俺を見捨てないでくれたのはリンファだけ。
だから俺は、300年経った今でも彼女を敬っている。
「魔術ならまだしも、剣術は上の中。比肩する者など幾らでもいる」
「あの時はああ言ったが…ヌシは中々いい線いっとったぞ。芳剣呼ばわりは取り消そう…」
リンファから、なんとしてでも引き留めたいという意志を感じた。
兄弟子に、師に認められたのは嬉しい。
だけど、その気持ちには応えられそうもない。
俺の素養で剣神に届く日は来ない。
「コウゴウのように客卿を招けばいい」
「あれは…客卿とは、ちと違うの」
「違う…?」
「んーなことどうでもよかろう」
リンファが不貞腐れるように俺の頭から降りた。
休憩時間は終わりか。
相変わらず真面目で、どこまでもせっかちな師匠だ。
だから慕われるのだろう。
話口調はご愛嬌。
俺は好きだ。
「久しぶりに仕合うてみんか? 手加減してやるぞい」
「やるなら全力でやろう。もう、かつての俺とは違う」
「そうじゃの。では参る!」
瞬きに合わせたリンファのすり足。
視界没からの連撃。
「手応えしかないな…」
「なっははっ!」
血気盛んなリンファとの仕合は互角になると予想されたが、まるで歯が立たなかった。
はっきり言おう。圧倒された。
昔よりも剣先が重くて鋭くて、それでも尚、鮮やかだった。
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夜になった。
ここ最近コウゴウが部屋に来ないので、酒を飲む機会が格段に減った。
門下生達と同じで早めの就寝になる。
蝋燭を消して布団に入った。
「ねぇアビル…おしっこ」
「寝る前に言って欲しかったな」
とはいえ、我慢は良くない。
厠へ急ぐ。
俺とカグヤは部屋を出た。
部屋の外は真っ暗だ。
俺は光属性魔術で前方を照らした。
震えてしがみつくカグヤを連れて長い廊下を進んで、扉が全開の通路を通る。
そこから更に、隣接する本堂に続く屋外通路を通り、客間を通過して開けた所へ。
ようやく厠が見えてきた。
カグヤは扉の前まで走り、もじもじと両足を擦り合わせながら立っている。
「どうした? 入ればよかろう」
「暗いから照らしてて」
それはつまり、俺も一緒に入るということか。
悪いが、年頃の娘と一緒は無理だ。
しかし、カグヤが恐怖でぷるぷると震えている。
我慢すべきは俺の方だな。
「わかった。じゃあ終わったら言え」
「あんがと…」
カグヤに続いて俺も厠に入った。
敷かれた簀子がぎしぎしと音を立てた。
なるほど、怖いわけだ。
「後ろ向いてて」
「もう向いてる」
「おっけー」
色々言いたいことはあるが、これも父親の役目。
いや、母親か。
女の子だし。
「ん…」
緊張しているのか声が漏れてる。
素早く出し切ったようだが。
「ふぅ…すっきりした」
カグヤが下を履き終えた。
ようやく解放された。
早速来た道を戻ろう。
そう思っていたら、カグヤがある部屋の襖に顔を近づけていた。
リンファの部屋だ。
仄かに光が漏れている。
「さあ、そろそろ戻るぞ」
「……」
「カグヤ?」
カグヤは無反応。
部屋の中を食い入るように見ていた。
気になって俺も覗いて見た。
「…ああ、そういうことか」
まず最初に女の声がした。
畳座に敷かれた布団の上で、リンファが誰かと一夜を共にしていた。
蠱惑的な甘い声を出しながら、細い腕を男の首に回して抱きついていた。
相手の男は、何度も何度もリンファを抱き締めてはゆさゆさと揺らして、彼女を満足させようと動いていた。
やがて、リンファの甲高い声が微かに響く。
男は動きを止めた。
止めた上で、酒壺に手を伸ばした。
あの酒壺。間違いない。
リンファは、コウゴウと交わっていたのだ。
「ハァ…ハァ!」
カグヤは、自身の胸をぎゅううと強く掴んでへたりこんでいた。
呼吸を荒くして、涙目になっていた。
初めて見る情欲の景色に当てられたのだろう。
「師匠が…そんな」
カグヤは酷く顔色が悪い。
暗闇でもわかる。
「…戻るぞ」
こんな時、どんな言葉をかけていいのかわからない。
男の感性と女の感性は決して相容れない。
生娘には刺激が強すぎた。
「ま…待って、アビル」
とことこと俺に着いてくるカグヤ。
複雑な心境のまま部屋に戻ってきた。
「さーて、寝るぞ」
「……」
「あれはリンファが望んでしていることだ」
「…そうなの?」
「そうとも。あいつは昔から人一倍性欲が強い。普段は隠してるんだよ。お前らに悪影響を及ぼすからな」
「なんでそう平然としていられるの…?」
問い詰めるようなカグヤの口調。
どことなく怒っている気がした。
「人の情事をとやかく言うな」
「…わかった」
納得してないな、この様子だと。
「でもさ、少しぐらいは変な気持ちにならない?」
「ならない」
「どうして?」
「どうしてって…まあ、大人だし」
「大人? アビルはシたことあるの?」
「これだけ長い年月を生きているんだぞ? してないほうがおかしかろう」
あ…。
言ってしまった後悔が。
今すぐこの馬鹿な口を焼き切りたい。
「誰と…?」
カグヤの体表に黒い霧が漂う。
俺は両肩を抑えられ、押し倒された。
「こんな老いぼれの話を聞いてどうする」
「別に何も。てか、外見は若いでしょ」
「まあな」
「で? 誰さ。言ってよ」
「……」
「さっさと言えよッ!」
とうとう怒鳴られてしまった。
月光に照らされて、カグヤの剣幕な表情が顕になった。
なぜだ。
なぜにそう怒る。
はあ…もう長引かせるのはやめよう。
火に油だ。
「リンファ」
「…え」
「リンファだよ。俺の初体験」
「え…ちょ、ちょっと待って。えー…え?」
そりゃあ戸惑うだろう。
てか、めちゃくちゃ恥ずかしい。
505歳にもなって、初体験の相手とか…。
寝て忘れよう。
「ねぇアビル。どんなことしたの? ねぇアビル。アビルったら」
カグヤが興味津々に俺を揺する。
やはり気になるか。
絶対に教えてやるもんか。
この話はこれで終わりだ。




