1 気がついたら病んでたようです。
クリスマスイブにホテルの最上階にあるフレンチレストランで俺は彼女を待っていた。
奮発して予約した夜景がきれいなレストラン。
彼女はこの店に来る事をとても楽しみにしていた。
欲しがっていた人気のバックも運良く買うことが出来た。
ただ待っても、待っても彼女が来ない。
彼女に連絡がつかないので事故にでも遭ったのかと心配になってきた。
そのうち周りのカップル達は食事を終えて幸せそうに帰っていく。
あまりにも心配になって彼女の実家に連絡しても全く心配していない様子で、知らないと言う。
やっぱり警察に問い合わせようと思ったところ彼女から返信が来た。
“ごめんなさい。別れて下さい。さようなら。”
チーーーーーーーーーーーーン!
4年前のクリスマスイブ、外は雪など降っていなかったが俺の目の前は真っ白になった。
翌日から会社でも俺は彼女から避けられて、話も出来無いまま数ヶ月後に彼女は彼女の上司の田崎さんと結婚し寿退社した。
悪い事は続くもので人事異動でなんと、その田崎さんが俺の直属の上司になった。
もちろん心境は複雑だ。
しかし仕事にプライベートを持ち込む訳にはいかない。
俺にだってプライドは有った。
俺が担当していたプロジェクトは何故か田崎さんがプロジェクトマネージャーをする事になり、俺は今まで開発し、客先と調整してきたものが田崎さんに引き継がれる事になった。
このプロジェクトは俺にとって子供のようなものだった。
それからというもの田崎さんが俺に頼むのは雑用ばかり。
しかも皆んなの前で単純なタイプミスで叱られたり、大事なミーティングに呼んで貰えなかったり、仕事評価も最低ランク。
今でも覚えている。田崎さんがぼそりと耳元で言った。
「ほんとお前最低。」
その言葉が画びょうで俺の心に貼られた瞬間だった。
田崎さんは俺以外の人には普通に良い人で、後輩を連れて飲みに誘ったりしているが、俺だけは誘われる事はなかった。
結局プロジェクトは失注。
田崎さんは失注の原因は俺に有ると責任をなすり付けてきた。
俺はふつふつと湧き上がる怒りに無理矢理蓋をして生活するようになった。
だが最後の頼みの綱の移動願いも受け入れられず、精神的にフルボッコ。
男のイジメは陰湿で止まることは無かった。
どうしようもない怒りとか真っ黒な何かが俺の中で渦巻いて辛くて死んでしまいたかった。
そのうち不眠症になり、吐き気と眩暈で通勤電車にも乗れなくなった。
医者には「社会不安障害、うつ病ですね。」と診断され…退職。
それからというもの病院へ行く以外は殆ど家から出る事は無くなった。
そんな現実世界では生き難い俺でも最近気晴らしに始めたネトゲでは友達も出来て、1日の大半をネトゲに費やしている。
風呂も面倒でたまにしか入らず、年中スエットで、
自分で言うのもなんだが、屑感半端無〜〜い。
気付けば俺は立派なネトゲ廃人になっていた。
◆ ◆ ◆
「おーい。健司、お前に大切な話があるので2階から降りて来なさい。」
父さんの声で目覚めた。
時計を見るともうすぐ昼の12時、朝寝たので未だ眠たい目を擦りながら布団から出て一階の台所に行く。
俺は3人兄弟の末っ子で両親は70歳で5年前に定年退職して年金暮らし。
その両親に俺は養って貰っている。
ダイニングの自分の席に座ると父さんが話し始めた。
「健司、おまえVLSって知っているだろう?」
「ああ、知ってるよ。政府が大々的に進めている医療関係や老後のための仮想現実空間のことだろ。」
「そうだ。政府は70歳以上を対象にして入居を進めている。この間ご近所の山田さんご夫婦も入居したらしい。」
母がグラスに注いだ麦茶を配りながら親父に続いて話し出す。
「それでね、昨日講習会にお父さんと2人で行ってきたの。
そのVLSを体験してみたんだけど、本当に凄いのよ、ねえお父さん!」
「ああ、VRでの体験だったけど凄く良かったよ。」
「私達もそろそろ入居したいと思ってるの。でも私達は健司の事が心配で… それで講習会で相談してみたのよ。
そしたらね、年金受給者に30歳以上の精神的あるいは身体的な疾患の有る扶養者がいる場合、その扶養者のVLS入居は医者からの診断書が有れば補助金が出るらしいの。 」
「だったら健司も一緒に入居してくれればと思って。どう思う?」
「えっ、俺も?」
「そう、あなたも。 無理にとは言わないわ。でも今度一緒に話を聞きに行かない?」
「わかった。考えとくよ。」
昼飯を食べた後に俺は自分の部屋へ戻りVLSについて調べてみた。
VLS、バーチャル ライフ システム。
当初は医療機器として開発されたシステムで、ヘッドギアと呼ばれる装置を付けて液体が入った専用のカプセルと呼ばれる医療機材に身体を入れて生命を維持し、それと同時に3Dの仮想現実で生活するシステムだ。
既に10年前から実用化されている。
このヘッドギアは脳科学の粋を集めた装置で、視覚、聴覚は勿論、味覚や臭覚の繊細な部分まで再現可能、またカプセル内での身体の筋肉量、骨密度の減少を抑える装置も搭載されている。
バーチャル内での生活水準は高く、世話係は人工知能AIの発達で通常の人間との区別が難しいほどで、現実世界で体感できる事はバーチャル内でもほぼ全部が体感可能だ。
しかしバーチャル内で食事をしても現実に食事をしている訳では無いのでトイレは必要無い。
現実世界とバーチャル間はいつでもアプリでコンタクトも可能な上、市役所には専用のブースも有り、現実世界で生活する人もバーチャルの世界へ訪問が出来る。
調べるうちに、沢山の会社がこのバーチャルライフシステムに参入している事が分かった。
「へー 大手のゲームソフトメーカーも参入しているんだ。まあ 考えたら当たり前か。」
気になってリンクのひとつをクリックすると大手メーカーのサンダーシャック のWeb サイトだった。
「王国アストリア。。。。」
VRのオンラインゲーム、マジカルワールドクエストコンテンツ内の新しい国アストリアが来月リリースされる。
新しい国アストリアはVLS対応で、そこには住宅、ホテル、レストラン、ショッピングモール、カジノ モンスターハント 何でも揃っている。
VRより1週間先に世界中のVLSユーザーへ王国アストリアがリリースされ、徐々に他のコンテンツ内の国もVLS対応になるらしい。
勿論VLSユーザーもVRと同様に冒険者ギルドに登録すれば冒険者にもなれる。
動きは断然VLSユーザーの方が良いはずだ。
面白いかも。
それに他行くとこないし…。
健司はそう思った。
ただそう思わない人もいた。
姉さんのように……。
週末に兄さんを連れて姉さんが家に乗り込んで来た。
「お母さん、バーチャルライフシステムは現在の姥捨山と言われているの知ってるの!」
姉は家に着くなり両親に向かって言った。
「大丈夫よミキ、いつでも電話やテキストで連絡出来るじゃない。いつでも会いに来れるしね。」
「でも現実でハグも出来ないわよ!」
姉さん、俺は姉さんが母さんをハグした事なんて見た事ないよ。それにあんなに可愛いかった姪の雪菜ちゃんはもうすぐ高校生で最近では死んだ魚のような目で俺の事見てるし……ハグしてくれるとは到底思えないんですが… 。
「お母さん もし健司に子供が出来たら抱っこしたいでしょ。」
父さんが恐る恐る口をはさむ。
「その〜 健司も一緒にVLSに入ってもらおうと思って。」
姉さんは俺を見て。
「健司、あなたの将来そんなので良いの? 兄さんなんか言ってやって。」
姉さんが泣き出した。
兄さんは冷静に全員の顔を見た。
「父さんと母さんの事は私は反対はしませんが、健司の事はなぁ〜。どうしたもんか。」
俺がここに居ると話がやたらと長くなりそうなので、取り敢えず逃げる。
「本当に申し訳無い。」
と言い自分の部屋へ退散する事にした。
新年明けましておめでとう御座います。
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