第十七話 黒手
今朝、寿命が縮まるような激しい動悸に襲われた。
四肢の末端に異常はないものの、胸痛が酷い。
剥き出しの心臓をグッと握り潰されているような感じだ。
初めは心疾患を疑ったが、感覚からして似て非なるものであると断定。
それに俺は不老不死だ。
負った傷はたちまち治る上に持病は消滅した。
正体不明の痛みにどこまでも悩まされる。
兎にも角にも、このままでは順路を考える余裕が無い。
原因を探るべく俺はカグヤとコウが泊まる岩窟に移動した。
現在、俺と二人は別々の場所をねぐらにしている。
理由は狭いから。それだけ。
とまあそれは置いといて、だ。
岩窟に着くとコウが高熱を出して倒れていた。
介抱するカグヤは、どす黒い霧をコウに浴びせていた。
そして二人に近付いた時、俺は動悸が再発した。
このことから導き出される答えはただ一つ。
本能的に体が拒否反応を起こしたものの正体は、カグヤの中にあったのだ。
それは彼女の背中から無数に伸びる黒い手のことである。
黒い手。
即ち黒手は、俺の気配を感じ取るなり四方八方から襲いかかってきた。
壁を削り取る鋭利な爪を不規則に飛ばしてきた。
俺はこれを前にも見たことがある。
ここで二ヶ月前のことを思い出してみようと思う。
二ヶ月前のある日のことだ。
俺はカグヤとメイルイ王国一の繁華街、サウロの街へと足を運んだ。
その時カグヤは人混みをかき分けて自由奔放に街中を走り回り、俺を困らせた。
最終的に俺はカグヤを補足して、転移魔術を行使。
カグヤを引き戻そうと躍起になったのを覚えている。
結論から言うと転移魔術は通じなかった。
正確には破壊されたのだ。
カグヤの足元に展開した魔法陣はズタズタに切り裂かれ、魔術回路の再構築すら出来なかった。
破壊したのは正体不明の黒い手で、カグヤは隠すように、それをすぐに引っ込めた。
あの時は俺が接近する前だったのもあるが、間隔は今とそんなに変わらないはずだ。
つまり今は、あの時よりもずっと獰猛な力があるということ。
短期間での成長? 新たなる魔術領域の開花?
だとしたら弱ったな…。
この手の魔力制御は不得手なんだ。
俺が扱う魔術は、あくまで防戦を目的としている。
培った経験から最適解を導き出し、人助けに役立てていただけで、元は攻撃特化型魔術。それの応用に過ぎない。
神々の侵攻を退けた王に憧れた男だからな。守りに偏るのは当然だ。
とはいえ、魔術師の究極たる天撃級を名乗るならこれしきのことで、つべこべ言っていられない。
下手にアドバイスせず黙っていよう。
でもな、胸痛が酷い。
どうすべきか。
「その手を引っ込めてくれんか?」
いっそ頼んでみることにした。
さっきからずっとカグヤは黒い手を伸ばしてコウの体をぺたぺたと弄るように触っている。
衣服の中にまで、その手は伸びていた。
「こんなにもコウが辛そうなのに?」
カグヤから軽蔑の視線を向けられた。
だって、それ意味あるのか…?
と、反論したいところではあるが無知を晒しそうなので抑えた。
「そうだよな。コウは今、病魔と戦っている」
「うん。そんなの見ればわかるでしょ」
「はい…」
俺は論破されたのだろうか。
冷淡な言葉が心に刺さる。
諦めるものか。
「治癒魔術で一発だ。変わろう」
「ダメ。それじゃあコウのためにならないよ」
「自然治癒を待つのか? 時間がかかるだろ」
「逆に聞くけど、アビルは伝染病に罹った人達を一人一人見て回るの? もしその時に手足がもげてる人がいたら、そっちは後回し? 普通は容態が重い人を優先するでしょ」
「コウも重そうだぞ」
「この程度へっちゃらだよ。人間なんだから風邪は引くし、熱も出すし、人によっては薬に頼らない。たしかに魔術は便利だけど、それは本当に必要な時だけ使うべきだと私は思う」
「……はい」
もう無理っぽい。
カグヤはコウの看病にお熱だ。
正直な話、俺に気を遣わなくなってくれたことを嬉しく思っている。
初めからそうだったが、最近は特に。
なら、頑張ってもらおうじゃないか。
俺はしばらく静観を決め込むことにした。
「ん…んあ…あむっ」
コウが身を捩り始めた。
どうやら黒手自体はひんやりと冷たいものらしい。
黒手が触れた途端にぴくりと体を反応させるコウを見て楽しむカグヤは、次々と本数を増やしていく。
おでこ、腹部、両腕に両足。
雁字搦めだ。
逆効果ではなかろうか。
でもコウの顔色は良くなりつつあるし、断言できないな。
「ふへっ」
「!?」
カグヤが突然変な声を出したのでびっくりした。
だかしかし、カグヤは真剣な顔だ。
何かおかしいぞ。
「早く良くなるといいな」
「大丈夫、すぐ楽になるよ」
「会話してくれ」
カグヤは集中している。
会話が微妙に成り立たないのは、そのせいだろう。
何か手伝えることはないかと思い、俺はコウの汗を拭いた。
発汗は微量、しかし体温は高い。
まだしばらく時間がかかりそうだ。
「よくよくなーれ、よくなーれ」
「……」
「ひひひっ」
「…は?」
「もうすぐ治るからね。ファイトだよ」
からかっているのか、俺が視線を逸らすとふざけだすカグヤ。
そこに真面目さは皆無。
だが、小一時間の看病は普段とは別の疲労を蓄積させる。
カグヤも倒れ込んでしまった。
黒手が消えたことで、俺の胸痛も治まった。
「あ…あれ?」
困惑するカグヤ。
コウに覆いかぶさったまま起き上がれなくなっている。
どうやら黒手は、膨大な魔力を消費するらしい。
「限界だな。お疲れさま」
「やれる! 私はまだやれるよ!」
「くたばった体勢を正してから言え」
「私に治癒魔術をかけて! そうすれば、もう一度あれ使えるから!」
「いや、何もそんなことをせず、直接治癒魔術をコウにかければいいだろう」
「うっさい早くしろー!」
「なにがなんでも自分が治したいんだな…」
駄々をこねられたので、俺はカグヤに治癒魔術ではなく、魔力をわけてあげた。
疲労ごときに治癒魔術は気が引けるから。
みなぎる元気を即使用するカグヤ。
「よっしゃ、伸びる! 伸びるよ!」
「適度に頼む。でないと一生かかりそうだ」
再びカグヤの黒手がコウの体を埋め尽くす。
さっきより本数が増えた気がする。
「気になったのだが、その手に治癒能力はあるのか?」
「無いよ」
即答された。
「無いなら何故使用するのだ」
「抵抗力を付けるんだよ。それに邪気を遠ざける力もあるんだってさ」
母からの受け売りだろうか。
または父か。
どちらにせよ効果はあるんだろうし、看病がてら分析してみよう。
まずコウの体に巻き付けられた黒手は全部で八本。
カグヤの表情を見るに酷使してる様子は無いので、実際はもっと生やせると仮定。
触れてみたところ質量を感じなかったので、固有魔力の性質変化及び可視化をおこなっているようだ。
急速な魔力の流れを利用し、浄化を急激に早めている。
これは超自然力の一種。即ちマナだ。
マナとは現実世界に存在する力でありながら不可思議な性質を持つ力である。
魔術五大属性の枠組みから外れた、権能と呼ばれる領域に到達した者のみが扱える禁忌術。
とはいえ、親から子へ遺伝する場合もあり、その確率は前日の空模様が曇りだった時に雨と予想して当たるぐらい高い。
つまりほぼ間違いなく遺伝する。
両親のどちらかがこれを持っていたのだろう。
ちなみに、属性は水である。
黒なのに水、何故か。
それは性質変化によって魔術回路が書き換えられたからだ。
通常、体内に張り巡らされた魔術回路は術者の血管を侵食して魔力貯蔵庫を形成し、そこから魔力を押し出すことで瞬間的な爆発を見せる。
それが魔術であり、世界人共通の奇蹟だ。
しかし、そこに例外が存在する。
魔術回路の書き換えとは、それ即ち反転を意味したものであり、人のあるべき姿を堕とすものだ。
光を闇に変化させ、未完全な部分を切り捨てて、己の特化した部分を飛躍的に向上させる、力の再分配が書き換えには含まれている。
魔術五大属性には『陽』と『陰』の二系統があり、普通は陽系統しか持ちえず扱えない。
たとえば陽の火は炎だが、陰の火は炎を焼き切る黒炎。
陽の風は疾風で、陰の風は黒風。
黒風は砂塵を巻き込んだつむじ風などが該当するので、単純に被害規模が大きい。
とまあこのように、陽と陰は似て非なるものであり、明確に陰の方が強い。
一対一なら確殺できる力を持った系統だ。
カグヤはこれを治癒魔術に応用している。
自身の体内に保有する水分量を増加させ、背中から放出して腕を形作り、手先に能力をまぶしている。
彼女は、これを氷のように冷たい手にしようと考えた。
だからコウは体を強ばらせた。
徐々に徐々に、コウの容態が癒えていく。
酷く歪な形だが、ちゃんと役に立っている。
陰系統を明るい道に使う人間など、初めて見た。
「ふう…いっちょあがり…」
真ん丸お目目をぱちぱちさせて、空気が抜けたようにコウの腹部にへばりついたカグヤ。
先程とはうってかわって、気持ち良さそうにぐっすりと眠るコウは起きる気配がない。
旅は長いからな。
今は休むといい。
「くぅ…」
コウが寝言を口にした。
おなごのように高い声を微かに漏らした。
「うえっへへっ」
コウのお腹に顔をうずめて、またしても変な声を出すカグヤ。
さわさわと、コウの身体中をまさぐっていた。
「この短期間で随分仲良くなったものだ」
「ほんとそれね。でも、思いのほかいい子だったから…」
カグヤは嬉しそうにニヤついて、抱き締めんばかりの抱擁をコウにした。
頬を擦り寄せて、コウの寝顔を艶めかしい瞳で見つめている。
友達みたいなものか。
彼女らと同じぐらいの時、俺は友達なんていなかったからわからないけど。
「可愛すぎる。食べてもいいかな?」
「ダメに決まってるだろ。せめてお互いが成人してから喰らえ」
「姉と弟の禁断の蜜月。ま、別にコウは恋愛対象じゃないから、そんなことにはならないよ」
「その言葉、コウが聞いたら泣くぞ…」
「知ったもんかい。あー早く、王子様的なの現れないかなー」
カグヤは仰向けになった。
それと同時にコウが目を覚ました。
唇を震わせて涙を浮かべている。
全部聞いてたようだ。
「ううう…ううっ…」
コウの啜り泣く声はカグヤにも聞こえた。
「あ…」
カグヤは口を半開きにして青ざめた。
さすがにまずいと思ったのか、カグヤはコウの肩に手を置いて必死に励まそうとした。
「大丈夫! 大丈夫! コウは! 大丈夫!」
応援だろうか。
カグヤは叫ぶように連呼した。
予想はしていたが想像以上に酷過ぎる。
あんまりだ。
何も大丈夫じゃないから泣いているんだろ。
そう言いたい気持ちは山々だが、水を差すようで気が引ける。
ああ、コウが。
もう彼の涙が止まらない。
せっかく良くなったと思ったのに。
「何が大丈夫なんですか!?」
コウは怒声をあげた後、大声で泣き出した。
「泣くな! 男だろう!」
カグヤ…もうこいつダメだ。
笑ってるもの。
「まあなんだ…謝っとけ、カグヤ」
「なぜ…!?」
カグヤは老執事にも似た渋い顔で言った。
「コウが可哀想だから」
「なぜに泣くコウよ!」
「いや、お前のせいだから」
結局、カグヤはすぐに謝った。
それと同時に、カグヤはお礼の言葉をもらった。
「看病してくれてありがとう」と、コウは泣きべそをかきながら言って、間髪入れずに「姐さん大好き!」と言い放ち、姐さんことカグヤに向かってダイブした。
しかし、常人ではとても敵わない反射速度で避けられて、壁に激突して気絶した。
「こんの愚か者が」
カグヤが手をぱっぱとほろいながら言った。
無慈悲なるこの冷徹女は、横たわるコウに自身の服をかけて寝かせた。
「お前って結構イカれてるよな」
「アビルほどじゃない」
「ほう、中々興味深いことを言う」
「とぼけちゃってさ、本当は知ってるんだから。アビルが私の力を完全に理解したことくらい」
カグヤは鋭い目付きでそう言った。
当てずっぽうで的を射る、勘のいい娘だ。
「一見して大概は知れたが、まだ完全とは程遠い。残り二割の幅が果てしなく広い気がするからな」
「それ合ってる。だから見せないどく」
「その方が良かろう。隠し玉は最後まで取っておくものだ」
「隠し玉って程でもないんだけどね」
そう言ってカグヤは岩窟の外を見た。
後ろ姿で、何かを訴えかけるような雰囲気で。
「アビルはさ、これまで何人の人を救えなかった?」
カグヤは静かな口調で話を切り出してきた。
救えなかった人数…か。
数え切れないな。
世のため人のため何度も世界を傾けて、数多の悪名大国を滅ぼしたりして、そんな無常の時は永遠に流れて、知らず知らずのうちに記憶から抜け落ちたものも少なからずあるだろう。
滅ぼした国には、たしかに善良な市民もいた。
でも、都合良く利用されていただけの可哀想な奴もいた。
それはもちろん、助けようとはした。
でも、無理なものは無理だった。
気づけば四面楚歌で、俺の味方は誰一人いなかったから。
百を救い千を救い、万を救い一を切る。
結局そうなってしまった。
革命軍に下るまでは、そんな日々が続いた。
富は手にした、栄光も手にした。
おびただしい数の屍を踏み荒らして王を名乗った。
思えば、美しくないやり方が多かった気がする。
「少なくともお前が思っている数千倍は手から零れ落ちたな。温光に照らされた束の間、眩しさに目を焼かれて彼らを見失ったんだ」
「見捨てたの?」
「見もしなかったんだよ。だから俺は、神々の侵攻から人々を救った英雄[転撃の魔術王]ではなく、理を乱す反逆者として天撃の魔術王を騙っている」
いつかそうなりたいと、ガキの時分からずっと追いかけてる。
でも届きそうで届かないんだ。
本当に凄いんだよ、本物の魔術王は。
「アビルって変なところで謙虚だよね。悪い人の前では偉そうにするくせに」
「いままで真っ向からねじ伏せてきた者達のどこに恐れるものがある。そもそも俺は無敵だ。相手が誰であろうと勝ち続ける」
「強い技ばかり使ってて、勝ち続けられるかな?」
痛いところを突かれた気がした。
俺は、誰も彼もを守るために防戦を極めた。
防御魔術は不得手だから、攻撃魔術を応用すれば問題なしだと勝手に結論付けた。
しかし小手先で守れるほど、この世界は甘くなかった。
俺に足りないのは守る力だ。
俺自身を守る力が。
カグヤは俺の顔を覗き込み、くるりと回転して俺の背後に回った。
「…ん? どうしたんだ?」
「手を前に出して」
「あ、ああ…」
言われるがまま、俺は右手を前に突き出した。
すると、背後から無数の黒い手が伸びてきた。
「もしアビルが手を離したら、私が影から手を伸ばす。もう二度と取りこぼさないように」
カグヤはぽつりとそう呟いて魔術を解いた。
視界に写る黒い手は花びらのように散って、風に吹かれてどこかへ消えた。
俺の腰に巻きついた腕は、熱くて細くて懐かしかった。




