☆5 「まったく……姉さんってひとは」
多くの人で賑わっている広場の中央、花壇にかこまれた尖塔の前で、蘭は訪れるプレイヤーに目を光らせている。
つくしが広場に来ると、蘭はすぐにつくしを見つけた。
「姉さんっ」
つくしその声を耳にして、サーモンとつないでいた手を離して蘭に駆け寄っていく。
サーモンは名残惜しそうに自分の手を握った。
「もう……。探しましたよ、姉さん」
「ごめんごめん」
「よかったねえ、つくしちゃん」
蘭はつくしの隣にいるサーモンに訝しげな目を向ける。
「ええと、あなたは?」
「サーモンさんだよー。何でも知ってるしすっごく強いひと」
「こんにちは。つくしちゃんとは山でたまたま会ってね。ひとりだと迷子になりそうだったから、一緒に来ちゃった」
「ああ、それは……どうもありがとうございます。姉がご迷惑をおかけしたようで。姉さんも、ちゃんとお礼言いましたか?」
「ありがとう、サーモンさんっ」
「どういたしまして。それに、迷惑だなんて、むしろこっちがお礼を言いたいくらいなのに」
「はあ、そうなんですか……?」
「あ、気にしないで、こっちの話だから~。ところで、私ブラックスミスをやっててね。まだ駆け出しなんだけど、よかったら……」
そう言ってサーモンはメニューを開いてインベントリから一振りの直剣を取り出した。
「お近づきのしるしにもらってくれないかな」
突然の申し出に戸惑いを見せる蘭とつくしに、サーモンは話を続ける。
「鍛冶スキルの練習用に作った武器だから大したものじゃないの。でも初期装備よりは強いと思うから、初心者さんに使ってもらえたらうれしいなって思ってね~」
「ありがとーサーモンさんっ」
つくしは嬉々として受け取った。
その場で手に持ってぶんぶんと振ってみせるが、慣れないものだから重さに引っ張られて様にならない。つくしのほうが剣に振り回されているようだ。
「あははっ、楽しいけど、やっぱりつくしには使えないみたい。錬金術師に直剣のスキルないしねー」
「あ、つくしちゃんって錬金術師だったんだ。生産職で始める人って少ないから嬉しいな~。じゃあつくしちゃんにはね~」
サーモンは今度は刀身の曲がった短剣をつくしに差し出した。
「これをあげる」
「わ、なんかかっこいいね! いいの?」
「もちろん。そっちの直剣は蘭ちゃんに。フェンサーだよね?」
「ええ、そうですけど。本当にいいんですか? こんなにもらってしまって」
「初心者は遠慮しないの。それに、生産職にとってこういうのは名刺みたいなものだから」
「名刺、ですか。あ、生産者って。名前が書いてあるんですね」
「まあ、初めたての子にあげるのは昔のMMOでの習わしみたいなものかな~。私は、レベルが上がったらうちで新しい武器を買ってくれるとうれしいなって気持ちも込めてるけどね」
「そういうことでしたら。ありがたく使わせてもらいます」
それからサーモンは蘭ともフレンド登録を済ませ、つくしたちと別れた。
「いい人だねー、サーモンさん。さっき飴もくれたんだよー。甘くておいしーの」
一緒にサーモンを見送っていた蘭が、急に顔をしかめる。
「……姉さん。知らない人から食べ物をもらわないでください」
「でもゲームの中だよ」
「それはそうですけど……姉さんなら外でもやりかねないから……うぅ……」
蘭が頭をおさえる。
「どしたの蘭ちゃん。頭痛いの?」
「いえ……大丈夫です。さあ、次はどこへ行きましょうか。向こうは森でしたから、違うところに行ってみますか? あっちには海があるそうですよ。あ、いえ……まずは姉さんの経験値を取り戻しに行くのが先ですよね」
「それもいいけど、つくしちょっとお腹すいちゃった。いったんやめておやつにしよー?」
「そ、そうですね。休憩にしましょう」
蘭はつくしの提案に内心ほっとしていた。つくしと合流したあたりから、妙なめまいを覚えていたのだ。
しかもそれは徐々にひどくなってきている。大したことはないが、慣れないVRに疲れているのかもしれない。
つくしたちはメニューを開き〈ログアウト〉のボタンを押した。
1分間のリムーバルタイムが終了し、蘭は視界を暗闇に包まれたまま、ゆっくりと身体を起こした。
ゲームの中で感じていためまいはまだ続いている。
頭を包んでいるヘッドギア状のVRギアを外すと、締め付けられるような感覚が消えて少しだけ楽になる。
「フー……」
衝撃的な体験だった。
仮想空間とはいえ、剣を振り回してモンスターと戦うのは初めてのことだったし、何よりつくしと同じ目線で冒険ができるのが素晴らしい。
現実世界での蘭は176センチと背が高い。それがコンプレックスというわけではないが、つくしと並んだときに自分が姉だと間違えられることを蘭は少しだけ気にしていた。
だからVRの世界で身長を変えられると知ったとき、真っ先につくしと同じ身長に設定したのだ。
ゲームを始めたとき、つくしの顔が同じ高さにあることに蘭はファンタジーを感じた。
安くはない買い物だったが、自分の分も買って本当に良かった。
だが、つくしが爆発に巻き込まれたときは本当に焦った。「これはゲームだ」と自己暗示をかけなければどうなっていたか。
つくしにみっともない姿を見られたくはない。
蘭はベッドの隣で寝ているつくしに目を向けた。
頭の上半分はVRギアで隠れているが、可愛らしい口元が見えている。ぷるぷるとした唇や頬はとても柔らかそうで、蘭は触りたい気持ちを意識して抑えなければならなかった。
しかし、じっと待っていてもつくしが起きる気配がない。
一緒にログアウトしたのだからつくしも同時に起きるはずなのに、蘭の意識が戻ってからもう数分は経っている。
見れば、つくしの着けているVRギアは休止モードを示すランプが灯っている。
「姉さん……?」
蘭はぞっとするような想像をした。ゲームの中で死んでしまったつくしは、現実世界で目覚めないのではないか。
不安を抑えきれず、蘭はつくしの体をゆする。
「姉さん、起きてください、姉さん……!」
「ん……うん……まだ真っ暗だよぉ」
蘭はつくしのVRギアを引っ張って外した。
「あれ? 蘭ちゃん。あ、そっか。つくし寝てたや」
「まったく……姉さんってひとは」
蘭の力ががっくりと抜ける。
「つくし暗いと眠くなっちゃうからなー」
両腕を上げて伸びをしたつくしが、蘭の顔をまじまじと見つめた。
「な、なんですか?」
「蘭ちゃん、顔色悪いよ。気持ち悪かったりしない?」
「あ……」
なつかしい、と蘭は思った。昔から乗り物に酔いやすい体質だった蘭は、家族旅行などで乗り物に乗るたびに、いつもこうしてつくしに心配されていた。
それも大きくなるにつれて随分と改善していたのだが。
「平気ですよ。もう子供じゃないんですから」
そう言ってベッドから立ち上がった蘭の視界がぐにゃりと歪んだ。
立っていられない不快感が押し寄せて、蘭は壁に手をついた。
生ぬるい吐き気が喉のすぐ下まで迫っている。
「蘭ちゃん、吐きたかったらここに出していいからね」
つくしはゴミ箱を抱えている。
その言葉に甘えたい気持ちはあるが、後処理のことを思うとまだ我慢できた。
蘭はつくしを手で制止して、こみ上げてくるものと戦いながらひとりトイレへ向かった。