第26話 声を失った少女
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「あんたねぇ、目的地がわかってんならもっと早く言いなさい」
「あ……ああ」
「もしかして、私たちを出し抜いて一人でターゲットを捕らえるつもりだったとか?」
そう言われると、先程無様にも腰を抜かした来栖にはもう言葉がなかった。
「馬鹿ね……ま、私たちが知り得ぬ情報を提供したんだから十分だけど。WCSSに依存している私たちは、現地調査が疎かなのよ」
そう言うと早乙女は、足を組んで来栖の隣に座した少女を一瞥した。
「……」
キョロキョロと、怯えた視線を車内に彷徨わせ、長過ぎる髪を揺らしている。その髪を見ていると先程の『怪人』幽雅の姿を思い出し、また恐怖がぶり返して来た。
「俺は始め、犯人は一人だと思っていた」
反省する様に、はたまた言い訳するかの様にも聞こえる口調でもって言った来栖に、局長は優しげに言葉を返した。
「WCSSを持ってしてわかる事もあれば、現地調査ではわからぬ事もある、と言う事じゃ」
そう言って局長は、酷く怯えた様子の少女に、懐から取り出したカイロを一つ手渡した。
「……っ」
少女は得体のしれない物に初め戸惑ったが、やがてこれが温かい物だとわかると、嬉しそうにそれを両手に抱え込んで、曝け出された足や腕に当てた。
「……可哀想に、凍傷になっておる」
局長は更に、紙コップに入ったホットレモンを手渡した。それを受け取った少女は、やはり少し迷った後、それを口に含んだ。
「……っ!」
一口飲み込むと目が輝き、二口目でそれを一気に飲み干した。
「これこれ、火傷するぞ……ほれ、美味いかこれが?」
そう言って、二杯目のホットレモンを注いで少女に手渡した。
少女はそれを一口飲んで、今度は落ち着いた様に一つ小さな息を吐いた。
「……」
少女はその粒らな瞳で局長を見上げた。局長がそれを受けニコリと笑うと、少女の表情はリラックスしたものへと変わった。
その光景をいつまでも見ていたい気持ちにも駆られたが、来栖は揺れる車内の中で局長に問い掛けた。
「局長この子はいったい、ターゲットの女、幽雅とは何の関係が……」
「幽雅? ……ふむ、ターゲットの名か。関係と言うとこの子は、園山の家で幽雅と一緒に幽閉されておった者じゃ。つまり、幽雅が脱走の際に連れて来たと言うだけの者じゃ」
「幽閉……つまり、虐待? それじゃあ監視局は……」
「そうじゃ、まことに遺憾ながら、何者かが金に目を眩ませよった。じゃがすぐに足が付くじゃろう」
来栖の隣に座って紙コップに口を付けている少女の露出した足や腕に、生々しい青アザが見える。来栖はいたたまれない気持ちになって視線を落とした。そして今回の事件が、自らの浅はかな推理とは異なり、複雑に絡み合って交錯していた事にまたショックを受けた。
「園山は、幽雅とこの少女を虐待していた……」
消え入る様に呟いた来栖の二の句を、局長が継いだ。
「そして幼いこの少女の心に大きな傷が残り、声を失った」
「声を?」
――失声症。ストレスや心的外傷によって声が出なくなる疾患だ。少女は喋らなかったのでは無く、喋れなかったのだ。
「……」
「それにどうやら幽雅もその子も、園山の虐待に心が耐え切れず、壊れてしまっている様じゃ、幽雅に至っては声こそ出るものの、感情があの年齢相応の物では無い様に思える」
こんなに同情を禁じ得ない子どもたちが世の中にいるだなんて、少し前の来栖は考えもしなかった。
「可哀想にな……しかしだからこそ、幽雅はわしらで始末を着けてやらないかん」
少女が飲み干した紙コップを局長に指し示し、嬉しそうに無邪気な笑顔でおかわりをせがんでいた。
「おーおー、気に入ったか。ちょっと待っとれよ」
そう言って局長は、しわくちゃになった笑顔を少女に返した。