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第35話 修羅


 修羅の様に、悪鬼の様に、幽鬼の様に、その女は何度でも蘇る。何度殺されようとも、地獄の淵からけたけた笑い、舞い戻る。

 狙った獲物を殺す為、ただ斬る為だけに。


「うしろの……しょう、めん、……だあ……れ」

 ――幽雅は()に付き纏われた。

 傘紅葉。

 足元すらもおぼつかない満身創痍の身体を引きずって、血みどろになった鬼。息を荒げ、紅い瞳をギラつかせた鬼が、幽雅の背後に忍び寄っていた。

「――だッ!!」

「!?」

 本人の意識よりも早く、幽雅の腕は真後ろに立っていた紅葉に反応し、腕を広げ背後に左腕を伸ばす。しかし腕の射程範囲を計算してか偶然なのか、はたまたまだ黒く変色していない幽雅の背筋が連動してついて来なかったからか、腕の射程のすれすれの所に立っていた紅葉に、その腕は届かなかった。

 無理な体制で繰り出し、空に残った幽雅の左腕に向かって、紅葉は両腕で掲げた刀を局長のつけた切れ目の一点目掛け、渾身の力でもって振り下ろした。

 あまりの衝撃に火花が散った。金属に金属を強く叩きつけた時の様な強烈な音が耳を打つ。材質が特異なのか、その打刀は軋みを上げる所か、遠く飛んでいく様な音の余韻を響かせる。

 だが切れない。技術も何もない力任せの太刀筋では、幽雅の黒い腕は切り落とせない。

「あぁああっっ!!」

 咆哮と共に幽雅の右腕が紅葉を抉る。紅葉の左肩の肉が飛び散った。

 血の噴き出しているその肩の痛みにも怯まずに、紅葉はもう一度刀を振り上げた。

「いがあぁあっっ!!」

 またしてもその太刀は幽雅の左腕に重くのしかかった。その衝撃に声を漏らし、ガクンと腕を落として怯んだが、幽雅の右腕は、しつこく同じ箇所を斬りつけて来る紅葉の胸を、足元から向かって空に裂いた。

 深い傷を負った紅葉の胸から鮮血が咲き、自らの顔面をも赤く濡らした。

 紅葉の意識が彼方に遠ざかっていく。足はフラつき、膝は痙攣して地に落ちていった。

「……ころした」

 幽雅が呟いた。

 恐ろしい程の流血。意識を保っていられない程の痛み。

 紅葉がゆらゆら地に落ちる――――――


――上転する眼球。地に伏せゆく無様。

 ――――争いに敗れ、狩られる愚鈍な命。

  ――――――その様を、()()()はせせる。()()()は嗤う。

   ――――――――散々嗤うと、のらりくらりと近付いて来た。

  ――――――灼熱地獄で奈落の亡者を繰り返し炙り続ける様に。

 ――――ぼろ雑巾の様になった首猫を無理やりに引き起こし。

――『()()()()はそう言った。


『舞い上がれ』


 ――――鬼は、堕ちる紅葉を赦さなかった。


 落葉を風が吹き上げた。

 まだ舞え。まだ踊れ。そう風は言った。

「――――とっととぉっ!!」

 何かに呼び覚まされたかの様に、メラメラと燃える苛烈な三白眼の紅い瞳が、幽雅を見上げ、射抜いた。

 落ち掛かった紅葉の足はもう一度だけ、地面に埋もれる程に強くその場に踏み込んだ。

「きれろぉおあぁあああぁあっッッ!!!」

 怒号と共に振り下ろしたその力づくの斬撃は、斬ったというより殴ったかの様な、全体重の乗った一撃だった。しかしそれが、その特殊な刀の正しい振り方の様にも思えた。

 あまりの衝撃と気迫に、幽雅は仰向けに倒れた。

「つ……ッ!」

 幽雅は気付いた時には、ブーツの底で左手を踏みつけられた形で、紅葉に馬乗りになられていた。正気も定かでない瞳が幽雅を見下ろし、吠えた。

「落ちろッッ!!!」

 体重を乗せて、紅葉が幽雅の左腕に刀を落す。

 幽雅の右腕は乱舞する様に紅葉の腹を抉る。が、紅葉は止まらない。

「おちろッッぉぉおツ!!!」

 紅葉は同じ場所に斬撃を入れる。腕に入った僅かな切れ目が次第に大きくなっていく。

「やめ……てっ!!」

 幽雅の右腕が遮二無二紅葉の身体を抉り散らす。四散する血液が激しく宙に舞う。

「落ちろッおちろおぉッッ!! オチロッオチロっッオチロォおおォおぉッッッ!!!」

 どれだけ抉られても、どれだけ深く切り裂かれても、紅葉は血走った眼で、取り憑かれた様に繰り返し斬撃を振り下ろした。

 その様は、その気迫は、正に狂気の沙汰。地獄の様な狂態。

 堪りかねた幽雅が苦悶の声を上げた。

 そして。

 ――何かが打ち上げられ、そしてボドンと地に落ちた音がした。

 幽雅の阿鼻叫喚の絶叫が、風の凪いだ闇を引き裂いていた。

「いぃぃいぎぃいああっあぃああっぁあっっ!!!ぐ! ぎぃぃっあああっっつああああ!!!」

 先程地面に落ちた物。それが何なのか、地面を見ずとも、幽雅の左腕の二の腕から先が欠損している事から察すれば、それが何なのかは明白であった。

「あぁぐぅうあ、ああぁ!!! っああああっぁぁ!!!!」

 獣の叫びを上げて、幽雅はのたうちまわる。自分に何が起こったのかもまだわかっていない。何が何だかわからないのだか、その途方もない激痛が、自分の身体を捩じりあげて声を上げさせていた。

「もう……ぃぃいいっぽぉんっ」

 血を全身に被って真っ赤に染まった紅葉は、刀を持った手をだらりと下げたまま呟き、ふらりとよろめいたが、そこで踏ん張って身を起こし、にたにたと嫌らしい紅色の瞳を幽雅に向かって歪ませ、再度刀を振り上げた。

「ひぐぅあ!!! っあぁぁっ!!!」

 紅葉に向かって、幽雅の残された右腕ががむしゃらに迫り、腹の辺りを突き飛ばした。紅葉の体はされるがまま、茂みの遥か後方へふっ飛んでいった。

「うぐぅぅああ、あ!! 手が、てがあぁぁ!!いぃいいいっ!!」

 左腕が存在した場所からドボドボと血を落としながら、幽雅は地面に落ちたかつての左腕の上に、うつ伏せになって倒れた。

「…………」

 拳銃でもビクともしなかったあの黒い腕を、紅葉は無理矢理斬り――否、抉り落とした。

 疾風迅雷の事態に、来栖の口元はポカンと開いた。うつ伏せになった幽雅を丘の上から見下ろしながら放心した形だ。

 ――しかし。

 うつ伏せで、ピクリとも動かず意識も朦朧となった幽雅の――――

 右腕だけが奇妙に緩々と腕を上げ、地響きすら鳴る勢いでもって地に着いた。

 ――――まだ動けるのか!

 閑古鳥が鳴く程の静寂の中、幽雅の腕がずるずると身体を引きずる音だけが聞こえる。しかしその速度には先程の勢いは無く、最後の余力で動いているだけにも見えた。

「も…………もた、ない……どこ、どこに…………ちかく、に……」

 顔を俯け、自らの進む進行方向を見ずに、自分の腕のなすがままにされる幽雅がぶつくさと呟く。その発言は意味不明で、幽雅というよりも別の何かが憑依したかの様だった。

 ざんばら髪に埋れ、ずるずる、ずるずると少しずつ音を立てて丘をよじ登って来るその姿と、不死身の様な生命力の余りのおぞましさに、来栖はドサリとその場に尻餅を着いた。

「あんなの……どうしろって…………」

 恐怖に慄いた来栖の腰は完全に砕け、立ち上がる事も出来ずに、ずるずると近づいて来る幽雅を眺めている事しか出来なくなった。

「行かなくちゃ……私は、だ、だれを、捜して……昔の、世界、前の幸せだった世界? みんなが、シスターが……シスターなら、きっと、教会に」

 やがて幽雅は来栖の目前にまで這い上がって来た。その姿にもはや見る影は無く、現れた時にまだ色を残していたコートの純白が、今ではほとんど血に染め上げられ、黒くまだらに汚れた髪が、片腕で持って地面を這いずっていた。

 幽雅が瀕死である事は誰の目にも明白であるというのに、来栖は動く事が出来なかった。

 ――うごけ、うごいてくれ!

 思いに反発して、身体は言う事を聞かない。このままでは真正面から来る幽雅と接触する。

 ――さっき俺は、早乙女さんたちを守る為に銃弾を放ったんだ。動く事など造作も無いはずだ……はずなのに!

 今俺は逃げる事すらも出来やしない。

 金縛りにあった時の様に、身体は動かないのに意識だけがハッキリしていた。

 全身を震わせる来栖の目前に、幽雅がずるずると身体を引きずって現れた。その姿を認めると、全身の毛穴から冷たい恐怖が噴き出した。

「…………」

 幽雅は何も言わない。何も言わずに来栖の横を通り去り、その際に少しお互いの肩をぶつけただけで、そのまま丘の上へと重そうな身体を引きずって行った。


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