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第39話 逆さまになった空

   *

 

 先日の激し過ぎる闘いが嘘だった様に今、空が青い。空の群青色をバックにして、細かい鱗が散らばった巻積雲が、のどかな空を埋め尽くしている。しかしそのどれもが濁った様にパッとしない。

 誰もいない、誰も来ない静かな山頂にある、Oダムの絶壁を来栖は見降ろした。見降ろしながら、そこから転落していく自分を想像して、足元がゾッとする。

 胸ポケットからタバコを取り出し、火を付けて紫煙を燻らせる。

 ――何も出来なかった、一人も救えなかった、幽雅がただ死んでいくのを見ている事しか出来なかった――

 来栖はあの日、世界の裏側にある正義の形を見た。

「あれは……正義?」

 幽雅を惨い程にズタボロにし、殺した。しかし、そうする事で、沢山の人間が救われた事実。

「悪……?」

 アンスの掲げる正義。出羽の掲げた正義。天羽夜鳥が掲げた正義。傘紅葉が実行した正義。

 その全てを否定しながら、その全てにあの日救われた。

 来栖の右手から灰がポロリと落ちる。それは地面に達する前に、風にかき混ぜられ、形を失くして消えていった。

「俺は――――」

 ――どうしたら良い? 真実を知った今、俺にどうする事が出来る? 真実を知って、怪人と呼ばれる悪魔の存在を知って、世間から隠された組織の存在を知って、WCSSの破綻を知って、新人類の存在を知った。……知って、知って。未だ蚊帳の外にいる。

 俺に出来る事は、ただ忘れる事。世間と同じ様に、世間が悪を忘れているのと同じ様に、何もかもを忘れて生きていく事だけだ。

 この山の向こうの町では、昨日と変わらぬ今日を、何の苦心もせず笑い、過ごす市民がいるのかとふと思った。

 何が正しいとか、何が正義かは、きっと人それぞれなんだ。十人十色に答えがあって、だからこそ敵が存在し得る。自らの正義の為に、異なる正義を叩き潰し、そこに悪が産まれる。

 結局正義と悪は、どちらから見た景色であるか、という事だけなのだろうか?

 来栖は、ほとんど吸っていないタバコの火を、左手の携帯灰皿に押し付けた。それから、両手で頭を掻き毟る様にしてから俯いた。

 俯いた先で、巨大なダム湖を遮る絶壁が、決壊した様に放水を始めた。勢い良く溢れ出す水が何処までも下に落ちていって、空が落とす陽射しが虹を映し出していた。

 ――槍が降るなら盾を。放射線が降るなら絶縁体を。そして敵を撃つ銃を持たなければならない。

 あの時否定した筈の出羽の言葉が、今更深く自分の胸に突き刺さった。あの瞬間に、自らの甘ったれた正義感は跡形も無く崩壊させられた。

「あいつの言った言葉は正しい。今だからこそ理解出来る。

 ……だけど」

 来栖は内ポケットから忌々しいシルバーを取り出して目前に掲げた。死に際に出羽が落とした物だ。

 逆十字のクロスに蛇が巻き付いている。クリアドーンのシンボルマークだ。

「何が正しくて、何が正しく無いのかはまだわからない。ただ、これだけはわかる」

 ――クリアドーンは悪だ。例えどんな事情があろうとも。

 あいつらはまだ生きていた。ならば俺は――

 それは疎ましくも、葛藤する来栖の指標となった。

 禍々しく燃える瞳の炎が、クロスの向こうに射す太陽を見据た。

 携帯電話が来栖に着信を告げる。手元の腕時計を見た。

「……1分遅れている。時間にルーズなのは嫌いだ」

 空に堕ちる様な錯覚に、狐につままれた気分になった。

 参った様な表情をして、絶壁に続く手摺りに背中を預け、肘をついて空を仰いだ。

 逆さまになって見上げていると、空に堕ちていく様な奇妙な感覚があった。

 そして見上げる空はつくづく青くて、青過ぎて、嫌になった。

 ――嘆くな。震えるな。俯くな奪われた者たちの為、――()()()()()()()()()()

 不意に、正義のヒーローの言っていたどうしても思い出せなかった続きを思い出した。

 思い返してみると、父と母を目前で失ってすぐの幼かった自分に、そんな言葉をかけるのは些か酷な気がしてきて、少し笑った。

 けれど、そっと拳に力が篭った。

 顔を地平線に戻すと、淀んでいたダムからの景色は何時しか晴れ渡っていた。

 来栖はそっと携帯電話の通話ボタンを押した。そして通話先の相手に向かって伝える。

「局長。昔、あんたが言ってくれた言葉を思い出しましたよ」


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