第十九話 コウの過去
時は西暦2XXX年。
ある少年が、何処かで、何かをしていた年だ。
白く高い建造物の最上階。
上は曇天、下には灰色の地面と、真っ直ぐに引かれた白線がある。
少年は、背丈と同じほどの高さの網を越えて、見下ろすように、ただ立っていた。
少年の瞳には光が無く、身に付ける白い服には赤い液体がまばらに付着しており、その赤い液体は時間経過で粘性を帯びていた。
少年は、それを気にもとめない様子で、何もかも諦めた目をして立っていた。
---
少年は大陸の東に位置する、とある島国にて誕生し、白い建物の一室で日がな一日天井を見つめて過ごしていた。
この世に生を受けてから長いこと、ずっと。
暇つぶしをしようにも体は重く、手足は動かない。
余命は幾ばくも無いらしい。
親兄妹の顔はしばらく見ておらず、来た時に限って少年は睡魔に襲われた。
――痛い、辛い、眠い、早く死にたい…。
少年の心はそれでいっぱいだった。
ビッピッピッと電子的な音が流れる中、少年は死ぬことばかり考えていた。
それでもまだ死ねない。
自死を許されない世界だからだ。
せめてお腹は満たしたいと、少年は戸棚の上に据えてある果物カゴに身を近づけた。
当然の如く少年は落ちた。
戸棚は倒れ、けたたましい音が鳴り響いた。
食べたかった果物は床に落ちてしまった。
数多の衝突音は建物中に響き渡った。
その音に引き寄せられように、白衣を着た女性が慌てた様子で部屋に入って来た。
「幸太郎さん! 大丈夫ですか!?」
「う…あ…」
「すぐにベッドに戻しますね!」
少年は白衣を着た女性に抱きかかえられて、ベッドに戻された。
その女性は先生を呼んでくると言って足早に去っていった。
――ほっとけよ…畜生。
少年は自己嫌悪するほどの酷い暴言を心の中で吐いていた。
本当は思いたくなかった。
助けてくれたのは嬉しいけど、どうせなら楽にして欲しかったから。
でもそれは叶わぬ願い。
少年は諦めていた。
だからお腹を満たそうとしたのだ。
それから家族の見舞いが増えたのもあり、少年は少しづつ考えを改める。
愛されていたと知る。
両親と腹を割って話して、妹とも久しぶりに話をした。
見ないうちに妹の背丈は伸びていて、女性らしさが滲み出ていた。
少年は何故か嬉しくなった。
こんな体は自分だけで良かったと。
きっとこれから、多くの人と出会うのだろうと。
彼氏はいるのか、いるなら結婚は考えているのか、将来の夢は何か。
聞きたいことは山ほどあった。
「お兄ちゃんが良くなったら、みんなで魚釣りに行こうよ」
「釣りはちょっと…てか、お前彼氏いるんじゃないのか? 勘違いされるだろ」
「え? わたしは別に構わないけど?」
「…は?」
「お兄ちゃんが一番だもん。どうってことないよ」
「ちょっとまって意味がわからない。て、まっ――!!」
「ていやー!」
少年の制止を聞かずに、妹は飛び付いてきた。
そして、そのまま眠った。
「はあ…」
頭を痛めつつも、少年は嬉しそうだった。
妹の行動に、思うことがあったのかもしれない。
こんな日々が続くなら、と。
しかし、人生とは山あり谷あり。
突き詰めれば大海に身を落とし、海高をもがいて深海に行き着く。
笑顔を取り戻したつかの間、妹が死んだとの連絡が入った。
どうやら、彼氏との交際関係に亀裂が入ったのが原因らしい。
少年は突然の訃報に衝撃を受けたが、不思議と涙しなかった。
ただ、その日の夜。少年は病室に、ある人物を招いた。
生前、妹が崇拝していた宗教の教祖だ。
彼に何かを頼み、本来動かないはずの足を動かして闇の中へと消えた。
それから二日後。
彼――帯野幸太郎は命を落とした。
飛び降りだった。
---
真っ暗な霧の世界。
少年は死んだのに意識があった。
辺りを照らすかのような、眩い光が前方にある。
少年は視線を向けた。
そこには一人の人間がいた。
たった一つしかない豪華な椅子に、誰かが座っていた。
椅子の骨組みは黄金で出来ており、座面と背もたれには赤いクッションが敷かれている。
退屈そうな表情を浮かべてそこに座る人間がいた。
恐る恐る少年は近づいた。
そして知る。座っているのは男だと。
艶やかな赤いマントを羽織った男がそこにいたのだ。
でも何故か、全体像はぼやけていた。
男は、幾数十の宝石が散りばめられた王冠を指にかけて、それをつまらなそうに投げた。酷く冷たい目で。
やがて少年の存在に気づいた男は、ふと笑顔を見せる。
「やあ、キミが次の来訪者かい?」
男は薄ら瞳でそう言った。
「来訪者…? 誰です、それ」
「キミのことだよ。他に誰がいるのさ」
少年は周辺を見渡した。
男の言う通り誰もいなかった。
「さて、キミは死人となった迷える子羊。このまま行けばあの世だけど、僕に従うならばキミは生き返れる。どうする?」
「は…? え?」
戸惑う少年を歯牙にもかけず、男は続けた。
「どうするか聞いてるんだけど」
「どうするもなにも、地獄行きでしょ。さっさと送ってください」
「んまあ、ある意味地獄じゃないかな? オッケー」
「は? 何を言ってるんですか?」
少年の言葉は、男に届いたのか否か。
霧に覆われた世界は光を帯びた。
「キミの人生、利用させてもらうよ。演目は…大勇者紀行とでも名付けようか」
男は指先一つで霧を晴らす。
たちまち、世界は白く輝いた。
「ちょっと待って! あなたは――」
少年の叫びは届かず、世界は反転した。
ガラス細工のように、バラバラに砕けた時空に吸い込まれていく。
---
「ガハッ…!」
突如として、少年は地面に叩きつけられた感覚を覚えた。
視界に映るは満点の青空。
今のは悪い夢だったんだと、少年は信じて疑わなかった。
「…なんだよこれ」
気づけば、少年は大森林の中にいた。
たまたま大きな陽だまりに身を落としただけで、現実は、現実世界ではなかったのだ。
見たことの無い自生植物。
不自然にへし折れた大木を噛み砕く、牙を持つ芋虫達。
木陰で眠る角の生えた白猫や、空から落ちてきた羽の生えた黒い人間。
聞いたことのある咆哮までもが初めて知る情報であり、同時に、少年は二度目の諦念に至る。
(また死ぬのか…オレは)
今度は殺される。
少年の周りには、血に飢えた獣が群がる。
当たり前である。
非力で矮小な人間の子どもなど、彼らから見ればこの上ないご馳走。
水たまりに映る自身の姿が、明らかに生前と違えど少年は気にもとめなかった。
どうでもよかった。
でも――どうせ死ぬのなら、足掻いてから死んでやる。
少年は走り出した。
目的地は無い。
ただ闇雲に、緑をかき分けてひた走る。
そこに一切の思考はなく、猶予も無く、体力なんてあるはずも無かった。
それでも、少年は足掻くことに決めた。
少年は一心不乱に野を駆けて、樹木を押し倒しながら進む巨獣から必死に逃げた。
砲弾のような岩が飛んできた気がする。
地響きが鳴り、正面に聳え立つ岩盤の要塞が目に入った。
トンネルを塞ぐように、丸みを帯びた巨大な岩が刺さっている。
これは現実。
投岩は幻覚ではなかったのだ。
失意に打ちひしがれた少年は、その場に立ち尽くした。
崩落したトンネルの向こう側には、確実に光があったはずだ。
村があったはずだ、街があったはずだ、国が、世界があったはずだ。
どう転ぶか分からないけど絶対に挫けたりしないと誓ったのに、無情にも隔つ壁は、どこか笑っているような気さえ感じた。
少年の灯火に影ができた。
もう、時間切れだ。
劈く咆哮に吹き飛ばされた少年は、壁に叩きつけられた。
しかし、少年はすぐに立ち上がり、血反吐を吐きながら巨獣に爪を立てた。
「うぉおああああああああ!!」
少年は獣に匹敵する大声を上げ、巨獣の足に自身の爪をめり込ませた。
そのまま腕を思い切り振って、微かに傷をつけた。
イメージするのは、いつか見た御伽噺の主人公。
少年は満身創痍でそれを再現した。
流血を厭わず、爪が剥がれようと少年は足を止めない。
猛攻は止まらない。
「グォオオオオ――! ガァッ…!」
やがて、巨獣は片膝をついた。
逆鱗に呑まれた巨獣は、大木と大差ない太さの腕を頭上に振り上げた。
狙うは赤髪の少年。
狙いは必中。
振り下ろされた剛腕に、少年は手を翳した。
「負ける…もんかあああ!」
そう叫んだ刹那。
少年の背中に小さな円環が出現した。
そして、その円環から無数の光の玉が発生し、巨獣めがけて飛んでいく。
激しい衝突音が鳴り響き、辺り一面は荒地へと変貌をとげた。
「グ…グル…」
巨獣は右腕を消し飛ばされ、胴体に大きな風穴を空けて倒れた。
現状を理解できない少年は、なんとか頭を振り絞って考えた。
コンマ数秒を渡り、一つの結論に至る。
これは魔法なのではないかと。
オレが今使ったのは、魔法なのではないかと。
だとしたらなんと素晴らしいことか、と。
身を焦がす達成感と激しい高揚感が少年を満たした。
「さて…あ…あれ?」
少年は、力なく倒れた。
魔力切れというやつだろうか。
答えは否である。
――ああ…そういうことか…。
少年の四肢は既に正常ではなかった。
右腕は千切れ、左腕は手首から先が無い。
右足と左足は黒く焼け焦げていて、少年が足を崩したと同時に灰になった。
――なんだよ。なんなんだよ…畜生…。
さんざめく太陽の下で、少年は死んだ。
---
そして。
またしても少年は真っ暗な霧の世界で目を覚ました。
四肢は再生していて、痛みも取れている。
でも気分は最悪だ。
見覚えのある男がいたから。
「あーらら。意外とあっけなかったね」
男はくすくすと笑い、王冠を頭の上に乗せた。
まさに王様といった風貌だ。
それを見た少年の顔は引き攣っていた。
「ふざけないでください。なんなんですか、あの狂った世界は」
「これからキミが住むところ」
「は? 意味がわかりません」
「あの程度で狂っていると思うなら、この先心配だな」
男は、鋭い眼光で少年を睨んだ。
「キミは今、怪物を知った。そして、次に知るべきは人間だ。先程見せてくれた術理をもって、生き延びてみせてくれ」
「あんな世界、二度とゴメンです」
少年はキッパリと断った。
それに対し、
「お願いだ」
男は頭を下げた。
本当に、心からそう思っているのではと思わせるほど、美しく洗練された所作で、地に頭をつけたのだ。
さすがに断れなかった。
「わかりましたよ…ったく。ならせめて、一つくらい武器を下さいね。じゃないとまたすぐに死ぬ」
「オッケー! 任せろ!」
男は飛びつくように少年の手を握った。
呆れる少年の足元は、瞬く間に光に覆われた。
「もし可能なら…」
男が頭を掻きながら、複雑な表情を浮かべていた。
「なんです?」
「あー…いや、なんでもないよ」
男は困ったように笑い、霧を晴らせて、空虚を照らした。
---
光が収まり、景色が移ろう。
少年は瞳を開けた。
酷く荒れた大地が目に飛び込んできた。
「ハハハッ…まるでサハラ砂漠だな」
ともかく、少年は歩き出した。
何も無い、生き物もいない死んだ土地だ。
でもきっと。
ここは昔、緑で埋め尽くされていたのだろう。
ふとそう思わせる、壮大な景色だった。
「武器って言ったのになぁ…」
しばらく歩いて気づいたのは、胸の辺りに水晶体のネックレスをかけているということ。
少年は、思いもよらぬギフトに少しだけ気分が落ちた。
そして、空から雷が落ちてきた。
「なっ…! あっぶねー!」
咄嗟に身を捩って交したものの、腹部を少しだけ掠った。
焼けるように熱い、耐え難い痛みだ。
少年は崩れ落ちるように、仰向けに倒れた。
「……!?」
少年は体を硬直させた。
さっきまでここには誰も居なかったはずなのに、一人の少女が自分を見下ろし立っているからだ。
金色の長い髪と青い瞳が、異国の物であると瞬時にわからせた。
少女はじーっと無表情で、興味深そうに顔を近づけてくる。
好奇心が抑えられないのか、少女はしゃがんで、少年のお腹をつついた。
「ひゃんっ!」
「あっはは! 可愛い!」
少年は飛び起きた。
改めて少女の姿を見ると、背格好が良かった。
背丈を越える長さの十字剣を背負っているのに、彼女にしか目がいかないぐらい、綺麗。
初めは金色の長い髪しか知れなかったが、実際は後ろで編み込んでいて、背中を伝うように伸ばしていた。
彼女からすれば、少年は子供みたいな体躯に見えよう。
「あなたは?」
「わたし? わたしはシャンロン! 泣く子も黙る、天才剣士だよー!」
そう言って少女は嬉しそうな顔で少年を持ち上げた。
泣く子も黙るであろう凄い力で。
「おお…おー、凄いですね」
「うんうんうんうん! 凄いんだよ」
なんとも中身のない会話だ。
でも、少女は楽しそうに笑顔を見せている。
少年は不思議に思ったが、それよりも、その強引さに惹かれつつあった。
少年は惚れ症なのかもしれない。
「ねぇねぇ。あなたはなんて言うの?」
「オレはコウ――」
「コウね! わかった!」
「……」
せっかちな少女だと少年は思った。
――でもまあ、あだ名を付けるのならコウだよな。
少年は苦笑しつつも、嬉しそうだった。
「あ…あの!」
「ん? どったの?」
「オレ、住むところ無いんです。だから…」
少年は、オレはなんて情けないんだと深く自己嫌悪した。
藁にもすがる思いで少女の裾を掴んだ。
離したくなかった。
一人にしないで欲しかったから。
「ならわたしと旅しましょうよ!」
少女は少年の手を強く握りながら、眩しい笑顔で言った。
そこから少年少女の旅が始まった。
---
少女は、世界を救うという漠然的な夢を持っていた。
本当ならもう一人仲間が居たらしいが、その仲間は数年前に消息を絶ったらしい。
少年と出会うまで、彼女も一人だったそうだ。
「ほら! これでよし!」
「グスッ…ありがとう、お姉ちゃん…」
「よしよし」
ある日。
少女は、ある男の子の右腕に包帯を巻いた。
「これでよかったですか?」
「ええ、ありがとね」
「いえいえー」
この日も、少女は老人の片付けを手伝っていた。
「チッ…! こいつは手強いね」
「た…助けてくれ!」
「任せて! ちゃんと家に送り届けてあげるから!」
辛くても苦しくても、たった一人で、休まずに、来る日も来る日も困っている人を助けていた。
その姿を少年はしっかりと目に焼き付けていた。
一週間、一ヶ月、或いはもっと。
長いこと一緒にいる。
今日を終えて疲れた少女は、少年に体をあずけて無防備な姿で眠りついた。
少年は、ふと夢に落ちる。
――オレはお荷物だ。彼女が一人頑張っているのに、何も出来ない。
〝キミは何になりたいんだ?〟
――彼女が誰かを助けるなら、オレは彼女を守る盾になりたい。
〝それはなりたいものなのか?〟
――違います。そういう道を歩きたいんです。
〝その道は破滅だぞ〟
――出会いと別れは瞬きの正夢。添い遂げられなくても、傍ら見守っていたいんです。
〝彼女は死ぬ。それは変わらない〟
――死ぬ…なんで?
〝それは言えない。言わない。ボクはもう思い出したくない〟
男の声に、力は無かった。
何もかも諦めた声だった。
その声を少年は知っていた。
他の誰でもない、自分の声に似ていたのだ。
――だからって諦めるんですか? 今ここで諦めたら絶対後悔しますって。
〝キミは絶対に間に合わない。けど…もし可能なら、共に戦って散って欲しい。勿論、キミは生き返れる。それが最後の転生になるけど…いいかな?〟
――短い付き合いですけどね、あなたよりはずっと長いですよ。彼女のためなら、この命惜しくはない。
〝そうか…なら、キミに力を授けよう〟
最後、男は微かに嗚咽を漏らした。
その時、拳を握っていたのか唇を噛み締めていたのかはわからない。
少年は知る由もない。
彼女が死ぬ。
シャンロンが死ぬ。
時はすぐに訪れた。
宿から出てすぐにある長閑な高原。
そこに落ちた雷霆が、人の形を成して佇んでいたのだ。
「コウ! さがって!」
少年は少女に蹴り飛ばされた。
刹那、天変地異にも等しい爆撃が辺りを襲う。
「な…なんだよこれ…」
平和な日々は一瞬にして灰燼と化した。
少女は辛そうな顔をして人型の雷と向き合う。
「帰ってよ。わたしはもう関係ないんだってば」
「貴様らしくない弱音だな。愚王と手を結んでいた頃は、もっと堂々としていたぞ」
「彼は…愚王なんかじゃない!」
少女は、最高最速の太刀を男に浴びせた。
男はそれをギリギリで捌き、すかさず空拳を放つ。
雷を纏う空拳は、大地を掘り進んで少年の方にも向かってきた。
「このッ――らぁ!」
少年は障壁を張って軌道を逸らした。
後方から爆風を伴う爆発音が、けたたましく鳴り響いた。
「貴様…!」
男の標的は少年に変わった。
それと同時に、男の姿が鮮明に見える。
逆立つ承和色の髪、恐ろしい眼光を放つ瑠璃色の瞳。
全身に光り輝く紋章が刻まれていた。
「あんたがシャンロンを狙ってんのか?」
「然り。セレスティア・シャンロンを抹殺しに来た」
「なんでそんなことを…」
「我らが悲願をあの憎き魔術王が潰したからだ。まあ…結局は無意味だったがな。こうして我が直々に誅を下しに来たのは、一重に、その女も加担していたからだ。曙光の戦乙女、実に忌々しい」
男は眉間に皺を寄せて悪態をついた。
聞き捨てならない言葉を彼は吐いた。
少年は背中に円環を召喚し、目にも止まらぬ早さで雷を纏う男に接近。
「シャンロンは正義でお前は悪だ!」
少年は拳に魔力を溜めて、殴ると同時に一気に爆発させた。
夢で得た力をここで使った。
しかし、男には傷一つつけられなかった。
「ふむ…悪くない拳だ。が、直線に向かうのであれば如何様にも対応出来る。我は雷神ぞ? この程度、痛くも痒くもないわ!」
地上にて、雷神が咆哮を上げた。
バンッと強烈な破裂音が鳴り、景色を紫電に塗り替えていく。
少年は戦慄し、その場から動けなくなった。
「あ…ああ…」
「死ね。非力な凡人よ」
雷神は雷を槍に変えて、振り被った。
「なっ…!?」
雷神が飛び退いた。
二人の間を割くように、龍を象った金色の雷が地表を駆け抜けた。
「先に始末すべきは、やはり貴様か」
「わたしは始末されないし、コウは非力じゃないよ」
少女は十字剣を鞘に戻して、腰を落として深く構えた。
刹那。
少年は呼吸が出来なくなるほどの動悸を覚えた。
心臓が握りつぶされる。
気温さえ下がった気がする。
思考はそれでいっぱいになった。
少女は白い息を吐いて、十字剣を全力で振り抜いた。
「地神雷霆戦剣」
キィンとした金属のかち合うような音。
世界がゆっくり進み、雷神の慌てた顔が見える。
雷神は地面を蹴り抜いて天に昇っていった。
よく見ると、片腕がない気がする。
前方に聳え立つ山は、不自然にズレている。
少年は、状況を忘れて時を止めた。
「避けて! コウ!」
少女の叫ぶ声がした。
手を伸ばして、その後も何かを叫んでいるようだ。
少年は振り返った。
そして、太い雷に貫かれた。
「ゴハッ…! ゴボッ……」
少年は滝のように血を吐いて、もう無い胸に手を当てた。
腕が通るぐらいの大きな穴が、心臓の位置に空いていた。
ネックレスも、消し飛ばされていた。
「―――・―・・・――!!」
少女の声は聞こえた。
でも、
――ごめんな。もう、キミが何言ってるのかわかんないんだ…。
少年の瞳から、一筋の光が消えた。
---
次で最後の転生。
でも、そんなことを考える余裕なんて少年にはなかった。
玉座に座る男は、自身の太股に爪を食い込ませていた。
自傷にも思える力の入れようだ。
少年は虚ろな目で、男に尋ねる。
「あの後…シャンロンはどうなったんですか?」
「……」
「どうなったか聞いてんですけど…」
「…死んだよ」
「ですよね…」
「別の誰かが、殺してバラして地に蒔いた。未来は結局…いや、もう考えたところで詮無いことだ…」
男はゆっくりと立ち上がってふらふらと歩き、少年の前に来た。
「用済みってやつですか…?」
「違うよ、これからの事だ。大切なことだからよく聞いて」
男は懐から二つの賽子を出した。
白い賽子と黒い賽子だ。
希望は無いけれど、それでも光を宿した強い目で、男は続けた。
「世界は二つの賽子で出来ている。白は陽、黒は陰。この二つを同時に投げて、出た出目の合計がその人の人生になる。白の六と黒の六なら、最終的には幸せになるけど、辿り着くまでの苦労は常人の比じゃない。一方、白の一と黒の一なら、幸も不幸も無く生涯を終える。とまあこんな感じに、初めから運命が決定づけられるんだ」
「シャンロンは、どうだったんでしょうか」
男は下唇を少しだけ噛んだ。
言いにくそうに、少し間を置いて話した。
「白が二で、黒が七だ」
その言葉を聞いた時、少年は男に掴みかかった。
「七!? そんなの有り得ないですよ! 賽子は六面でしょう!? 第一なんであの子が、あの人が、彼女が、シャンロンが、なんで黒く塗り潰されてんですか!」
「…わからないんだよ。キミよりもずっと一緒に居たボクでさえわからないんだ…」
「どうして…!」
「だから、これからを頼みたいんだよ」
男は震える拳で自信を殴った。
そして、初めてあった時と同じような柔らかな物腰で、優しく少年に微笑んだ。
「キミの最後の転生、最後の人生を無意味なものにして欲しくないんだ。むしろ、苦しんだ分幸せになって欲しい。突然キミをここに連れてきて、死なせて生き返らせる男の言う事を信じてくれるかい?」
後悔を募らせた男の願いは、頬を伝う雫が物語っていた。
「オレに何が出来ますか?」
少年は男の顔を真っ直ぐ見て言った。
「キミが未来の戦乙女に力を貸してくれ。それが誰なのかはボクにもわからない。でもきっといるはずなんだ。まだ見ぬ世界に…きっと」
「探し出します。誰であろうと、必ず」
「ありがとう…本当に…ありがとう」
男は少年を包み込むように抱き締めた。
体は震えていて、手は暖かかった。
夢の中なのに、体温があった。
「帯野幸太郎。いや、コウ。キミの最後の人生、ボクが全力でサポートする。魔術王の名にかけて」
少年を包む幾千万の光の束。
泣き顔の魔術王は、強い力で拳を作った。
すると光の束は一気に収束して、時計台のように真っ直ぐな光線に変化した。
「行ってきます」
少年は、一人の王に軽く頭を下げた。
これは感謝だ。
自分に第二の人生を与えてくれた恩人に対しての感謝だ。
「キミは…彼に似ているね」
「え…?」
少年は光に飛ばされて、瞳を閉じた。
---
着いた先は静かな渓流。
見たことの無い閑静な集落がある。
結構人が居る。
少年は話しかけてみた。
「あの、ここは何処ですか?」
少年は、ある男性に話をかけた。
しかし、男性は首を傾げて困った顔をしていた。
――あれ、どうしてうんともすんとも言わないんだろう。
少年は項垂れた。
その時、一人の男が少年の肩をぽんぽんと軽く叩いた。
その男は、青くて長い髪をした優しそうな男だった。
「―――・・――・・?」
男は目線を少年と同じ高さまで下げて話した。
それでも、少年は何を言っているのかさっぱりだった。
通じないのは双方同じだった。
なので、少年は手の動きで自分の意志を伝えた。
「!」
男はすぐに理解して、笑顔で歓迎してくれた。
よくわからないが、同じ集落の人達も歓迎してくれている。
ひとまずはいいだろうと、少年は肩の力を抜いた。
短き集落での生活が始まったのだ。
---
まず少年が感じたのは人の良さ。
2回目の人生で味わえなかった人情味を肌で感じた。
言葉が通じなくても、思いは伝わるのだとわかった。
そして、己を見つめ直すいい機会でもある。
少年は力を求めて山岳を目指し、立て続けに魔術を放った。
時に、長である青髪の男にまで教えを乞い、実力を伸ばしていった。
しかし、そこで大きな壁にぶち当たる。
魔力量の大幅な減少が見られるのだ。
現状、確たる証拠は無いが、息切れの早さからして間違いない。
――最後の転生だし、黒の賽子は四か五。或いは六でもおかしくないな。
少年は持ち前の冷静さで、瞬時にそれを理解した。
まずいとは思ってる。
集落に戻る度に、みんな心配そうな顔で見てくるのは、自身がやつれているからだとわかっていた。
だからもう、みんなが心配しないように少年は強さを求め続けた。
---
それから一年が経ったある日。
少年の心は大きく乱れた。
集落を訪れた辺境冒険者の中に、自分の知る顔があった。
金色の長い髪に、青い瞳。
立ち姿はシャンロンそっくりだ。
いや、もうむしろシャンロンだ。
少年は再会できた喜びを胸に駆け出していった。
「シャンロン! シャンロンだよね!? ずっと会いたかったんだ! よかった…」
気づけば、辺境冒険者の女に抱きついていた。
何度も何度も、想いを伝えた。
戸惑う彼女は最初こそ少年を優しく宥めていたが、次第に鬱陶しく感じて、少年を突き飛ばした。
「痛ッ! どうして!?」
「―・・・・―・―!」
「あっ…」
少年は、忘れていた。
言語が違うことを。
通じない想いを延々と伝え、彼女を怒らせてしまったのだ。
これは良くないと思い、少年は身振り手振りで謝罪をした。
彼女は少年に視線を向けない。
触れようとする手は払われた。
――どうして…どうしてわかってくれないんだよ。
その日、少年は声を上げて泣いた。
集落に微かに響く高い声は、どこか孤独を思わせるような音色だった。
---
その翌日から、少年は山篭りするようになった。
といっても一日二日程度。
三日以上はさすがに無い。
少しでも、シャンロンに似た女性と離れていたいから、そうした。
彼女の顔がチラつくだけで胸が張り裂けそうで、痛くて、苦しくて、堪らなく愛おしいから。
---
彼女に対する想いを募らせる度に少年は強くなり、動きは鋭くなり、瞳は輝きを増していった。
ある日、少年は山篭り四日目に突入した。
――もう忘れろ。あの人は違うんだ。違うんだ…。
念を込めて魔力球を放つ。
技はいくつか編み出した。
その内の一つが五法陣である。
神話から拝借した名前を冠して、護法陣。
転じて五法陣を編み出したのだ。
山の上から地面手がけて雷霆を撃ち込む。
自身に雷を纏わせて、全身を光の矢にする。
地面に激突して、黒煙が上った。
少年はすぐに体勢を整えて起き上がった。
呑気に砂ぼこりをほろっていると、こちらに向かって山道を歩く男が見えた。
若い白髪の男だ。
手に杖を持っている。
凄まじい魔力の奔流が体表に渦巻いている。
白髪の男は足を止めた。
「予定よりも早く見つかったな。元気してたか?」
白髪の男は、ほくそ笑んでいた。
そして、少年の知る言語を使っていた。
「……?」
なんでこの人は話せるのか。
少年は疑問に思った。
でも、白髪の男に手招きされたので寄ってみた。
確認のために。
「ひょっとして、話せます?」
少年は尋ねたが、白髪の男は首を傾げた。
通じてないようだ。
言語の一方通行など聞いたことがないと、少年は頭を悩める。
それを見兼ねた白髪の男は、懐に手を入れた。
――殺られる!?
少年は足に魔力を込めたが、白髪の男に触れられた瞬間に集中力が霧散した。
「!! 離して! 下さい!」
暴れる少年を白髪の男は優しく抱擁した。
「安心しろ、取って食おうとはせん」
少年は力を抜いて、彼の言うことを聞いた。
そしたらいきなり、首飾りをプレゼントされた。
これは、2回目の人生でつけていたものにそっくりだ。
少年は瞳を大きく開いて、舞い上がった。
「どうだ? 俺の言葉が分かるか?」
少年は自身の顔をぺたぺたと触った。
悪いことされてないよな、と。
内心疑っていたが、大丈夫そうだ。
「師匠!」
「は?」
「ありがとうございます!」
「感謝を述べれるのは良い事だ」
少年は涙を流した。
これで、みんなと話せるんだと、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
その後、白髪の男に連れられて一人の少女の元へ着いた。
黒い髪に藍染めのリボンを付けた少女が、お菓子を食べていた。
黒髪。
これは、帯野幸太郎の実妹と同じ髪の色である。
懐かしい色に、少年は自然と目を奪われた。
まるで、本物の妹と再会できたみたいで。
「うまうま」
少女は、なんか色々食べていた。
少年を指さして白髪の男と黒髪の少女が話をし始め、やがて、冷たい目を作る少女と目が合った。
引き寄せられるように、少年は前に出た。
「コウっていいます! 不束者ですがよろしくお願いします! 姐さん!」
少年は腹の底から声を出して挨拶をした。
どう見ても、この黒髪少女は姐さんと呼ばれる年齢ではない。
それでも、少年は彼女を姐さんと呼ぶ。
呼び続ける。
妹はもういない。
ならせめて、夢を見るくらいはいいだろう、と。
少年は止まっていた時の歯車を回した。
――オレの人生を、もう一度ここから始めよう。




