第18話 犬猿の仲
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「きょ、局長っ! あいつ突き返すんじゃ無いんですかっ!? なんで連れて来てカイロなんてあげてんですかっ」
「鷲巣、ホットレモン」
「どうぞ……ってそうじゃなくて! あいつは突き返すって局長、言ってたじゃないですかっ!?」
暑苦しい喧騒の後に、甲高い女の声が割って入って来た。
「局長がそう決めたって言うんだから何か考えあっての事なんでしょ」
「……さ、早乙女さん」
ショートカットの凛とした印象を受ける女性が、鷲巣の背中側から、腰に手を当ててしかめっ面をして見せた。
「そうだ、お前はいつだってうるさい、少しは静かにしてろ」
「日寺さんまで……」
不機嫌そうな表情の早乙女の後ろに、長身で筋肉質な、見るからに体育会系の坊主頭の男が現れて、早乙女と一緒に腕を組んで、鷲巣を見下ろす様にした。
ワゴン車の運転席側の窓が開いて、ボディビルダーの様な巨漢の中年が険しい表情が現れた。ただ眉間を寄せているだけなのだが、その凄まじい迫力に鷲巣は一歩後退った。
「あら〜、良いじゃない別に、刃くんイ・ケ・メ・ンだし!」
巨漢の中年は、険しい表情から一変して、胸の前で手を擦り合わせ、舌舐めずりしている。
「は、橋沢さん、良いんですか?」
動揺した鷲巣に、橋沢はウインクで答えた。
「うるさい橋沢! 鷲巣が全部悪いのよ!」早乙女が鋭い眼光を運転席に向ける。
「や〜ん乙女ちゃん怖〜い」運転席の窓が閉じていった。
「ほら、小鉢もこの際鷲巣になんか言ってやってよ」
早乙女はハンズフリーの、アンスメンバーが共有する無線機のオペレーターに向かって呼びかけた。すると、無線の向こうから小鉢と言う男が、自信なさげにか細い声で話し始める。
『い、いや……僕は別に』
「あんただっていつも迷惑かけられてんだから、少し位言ってやったら良いのに」
早乙女にそう諭されるが、小鉢は辞した。
「小鉢……お前はやっぱり良い奴だな」
鷲巣がそう言って涙ぐむと、小鉢が一言だけいった。
『いや、僕は今、WCSSとのリンクに忙しいだけで……』
鷲巣のきらきらと輝いた顔にそれだけを言うと、小鉢との通信は切れた。
「こ、小鉢……」
うな垂れる鷲巣の背後で、ずずずと音を立ててホットレモンをすすりながら老人――もとい局長は言った。
「鷲巣、今回の任務ではお前は来栖と行動しろ」
鷲巣の鼻筋にあからさまに嫌だとわかる皺が寄せられた。先程からころころと顔が変わり、とても表情が豊かな男だ。
「……えぇっ!? 俺が面倒見るんですかっ! 嫌ですよ、先日の件もあるし、あいつとはなんか気まずいですよ」
狼狽する鷲巣の意見には耳も貸さずに、局長は後ろポケットから鷲巣たちが取り付けているのと同じ型の無線機を一つ取り出して鷲巣に手渡した。
「それも渡しとけ、何かあったらお前が制御するんじゃ」
鷲巣はもはや泣きそうな顔で、止む無く一旦無線を受け取った。
「素人に動き回られるのが一番厄介ですよっ! 追い出しましょうよ!」
「あいつはもうテコでも動かんじゃろうよ。ああいうのには一度身を持って体験させなければ聞かん」
「それであいつが懲りたら良いですが、一層深入りする事になったらどうするんですか」
鷲巣がそう言い差した所で早乙女が「はぁ」とこれ見よがしに大きなため息をついた。
「鷲巣、そもそもあんたがしっかりあいつに釘を刺せなかったからこんな事になってるんでしょ? さっさと行きな」
泣きっ面の鷲巣に、早乙女は一片の情けもかけずに冷たくそう言うと、小蝿を払い除けるかの様に掌を振った。
「……はい」
痛い所を突かれ、とうとう観念したのか、鷲巣は静かに返事をすると、鼻をすすった。
鷲巣は、少し離れた所の大橋を見ている形でこちらに背を向ける薄橙色のトレンチコートを直ぐに見つけた。その背中からは白い息と共に、もくもくと紫煙が立ち昇っている。
鷲巣は途端に鋭い眼つきになり、局長から渡された無線を右の後ろポケットへしまうと、来栖の背中へと近づいていった。
「おい」
「……よう、監視局。いや、アンスか。未だに信じたわけじゃないがな」
「チッ」
やはり二人の間には微妙な空気が漂い始める。
「いいか、勝手な真似はするなよ、こっちは色々作戦練って来てんだよ、お前にちょこまかされたら作戦に乱れが出る」
「勝手な真似はしない、だが警察官、一刑事として俺は行動する」
「駄目だ」
「何故だ」
振り返った来栖と鷲巣の視線が火花を散らす。
「俺たちは警察よりも優位にある組織だからだ」
「そんな事は習っていない」
「てめぇ……」
「……」
来栖はタバコの煙を一吹かしすると、ジャケットのポケットから携帯灰皿を取り出し、タバコの火を押し付けた。
「なぁ、先日拳銃なんかを引っさげてたが、まさかお前らの目的が容疑者の抹殺……なんて事は無いよな?」
「あぁ、第一優先はターゲットの捕獲だ……第一優先はな」
「……」
タバコの煙が染みたのか、はたまた全く違う理由でか、来栖は瞳を細くしてから瞬いた。
「とにかくだ、手出しはするな。他の人間の命にも関わる事だ、最低限は守って貰う」
「……命?」
「そうだ、部外者に死なれて困るのは俺たちなんだよ。
……ああそうだ、今回に限り行動を共にするにあたって、頼まれたから仕方なく簡単に紹介する。
先ずはさっきお前が喋ってた人が局長だ。アンス東海特殊戦闘部隊の最高指揮官で、アンス創立初期メンバーの凄い人だ、粗相の無いようにしろよ」
来栖の疑問もそこそこに、鷲巣は頼まれたから仕方なく、をやたらと強調しながら、脈絡も無く唐突に局員の紹介を始めた。
来栖が局長と説明を受けた老人の方を見やると、未だに凍えそうな表情で、カイロをシャカシャカと擦りながら、紙コップを握り締めているのが見えた。あれが最高指揮官だと言われても、正直とても信じられないのだが、こと心理戦に置いては来栖よりも上をいく事を嫌な程見せつけられているので、軽視は出来ようも無かった。
「……で、局長の後ろで腕を組んでるゴツイ坊主頭の人がアンス東海特殊戦闘部隊一班班長、鬼教官の日寺成海さんだ、現場での細かい戦闘の指示を出す人だが、今日は局長がいるからそれは局長がやる。よってお前は局長の指示通りに動く事、いいな?」
「……」
「んで、日寺さんの横で怖い顔してこっち見てるお姉さんが早乙女瑠衣さん、副隊長で日寺さんにもしもの事があった時は、あの人が代わって指揮を取る。驚く程厳しい人だから覚悟しとけ。……本当に厳しいんだ……特に俺には」
「……」
来栖は憐れみの視線を向けるが、鷲巣はそれに気付かず続けた。
「そして今顔は見えねぇが、運転席にいる岩みたいにデカイ人が一班一番の古株の橋沢太一さんだ。すげえ怪力で、とんでもなくイカつい人だ。あと好きな性別は雄だ、気を付けろ」
「は?」来栖は聞き間違いかと問い返したが、鷲巣は無視して続ける。
「そしてよく聞いとけ、こっからが大事な所だ!」
来栖は渋々と言った様子で鷲巣の方に向き直った。
すると鷲巣は親指を立てて自らの胸を指し示す。
「そして俺こそが、各国から期待を寄せる新星ルーキー! 神懸るその運動神経で敵を撹乱し、烈火の如きに敵を圧倒する。鷲巣春馬様だっ!」
「…………。はいはいわかった」
「て、てめぇ……」
「何と無くお前が邪険に扱われてる理由はわかったよ」
どんと張った鷲巣の胸はみるみると縮こまり、代わりにこめかみの血管がピクピクと動き始めた。
「み、見てたのかよ……?」
「いや、聞いてた。それより、メンバー紹介は以上なのか? 思ったより少ないな」
鷲巣は来栖の胸ぐらを掴んで引きずり回したいのを抑え込みながら、上ずった声で答える。
「アンスの真髄は隠す事だ。多人数を抱え込めばそれだけ俺たちと、俺たちの隠している存在が露見しやすくなる、……まぁつまり少数精鋭って奴だ」
「一人精鋭じゃなさそうな奴が混じっている事が気にはなるが、概ね理解した」
涼しそうな顔でそんな皮肉を言う来栖に、鷲巣は馬鹿正直に再びこめかみに血管を浮き出させ、顔を赤くして激昂した。二人の間に禍々しい空気が立ち込め始める。
「てめぇっ!」
遂に何かが切れた鷲巣は、来栖の胸ぐらに掴みかかった。来栖はされるがままにぐわんぐわんと揺らされながらも、冷静な様子で律儀に言った。
「俺は来栖刃。愛知県警刑事一課の来栖刃だ、よろしく頼む」
「おう、よろしくっ! …………じゃねぇ畜生っ! 今すぐ帰りやがれてめぇ!」
反射的に快く返事をしてしまった自分を改めて、鷲巣は来栖の胸ぐらをより一層激しく揺り乱す。来栖はそんな事にはさほどお構い無く、揺らされながらも器用に懐からタバコを取り出して口に咥えた。
「犬猿の仲って奴かしら……」
早乙女は二人の様子を遠巻きに観察しながら呟いた。