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ミュージカル

魔法戦争はミュージカルに限る

作者: 怪人太平洋

「噛んでくださーい」


 歯科助手はセロハンのような紙を口に突っ込んでくる。ゴム手袋の独特な風味を感じながら右奥歯にあてがわれた紙を噛むと、「カチッ」と音が鳴った。この紙を噛む目的はわからない。でも、わざわざ調べようとは思わない。世の中の大半はわからないことだし、自分は知らぬ間に順応しているのだから。


「じゃあ、少々お待ちくださいねー」


 この小さい歯科医院は医師が一人しかいないため、治療の途中で待ち時間が発生する。真っ白の内装と白い照明のせいで、まともに目を開けていられないほどの眩しさだ。治療ベッドの上で目を瞑り、左手を瞼の上に置く。昨日残業で遅くなってしまったせいか、確保した暗闇の中、猛烈な眠気が襲ってきた。理性で寝てはいけないとわかっていても抗えず、頭は既に睡眠を正当化する理由を探し始めていた。

 まず、このベッドが短時間の睡眠に丁度いい硬さであること。昔、祖母の家で昼寝した畳の上のような硬さだ。その上、オルゴールのクラシックが流れている。いや、よく聴くと流行りのポップスだ。オルゴールの手にかかれば、たとえどんな曲調であっても優しい子守歌になる。そんな睡眠に適した環境で、十四時という昼寝のためにあるような時間帯に患者をベッドに放置するなんて、寝かしつけにきているのと同義だ。

 そうとわかれば話が早い。こちらも全力で寝なければ、むしろ非礼というもの。体勢を微調整し、関節と筋肉の緊張を弛めていく。背中で速度がある血流が生じ、大量の血液が首を伝って脳に上がってきた。体温の上昇とともに沈み込んでいく意識の中で、「カチッ」という音が反響していた……。




 


 ……。夕刻の茜色の空の下、軍服を着た人間が隊列を乱さずに行進している。自分も兵士の一員として背筋を伸ばして歩いている。体格の良い兵士たちの間から首を伸ばしてどうにか前方の様子を伺うと、兵隊が遠くからこちらに向かってくるのが見えた。恐らく敵だ。開けた荒野で正面からぶつかり合うなんて、まるで一対一の喧嘩のような潔さだ。

 突如敵の方から吹奏楽が聴こえた。アップテンポな演奏とともに、歌詞は聞き取れないが歌声も聴こえる。遠目に見る敵はまとまって左右に動いたり、跳ねたりしていた。対してこちらはその間も行軍の足を止めなかった。演奏が始まってから数分経ち、最後の一音が耳に届くと同時に、真っ赤な火の玉のようなものが空に打ち上げられた。高い弾道で打ち上げられた火の玉は、上空で一瞬静止してから落下を始めた。


「来るぞ! 鳴らせ!」


 後方でドラムロールが始まった。ドラムロールは焦らすように徐々に音量を上げていく。音が最高潮に盛り上がった瞬間、兵士たちはタイミングを合わせて一斉に歯を鳴らす。不自然なまでに揃った「カチッ」という音は人間の口から発せられたとは思えないほどの爆音で耳を劈いた。

 そして、シャボン玉のように美しい膜が隊を囲んだ。半球の虹色の膜に包まれながら、落下してくる火の玉を見上げる。火の玉は恐ろしい速度で膜に衝突した。金属音が大音量で鳴り響き、大地が振動する。火の玉は消失したが、代わりに虹色の粉が生まれ、ゆっくりと風に流されていく。

 どうやらドラムロールでタイミングを合わせて全員が同時に歯を鳴らすことでこの不思議な魔法を使っているようで、その後もう一度同じ方法で膜を張って魔法の攻撃を防いだ。どういう仕組みなのかはわからないが、わざわざ周りの兵士に聞こうとは思わない。世の中の大半はわからないことだし、自分は知らぬ間に順応しているからだ。

 そうしてじりじりと行進を続けていると、自軍の先頭にいる司令官らしき人間が手を挙げ、それを見た兵隊は歩くのを止めた。


「構え!」


 司令官から命令が発せられ、兵隊が一斉に右手を胸の前に構えたので、慌てて同じようにする。


「水属性魔法セカンドアルバムより【通り雨のジャック】」


 1・2……1・2・3――

 

 路地裏ジャックはもうそこにはいない

 明日もジャックはこの街にいない


 奴はヘマしないのさ

 ツキを持っているのさ

 盗みだすサファイア

 踊りあかすのさ


 夜の帳が下りた頃

 オレンジ色放つ街灯

 湿気ってしまった愛情を

 爆発で乾かせよマイクロフォン


 白い満月に愛を問う

 今夜はジャックが奪い取る

 スピードはまるでマイク・タイソン

 あっという間に消えるサティスファクション

 

 兵士たちは後方から聴こえる吹奏楽の演奏に合わせて右手で指を鳴らし、前に進んでから後ろ歩きで戻ったり、隣の兵士と手を取り合いペアで踊ったりした。一糸乱れぬ統率の取れた動きは相当の訓練が必要なはずだが、この曲を聴いたことすらなかったにも関わらず、身体は何かに導かれるように他の兵士たちとともに歌い踊っていた。

 演奏が終わり、茜色だった空に暗雲が立ち込めてきた。黒い雲は目に見えて発達していき、すぐに雨が降り始めた。雨の勢いは増すばかりで、行軍の足音を消すほどに激しく降りつけている。

 土砂降りの雨に打たれながら行進を続けていると、再び司令官が手を挙げた。その腕は雨に濡れて重そうではあったが、空へと真っ直ぐ伸ばされていた。


「構え!」

 

 声はほとんど雨に掻き消されていたが、今度は遅れずに右手を胸の前に構えることができた。つい先ほどこの右手の指を鳴らして演奏に参加したことを思うと、少し誇らしい気分だった。


「雷属性魔法サードアルバムより【君は落雷のように】」

 

 1・2……1・2・3――


 通り雨が過ぎれば思い出す

 君の残り香さえ濡れたあの季節

 青い傘一つ置いていった

 書置きに猫の落書き残して

 

 夏の海の青の中に

 明日の君と僕の夢物語

 君の色も海の中に

 もっとそっとそれを探したい

 

 愛は落雷のように

 決まり事などなく

 何よりも激しく

 魅せるのさ


 君は落雷のように

 気まぐれに微笑み

 青さだけ滲み

 消えるのさ


 雨にぬかるんだ地面の上で、豪雨にずぶ濡れになりながら、痛みを感じるほどに力強く手を叩き、皆と呼吸を合わせて行進し、回転し、跳躍する。打ち付ける雨粒よりも激しく大地を蹴り、水しぶきと泥を跳ね上げて踊る。兵士たちは全身泥まみれになりながら、お互いの顔を見て笑い合っていた。

 敵の上空に発達した黒い雲に白線でなぞられた幾何学模様が顕れて雷が落ちた。青白い雷光が鋭く迸ったが、敵が展開した膜に弾かれて消失し、虹色の粉が舞うだけだった。虹色の粉は降りしきる雨の中で、本物の虹と同じだけの密度を持っているように見えた。

 雷が放出されると雨は徐々に勢いを弱めていき、やがて止んだ。瞬きの間に雨雲は散っていったが、雨の降る間に日が暮れてしまったようで、空は藍色に変わっていた。

 それでも前進は続く。敵は何度も魔法を放ってきて、こちらはその度に膜を張って対処する。もはやドラムロールなしにタイミングが揃うのではないかと思われるほどに、膜の内側で強い一体感を感じた。それは心地良いものだった。外側で自分を包んでいるというよりは、むしろ自分の身体の内にあるような気がした。いったいどこにある? 知らなければならない気がした。その答えを知るまで、この戦争を続けていたい。


「構え!」

 

 とはいえ、敵との距離も近づいているから勝敗を決する時は近いのかもしれない。もしあの膜を破ってしまったら、敵軍の兵士は死んでしまうだろう。

 きっと、どちらの兵士もこうして音楽を楽しんでいるだけだ。音楽があって、そこに魔法が生じ、偶然戦争が起きただけだ。


「特別儀式魔法第一番より【祈りの船】」


 1・2……1・2・3――


 水面に映った

 朧げな誰かの影

 じっと見つめれば

 足早に日は暮れる

 草原の上で

 無限の星を見上げる

 耳を澄ませば

 風の歌が聴こえる


 誇り胸に抱けば

 カタバミも薫り立つ

 記憶たち鮮やかに

 体温で映し出す


 今祈りの船は来た

 夜空にかかる虹に乗り

 今祈りの船は来た

 目に見えぬ希望を載せ

 今祈りの船は来た

 幾星霜の時を越え

 今祈りの船は来た

 光はもうここにある


 今祈りの船は来た

 今祈りの船は来た

 

 心地よい微熱が体の表面を覆い、高揚感で脳が揺れる。合唱の間は誰も動かなかった。風が草を揺らす音と虫の声、そしてどこからか聞こえてくる律動。その静かな伴奏に乗って、兵士たちは祈っていた。

 皆一様に黙って空を見上げた。すっかり暗くなった空から虹色の粉で造られた船が流れてくる。船は風に流されてふらつきながらゆっくりと降下し、戦場の丁度真ん中に着陸した。

 誰も船を突っ切って行進しようとは考えないのか、両軍は撤退を始めた。とにかく、この戦いで兵士が死ぬことはなかった。

 体を包んでいた熱が引き、急に疲労感を覚えた。足があがらなくなって、どんどん周りの兵士に置いて行かれる。こんなに歩いたり踊ったりしたことがないのだから仕方のないことかもしれない。きっとついていくのは無理だろうから、一人で船に向かうことにした。

 近くで見る船はあまりにも巨大だった。どこから乗ればいいのか戸惑っているうちに、梯子がかけられた。それを頼って乗船した途端に、特大の汽笛が世界に響き渡り、船は大きく揺れた。

 船首の方に虹の麓があり、それは遥か上空へと伸びていた。船は巨体を虹の麓に乗り上げ、その上を優雅に滑って上昇していく。虹が上り坂であるうちに、船はレールから飛び出して空を泳ぎ、雲海を突き抜けた。やがて空が一層暗くなったかと思うと、宇宙だった。星を出た後も船は慣性で進み続け、しばらくすると崩れてばらばらの粉末になった。

 遠くで無数の星が鮮やかに輝いている。ここには船の残骸の虹色の粉がむせ返るような密度で漂っている。一人で放り出されてしまったが、やるべきことは知っていた。手の平ほどの大きさの星の欠片を掴んで耳にあてる。それはドクドクと一定のリズムを刻んでいた。その律動が宇宙でも聴こえることを確かめると、意識は薄れていく……。


 



 

「……てくだ…い。起きてください」


 目を開くと中年の男の顔があった。思わず跳ね上がった身体と反対に顔だけは冷静を繕おうとする。歯科医師はマスクをしているため目元しか見えないが、笑っている気がした。


「じゃ、治療始めます」

 

 まだ忙しない鼓動を静めようとして、胸に手を当ててみる。胸の奥で心臓は規則的に脈を打ち続けている。心臓は何に合わせて律動しているのだろうか。その答えはわからないが、聴こえているような気もした。世の中の大半はわからないことだし、自分は知らぬ間に順応している。しかしミュージカルが続く限り、虹を見失うことはないだろう。

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