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第8話


 コーディが祭事の行われる山間の神殿に到着したのは、午後の二時を少し過ぎたあたりだった。仲良しの兄弟、ジョシュとグレンは今日も軍の訓練に参加するらしい。いってらっしゃいと二人を見送った後は屋敷でのんびりと午前中を過ごして、早めの昼食をとっていよいよ馬車に乗り込んだ。



 付き添いで来てくれた父と一緒に馬車に揺られて辿り着いた先が、この地域で一番最初にできた神殿だと聞いている。コーディが今まで目にして来た神殿よりかなり古い時代の建物らしい。石造りの外観には、王都や街の神殿にあったような美しく精巧な装飾はほどんど見られない。

 建物自体も他の神殿よりは一回り小さく、今のレヴァンス邸より少し大きいくらいだ。しかし人里離れた場所に立地している分、敷地そのものは広く感じる。

 昔は祭司達が修行の場として、ここで慎ましい生活をしていたと聞いていた。今では神殿という場所は慈善活動の拠点を担っているので、ほとんどが街中に人々の憩いの場も兼ねて造られる施設が多いらしい。



「……今日は泊まって食事をとって、明日は晴れるといいな」

「うん」


 一緒に来てくれた父が、空を仰ぎながら娘に話しかけてきた。薄曇りで、雨は降らないだろうが、しかし今日はこれ以上、天気が良くなるとも思えない。自分以外にも、祭事に関わる全ての人達が、やや不安な気持ちで空を見上げている事だろう。祭事の進行はどれだけ天候に恵まれるかにかかっている。とにかく晴れるまでは待機なので、以前には季節外れの長雨に遭い、しばらく神殿に留まる事になった子供もいたらしい。 


 母は屋敷で待機してくれている。というのも祭事の主役の特典の一つで、普段は直接お目に掛かる事は難しい、上級の祭司様が直接家に寄ってくれるので、それを迎える大切な役目があるのだ。


「……今更だがコーディ、忘れ物はないかな。もし必要なら明日、持ってくるようにするが」


 コーディはちゃんと昨日、寝る前に確認したので不備はない、と思いたい。念のための着替え一式が二日分、祭事のための特別な衣装、それから時間を潰すための本も荷物の中にいれてある。指折り数えつつ、そう父に伝えた。ふむふむ、と聞いていた父は、持ち込んだのは何の本なのかを尋ねて来た。

 えっとね、とコーディは馬車を降りて、歩きながら説明を始めた。


「本はお父さんの書斎から借りた、指文字のやつ。頑張って読んでいるけど、なかなか覚えられないんだ。まだ、鏡を見ながら練習しているところ」


 コーディが今、勉強しているのは指文字という、声による意思の疎通が困難な相手とのやり取りに使う言語の一種である。父の書斎から、絵がたくさん載っているという理由で選び出したのだ。指の形がアルファベットに対応している他、両手の動かし方や表情等、色々な要素の組み合わせを駆使する技術である。


「あの本か……。そもそも知っている人自体がまだ少ないから、使いどころは難しいんだよ」

「えっ、そうなの」

「もちろん、使えるに越した事はないさ」

 

 そう、いつか誰かのために必要になるかもしれない。それがコーディにとっては、真面目に取り組む十分な理由になる。



「……そう言えば、ロラン君はいつ来るんでしょう?」

「もしかしたら、軍の訓練に参加しているんじゃないか? まあ、それはないか。主役だからね。日暮れまでには神殿に入っておく取り決めだから、そのうち合流してくれるだろう」

 

 レヴァンスが馬車を停めた付近には、神殿の旗を掲げているの一台だけだ。まさか主役がね、とコーディは父と話しながら、馬車の待機場所から神殿の入口の方へと移動した。衣装などは既に運び込まれていて、荷物は少なく身軽である。


 コーディは一応、女の子の格好だが足元はいつも通りブーツなので、あちこち見て回るのも楽しそうだ。普段、神殿関係者を除けば足を踏み入れる人は少ないので、話の種になるかもしれない。できる事ならスカートではない方が良かったけれど、家の外で我儘を言ってはいけない。

 

 神様のための施設、は他の場所とは違う空気が流れている。ひんやりとしていて、またどこか背筋が自然と伸びるような、そんな空気だ。お待ちしておりました、と敷地内の入り口で、神殿の女性祭司に出迎えられた。

 

「それじゃあ、コーディ。また明日。天気が良くなくても、私は顔を出す予定だ」

「はい、お父さんも気を付けて」


 父に手を振って見送った後、コーディは女性祭司から神殿の説明を受けた。食事をする場所、中庭や、聖女ユニス様の信仰において重要な、鏡が設置してある礼拝所を見て回った。


 この神殿では、女神様役、それから剣士役の子供と後は神殿の関係者だけで過ごす。あちこちを一回りした後、コーディは礼拝所に案内された。祭司の話を聞くための背もたれ付きの長椅子が整然と並べられ、正面には鏡と、神様の石像が鎮座している。コーディが王都の神殿で見た場所よりも古いが、掃除はちゃんとされているようで、埃は落ちていない。窓からの採光のみなので、やや薄暗く感じた。しかしそれがかえって、神聖な空気を作り出しているように感じられた。

 座るよう促されて、どうやらこれから口頭での説明に移るようだ。 


「身体の調子はどうかしら? ああでも、お医者さんのところの娘さんでいらしたんだった」


 簡単な自己紹介を終えた後、椅子に座ったコーディははい、とできるだけ礼儀正しく応じた。隣にいるのは二十代後半くらいの女性で、ゆったりとした祭司用の服装で椅子に腰かけている。神様に仕える特殊な職業のせいなのか、コーディが今まで会った事のある女性達と比べると、やはりどこか雰囲気が違う。


「……これは何のお茶でしょう? 初めて飲む味です」

「これはね、普段使うお茶とは、煎じ方を変えているんですって」

 

 一口飲んでみて、身体に良さそう、と目を輝かせる。薬湯の一種でもあるらしい。澄んだ黄緑の液体からは不思議な匂いが立ち上っていて、どきどきしながら口に入れた。思いの外苦みが強い味だったが、不思議と飲めてしまう。


「こちらの暮らしは、王都にいた頃と比べてどうかしら? 気候は穏やかでいい場所なのだけれど。賑やかな場所が、恋しくはない?」

「……そうですね、でも兄と弟がとっても賑やかなので」


 しばらく飲み物や好きな食べ物の話で盛り上がり、おそらくは話しやすい空気を作ってから、ちゃんと儀式に臨む事のできる状態かどうかの試問が始まった。

 前に住んでいた場所についての質問に、コーディはいいえ、と首を横に振った。自分にとっての賑やかで楽しい場所というのは家族、特に兄と弟が一緒にいる時間の事だ。こちらへ移って来て、それが大きく変わったという事はない。友達もいたけれど、父が異動してしまったので、それ以来会ってはいなかった。初めの頃は手紙のやり取りをしていたが、自然と途切れてしまってから、もう出す事もなくなってしまっている。


「そうだったのですね。兄弟というのは一生、下手をしたらご両親よりも長い時間の付き合いになりますから。どうか大切になさってね」


 コーディが今の気持ちをできるだけ相手がわかるように説明すると、彼女はゆっくりと頷いた。


「はい、ありがとうございます」 

「あなたは双子だと伺いました。やっぱりお兄さんとは似ているの?」

「ええ、初めて会う人はよく混乱しています」


 まあ、と彼女は楽しそうに目を細めた。彼女には姉がいて、彼女が神殿に身を置くようになった現在でも手紙のやり取りと、時々に会いに来てくれるのだと教えてくれた。 


「そうね。お兄さんもそのうちに背が伸びて、声が低く変わる年頃になるでしょう。コーデリア嬢、貴女の身体も子供から、大人の女性になる準備がもうすぐ始まります」


 祭司にそう教えてもらって、コーディは今より、同い年の兄のジョシュの背がずっと高くなり、声は低くなるのを想像したが、上手く行かなかった。元々顔立ちそのものは母親似で、父のようになる、というのもあまりピンと来ない。でも兄は今、この地域で暮らしていくからには身体を鍛えるべき、とよく言っているので、このままだとセクターの当主、ロランのお父さんみたいな体格になるのかもしれない。

 

 兄の将来の姿がさっぱり想像できないのと同じくらい、コーディ自身の事も想像がつかない。背はどのくらいまで伸びるのだろう。母は大体女性の平均身長と同じだが、何しろコーディは双子である。


「祭司様は何か、大人になってから変わった事はなんですか?」

「……そうねえ。あまり嬉しい話ではないけれど、天気の変化に敏感になった事かしら。雨の日は少し、頭が痛くなったりして、早く晴れますように、って窓の外に祈りを捧げているの」

「ははあ、それは大変」


 神殿には病気の事を相談しに来る人もそれなりに多いらしい。あまりにひどいようなら医官、それこそレヴァンス先生と慕われている父に相談を持ち掛ける案件も中にはあるのだと教えてくれた。



 しばらく天気の悪い時の話をしてから、ようやく祭事の進行に話題が移った。明日、着替えて礼拝所へ行き、大祭司様の説法を聞いた後、大切な神殿の宝物を受け取って、街の神殿へと運び入れるのが大きな役割である。


「宝物、というのはやはり、鏡なのですか?」

「ええ」

「何か、特別な理由があったりするのでしょうか」


 大体、女性であれば特に家のどこかに一枚は所持しているものだ。そう考えると、神殿の宝物というからにはもっと希少性の高い品を祀る方がご利益がありそうな気がする。


「鏡はそうね、明るい場所でしか使えないというのが理由の一つ。春の陽ざしの恵みに感謝する儀式ですから。それから、ずっと昔から絶えず使われて来た道具であるから、と言っておきます。祈りを捧げる対象は、人の身近にある事が大切だと、昔の聖女ユニス様や徳の高い祭司様方がお考えになったでしょう。鏡も元々は、水面に映った姿でしたから、ここより古い神殿は必ず水のそばに建てられていました。女性にとってはそれこそ、無くては困る物ですからね」



 説明は終わり、コーディは夕食の時間まで自由にしていて良い事になった。先ほどの祭司様の説明を思い返しながら、建物の中を歩く。再び、先ほどの礼拝所を訪れて、神様の石像や鏡、そして窓のステンドグラスをじっくりと眺めた。子供がこういった大切な物に近付けば必ず制止されるので、またとない機会のように思えた。


 古い神殿は静かだった。同じ建物の中には自分しかいないのではないかと錯覚するくらいだ。ステンドグラスは右へ行くほど話が進行しているらしい。一番端の最初は有名な、聖女ユニス様に託宣が下った時の場面だろう。荒れ果てた地に佇む、ベールを被った一人の女性を、天に上った太陽が煌々と照らしている。当時は災害が続き、疫病が蔓延して酷い有様だったと伝わっていた。


 隣の一枚は既に聖女になった後らしく、人々に囲まれて巡礼の旅をする姿が描かれている。一枚目と違うのは、そのすぐ後ろに甲冑を纏った護衛剣士が付き従っている点だろう。淡い青のガラスで表現された鎧姿を、コーディはじっと見つめた。


「……今まで考えた事がなかったけど」


 この、聖女ユニス様も共に旅をしたとされる剣士様も、必ずと言っていい程、鎧兜で顔を隠した姿で現されている。聖女ユニス様は美しい女性だったと伝わっているが、顔を直接描かないのに、それはとても不思議な事のように感じられた。


「聖女ユニス様は鏡の中からいつも見ているって言うけど、鏡を覗いて見えるのは自分の顔だし……」


 さっきの祭司様に尋ねれば良かった、とコーディは一通りステンドグラスを眺めた後、大きな鏡の前に立った。水色の夏用の一揃いを着て、ちゃんと髪も結っているので、辛うじて女の子に見える。それにしても、つまらなさそうな顔だ。早くロランが来てくれないだろうか。


 あまりに暇になったコーディは鏡を相手に、いつも通りの暇つぶしを始める事にした。傍にいてくれる同じ顔をした兄弟に、じゃんけんや指で同じ数を揃える等、ちょっとした遊びを仕掛けるのは、なんらおかしい事ではない。


 だから何の気なしに、鏡に向かって手を突き出した。


「……ん?」


 何度か瞬きをしてから、コーディはもう一度ゆっくり手を動かして、鏡の前で指を二本掲げて見せた。もちろん、鏡の中の自分も、同じ本数の指を掲げている。一、二、三、四、五、と右手の指の本数を数えながら突き出すと、ちゃんと同じように鏡も写してくれる。


 だから、最初の一度目は何かの見間違えだったのだろうか。急にコーディは、一人で誰もいない静かな、そして限られた特別な人間にしか許されない場所で遊んでいた事が何だか罰当たりな気がして、身を翻して駆けだした。



「……ロラン! やあ、久しぶり。ちょっと遅かったね」


 その時にちょうど、たまたま神殿の入口へ続く段差を上って来る見慣れた姿があって、コーディは駆け寄った。やや息を切らしているコーディに、彼は何事かと目を丸くしている。近くに大人もいないので、くだけた挨拶でも大丈夫だろう、と判断したコーディは微妙に恥ずかしい気分である。


「……日が暮れる前に神殿に到着すれば問題ないって聞いたから、訓練に」


 まさか本当に参加していたとは、とコーディは感心した。兄のジョシュは今日こそ差を縮める機会、と意気込んでいたのだが、完全に目論見は失敗したらしい。そして兄がそんな事をやっていれば今頃は疲れと馬車に揺られてうとうとしているだろうに、ロランはしゃんとしている。


「……頑張るね、ロランはすごいよ」

「十歳で医者の見習いのような事をやっている人もいるじゃないか、ここに」


 ロランから即座に言い返されたのは少し予想外だったので、コーディはしばらく狼狽えた。しかし切り替えて、それより、と話題を明後日の方向に逸らした。ちょっと来て、とコーディはロランを先ほどの礼拝所に引っ張って行った。道連れがいると、さっきのような不安な感じは全くしなかった。


「……鏡が宝物として扱われている理由を、ロランは知っている? 私もさっき、祭司様に聞いてみて、なるほどって思ったんだ」


 二人は大きな鏡の前に並んで立った。横にいて正面に見えるロランは難しい顔をしている。どうやら、真面目に答えを考えているらしい。


「……人の身近にあるから、とか?」

「うん、そうそう。大体そんな感じだったよ」


 コーディはロランに返事をしながら、さっきのおかしな出来事をどうやって説明するべきか、考えを巡らせる。 


「……鏡の怖い話してあげる」


 コーディの思いついた話の切り出しに、微妙にロランは顔を顰めた。ここで兄のジョシュなら食いついて来るのに対し、弟のグレンならやめてよ、と弱々しい声で懇願する。ロランはどうぞ、とその中間くらいの反応で、先を続けるよう促した。


「さっき、鏡の前で一人じゃんけん、ジョシュとよくやる鏡ごっこなんだけど]

「は、はあ」


 怖い話の常套手段として、もったいぶるように話を一度切った。口を閉じてから、さっき自分が目にした奇妙な光景をもう一度思い返す。しかし、あれは絶対に見間違いではなかった。


「最初の一回目、鏡の私は違う手を出した」

「……嘘だ、それは。絶対にありえない」

「……うん、私もそう思う」


 ロランの想定していた怖い話、とは違ったのか、彼は固い声でしばらく同じ言葉を繰り返した。ちなみにジョシュは怖い話と相性が合わず、どんな恐ろしい怪物が襲って来てもゲラゲラ笑って真面目に聞こうとしない。弟はお母さんに言いつけてやる、と涙目でベッドに潜り込むのがいつものレヴァンスの兄弟だ。


「絶対、気のせいだって」

「……」


 そのどちらとも違う反応を横目に、コーディは黙って鏡を眺めた。怖がらせようと嘘をついたわけではないため、ごめんね、とだけ呟いて、鏡に向かって首を傾げるしかない。ロランはその反応に戸惑っているらしい。


 神殿の祭司が呼びに来るまでの間、鏡の中のロランは複雑な表情を浮かべて、こちらをしばらく見ていた。


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