第27話 拒絶
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閑静な土地、小高い丘に一つ佇む十字架を掲げた修道院。辺りには街灯も住宅もそれ以外には無く、そこからは星空がとても綺麗に見えた。
コンコンと教会の扉がノックされたかと思うと、間も無く扉が開け放たれた。
「失礼。灯りが点いておったので、隣の小舎では無くこちらに」
シルクハットが覗き、老人が顔を出した。寒風が教会内へとなだれ込み、教壇の上の幾本かの蝋燭のか細い火が揺れる。
「……あなたは?」
ティーカップを置いて腰を上げ、シスターと思しき修道服の女性がこちらに振り返った。この女性がこの修道院を切り盛りしている唯一人の女性、天羽静子だという事は既に調べさせていた。
「警察です。突然ですが、先日の園山夫婦殺害事件の容疑者がこちらに進行しておる様なので、急遽こちらの児童たちを保護すべく参りました」
「警察……」シスターは含みを持って呟き、そして続けた。
「先日のって……まさか園山元議員を殺害したっていうあの?」
シスターの瞳に動揺が見えた。胸の前で手を合わせながら慌てふためいている。
「車を用意していますので、児童たちの誘導に協力して頂けると助かります……よろしいか?」
シスターは伏せ目がちに足元に視線を落とし、局長の言葉に割って入った。
「すみません、そういう事なら私は行けません。人と待ち合わせているのです」
「ん……人? この近辺には人はいない筈じゃが……」
「いつもなら来ているはずなのに今日は随分と遅いのです、夜鳥ちゃん。ああ、フルネームは天羽夜鳥です。身寄りがなかったので私の名字を使わせてます。今日は夜鳥ちゃんとここでお祈りをするはずだったのですが……」
――――天羽夜鳥。
局長は先日の、白雪の様に美しい銀髪の下にあった、淡紅色の瞳を思い出していた。
「……いえ、その様な少女はこの辺りにはおりませんぞ」
「WCSSで確認済みなのですね?」
「ええ……」
顔を上げ、シスターは突然目の色を変えた。刺されるのじゃ無いかと思う程に、それは気迫を纏った物だった。
シスターは局長の胸を強烈に押しやると、次の瞬間、教会の大きな扉を締め切って、あっという間に錠を下ろしてしまった。
「なっ……! 何故こんな事……!」
すると木製の大きな扉越しにくぐもった声が聞こえて来た。
「夜鳥ちゃんは……一ヶ月前から行方不明です、警察に捜査願いも出しました。でも警察に何度問い合わせても居所はわからないと言われ、何度訴えてもまともに取り合ってくれませんでした。何処にいるかなんて、WCSSでわかるはずなのに!」
くぐもった声の質が、徐々に激しい物へと変化して来た。
「何故あなた方は夜鳥ちゃんの事を隠すのですか! どういう事ですか、あの子が何をしたと言うのですか! 夜鳥ちゃんに会わせてくださいっ!!」
興奮したシスターを抑える様に、局長は落ち着いた声で返した。
「わかった。避難が完了したらその事については説明する。天羽夜鳥とも面会出来る様にしましょう。どうか今は迅速な避難を」
「信じろとでも言うんですか!?」
一際大きな声が返って来た。
「十五年前にいなくなった幽雅ちゃんだけじゃなく、夜鳥ちゃんまで闇に葬り去ろうとしていたあなた方警察をっ!」
――――幽雅。
先程来栖から聞いた怪人の名を再度耳にして驚嘆する。やはり夜鳥と幽雅は姉妹だったと言う事だろう。よりによってその姉妹は、二人とも存在を隠蔽される事になった。二重のしわ寄せが、最悪なタイミングで返って来たのだ。
「何処にいるんですか……夜鳥ちゃんも、幽雅ちゃんも! 返して……私の子どもたちを返してくださいっ!!」
シスターが絶叫している事が扉越しにもわかった。
「わかった! その説明は避難してからするから、とにかく早く避難して来れ! もうすぐそこに殺人犯が来ておるんじゃ! この修道院を目指しておる! そこにいられては身の安全を保証出来ん」
「……小舎の子どもたちだけ連れて行ってください」
その言葉を最後に、教会の扉越しから聞こえていた声は何の応答もしなくなった。
「くそっ! なんて災難続きな日じゃ」
強行手段に打って出ようかとも思ったが、思い直した。人が変わった様に取り乱したシスターを無理矢理に引き連れていこうとしても、良い事にはならないだろう。まだ時間的に猶予が無い訳でも無い。局長は闇に毒づき、仕方も無く教会を背にして踵を返した。
「局長、いかがなされましたか?」
車の前で一人待機していた日寺が問うと、局長は深く被ったシルクハットから鋭利な瞳を覗かせた。
「手配した車が来たら児童たちだけ乗せろ。教会にたどり着く前にケリをつけるぞ」
日寺は何を問い掛ける事も無く、「はい」とだけ静かに答えた。
「ん?」
局長の耳元の無線が話し始めた。何事かを聞き定める。声からして副局長の出羽の様だ。
『食い止められませんでした。陣形が乱され、怪我人も多く』
「わかった、こっちでやる」
局長がそう言うと、出羽はしばらくの間をもってから含みがちに話し始めた。
『局長、もしもの時は――――彼女を出します』
「だめだといっとるじゃろう! あれがアンスに従い制御出来る保証は何処にもない。更なる災害を呼ぶ可能性も多いにある」
『……そうですか』
蛋白な返事をして、通信は切れた。
――状況は芳しく無い。というより絶望的と言ってもいい。怪人の皮膚の硬質化、それだけで此れ程までに被害が出るとは。
「小鉢、ターゲットは今どの辺りじゃ?」
無線の向こうからすぐに答えが返ってきた。。
「先程のA地点から、一直線にこちらに向かっています。ここからの距離は凡そ四キロ」
「ふむ、思ったより速いな。少し時間が足りんか……」
局長は頷き、顎に手をやって思案した。
「日寺」
「はい」
「もしわしが奴にやられたら、強硬手段で良い、教会で籠城しとるシスターを連れて一旦引け」
「しかし、それではっ……!」
「だーい丈夫じゃ、わしがやられたら……の話しじゃ」
日寺が真剣な面持ちで局長の顔を窺うと、局長は「大丈夫じゃ」と和やかに微笑んだ。