☆2 「詰んだわ」
暗転していた景色が明るさを取り戻すと、つくしの立っている場所は一瞬前とはまるきり変わっていた。
「あれ? 蘭ちゃん?」
つくしは蘭を呼んだが、周囲に人影はなく当然返事も返ってこない。
眼前にあるのは墓石。いくつもの墓石が整然と並んでおり、他に目につくものと言えば、教会のような小さな建物があるくらいの殺風景な場所だった。周囲は木に囲まれており、唯一の道がその向こう側へ伸びているのが見える。
「ここどこー? お墓ー?」
つくしは自分がどこにいるのかわからないまま、とりあえず走り回った。そして近くの丘に上ると、道の先に見覚えのある街並みを見つけた。
「あ、あれ、見たことある! ってことは、さっきの森は……えーと、どっち行けばいいんだっけ」
つくしが死んだ森は、ここから町を挟んで正反対の方向にある。歩くと20分はかかる距離だ。とは言え、考えて解決できるものでもないし、つくしは楽観主義だった。
「まいっか、歩いてればそのうち着くよね」
と歩き始めたつくしの前に、突然メッセージが表示された。
〈蘭がアイテムの拾得権限を求めています。許可しますか? はい/いいえ〉
「わっ、なんだこれ。……ん、蘭ちゃん? まいっか、とりあえず〈はい〉で」
ボタンを押すと、メッセージは消えた。
つくしはメッセージにあった「アイテムの拾得」という言葉で、あることを思い出した。立ち止まったまま所持アイテムを確認すると、思ったとおり見事に空っぽになっている。
「そっかー、装備品。死ぬと全部落としちゃうんだ」
このゲームでは、プレイヤーが死亡したときに課されるデスペナルティがかなり厳しく設定されている。所持品と装備している武器防具にお金、さらに経験値の一部までが死亡した場所に放置されてしまうのだ。
「あれ? けどデスペナってレベル5からじゃなかったっけ。つくしまだ始めたばっかりなんだけど――って、もうレベル5になってるの!? なんでー?」
これまで遭遇した敵はほとんど、というよりも全て蘭が倒している。にも関わらずつくしのレベルが上がっているのは、パーティーを組んだことで獲得経験値が共有されたからだ。
だが、それにしてもレベルの上がり方が早すぎる。
「いやー、うーん、やっぱり蘭ちゃんだよねえ。つくしと同じレベルのはずなのに全然強いんだもん。ゲーム初心者のはずなんだけどなあ」
実際のところ、蘭が戦った狼は初心者が倒せるような相手ではい。本来は、遭遇した初心者に「このエリアはまだ早い」と思わせるようなモンスターだ。
それでも倒せてしまったのは職業の差でもなんでもなく、ただ蘭の運動神経という名のプレイヤースキルがずば抜けているからなのだが、VRゲームを始めたばかりのつくしにはわからないことだった。
つくしが首をひねっていると、すぐ近くに他のプレイヤーが音もなく現れた。ここに来たということは、つくしと同じようにどこかで死んで戻ってきたのだろう。
現れた少女はうなだれて、肩越しまであるくせ毛の金髪をたらしてため息をついた。
「はーーーーっ……なんなの、初期モンスターのくせに強すぎるでしょ。どんだけレベル上げれば勝てるのよ、あの狼……………………あれ? あたしの剣は?」
少女は自分の体を見て剣以外の装備品もなくなっていることに気付くと、やがてインベントリを開いて所持アイテムを確認した。そして全てのアイテムがなくなっていることがわかると、力なく肩を落とした。
「は? うそでしょ……なにこの…………死んだらアイテム全ロストするの……? うそでしょ!? ありえない! そんなクソゲーある!? バカでしょ! 開発者なに考えてるの!? はー…………お金もなくなってるし!」
独り言にしてはかなりの声量でわめき散らかしている。横から近づくつくしの存在にも気付いていない。
「これじゃ買い直すこともできないじゃない。詰んだわ」
「大丈夫だよ、ロストはしてないから」
つくしが声をかけると、少女は「ぴゃあっ」と奇声をあげてその場で小さく跳ねた。そして、ゆっくりと振り向きながら、目を見開いてつくしを睨みつける。
少女の顔は、怯えと愛想笑いとの中間あたりで引きつっていた。
「こんにちはっ」
元気いっぱいに挨拶をするつくし。少女はぱくぱくと口を動かしたが声が出ていない。
「あのね、持ってたアイテムは死んだところに落ちてるだけだから大丈夫。拾いに行けば全部回収できるって、蘭ちゃんが言ってた。そんでね、落としたアイテムは一週間は消えずに残るんだって」
「……………………」
「でも、気持ちわかるよお。初めてのデスペナってびっくりするよねー! いきなりなんにもなくなっちゃうんだもん。あ、つくしも今日はじめたばっかりなんだよ。デスペナもさっき初めてうけたんだー。おそろいだね!」
少女は突然話しかけてきたつくしの存在に焦りを感じていた。
ゲーム内でプレイヤーに話しかけられたのが初めてだったので、どういう態度でなんと返答すればいいのかわからないのだ。そもそも、この子は本当に自分に話しかけているのだろうか、という疑問すら持っていた。
しかし、周りを見てもここには自分しかいない。
少女はできるだけ感じよくしようと笑顔を浮かべた――つもりだったが、緊張のせいで顔が引きつっていた。
「へ、へぇ…………そ、なんだ………………あっ……たしも……」
返事をしなくてはという焦りから声を出してみたまではいいが、相手が何を言っていたのか全く覚えていなかった。
それでも少女は、なんとか言葉をつなげようと必死になって頭の中をザルで掬ったが、何度掬っても何一つとして掴み取ることができない。声は尻すぼみに小さくなり、やがて消えていった。
「あ……あの……じゃあ……」
結局、少女は沈黙が生まれてしまう恐怖に耐えきれずに、小さな声で別れを告げた。
そして、ぎこちなく回れ右をしてつくしに背を向けると、ほとんど走るような速さで歩き出した。
「おたがいがんばろうねっ、ジャスミンさん!」
少女の背中に向かってつくしが声をかける。
ジャスミン。
つくしにとっては、頭の上に表示されているキャラクターネームを呼んだだけのことだ。
だが少女は、いま初めて名前を呼ばれた。文字列が、音として、名前として意味を持った瞬間だった。
少女――ジャスミンは一瞬足を止めて振り返ったが、つくしが手を振り続けているのを見て、すぐまた逃げるように走り出した。