第20話 人じゃない者
*
ワゴン車後部の観音開きの扉が慌ただしく開け放たれ、早乙女が飛び出して来た。
「局長っ……!」
どうやら相当慌てているらしく、頭毛はぐちゃぐちゃに乱れていた。
「どうした早乙女?」
その様子に嫌な気がしない者がいるはずも無く、全員の視線が一斉に早乙女へと集まった。
「その……WCSSとのリンクに手間取って気付くのが遅れたらしいのですが……っ」
早乙女は目を見開きながら続けた。
「ほう」
「何者かの女がターゲットと接触、ターゲットと交戦した模様です……っ」
「なっ、なんじゃとっ!?」
局長が声を上げると、辺りに緊張が走り渡った。
「女が搭乗しているバイクがかなりの旧車体であり、遠隔装置が搭載されていなかった為、遠隔操作が不可能だった事と、途轍もないスピードで住宅街を疾走していた事もあり、観測が間に合わなかったと、小鉢から通知がありました」
その場にいる全員の顔に皺が寄せられた。早乙女が何か喋り出そうとするのを、日寺は手で制する。
「場所は!」
「ここから北東へ約三キロ地点、密集してはいませんが、住宅地にて、およそ二分前に交戦があった模様です」
「今、その女はどうなっとる」
「壁に、強く打ち付けられて意識を失っているようですが、命に別状は無いと思われます。ターゲットはほぼ無傷の様です。尚、ターゲットを襲撃した、女は刃渡り七十センチの刃物を所持しているらしく、二班の一部の人員が警察を装い、保護すべく現場に、向かっています」
「刃渡り七十センチ……刀か? 待て、映像を見せてみろ」
局長は眉を上げ、何か心当たりがあるような怪訝な声を上げた。早乙女は局長の元へと走り寄り、手元のPCの画面を提示した。
緊張した面持ちで、皆自ずと局長の次の言葉を待つ様に押し黙っていた。
現場の映し出されたPCを覗き込んだ局長は、その女の姿を確認すると、額に手をやり、目を見開いて心底驚いた様な声を発した。
「あんの馬鹿娘っ! な、何をやっとるんじゃ!」
局長のその怒声に、鷲巣が少し離れた所から局長に問いかけた。
「局長、その女をご存知で?」
すると局長は怒りの眼を鷲巣に向け、額に浮き上がった皺と血管をピクつかた。その形相に、鷲巣は冷たい汗をかいた。
「知人の娘じゃ……。
その話しは後じゃ! ターゲットはじきにここに辿り着く、武装して配置を開始しろ!」
先程の言葉や、荒ぶった様子の局長から察して、その女と局長が近しい間柄だという事は周知の事実となった。しかし今はそんな事を追求している暇は無く、皆局長の指示通りに武装を始めるしかなかった。
日寺は早乙女が出て来た時に開け放たれたままのワゴン車へと乗り込み、幾つかの大小様々な黒いハードケースを早乙女と鷲巣へと投げ渡した。
来栖の隣で投げ渡されたハードケースを受け取った鷲巣が、慣れた手つきでその中身を開示する。
来栖はそのケースの中身を横目で覗き見ると、ギョッとした。
鷲巣のハードケースにはセミオート式の拳銃二丁とその弾丸の込められたマガジンが四つに、鋼鉄の警棒の様な物が入っていた。
「お、おい……そんな物騒なもん」
凡そ信じられないその光景からも、彼等が国家機密の特殊戦闘部隊だと言う事が真実だと物語って来ているようであった。
鷲巣はその視線に気付き、隣でまじまじとハードケースの中身を見ている来栖の方へと顔を上げ、意地の悪い顔を向ける。
「なんだよその顔、お前さっき局長から全部聞いたんだろ? まだ信じてなかったのかよ」
そう言って腰のベルトに警棒を差した。
「あんな事を突然言われて信じろと言う方が酷だ」
「まぁそれはわかるけどよ……」
鷲巣は、似つかわしく無い真剣な顔付きで来栖に忠告した。
「さっさと対応出来なきゃ死ぬぞ」
――死ぬ。
しかしその言葉は、幼い頃に目の前で両親を殺された来栖であっても、平和ボケした時代に産まれた者には余りに実感が遠い言葉だった。
「……なぁ、いくらなんでも大掛かり過ぎやしないか? 四人の人を殺した犯人とは言え、これじゃあまるで今から戦争に出向くみたいだ」
大量の武器を装備していく鷲巣を横目に見ていると、まるで映画か何かのワンシーンのようにさえ思えて来た。
「馬鹿か、戦争なんだよ」
――容疑者は何か武装でもしていると言う事か? ……念を入れるに越した事は無いが、人一人を捉捕らえるのには少々大事過ぎやしないか?
視線を逸らすと、皆、鷲巣とはサイズの違うハードケースから、様々な武器を取り出して装備しているのが見えた。
来栖の視点から確認しただけでも、早乙女はスタンガンに、割りと小口径の拳銃、日寺に至っては、ゴツゴツとした黒いグローブを嵌めた手で、大型のスナイパーライフルを組み立て始めていた。
そんな光景を見ていると、本当にゲームか何かの世界に迷い込んだ気になって来た。
「……っ」
しかしこの凍てつく寒風が、来栖にこれが現実だとの理解を促して来る。それが返って、来栖の中の非現実的な様で現実的な、形容し難い不思議な感覚に拍車を掛けていた。
「配置を開始しろ。後の指示はわしが出す」
日光川がざわざわと鳴いている。それは来栖の不穏な心情を写した様であった。
もう空はすっかり日が落ちて、外灯も少なく闇に沈んでいる。今宵は闇が深いが、それでも月の光が微かに闇に抵抗していた。
「ああ、そうだ。局長に先に言っとけって言われたんだった」
思い出したように来栖の隣の鷲巣は、がさごそと動くのを止めて言った。
「今からやり合う奴は人じゃねぇ」
――その存在は、普段俺たちの暮らす世界に紛れ込み、姿を隠している。世の中の犯罪を自ら起こし、更には誘発する。俺たちはそんな存在を殲滅する為の組織だ――と。
とてもじゃないが頭が追い付いて来なかった。そして来栖は人じゃないという言葉を、犯罪者を侮蔑した、ただの隠語だと解釈してしまった。
鷲巣もそれ以上は何も言わなかった。しかしその解釈が、全くの見当違いの言葉だったという事を、来栖は直ぐに知る事になる。
闇に埋れた、長い、永い一夜が始まった。