第十五話 夢魔
メイルイ王国を発ち早一ヶ月。
予定日数を大幅に超過して山岳地帯の裏側へ到達。
今度は砂漠だ。
天候は憎らしいほどの快晴で、空気の乾燥が著しい。
草木一本生えぬ干ばつした土壌に、過酷な環境を生き抜いてきた選ばれし戦士達が目に留まる。
砂上を這いずり回る甲虫、空を遊泳する怪鳥、地中深くを掘り進む大蛇までいる。
そこら中から魔獣の息遣いも聞こえた。
デッドスポットが密集するこの土地を地獄と呼ばずしてなんと呼ぶ。
ため息が出た。
行路を変更すべきだったと、今更ながら後悔した。
豪雪地帯抜けるのに二日かかったこともあり、カグヤは満身創痍でコウにしがみついていて眠そう。
ここからの道のりは長いようで短いので、ぶっ倒れる前にはセレスティアに着くだろう。
もう少しの辛抱だ。
「ああんもう! コウが変なところ触るー!」
「な…! どこも触ってないですよ!」
二人は気を抜くとすぐに騒々しくなる。
戦犯はカグヤだ。
いつもいつもコウを悪者扱いにして泣かせようとする。
「コウはどこも触ってなかったぞ」
「じゃあアビルが触った」
「無差別攻撃やめろ」
カグヤが足をピタリと止めて、狐につままれたような顔をしていた。
視線が合わないのは何故だろうか。
俺は後方上空を確認した。
「…なるほど。ちと厄介だな」
空を覆う黒い人影。
汚らしい羽を羽ばたかせ、牙を剥き出しにした醜悪な姿を持つ人ならざる男達。夢魔だ。
夜間でも無いのに活動しているとは驚いた。
本来夢魔は真夜中に人間の女性を襲い、悪魔の子を妊娠させる。
その女性が最も好む姿形、想い人に見せる催眠をかけて襲うのだ。
夢魔は、単体ではそこまで強く無い。
なんなら村娘に桑でも持たせれば簡単に倒せる。
このような集団じゃなければな。
コウはカグヤの前に庇い立ち、臨戦態勢に入った。
あの醜い生き物を知っているらしい。
「姐さんはオレが守る!」
はりきり方がいつもの数割増。
闘志満々だ。
「おーおー、がんばれがんばれ」
カグヤは棒読みで応えて手を叩く。
興味なさげな表情で抜きかけた刀を収めた。
「やらんのか?」
俺の問いに、カグヤはふっと笑った。
「そんな無粋な真似はしないよ。それに、守る言ってんだから黙って守らせとけばいいの」
「すっかり女王様気分だな」
「別にいいじゃん、私はこの殺風景なパーティーメンバーの紅一点なんだし」
「…もしかして嫉妬か? 俺がコウに目をかけているから」
「は? どうでもいいんですけどー」
頬をふくらませて、ぶつぶつと何かを念じるカグヤ。
ヤキモチは妬いているっぽい。
「可愛いやつめ。なら、女王様を守る磐石の盾はコウに決まりだな」
「矛はアビル?」
「いや、俺は最終兵器。お前らが苦戦している相手を余裕綽々で屠り去る最強の切り札」
「えらそー! まあ、それがアビルのいいところなんだけどね」
「お前に言われると、なんだか嬉しいな」
「……変なこと言わないでよ」
そう言ってカグヤはしゃがみこみ、頬に手を添えて退屈そうにコウの後ろ姿を眺め始めた。
夢魔との戦闘は、まだ硬直状態に留まっている。
コウは五法陣を展開して迎え撃つ準備を整えた。
任せても大丈夫そうなので俺はカグヤの横に座り、コウの勇姿を見守ることにした。
地図の書き換えも並行して行う。
地図を出して相違箇所に印を付けた。
数字を割り振り、その数字に応じた改装版を別紙に描き記す。
ここはこうなり、このように変わったと。
自分だけの地図を作り上げるのだ。
呑気にもスケッチブックを広げながら描けるのは、優秀な弟子が孤軍奮闘に率先して臨んでくれているから。
取りこぼしは俺が処理するとして、ひとまずはいいだろう。
来襲した夢魔を迎え撃つ弟子がいる一方で、妙なことをし始める少女もいるが多分大丈夫。
衣服のボタンを外して夢魔を逆に誘惑しているけど、一体どういうつもりなのだろうか。
命は惜しくないのだろうか。
男を魅了するような艶かしい目付きで、自身の体を触って揉んでいるが、それに意味はあるのだろうか。
腹立たしいことに意味はあった。極めて悪い方に。
夢魔達の勢いが上がってきたのだ。
我先にとカグヤ目掛けて滑空する様はひどく滑稽。
連中の目には、もうカグヤしかいない。
夢魔が釘付けになってどうすんだ。
「先刻お前が披露した愚挙により、インキュバス達が暴走を始めたぞ。どうしてくれる」
「えっちぃね。男ってほんと単純」
「あれを男にカウントするあたり、常人の者では無いな…」
「んん? もしかしてアビルにはそう見える?」
カグヤがぽかんと見つめてきた。
「醜く腐った化け物にしか見えん」
「そっか、やっぱりね。私にはイケイケなお兄さん達に見えるよ。あの人なんかさ、私を見る度にニコッて笑うんだ。落としに来てるよ、あれは」
カグヤが指さす先には、他と何も変わらない羽の生えた肌黒い怪物。
風体、所作、全てが気持ち悪い。
「俺とどっちがイケてる」
「あっち」
即答された。
「そうか…なら尚更生かしておけんな」
なんか無性に怒りが込み上げてきた。
ペンが折れてしまった。
紙もくしゃくしゃだ。
そんな俺を見兼ねたのか、カグヤが俺の脇腹をつついてちょっかいをかけてきた。
「好みの問題でしょそんなの。アビルは内面と外見を取り繕おうと必死になり過ぎてて折角の魅力をかき消してるだけ。もうちょっと素直にしてなよ、この白髪頭がッ」
俺はカグヤにおでこを突かれた。
「背中を押されたと思いきや、谷底に突き落とされた気分だ。結局俺はどうしたらいい?」
「もう少し偉そうにしてた方がいい。謙虚過ぎ」
「堂々としてろってことか」
「そゆこと。俺の方がイケてるわ! ぐらい言えないと女の子は寄ってこないよ。まあ私はそういうの嫌いだけど」
「じゃあ言うなし」
やる気をそがれたので、俺はスケッチブックをしまった。
この間にだいぶ進んだし、あとは寝る前に描けばいい。
二人が寝静まった後にでも開こう。
俺は今やっていることを終わらせ、コウの加勢に向かおうとした。
しかし突然、カグヤに待ったをかけられた。
カグヤは俺に一瞥もくれず、ゆっくりと歩き出した。
俺は引き寄せられるように夢魔に向かって歩く彼女を止めることとなった。
「あれは何に見える」
「…友達」
その言葉を聞いた瞬間、俺はコウに向かって叫んだ。
「コウ! そいつを真っ先に始末しろ! 血肉一片たりとも残すな!」
夢魔の手口は、何も愛する人だけでは無い。
夢魔の本質とは情景の現身。
幼少期を共に過ごした友人をはじめ、一時を分かち合った知人も投影に該当する。
気になっていた人、或いは気にはなっていたけどあまり話せなかった人も全て。
記憶の奥底に眠る後朝の別れを無理矢理引き摺り出され、未練を呼び覚まされた人は、意図も容易く惑わされてしまう。
一目見るだけで良かったのに、その先を目指そうとしてしまう。
そこにつけ込むのが夢魔である。
魔性を知り尽くした愚物の常套手段は、卑劣にして狡猾な術理。
それらが完全を成した時、淫獣は姿を変えて追慕を纏う。
カグヤに見えているのは懐かしい友人の顔で、男女どちらにせよ、彼女の心に彩りを与えた人物。
反応を見るに特別親しくしていたと思うが、偽者は目障りだ。
俺の意図を汲んだコウは両手を大きく広げ、蓄えていた魔力を全開放した。
「了解です師匠! 姐さんを頼みます!」
コウの体躯は迅雷と共に消えて、瞬く間に夢魔達を一掃していく。
カグヤを惑わしていた夢魔は雷に貫かれて灰になり、風に吹かれて残らず消えた。
コウは雷の速度で移動し続けながら断続的に雷撃を両手から放ち、真っ直ぐに伸びたかと思えば軌道を変え、目標に向かう雷撃を巧みに操り、奥に待ち構える敵には枝分かれした雷霆で対応した。
目まぐるしい速度で動いているのに、油断も隙の無い冷静な技選択。
カグヤはそれを沈んだ顔で見ていた。
「賢くて助かる。止めに入ったらどうしようかと思った」
「わかってるからね、もういないって」
カグヤは寂しさを紛らわすように、俺の裾を軽く掴んだ。
「今といい母の事といい、割り切りが素晴らしいな。軍事的観点から見るに参謀向きだ」
「いやいや私には向いてないよ。だって特攻屋だもん」
「飛び抜けた武力を持つ頭脳派が前線に立つ。似合うと思うがな」
「じゃあオシャレな眼鏡かけよっかなー」
「割れたときに失明の恐れがある、やめておけ」
そうこうしてるうちに夢魔の掃討が終わった。
コウは擦り傷一つ無い無傷だ。
疲弊した様子も無く、衣類に付着した砂埃をほろった。
見渡せば辺り一面焦土。
生息していた生物や魔物はいなくなっていた。
「ご苦労だったな、今日はゆっくり休め」
「はい! ありがとうございます!」
「時にさっきの技はなんという技だ?」
「あれは『天津』といいます。魔力許容量の制限を外して、全能力を向上させる奥義です。といっても一日一回のとっておきで、五分ほどしか持たないんですけどね」
「通りで普段、魔力が少ないと思った」
コウは作り笑いをして、少し考える素振りを見せた。
うーんと、頭を悩ませている。
「オレが思うに強さのバランスは二つのサイコロで決まると思うんです。この世に生を受けるずっと前に、幸運の白と不運の黒、この両サイコロを転がして出目を数える。大きければ大きいほど与えられる物は多い。そして、それは必ず黒に偏るんですよ」
コウはうんと背伸びをして、肩の力を抜くようにして言った。
欠伸を零し、さも当たり前と言わんばかりの言葉だった。
「だとするならば、お前は運良く白が多かったわけだ」
「さあ…どうでしょうね。昔は多かったと思いますよ」
コウはそう言って、瞼を擦った。
魔力を使い果たして眠そうだ。
そろそろ寝床を探そう。
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探すといっても魔物が散ったここはほぼ安全地帯。
適当な場所に天幕を張った。
コウは夕食を済ませたあとすぐに寝た。
俺とカグヤは焚き火を眺めながらホットミルクを飲む。
砂漠は昼と夜の寒暖差が激しいので、体温維持には特に注意を払わねばならない。
「ふぅ…」
思えば、夢魔が湧いた理由はなんだろうか。
それにあの数は尋常ではない。
カグヤにそこまでの魅力があるのか?
いやいやまだ子供だぞ、さすがに無い。
大方、何処ぞの村からか流れてきたものだろう。
方角からして多分そうだ。
おそらく、その村は全滅しただろうな。
数の暴力は一個人ではどうすることも出来ない。
誰もが皆、俺たちのように強いわけでは無いのだから。
「……」
カグヤは思案顔で薪をくべていた。
黙々とホットミルクを飲んで、考えていた。
「あんなの見たことない」
カグヤがおもむろに口を開いた。
「国に居住していたのだから当然だ。あれは人口密度の低い土地を狙う魔物。主に、村や集落が的だからな」
「それってさ…野放しにしたらどうなるの?」
「辺境と呼べる辺境は滅びるだろう。男は裂かれ、女は攫われる。用済みになれば…と、そんな話を聞きたいわけではないか…」
「聞きたかった事とだいたい同じだからいいよ」
「すまんな。まあ要するに、魔物は一匹残らず殲滅したほうがいい。女なら尚更。自分の為にすることが誰かの為になることもあるからな」
ここで、ふと小腹がすいた。
俺が菓子缶を出すと、カグヤがホットミルクを注いでくれた。
金属製の器を布で持ち、ゆっくりと流し込んでくれた。
カグヤが着座したところで話を再開する。
「魔物って何処から来てるの? 洞窟? それに魔族と魔物って何が違うの?」
いい質問ですね。
と、心の中で思った。
「一説によると魔物は魔界から来ているんだそうだ。人間は地上界、神は天界。太古の昔、魔物は地上界の一端に突如出現し、人々を襲った。その悉くを人間は退治したが、返り血を浴びた者達が次々とおかしくなったんだそうだ。師曰く、それが始まりの魔族だという。関係性を問うならば姉妹で、血の色、濃さは種族により様々だ。人間に似た外見をしているのも、元は人間だからという至極単純な理由だ」
「なるほど。じゃあ結婚もできるのかな」
「できるぞ。現に、知り合いに何人もいる。混血は寿命が伸びることが多く、基本は魔族寄りの長寿になるな」
「魔族は強い?」
「人の知性に魔の闘気、弱かろうはずが無い」
「だよね。やっぱり逃げて正解だった」
カグヤは、ほっとため息をついた。
「…ああ、あの男の話しか」
「そう、あの人。なんか怖かったんだよ。あそこで刀を抜いたら間違いなく首を撥ねられてた。それこそ抵抗する間も無く」
メイルイ王国を発つ少し前に会った男。
国王の側近だ。
あやつは他の魔族と比べても別格な印象を受けた。
立ち振る舞い、魔力濃度、駆け引き、どれをとっても超一流。
俺を前にしてカグヤを始末せんと杖に力を込めた古強者であり、相当な胆力をうかがわせた。
まともにやりあえば、負けぬまでも王国は壊乱状態になっただろう。
「私は勝てるかな…」
「勝てるかどうかは重要じゃない。事の重きはそこにない。守れるか守れないかだ」
「守る? 何を?」
「そうだなぁ…いつか、お前に好きな人が出来たら分かるかもしれん」
「多分、一生無いと思うよ」
「可哀想な娘よな」
「ひどい! それ私を産んだママに失礼!」
「ミコは、お前を守ってくれてたんじゃないのか?」
「ん…? あー、そういえばそうかも」
「大切だから守ってたんだよ。本当にお前を好きで、愛していたから一緒にいたんだ。範囲を超えて愛したのがカミノ、お前の父だ」
少しばかりの掘り返し。
カグヤの目に火が灯った気がした。
「愛があれば何でもできるってやつだね!」
唐突にカグヤが立ち上がった。
「うん…? ちょっと違う気もするが、まあいいか」
「あのなんだっけ、夢魔だっけ? あれに苦しめられてる人、沢山いるんでしょ? 魔物にも魔族にも苦しめられてる人、いるんでしょ? だったら私が全部倒してあげる。大人になって、私がママと一緒に暮らすときに邪魔になるから」
「もしかしたら、ママではなく彼かもしれんぞ」
「かもね。だから倒す。悪い奴らにお仕置きしてやるんだから!」
何故だろうか。
カグヤの顔が輝いて見えた。
それは焚き火よりも熱くて、眩しくて。
「それは素敵な生き方だな」
夢を見つけた彼女の横顔に、言い知れぬ既視感を覚えた。
それの正体が何なのかは思い出せない。
でも、ずっと眺めていられる。そんな気がした。
彼女の夢が叶えられるように、俺も頑張ろう。




