第二十二話 セラ
夢の中にメルギアナ師匠が出てきた。
後ろ姿で顔は見れなかったが、懐かしくも可愛い顔は容易に想像できた。
地平線まで続く花畑の中心で綺麗な花冠を文句の一つも言わず熱心に編みこんで積み上げている師匠の背中には、フードを被った小さな男の子がいた。
まだ幼年。少年にすら届かない年齢だったと思う。
師匠は彼に紐を括りつけ、あやすように背負いどこかへ行ってしまった。
寂しげに背中を縮こませ、一つだけ手に取った花冠を太陽に重ねて眺めながら、ただ真っ直ぐに歩いて行った。
純朴で健気な乙女の姿で。
声をかけたかった。声を聞きたかった。
でもできなかった。
それに、追憶に眠る彼女に想いを伝えたところで何になるというのか。
もしかしたら結婚してるかもしれないのに…。
「はぁ…」
目を開けるのがしんどい。
眠いし、なんか痛い。
師匠と交わした接吻が頭から離れない。
あれは紛れもなく初恋の味だった。
「んん…」
ああもう、心臓がうるさい。
もう少ししたら起きよう。
早く会えるといいな。
「ハッ…!」
視界が暗い。
左右から少しだけ光が差し込んでいる。
いい匂いもする。
心做しか体も重いし、明らかに体調不良だ。
…いや、そんなはずは無い。
だって俺、風邪引かないから。
仙薬を飲んで以来、病魔と無縁の生活を送れるようになったから。
とまあ自己分析はこの辺にしておいて、とりあえず起きねば。
俺は上体を起こそうと体を引いた。
すると、正面からカサカサと音がして、急に視界が明るくなった。
「おはようございます、マスター」
瑠璃色のショート髪にキリッとした目付きの女が顔を覗き込んできた。
セラが俺の腹部に跨っていたようだ。
口を大きく開けて欠伸して、うんと背伸びをしたかと思えば右目を擦って俺の胸元に戻る。
無防備な寝巻き姿で、なぞりたくなるようなへそが見えた。
胸部の発達はそれ程でもない。
その代わりに華奢で整った顔立ちをしている。
男なら誰しもが守りたくなるような愛らしい体躯の女性だ。
「おはよう。で、いつからここにいるのだ?」
「深更からお邪魔してます。ここ最近寝不足がちなもので、つい」
「よく眠れたか?」
「はい、とっても」
セラは修道女と見まごうようなおっとり加減で起き上がった。
そのままクローゼットへ一直線。
重心にぶれがなく芯が一本通っている歩き方だ。
彼女はクローゼットを力強く開けて、難しい顔で長考。
結局昨日着ていた鎧は着用せず、耐刃性が高い軽装備を選んで身に付けた。
クローゼットは共用とのこと。
王都に滞在を許されたのはいいものの、何故か二室しか確保できなかった。
カグヤとコウとセラの姉リラが相部屋。俺とセラが同室だ。
一応、この姉妹は日替わりで監視と護衛をするらしいが、状況に応じてコロコロ変わるかもしれない。
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一時間程して。
身支度を済ませて外に出た。
カグヤとコウは神聖国内を観光したいと前日からリラに伝えていたそうで、早朝に宿を出たそうだ。
よって今のところ目的は無い。
単独行動をさせてくれない以上、密書を盗み見ることもできない。
するかしないかで言えばしないけどな。
「何処へ行きましょうか、マスター」
セラはきょろきょろと落ち着きが無い。
与えられた任務に忠実なのはわかるが、些か挙動が怪しい気がする。
「そのマスター呼びに意味はあるのか?」
「特に意味はありません。ただ、身が引き締まる感じがします」
「自己暗示みたいなものか」
「そうですね、それに近いです」
どうもセラはマスター呼びに凝っているらしい。
至近距離でそう呼ばれると従者を持った気分になってしまうな。
「まだ数日と経たないが姉よりもお前の方が真面目な気がする」
「そんなことはありません。昔から姉さんは頭が良くて修道院では一番優秀でした。なんたって二日で教本を丸暗記したぐらいですから」
セラは嬉しそうに語りつつも、すこし悲しげな表情をうかがわせた。
「それは凄いな。ではなぜ入国管理をつとめている」
「我が国の軍事力を支えてきたエルワス上級大臣に引き抜かれたことで入国管理のトップに就任したんですよ。まだ若いのに」
「飛び跳ねるように出世したわけだ」
「それに比べて私は一兵士です。神殿騎士団にいた頃は小隊副隊長でした。でもそれは姉さんの顔を立てるためにあてがわれた役職で実際の部下は数人でしたよ」
セラは辛うじて笑顔を維持していたが、徐々にゆがんでしまう。
優秀な姉への劣等感を募らせているらしい。
上級大臣に引き抜かれたともなれば、いきなりトップも有り得る話だ。
そもそも人事的なものは貴族出身の大臣が決めるからな。
女王の命を受けて選ばれた優秀な貴族が、自分達より下を見て人材を決めるのだ。
情報網は無数に存在し、耳寄りな情報は全て貴族間で共有されるので、直接目にすることは滅多にない。
配下が連れてくるまで顔を知らなかったと言う連中がほとんどだ。
連れてこられた側はたまったもんじゃない。
そこそこ名を馳せるものなら、なんとか踏みとどまりたいと考える。
平凡に生きていた人間なら、またとない機会と捉えるだろう。
しかし、このまま腐らせておくには勿体無いと彼らが判断すれば、否が応でも現職を解かれる。
権力者は子供みたいに何がなんでも手に入れようとするからだ。
自分より優秀なら側近に、もしくは妾にしようとする好色もいると聞く。
そうでないことを祈るが、災いは性別から始まる場合が多い。
異性なら手篭めにし、同性ならこの先都合がいいので、令嬢、子息と交わらせてとも考えつくだろう。
どの道、退路は絶たれるのだ。
「でもまあ…こうして魔術王の側近に選ばれたのだ。誉れ高いことだとは思わんか?」
「はい! それはもう勿論!」
セラは食いつくように接近してきた。
目をキラキラと輝かせて、嬉しそうに口角を吊り上げていく。
「神殿騎士団が存在するのであれば、神殿があるのだろう。案内してくれんか?」
「はい! マスター!」
セラに手を引かれて、胴体が宙に浮く速度で神殿へ直行。
もう少しゆっくり行こうと言ったのだが、風向きのせいで全く聞こえていないようだった。
杖を持っていたのであれば間違いなく振り落とされていたな。
というか早く返して欲しいことろだ。
そう考えている内に、神聖国でも一際目立つ大きな建造物の前に着いた。
セラが急に止まるものだから、顔面からずり落ちてしまった。
「まったく…忙しない娘だ…」
神殿に着いた。
衛兵にセラが話を通してくれたので、すんなり入れることができた。
扉が自然に閉まり、セラが大声を上げて驚いた。
「ほお…なかなかどうして、悪くない」
神秘的な神殿内部。
青白く発光する壁が奥に続き、俺たちを導くように明滅する。
奥へ進むと扉の無い部屋が幾つかあった。
一面鏡張りの部屋もあれば宝物庫らしきものもあり、真っ暗な部屋もある。
そのどれもが吹き抜けになっており、隣接する部屋に繋がっている。
どうやら迷路のようにいりくんでいるらしい。
更に奥に進むと今度は銅像が二体置かれた部屋についた。
等身大ではないかと疑うほど丹精に彫られた少年と少女の像が部屋の中心に鎮座している。
長い髪を編み込むように結った少女の像の背面には、十字剣が飾られていた。
少女の肩に届くぐらいしかない背丈の少年にはマントが付いていた。
どちらも若く、凛々しい顔をしている。
彼らの歴史を語るかのように、光り輝く分厚い本が象の前に現れて落ちた。
一冊だけだ。それもかなり古くボロい。
俺はその本を手に取り、少しだけ中身を見た。
「曙光の戦乙女と赤誠の大勇者…?」
そう本の題名に書かれていた。
像のモチーフになった二人だろうか。
セラに本を渡すと、彼女は懐かしそうな顔で頁をめくる。
「これは大戦後の話ですね。寄る辺を失った少女がある少年と出逢うまでの道のりを記した古文書がこれになります」
セラは詰まることなくスラスラと述べた。
食い入るように読み進めているが、ある頁を境に首を傾げている。
「結末から聞こう」
「二人は世界中を旅して、後に結ばれたそうですよ。でもおかしいですね…私の知る古文書とかなり内容が違います。この先も載っていませんし…」
「歴史書とは違うのか?」
「何もかも正反対です。決して美談ではありませんでしたけど、こんな血みどろでは無かったです」
「血みどろ?」
「本来、少年は死なないはずなんですよ。なのにこれでは結構早い段階で殺されています。中盤以降は少女の話で、最終的にどちらも死んでますね」
「えーっと…つまりあれか、戦乙女が死ぬところで大勇者とやらが死んで、物語に狂いが生じた。しかし結末は変わらず両方殺された、とそういうことだな?」
「そうです。話が早くて助かります」
その後、セラは本を一から読み始めた。
俺は黙って彼女が読み終わるのを待っていた。
時折笑って、泣いて、眉間に皺を寄せて体温をあげていた。
喜怒哀楽がハッキリした女だ。
瞬く間に分厚い本は二つに分かれ、そして持ち手側が厚くなった。
「なんですかこの雷神って…」
うたた寝しそうになっていたら、ふとセラの声が聞こえた。
本を破りかねない握力から、とてつもない怒気を感じる。
怒れる理由は雷神。
雷神は天界の処刑人だと聞いたことがある。
昔、初代魔術王に敗れた敗残の神将だとルーナ先生から聞いた。
彼は誰よりも強く、誰よりも人を殺したそうだ。
そして現在も生きている、と。
俺が思うに雷神は人界を忌み嫌っているのではないだろうか。
太古の昔、天界に座する神の一柱は気まぐれで人を創った。
その感謝を伝えるように人々は無差別に神を崇拝してきた。
どんなものかも分からない幻を未来永劫語り継ぐことに決めたのだ。
しかし、時が流れるにつれて人々の崇拝対象は死後の人間へと変わる。
死後、人は神に転生すると誰かが言った。
それが宗教、信仰の始まりであり、枝分かれしたまま一生束ねることができない、祖神に対する背信行為。
雷神はそれが我慢ならなくなった。だから天誅を下したのではないのだろうか。
「セレスティアの信仰対象は禁獄。雷神からすれば不愉快極まりない存在だ」
「だからって殺すんですか? 自分達が創ったのに?」
「お前だって気色悪い虫がいたら潰すだろう? それと同じだ」
「私は…神様は優しいものだと、勝手に思いこんでました」
「優しいさ、勿論。自分らを好いてくれるうちはな。見向きもされなくなれば不信は募る」
「そう考えると、人間って神様とあんまり変わらないんですね。或いはそう創られたのか」
「いや、神が人を真似たんだ」
俺の言葉にセラは「えっ」と驚いた顔を見せた。
問い詰められたので、俺は少しだけ続きを話す。
「神には心が無く、完全無欠の存在に今しがた及ばぬ唯一の欠陥があったのだ。だからそれを補おうと人から学ぶことにした。心とは何かを知るために。それを誰よりも早く知ったものが雷神であり、大勇者を殺した祖神の一人だ」
簡潔に話したつもり。
話の途中、セラは嫌そうな顔をしていた。
「悪い神様なんですね」
「おそらくな。でも不思議なことに、この本には大勇者を殺めた記録しか記されていない。戦乙女は誰に殺されたのだろうな」
「それは私も気になります」
「彼女とまともに対峙できる人間など限られてくる。案外、悪い神は多いかもしれんぞ」
「では、しらみ潰しに倒すしかないですね」
「降臨したら、な」
俺も詳しいことよく分からない。対峙したことがないからな。
でもまあ、なんとかなるだろう。
この世界はまだ誰も欠けていない。
大勇者はいずれ現れる。
もしかしたら、ずっと近くにいるのかもしれないな。
「あの…」
セラが背中に手を当ててきた。
軽く、小動物を愛でるように優しく。
「どうした?」
「私は剣が人並みにできます。だから連れていってくれませんか?」
霞がかる、か細い声がした。
すると突然、腹部が圧縮されるような感覚に陥った。
セラが俺の腹部を締め付けている。
「急にどうしたのだ。誰もいないとはいえ、これではまるで…」
恋人だとでも言うつもりか俺は。
おかしな考えは捨てろ。
「私を…マスターだけの戦乙女にして欲しいんです」
セラの手は少しづつ肌に近くなる。
ここに来て最悪の事態が起こってしまった。
声色、手つき、吐き出す吐息すらが想い人に告げるそれ。
まだ神殿の名すら聞いていないのに、俺はセラに寵愛を迫られた。




