第一話 強者への道
まず。何故俺が400年を超えて生きているのか。
そこから解説していこうと思う。
あの日、俺は師メルギアナより水筒(試験管)の中身を飲まされた。
信じられない度数のお酒であり、まともな思考回路は破壊され、意識の混濁に陥った。
鼻も利かなくなり、鈍器で殴られたような痛みのみ記憶している。
お酒だと彼女は言っていたが、あれは酒ではなく不老不死の仙薬。
研究はとうに完成していて、その実験台に俺を選んだ。
弟子であった頃は、籍を置くパイシース家の目が一応は光っていたので、師匠も派手に動けなかった。
パイシース家は俺を忌々しく不要な存在としながらも、辺境魔女メルギアナに弟子入りするのだけは反対していた。
反対を押し切って弟子入りした訳だが、もし彼女が俺を害した場合、総攻撃を仕掛けるつもりでいた。
実験台など以ての外。彼女も十分理解していた。
だが勘当され、助手となったのならば、これほど都合のいい肉人形は無い。
俺を不老不死にして何の意味があるのかは知らないが、少なくとも研究材料としては申し分無いだろう。
身寄りも無ければ後腐れも無い男だ。
嫌な奴に思われるかもしれないが、物事を卑屈に考えてしまう性格なのだ。許してくれ。
というか、唇を重ねてから彼女の心が読めなくなり、表情も変化したのを思い出した故、そう考えるようになった。
その後、耳にした一言も原因。
〝こいつは使える〟
と、吐き捨てられた。
あれはなんだったのだろうか。
悪魔に取り憑かれたように冷たい目をしていたし、何か企んでいるようだった。
この憐れな道化に何してやろうかとか?
今なら返り討ちにしてやれるんだけどな。
さて次に。この485年という長い月日をどう過ごしていたかについてだ。
正直に答えよう。世界中を暴れ回っていた。
ご老人の荷物運びを手伝ったり、捜し物の依頼を受けたり。浮気調査なんてものもあった。
時に、圧政に苦しめられていた人々を避難させ、王国軍と真っ向からぶつかり合ったりもした。
人々は武力による恐怖を刷り込まれていた。
なので、王国を地図から消してあげた。
当然というべきか、喜ばれた。
全部気まぐれであり、動機など無い。
むしゃくしゃしてやった。何処でも良かった。
その過程で様々な知識と技能を身につけ、魔術のみならず、剣術を初めとした武器術にも精通するようになった。
行く先々で、師と呼べる人材が居たのは幸いだった。
現在、俺の魔術は全て虹蜺級相当。剣術は三つの流派を掛け持ちし、うち二つは最奥(奥義)に到達した。
遠距離攻撃に必要な精密性を養う為、弓術も免許皆伝を許されるまで修行した。
あとはそうだな、槍術か。あれは30年程しか握っていなかったから、奥義習得とまではいかなかった。
武器術はそれぐらい。あとは体術を叩き込んだ。
何時だったか…10年程前だったか。その日、俺は一人の女性を木陰から眺めていた。
彼女は真っ白なシャツを着ていて、伸縮性抜群のショートパンツを履いていた。
女性にしては背は高く、深淵を覗き込むかの如き黒い髪は腰に届くほどの長さがあり、薄ら赤い瞳は宝石のように輝いていた。
真剣な表情からは微塵も焦りを感じず、時折見せる笑顔は凛としていて、清廉潔白を証明した。
頬を伝う雫、もとい汗は、河原に敷きつめられた石畳にてろ過された流水を想像してしまう。
兎にも角にも、理想を追い求め邁進する姿が印象的だった。
そんな彼女が披露した鮮やかな体捌きは、木に止まる小鳥の囀りを邪魔しない、空を切る静寂の舞い。
残像を残さず打ち込まれる足刀。不規則に、絶え間無く木の葉を弾く拳。
そのどれもが異彩を放ち、人を惹きつける何かがあった。
惹かれたのは俺な訳だが、無論、邪な目では見ていない。むしろ敬意を表する眼差しだったと言える。断言出来る。
技法を盗み見てからというもの、俺は毎日欠かさず体力作りと技の研鑽に努めた。
どうやら俺には体術の才能があったらしく、ものにするのにそう時間はかからなかった。
そして最後。俺自身の変調についてだ。
神族の血が災いし不老不死となり、外見の変化は25歳ぐらいから止まった。背は更に伸びて、大抵の人間は見下ろせる。
転撃崩星神話の一説によると、神族の寿命は平均1000歳。2000を超えた者もいるという。
短命な人間と違い、外見の変化は非常にゆっくりで傲慢不遜な連中が多い。
俺もそうなりつつあるのが癪だ。徹底的に抗ってやる。
古代龍族の脳漿を摂取したことにより、身体構造を作り変えられ、肉体強度が急激に上昇した。
聖級以下なら、かすり傷一つ負わないほどに。
左目に宿る八芒星の紋様は、魔術を跳ね返すことも行使することも出来る優れもの。
満月の夜のみ、少し先の未来を見る事が出来る。
思わぬ贈物だ。何と名付けようか。
魔術五大属性を虹蜺級で占める俺は、新たな等級で呼ばれているし、そこから考えるか。
世界で唯一天撃級魔術師となった俺に相応しい名前にしよう。
「さて、そろそろ行くか」
俺は今、師匠達と過ごした辺境の地カランド領に居る。
最後に来たのは10年前。
ここは辺境の名に恥じぬ緑豊かな森林に囲まれた土地であり、空気が美味しい。
天候が一定しているので、穀物や野菜を育てる農家がここに移住してくることもある。
自生するキノコの殆どに毒は無く、味良し見た目良しの三本柱。周辺に住む者は皆知っている。
少し歩けば魚の捕れる川があり、飲み水としても申し分無い水質を持つ。
慎ましく暮らすなら、生涯食うには困らないというのが地元住民の弁である。
「ねーねー! そこのお兄さん!」
突然、少女の声が聞こえた。
どいうわけか姿が見えない。
「誰だ。姿を見せろ」
「えー、やだー!」
波打つように揺れた声が耳に入った。
なるほどなるほど。
「フッ…俺にかくれんぼを挑むとは、いい度胸だ」
種は知れている。
少女が使用したのは認識阻害系魔術の一種。
特殊な声帯の使い方により、木々に反響する声を出す。
幾重にも反響した声を対象に聴かせ、精神的に揺さぶりをかける。
これにより対象は幻覚を見る。複数に分裂した人影を。
実際は一人など知る由もない。
俺には通じんがな。
「お兄さんカッコイイよね。名前なんて言うの?」
「俺はアビル。一介の魔術師だ」
「ふぉおお! すごーい! じゃあ私の居る場所も当ててみてよ!」
「後方約3丈左横。髪に藍染めのリボンを付けているな」
「ふぇあ!? この変態め!」
姿形は隠せても気配が強過ぎだ。相手が俺でなくても、魔術師ならわかるだろう。
もっとも、俺は古代龍族の血を受け継ぐため鼻が利く。
古代龍族は他種族を喰らっていた時代があり、獲物を確実に仕留められるよう嗅覚を伸ばしてきたとされる。
体臭から性別や精神状態を判断することも可能だ。
ゆえに嗅覚のみを頼りにし、魔術は一切行使していない。
子供相手に大人気ないからな。我慢した。
少女から漂う強い香水の匂いは、上品かつ高級感のあるシトラスの香り。パルフィムの類いか。
貴婦人が嗜むものを一体なぜ。
そして変態って…。
「礼儀知らずな小娘だ。とっ捕まえるぞ」
「やだよーっだ!」
その言葉を皮切りに、サササと走り抜ける音が聞こえた。
正面から聞こえた。
全く見えなかった。
相当な足の速さが伺える。
「アハハハハッ!」
楽しそうだな。
退屈はしないものの、時間の進みは遅く感じる。
子の遊戯に付き合う母とは、このような気持ちなのだろうか。
「ばぁ!」
頭上から聞こえた。
「ッ…! 逃げたか…」
咄嗟に反応したつもりだが、彼女が動体視力で上回った。
ザッという音と共に、人影が木に刺さった。
あれは追わなくていい。
彼女は必ず背後を取る。
待っていれば勝手に来る。
「……」
「……」
寸毫の硬直の後、右手に風圧を感じた。
来る。
「そこだ」
俺は右腕で後ろを指さした。
指先に伝わる柔らかい皮膚の感触。
喉に当たったか。
「クェッ! あっぶなぁい…」
少女は冷や汗をかいていた。
サラサラの黒い髪に、赤い瞳をもった少女だ。
襟元がほつれた、みすぼらしい服を着ている。
「先に仕掛けたのはお前だからな。悪く思うなよ」
「だとしても、女の子の体はもっと大切に扱いなさい!」
「…すまん」
理屈を叩きつけられて怒られた。
つい萎縮してしまった。
これ俺が悪いか?
「悪いって思ってるなら買って! 服買って!」
「物乞いか。いいだろう、金なら湯水のようにある」
「やったー! 作戦成功だー!」
「善悪の判断は解せんが…まあいい。その前に名前を教えろ」
「私の? 私はカグヤ!」
「ほう。して姓は」
「それは…うーん、わかんない! 昔ママに聞いたんだけどなぁ」
一瞬迷ったな。
知っていて隠した節がある。
詮索はしないでおこう。
たかられることに変わりは無い。
「お前は一人でここに来たのか? 母親はどうしてる」
「家に居るよ。薬飲んで寝てる」
「病気なのか?」
「そうだよ。ココロノヤマイ? て、お医者さん言ってた気がする」
心の病…か。辛いものだ。
このカグヤという小娘を育てた人物ともなれば、さぞかし高名な武人か何かだろう。
お世辞抜きで、カグヤの速度は凄まじかった。
手を抜いていたとはいえ、俺の動体視力ではどうにもならなかった。
刃物を持っていたならグサッとかもな。
であれば、母親も然る者。
一度挨拶しておきたいところではある。
「なぁ、お前の母親に会いたいのだが」
すると、カグヤの目の色が変わった。
鋭く重い目付きへと変わった。
「…ママに何する気?」
「治療してやろうと思ってな。苦しんでいるのなら救ってやりたい」
カグヤの瞳に輝きが戻った。
「治せるの?」
「ああ、俺は天才魔術師だからな」
「やったぁー! でもその前に服ぅー!」
「わかったわかった。服は買ってやるから…ったく」
天真爛漫。カグヤは嬉しそうに駆け回った。
笑顔が似合う少女だ。
時は人を良い方向に導く事もある。
天才であると嘘を付き、嘘を真実として塗り替えることが出来るのだから。
でも、その前に服を買わないと。
もしかしたらこの子が、未来の戦乙女になるのかもしれない。