第38話 決めるのは自分だ
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人工衛星局東海支部の地下に位置する東海アンス拠点。無機質に白く広い半円型の廊下から、枝分かれに幾つもの部屋が存在する。
秘密組織だと言うのに開放的と言って良い程に広く、大胆である。一面の白色はどれも真新しい輝きを放っていた。
広く続く廊下の中の一室、医務室にアンスの局員が呼び集められていた。
包帯で身体をぐるぐる巻きにされた局長が、ベッド上で胡座をかいて開口した。
「先ずは皆、先日の作戦ご苦労じゃった」
局員たちは皆、苦虫を噛み潰した様な表情を見せながら頭を下げた。
先日の作戦がほとんど失敗だったという事は、火を見るよりも明らかであった。集会場所が普段の作戦室では無いのを見てわかる様に、隊員の多大な負傷、二班の実質的壊滅、更には市民の死傷。
そして、副局長の出羽の裏切り。
「出羽は……」そう言って局長は一瞬遠い目をした。
二十年以上の時を共にし、誰よりも信頼していたはずの古株が、姿の見えなかった敵組織と内通していたのだ。裏切られた友として、気付けなかった上司として、堪えない筈もない。
「WCSSを掌握したと言っとったな。しかし、現状WCSSのシステムに異常は見られん」
「単なる虚勢だったと言う事でしょうか?」早乙女がベッドから身を起こして、怪訝な表情を見せると、局長は首を振った。
「わからん。しかしWCSSが一度、何者かに操られた事があるのは事実だ」
局員たちはがざわめき出したが、日寺が「静かにしろ」と囁く。
「局長! それって、もしかして今回の!?」早乙女の隣のベッドから鷲巣が大きな声を出した。
「だからうるさいわよ」早乙女が呟いたが、鷲巣は気が付かなかった。
「そうじゃ。クラッキング元は未だわかっとらんが、少なくともWCSSへの外部からのアクセスは、不可能では無いという事じゃ」
緊迫した空気が室内に流れる。過信していたWCSSの破綻。その事実が局長たちに与えたショックは相当な物であった。
「これからは、WCSSが機能を停止した事を想定した、それこそアナログな手段も仮定しなければならんな……」
暗中模索していた組織の存在は露わになったが、発覚した戦況は明らかなる不利であった。
「案ずるな。自分の目で見て、対応する。それだけの、当然の事をするだけじゃ。わしらは何時しかそれを忘れ、WCSSに頼りきっておった。これを機に今、それぞれが自分を見つめ直せ。自らの目で」
局員たちは揃って返事をした。
局長は床頭台に置いたシルクハットを頭に置いた。
「しかしじゃ。差し当たっての問題は他にある。何かわかるか鷲巣」
「えっ!」
突然名指しされ慌てる鷲巣を、局員たちは心配そうな眼差しで見つめた。その様子を見るに、皆局長の言う目下の問題とやらが何かわかっているらしい。
「え……ええと」
「早く答えなさいよ。それ位わかるでしょう?」
隣の早乙女が細い目で鷲巣にプレッシャーを掛ける。
「……早く怪我を治すこと!」
「もー春馬くんちっがーうっ!」
三角巾で右腕をぶら下げた橋沢が、ドスの効いた顔で甲高く野太い声を出したので、鷲巣はびくりとした。
「まぁ、それもあながち間違いでも無いがの……」
困った表情の局長に、入り口付近に立っていた、モサモサとした栗色の髪の男――オペレーターの小鉢鳰が答えた。
「人員の、補給と、第四形態の怪人に対抗、する手段、です」
オペレーターの時の口調とは変わり、つかつかえに、オドオドとした口調だった。
悔しそうに睨めつける鷲巣を除いた局員たちは、小鉢に向かって安堵の表情を見せる。
「そうじゃ小鉢。今回、我々東海アンスは、ほぼ壊滅状態にまで追いやられたと言って過言では無い。死傷こそ免れたが、戦線を離脱せざるを得ない傷を負った者。怪人の第四形態の猛威と、出羽の狂言に戦意を喪失した者。残ったのは今ここにいる一班の者だけじゃ。
しかし人員の補給と言っても、そう簡単にいかんのが秘密組織の辛い所じゃ。その上、怪人に対抗する手段が無ければ人員を増やそうとまた同じ事になる。人命をそう無下には扱えまい」
思案投げ首。局長が腕を組んで頭をもたげると、局員たちも同じ様に頭を悩ませた。
「局長」
鷲巣がおそろおそろと小さく手を挙げた。局長は腕を組んだまま顎で促した。
「来栖は、今何処にいるんですか?」
局長は片方の眉を吊り上げて、少し驚いた様子で鷲巣を見た。
「さてな。あいつはもう帰したぞ? 真実を垣間見て、今頃家で色々考えとるんじゃろ」
橋沢が頬を赤らめて体をくねらせた。
「春馬くんったらあんなに刃くんと喧嘩してたのに! 気にしてるなんて優しい〜っ」
「橋沢さん、別にそんなんじゃないですって。俺はただ……」
言い掛けた所で割って入って来たのは、堅く瞳を閉じていた日寺だった。
「駄目だ。あいつは部外者だろう」
厳しい瞳が、鷲巣の提案を一足先に一蹴した。
「日寺さんの言う通りよ鷲巣。来栖をアンスに招き入れた所で、使い物になんてならないわよ。あの熱烈な正義感は、正直言って実戦向きじゃない」
早乙女も日寺に同調した。二人は鷲巣を黙らせようと威圧するが、鷲巣は珍しく二人に言葉を返した。
「でも……! 俺は、あいつすげぇ根性あると思うんです! いきなりあんな苛烈な現実見せられても、逃げずに立ち向かってたし! あ、そうだ。あいつ射撃の腕も凄まじいんですよ! なんだかんだ言って今回あいつの射撃に助けられた訳でしょう? あいつがいなけりゃ、もしかしたら今頃俺たち……」
「それは私たちの落ち度よ。来栖に銃を握らせてしまった私たちのね」
早乙女は鷲巣の反論を一蹴した。
「……でも、早乙女さん――――」
「あら、良いじゃない。私は刃くん、素質とあると思うし賛成よ。あとイケメンだし」
予想外の声に、早乙女は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を見せた。
「刃くんね。自分が幽雅ちゃんの標的になって、私が援護しようとした時、足を震えさせながら『早乙女さんを連れて退いてくれ』って言ったのよ? 目前で本物の殺意を向けられてる初めての状況で、そんな事言える? 普通の人だったら、死に物狂いで助けを請う場面だったと思うわ。――だから私は、刃くんは極限状態の中でも、的確な判断が出来る人材だと思う」
「橋沢さん……」
「橋沢ぁぁあ」
目を輝かせた鷲巣とは対照的に、早乙女は眉間に皺を寄せながら地鳴りの様に低い声を出した。
「ぼ、僕……も、来栖さんの勧誘に、賛成、です」
小鉢が癖毛を必死に揺らして珍しく主張して来た事に、早乙女は橋沢の時に続いて面喰らった表情を見せた。
「来栖さんは、充分に、素質がある人だと思います。それに今、は怪人に対抗する為に、針の目にも通す様な来栖、さんの射撃の才覚は、必要……だと思います」
「お前らぁぁああ」
早乙女はぶち切れる手前なのだろう。額に血管を浮かせながら顔を真っ赤に染めていた。
「まぉ待て。冷静になれ、早乙女」
日寺は早乙女をなだめようと声を掛ける。
「わ……わかってます、日寺さん」
「もー、乙女ちゃんったらプチトマトみたいになって。そんなんだから最近お肌が荒れてきたのよ」
ブチッと早乙女の頭上で何かが切れた音がした。
「橋沢ぁぁあああああっっ!!!」
「まぁ何れにせよ、じゃ」
局長が張り詰めた緊張に区切りをつける様に一度手を打った。
「どうするか決めるのは来栖自身じゃ」
早乙女を除く一同は頷いた。
「ですが、もし来栖がアンスへの入隊を希望したとしたら、どうするつもりなんですか?」
未だ血管を浮かせたままの早乙女が、怒りを抑えつけている様子で質問する。
「正直今は、猫の手でも借りたい程困窮した状況にある。わしは来栖の入隊に賛成じゃ」
局長がそう言うと、早乙女は静々と「わかりました」と呟いた。
「局長」
今度は腕を組んだ日寺が難しい顔で尋ねた。
「もしかして、初めからそのつもりで来栖を隊列に組み込んだんですか?」
局長は悪戯っぽい表情で「バレたか」と白状した。
「え! そ、そうなんですか局長!?」
鷲巣が目を丸くして大声を出した。
「やはりそうでしたか。自ら現場に出向くと言ったり、わざわざ正体を明かしてから極秘事項を言って聞かせたり、急遽隊列に加えたりと、追い払う手段は幾らでもあったと言うのに、妙だとは思ったんです」
日寺は一人納得した様な表情を作ってから、腕を解いて胡座をかいた。
「えぇええ!! 日寺さん気付いてたんですかぁああっ!!!」
はち切れん程の声量で鷲巣はまた驚いた。
「うるっさい鷲巣っ! 鬱陶しい!!」
そう言う早乙女の声も負けず劣らず、二人の声で医務室全体が微かに震えた様な気すらした。
小鉢と橋沢は、両の手で耳を塞いで顔をしかめた。
「初めは試しとるつもりだったんじゃが、来栖はそれによく応えてくれた。あの逸材が入隊を希望するのなら、断る理由は無い」
局長は耳に指を突っ込みながら答えた。
「あ、で、でも……」小鉢が控えめに挙手した。
「来栖さん、先日の作戦が終わった、後、何ていうか、空っきし元気が、なくなってしまったと言うか。凄く落ち込んでいた様な、印象、でし、た。もしかしたら、入隊の件も、辞退されるかも、知れま、せん」
指にクセの強い髪を巻き付けながら喋る小鉢に、早乙女が鼻を鳴らした。
「そりゃ怖気付きもするわよ、あいつは全てを見たんだから」
先日まで平穏過ぎる世界に身を置いていた来栖には、今回の件は想像も絶する程のショックであっただろう。
「わしは違うと思うぞ」
「え?」
局長は早乙女に向きながら、僅かに伸びた髭を撫で付けた。
「確かに来栖にとって今回の件は、余りにもショックな出来事だったじゃろう。しかし来栖は考えとったんじゃと思う」
「考えてた……って、何をですか?」
早乙女が聞くと、局長はまた髭を触りながら続けた。
「来栖はあの日、自らの正義を打ち砕かれ、そして同時に、様々な形の正義を見た」
アンスの主張する正義。出羽の主張する正義。紅葉の実行した暴力の正義。そして夜鳥の述べた正義。来栖は極端に違う、それぞれの正義に邂逅した。
「来栖は怖気付いていたのではなく。何が正しく、何が間違っているのか。自らの背を支え続けていた絶対的正義を砕かれた事によって、わからなくなったのだろう。だから、どうするか決めるのは来栖自身じゃ、と言ったんじゃ」
陰惨な世界の真実を垣間見た来栖が、何を正義と定義し、そして背を預けていくのか。それを決めるのは紛れも無く来栖自身だった。