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第7話 正義の原点

   *


 世界中の空に無数に打ち上げられ、世界中の人間の一人一人を監視し続けるという人工衛星『WCSS』にまだ人々の不満が拭いきれていない頃。

 世界中で普及しつつあるWCSS設置に反発する、とある宗教団体による過激なテロ行為が、世界各地で勃発していた。

 そんな折、日本が被害を受けたのはほんの二十年程前の事だった。

 今の平和ボケしきった世界に身を浸す人達は、ほんの数年前に起きたあの事件の事など、まるで夢や映画の事であったのかの様に、現実味も無く忘れてしまっているというのに、来栖からあの『テロ』の事が、『三千弾痕事件』の事が、絶対的な現実として脳裏から離れる事は無かった。

 来栖がまだ四つか五つの頃だろうか……T都の街を、何の目的でなども覚えてはいないが、家族で手を繋いで歩いていた。右手で父の手を、左手で母の手を力強く握り締めて。

 何の気も無しに買い物に出掛けた、ただの楽しい家族との一時。

 ――――そして。

 偶然その日、偶然その時、偶然その瞬間にその場を通った。

 ただそれだけ……ただそれだけで来栖と、母と父と、その場にいた人達は――WCSS設置反対を訴えるテロ組織『クリアドーン』の虐殺の対象とされた。

 手を繋いで歩いていた来栖の遥か後方から、微かに悲鳴が聞こえたかと思うと、その声は一つ、また一つと声を増して近付いて来た。

 楽しげな雰囲気を醸し出していたT都の街は、一つの悲鳴を皮切りに、突如としてざわめき始めた。

 一瞬早くその異常を感じ取った父は、来栖と母の手を力強く握って走った。漠然と、ただ悲鳴から遠い方へと向かって。

 しかし、今まさにその場を通り抜けんとした瞬間に、隣の高層ビルから途轍もない熱と風圧を感じた。そう感じた瞬間に、来栖は家族諸共に猛烈に吹き飛ばされた。

 強烈な衝撃に地面と平行に吹っ飛び、近くの黒のワゴン車に途轍もない勢いで叩きつけられた。生まれて始めて感じた身を捩るような衝撃は、まだ子どもだった来栖の意識を朦朧とさせ、そのまま何処かへと連れていきそうになった。

 ふと、細い意識の中、仰向けに倒れたままの姿勢で、よれよれと僅かに右を向くと、鼻と鼻が触れ合うんじゃ無いかという距離に、父の焦点を失った瞳があった。

 ゾッとしながら、震える小さな掌で父の顔を揺さぶった。父の瞳は未だに開いたままで、明後日の方向を向いたまま、何の反応も見せなかった。

『死』という事を理解していなかった幼い来栖は、その時、幼いながらも人の『死』という概念を理解した。否、理解させられた。目の前の父が今まさに死んだ事を、子どもながらに理解せざるを得なかった。

 先程まで楽しく笑っていた父は、突如として人形と化した。揺すっても、声を掛けてもその目は何処を向いているのかわからない。何処にいるのかわからない。まるで生きていたのが嘘だったかの様に思えてしまう程に。

 記憶にはある。教えて貰った事、愛して貰った事……しかし、来栖の記憶にある父と目前にいる父の姿をした人形とが、同一人物だとは何故だか思えなかった。

 先程吹き飛ばされたビルの方に懸命になって頭を向けると、一階部分が黒焦げになっていて、メラメラ立ち上る炎と熱風を間近に感じた。どうやら爆発したらしいと、その時になってわかった。

 耳を澄ますと、辺りからは人が土壇場に発する金切り声、銃声、何かを切る音。そんな音が物凄く近くから聞こえる。そしてパンッ、パンッという乾いた音が各所から聞こえ、その中の一つが、少しづつ近付いて来るのが次第に音量を増してくる銃声でわかった。

 おぼろげな意識で気配を感じて、顔を上げた時にはもうそこにいた。

 胸に逆十字のクロスに蛇が絡みついた、特徴的なネックレスを下げた男が、ドス黒い銃を持った無表情な顔で、伏してなす術も無い来栖に標準を合わせていた。

 何故だか向けられているその銃口を見ている事が出来ず、瞳を力一杯にぎゅうと閉じた。

 男は躊躇いもなくトリガーに指を引っ掛け、そして何の迷いも無く――

 ――ドンッ!! という、先程まで聞いていた乾いた音とも、テレビで聞いていたのとも比べ物にならない、鼓膜をつんざく物凄い轟音が頭上で聞こえた。……しかし、黒のワゴン車のすぐ下で倒れ伏している来栖に、その弾丸は擦りもしなかった。

 ふと、固く閉じた瞳を緩めて男の方を見やると、銃を持った男の足元で、母がずるずると倒れ込んでいった。そしてすぐに、その母を中心とした血の水溜りがどろどろと広がり始めた。どろどろとした母の真っ赤な血液が、少しづつ、少しづつ来栖の倒れ伏した所にまで迫って来る。

 男は足元に倒れる来栖の母には一瞥しただけで、再度銃口を少し下に向けて来栖を狙う。今度は外さないといった風に、しっかりと。

 いよいよ途切れそうな意識の中で、来栖はもやもやとした視界の中、今度は瞳を閉じる事無く、しっかりと男を見上げた。

 男はそんな来栖の瞳をしっかりと見据えながらも、トリガーに指を引っ掛ける……無表情だった男の顔は、その時ニヤリと笑ったように見えた。

 理解というより直感した、すぐにでも男が、躊躇いも無しに弾を放つ事を……。

 今! 今! 今!!

 まさに命が絶たれる。そう思うと色々と脳裏をよぎる……しかし幼い来栖の脳裏をよぎったのは、目前にあった焦点の合わない父の顔と、倒れ伏している母から流れる、血液の鮮やかな紅色だけだった。

 脳裏をよぎる記憶は、目の前にあるただの地獄だった。

 ――死ぬ。殺される……僕も母のように紅い血液を身体から噴き出し、父の様に人形になるのだろうか?

 ――嫌だ。どうして、どうして殺されなくちゃいけないの? どうしてこの人は僕を殺すの? どうして人は人を殺すの……?

 そんな疑問に答えをくれる者などいなかった。

「正義の名の下に、多くの人類の為に……」

 満身創痍の来栖の頭上から、ぼそりとそんな悪魔の声が届いた。

 来栖が意識を保っているのも、もう限界だった。来栖は目を閉じてその時を待った。死の時を待つ事しか、圧倒的狂気の前では出来なかった。

「おと、うさん……お……かあさ…………」

 天に向かって最後の言葉を放つ。

 程なくして――ドンッ!! という悪の轟音が頭上から聞こえた。

 ――あぁ、血の臭いがする。……血と、それと火薬……地獄の臭いが辺りを満たしている。そして僕もこの臭いの一部となるのか…………。

 

 ……。

 ………………。

 ……長い。

 ……死の間際とはこんなにも長いものなのか。

 …………………………。

 ………………。

 …………うず………………ぼ…………

 ………ず………………………ぼうず………………

「ぼうずっ!!」

 呼び掛けて来るその声にビクリとして、わずかな力で瞳を開けた。認識出来るギリギリの景色の中、ボンヤリと紺色の制服を着た人が中腰になって来栖を頭上から見下ろしているのがわかった。

「もう大丈夫だ」

 そう言って、力強い腕で持ち上げられた。来栖を腕に抱き、何処かへと向かって走り出す揺れを感じる。

 ふと視界の隅に映った父と母が遠ざかっていった。

 ――僕は、死ななくても良いのだろうか? 僕は、助かったのだろうか? そう思った途端に、安堵した意識はガクリと落ちようとした。

 意識が途切れる最後の間際に。幻聴なのか、現実なのか未だに判然としない、正義のヒーローの声が耳に届いたのを憶えている。

 ――ぼうず、嘆くな。震えるな。俯くな。奪われた者たちの為に――――――

 ヒーローがあの時言った言葉の続きは、どうしても思い出せない。


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