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第3話 不鮮明な蠢動

   *


 初老の男はマイクの電源を一度オフにして、正面のマジックミラー、こちらからのみ向こう側が見通せる窓から、向かいの部屋の中央の椅子に腰掛けている白い少女を凝視した。

 フランス人形の様に鼻が高く、丹精な顔立ちに、白雪の様な透き通った肌色。眉もまつげも白く染まっている。栄養失調を疑う程華奢な身体。一瞬だけ開いた双眸は淡赤色。そして何よりも目立つのは、白地のキャンパスの様に白い頭髪だった。

 今は人目を忍ぶ様に俯いて、その長い前髪で表情を隠す様にしている。

 頭に載せた茶色のシルクハットを深く被り直しながら、老人は理知的な漆黒の瞳を沈ませ、机に肘を着き、顎に手をやって思案投げ首している。

 特徴的な容姿を抜きにして考えれば、ただの内気な娘の様にも見える。

 しかしこの白い少女は、今まさに世界中から注目を集めている。無論、良い意味では無い。下手を打てば各国の軍隊が、今すぐここになだれ込んで来てもおかしくは無い緊迫した状況にある。誇張でも無く比喩でも無く、今世界中に緊張感を張り巡らせている原因は、この娘なのだ。

 今この場の光景も、世界中から一斉の監視を受けている。この娘に対する対応も、我々の身の振り方も、慎重に考えねばならない。

「出羽」

 老人は、すぐ背後で壁に背をもたげているオールバックの男に声を掛ける。

 喪服の様な黒いスーツを身に纏った、厳格そうな表情を貼り付けたオールバックの中年男、出羽毘賣理(でばひめり)は、その声に返事もせずに、未だ穴が空く程に正面の窓に映った白い少女をじっと見つめていた。

「……おい、出羽」

 老人は再度出羽に呼び掛ける。ただちょっと返事をしなかったという事を異様に思う程に、この冷徹な男がこんな様子になる事は異常であった。

「ああ、すみません局長」

 出羽は取り憑かれた様に、窓越しに白い少女を見つめていた瞳を一度閉じてから、シルクハットの後頭部を見つめた。彼自身もまた、自らが返事を忘れる程に没頭していた事に驚かされていた様子であった。

「らしくないぞ、しゃんとしろ出羽」出羽が局長と呼ぶ老人は、じろりとした視線で背後に振り返った。

「まぁ、さしものおぬしも驚きを隠せん……といった所か」

 局長は深く腰掛けた椅子にふんぞり返りながら、頭上のシルクハットをズラして表情を覆い隠した。年々薄くなり、今ではすっかりと禿げ上がった頭皮が露わになる。

「発症当時の記憶が曖昧なのは、おそらく一時的な物でしょう。ひどく混乱し、こちらの呼び掛けが聞こえない程に我を見失い、取り乱していましたから」

 出羽はそのままの壁にもたれた姿勢でその頭に言った。すると直ぐに、シルクハットの下から、くぐもった声が返って来た。

「とはいえ、ものの見事に記憶が欠落し過ぎじゃありゃせんか? ショックによる喪失というより、これでは拒絶に近い気もする」

 出羽は僅かの間押し黙り、腕を組んでから言葉を返した。

「まだ年端もいかない娘です。自らがあんな事態に陥れば、拒絶も発狂もするでしょう。いずれにしても、思い出してもらう他ありませんが」

「そうじゃな。そうしてもらう他無いな」シルクハットが上下に揺れた。

 白い正方形の部屋の真ん中で、頑なに瞳を瞑った少女。

 ――彼女は人を殺した。

 それも、とても奇怪な方法でもって。

「出羽、おぬしにはあれが、何に見えた?」

 表情を隠したシルクハットを頭に被り直し、含みを持った怪訝な視線を出羽に送る。

「私には……」

 出羽は瞳を伏せてあの時の光景を、この白い娘の背から突然に現れた未知、忘れ難い絶望を思い起こした。

 光の様な、はたまた細い糸の様な、そこにあるのに確実な視認が不可能な、曖昧な騙し絵の様な存在。木の幹程に太いかと思えば針の様に細くあり、蟻程に小さいかと思えば湖の如く大きく広がっていった。

 絶え間無く蠢動する異様な存在に、世界はあの時邂逅した。

「触手、ですかね」出羽は言った。

 一本の蠢く不可解な光。そう表現するのが的確だろう。

「ほう」

 局長は出羽の回答に相槌を打つと、乾いた唇を舐め、自らはこう言った。

「わしにはあれが、翼に見えた」


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