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第17話 刑事と機密組織

   *

 闇の中で、来栖は一人白い息を上げる。

 間違い無く、園山夫妻と警察官二名を殺害した『ぼろきれを着た髪の長い女』はここを通るはずだ。

 先程までいた西K郡N町から、およそ二十キロ南下していくと、幾つもの小川が合流した巨大な日光川に行き着く。それに架かる大橋を渡った先にあるのが、工業地帯のK郡S町だ。

 日光川は幅が大きな川の為か、それを渡る為の道路や橋の数が少なく、K郡S町は待ち伏せには持って来いの場所だった。

 容疑者の足取りを見直すと、これまで人目も気にせず単純に最短ルートで『太陽の唄』という児童養護施設兼、修道院を目指している事がわかった。

 ならば何故初めからその、『太陽の唄』にて待ち伏せをしていないのか、それはやはり先日接触した『監視局』らしき者に先を越される事を怖れての事だった。

「ふぅ」

 大きく白い息を吐いて、コンクリートの壁に背を預ける。

 流石に早過ぎただろうか、と考えもしたが、すぐに改めた。来栖にとって一番最悪なのは、この場を容疑者が通過する際に、来栖自身がこの場に居合わせないという事なのだから。念には念を入れて正解だろう。

 時刻は午後八時、青空は無く、もう暗い。季節は十一月の終わり、肌を裂く様な寒さに、トレンチコートの襟を立てて耐え続けた。

 何故寒さに耐えながら屋外にて待ち伏せをしているかと言えば、来栖の白い車ではこの夜道で目立つからであった。

 この辺りは、幾つもの工場だけが無数に立ち並び、人が住むような宿舎や住宅はおろか、ちょっとした居酒屋やコンビニすらも見受けられず、大中小様々な規模の工場に独占されている。ここは数少なくなった工場設立許可地帯なのだ。国から指定された僅かなこの地帯以外に工場を設立する事は原則出来なくなっているのだから、工場以外に何も無いのは当然だ。更には、午後八時ともなれば、工場員は原則帰宅しなければならない事になっているので、人っ気も外灯も少ないこんな夜道では、どうしても車が一台路肩に停まっているだけでも目立ってしまうのだ。

 環境法、工業三法、工業立地法、労働基準法やその他複数の法規の改革とも言える大幅な改正。大規模過ぎる国の政策の変化。徹底させる事は不可能とされたそんな大改革も、WCSSの監視によってあっさりと現実の物となり、それにより出来上がった、夜間にひと気の消え失せるような地帯が、今の日本には複数点在していた。

「……黒い車にしとくんだったな」

 そんな風にぼやきながらも、結局車が黒だったとしても、可能性を一パーセントでも減らすべく、自分はこうして同じように外で待っていたんだろうな、と思って少し笑った。

 笑った時に自分の口から出た息が流れる様を、なんと無く見つめながら視線を上げると、大橋からこちらに向かって来る車のヘッドライトが見えた。

 この時刻にこの大橋を走る車は、嘘のように少ない。この橋を渡らずに、車で少し行った先には、途中で幾重も枝分かれして行けぬ先など無いような国道も通っているし、店も出ているので、ほとんどのドライバーはそちらを走っている。その上、この大橋を越えてからのS町の車道はぐねぐねと入り組んだりしている上に外灯が少なく、暗いので、この先の町に用があるにしても、国道を走った方が早いのである。

 車のエンジン音はますますこちらに近付いて来る様子である。

 来栖は闇に紛れるように、工場と工場の間のちょっとしたスペースに入って身を隠した。

 耳を済ましてみると、エンジン音は更に大きくなって来てこちらに接近している事がわかった。

「……?」

 そしてその車は、まるで闇の中に佇んで居る来栖が見えているかの様に、すぐ傍で停車した。

「なんだ……」

 なんにせよ様子を伺うしか無かった。

 物陰に身を潜めながら停車した黒いワゴン車を見ていると、助手席から黒いベンチコートを着た、茶色いシルクハットの男がひょっこりと車外に出て来た。

 その男は迷ったそぶりも無く、来栖が身を隠している工場と工場の隙間、そこから見たらただの真っ暗闇でしか無いはずのこちらに向かって一直線に歩んで来た。

「こちらに気付いている……?」

 やがてその小さな男は、その隙間の前にまでやって来ると、しっかりと来栖と目を合わせた。見るからにただの老人で、確かに目が合っているのだが、こちらを見えている事が未だに信じられなかった。

「おう、出て来い」

 しかし、やはり見えていた様で、来栖はチッと舌打ちを一つすると、観念した様に暗闇の隙間から姿を現した。

 先程この老人が乗っていたと思われる黒いワゴン車の方を確認したが、この老人以外は外に出て来ていない。車内に何人の人がいるのか、黒いスモークの掛かった車ではわからなかった。

 目の前の老人に視線を戻すと、寒そうにカイロを持った手を激しくこすり合わせて、顔をすぼめていた。その様はただの老人でしかない。しかし――――

「若いの、手を引け。これはお前の関わって良い事件では無い」

「……」

 その言葉で疑心は確信に変わった。来栖は凄む様にして老人を上から睨みつけながら、先手を打ったつもりで大胆に鎌をかけた。

「あんたも監視局か?」

「んぁ? そうじゃ。じゃがそれは表向きの名前。我々アンスは監視局の裏の顔。特殊戦闘部隊じゃ」

 斬りつけるように相手の痛い所を一突きしたつもりの予想とは裏腹に、老人はあっさりとそれを認め、更には聞いてもいない情報すらをもペラペラと語り出した。

「……あ、アンス? 監視局の……裏? なんだそれは? そ……それに、昨日の男は自らが監視局員だと言う事を一向に認めなかったんだが……」

 大胆な奇襲をかけたはずだったのだが、今や慌てふためいているのは来栖の方であった。

「まぁ国家機密なんじゃけど、もう感づいとるんじゃろ? 別にええわ、お前がこの事を吹聴しようと、誰も信じんしの」

 と言って楽しそうに笑う老人。来栖は無意識に眉間を指でコツコツと叩いて、状況を整理しようと試みるが、なかなか上手くはいかず、その指が止まる気配は無かった。

 ――この老人、何を考えているんだ。

 そもそも、さっきのアンスとはいったいなんだ……? 監視局の裏の顔、特殊戦闘部隊? とても信じ難い。

 確かに、捜査を進めていくうちに生じて来た不可解な点から考察して、なんらかの巨大な組織の存在は薄々感じていた。しかしそのおぼろげな存在の正体を、途中式も何もなく突然に開示されて、むしろ余計に信じ難くなったようにも思えた。この老人はどう言ったつもりで自分にそんな情報をやすやすと漏らしたのだろうか。

 人の仕草や表情、言葉から心理状態を見抜く事に長けている来栖が、ここまで心理を読めない人間は初めてだった。常日頃から人の思考を読みながら、優位に立つ事を自然体で行って来た来栖にとって、目前でカイロをすり合わせている老人は、初めて出会う天敵の様に思える。

「おぬしが手を引かんと言うなら、我々はA1県警にお前のこの単独捜査の件を連絡するぞ、その上おぬしは厳重注意ではすまん。わしらが手を回してその警察手帳も奪い取る」

 来栖は困ったような表情で未だに眉間をコツコツと叩いている。

「今、手を引けばそこまではせん、悪い様にはせんから今すぐ回れ右して帰れ若造。まだ、警察官でいたいじゃろ」

 来栖を追い払う為に放った言葉だったが、どうやらその言葉の中に、来栖の中で絶対に譲れない物があったようで、彼の瞳は冷めた様に、はたまた腹を括ったかのように細く変わり、眉間を叩く指は止まった。

 何かを覚悟したかのようなその表情に、老人の顔にも一筋の緊張が走った。

「警察官でいたいか……? あぁ、俺は警察官でいたいな。何故なら、警察は正義だから」

 メラメラと烈火の如く燃え盛る、炎のような苛烈な眼光を老人に向ける。

「だから警察がやらなくちゃならない! 逃げ出すわけにはいかないんだ! 正義が逃げ出したら誰が悪を駆逐するんだ!」

 いつしか老人と来栖の間合いは三十センチ程に近付き、お互いの息が掛かる程になっていた。来栖は上から烈火の如く眼下の老人を睨め付け、老人は下から一点のブレも無い真っ直ぐな黒目で来栖を直視した。

 この状況に置いて、至って冷静過ぎる瞳と熱過ぎる瞳が交差したまま、数秒の時が経過した後、先に口を開いたのは監視局を名乗るその老人であった。

「なっはっはっはっはっはっはっ! そうしゃ! その通りじゃ若造! なっはっはっはっは!」

 刺すか刺されるかのような緊迫した緊張の中、突然ネジが外れたように笑い出す老人を見て、来栖の瞳は険しく曇った。

「いやーその通り、その通りなんじゃよ。だがな、いつしかそれはその通りなんかじゃなくなった、世界が何処で道を踏み間違えたか、世間にはおぬしのような真っ直ぐな正義はいなくなった。――なっはっはっはっは! まだ警察にこんな人間もおったのか! 気持ちの良い位真っ直ぐで、愚かな正義が!」

 ピクリと来栖の血管が蠢き、反応する。

「愚かだと……?」

 しかし老人は愉快そうに笑う事を止めない。

「そうじゃ、愚かじゃ! そうと決まった巨大な運河に対し、単身流れに逆らう正義が愚かじゃなくなんと言う! 周りはみんな順応しとるのに、一人流れに逆らって何が出来る! なっはっはっはっは!」

 老人に自分の心意気まで笑われているような気が起きて来て、来栖に怒りが湧き上がって来た。こめかみの太い血管を浮き上がらせ、言い返そうとした、その一瞬早く、老人の顔はスッと先程までの黒く澄んだ、真っ直ぐな瞳に戻り、静かな声で言った。

「おぬしは何も間違っとらん……。おぬしの言うその正義は、わしら、アンスが代弁しとる」

「……は?」

 鳩が豆鉄砲を喰った様な表情で、来栖は動きを止めた。

「現代、そしてこれから産まれる未来の正義。それらはおぬしとは違う正義を選んだ」

 老人は頭の上のシルクハットのツバを摘まんで押し上げ、改めて来栖と瞳を合わせた。

「その正義とは()()事、同時にそれは()()()と言う事……」

 殺人現場にてテーマパークの如く楽しむ市民、四人も殺害した犯人がこの辺りにいるというのに危機感も持たずに祭りに興じる市民。

 隠され続けた犯罪、それは、いつしか市民から危機感を忘れさせた。

 老人の言わんとする事がわかってしまい、来栖はゴクリと息を呑んだ。青天の霹靂の一言で、来栖の価値観は急速に180度反転しようとし始める。額の汗が、顔を伝ってアスファルトへとポタリと落ちた。

「おかしいとは思わんかったか、WCSSで全てを監視されとるからと言って、たったの二十年とそこいらで犯罪の九十九パーセントが根絶したというデータを」

 来栖はゆっくりと眉間に指を伸ばし掛けたが、その指は眉間に触れる前に、だらりと力無く落ちた。

「確かにWCSSの、国民一人一人を徹底的に管理するという体制に、犯罪は大幅に減少した。しかし平和を信じ、平和ボケしていく警察や世間の手に余る悪は、確かに存在する。世の中から悪が無くなる事は決して無い。だから我々は今回のような事件に対応しとる。世間が悪を忘れ去る為に、我々が始末を付けておるんじゃ」

「メディアの……操作……っ?」

「そうじゃ、今回の件もメディアには流れんはずじゃった、しかし世の中ではおぬしの知らん所で、どれだけでもこのような凄惨な事件が起こっておるんじゃ」

 冷たい川風が来栖を包んだ。しかし来栖は、寒いだとか、コートの襟を立て直そうだとか、そんな事も失念して、老人の言葉を待っていた。

 老人は一度ゆっくりと瞬きをして、そしてまたゆっくりと言った。

「おぬしらは洗脳されとる、世の中は平和だという催眠に集団でかかっとる。それは市民に限らず、大多数の組織にまで及び、そしていつしか平和である事を誰も疑いもしなくなった。しかしてそれが、世界の選んだ正義じゃ」

 来栖の瞳は泳ぎ、ドクン、ドクンと心音が激しく拍動する。それと同時に、心の中で正体不明の感情がふつふつと煮えたち始めたのを感じた。

 老人の口から発せられる言葉は、あまりに衝撃だった。思い当たる節が多すぎて、その言葉を否定する事も出来なかった。

「正義……。そんな正義……」

 洗脳されていたのだ、来栖自身も。疑う事もせず、ただ目の前の言葉やメディアを鵜呑みにして、今の世の中は平和だと信じ切っていた。

 しかし今思えば、そんな事になぜ我々は信憑性を持っていたのだろう。電波を通した向こう側の人間の言葉を、何故真実だと信じて疑わなかったのだろう。誰が調べたかもわからぬ資料に疑念を持たず、何故絶対の情報として信頼を寄せていたのだろう。

 まるで手品のタネを明かされた瞬間に、何故そんな事にも気が付かなかったのか、という風な馬鹿らしい気持ちになる様な、煙に巻かれた様な気持ちだった。

 ――――しかし……。

 いや、だからこそ、次に来栖の発すべき言葉は明確に理解出来た。

 来栖はブレそうな瞳でしっかりと前を見据えた。

「ここで俺があんたの言葉をそのまま鵜呑みにしたら、それこそまた同じ事の繰り返しだ。もっと言えば、今あんたの言った事は全て嘘っぱちで、俺の今まで信じていたものこそが真実なのかもしれない」

「ほっほ、そうじゃな。……だが、だったらどうする? おぬしはこの疑いの連鎖をどうして切り抜ける?」

 来栖は意志の篭った瞳でもって、その老人と視線を向かい合わせた。

「この目で確かめる。それまでは今の警察の正義を信じる」

 何があろうとなかろうと、来栖の正義は、二十年前に自分を絶望の淵から助け出してくれた警察官の生き写しだ。今その正義が警察に無いのだとしても、張りぼてなんだとしても、過去、確かにあった正義を、これから自分が体現すれば良い。あの時自分が命を助けられたように、自分も死にゆく命を助けられたらそれで良い。

「……ほっほ」

 老人は「正解」とでも言う様に、ニヤリと不敵な笑みを向け、クルリと向きを変えて背を向けると、来栖に聞こえない程に微かに呟いた。

「気に入った」

「……?」

「ついて来い、おぬしの目で見極めろ。世の中の選んだ正義を知り、そしておぬしに何が出来るのか」

 半信半疑とは言えど、信じたくもなかった存在が目前で、これでもかと言う程に現実味を増して突っ立っていた。

 そして真実のある現場へ、来栖は誘われた。


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