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第7話



軍の子供向けの剣術教室の開始を待っていたロランの目に留まったのは、南からの渡り鳥である。黒い上着を着ているような特徴的な羽の鳥は、今日は地上近くを滑るように低く飛んでいる。地面に衝突するのではないか、と心配になる独特の動きは、初夏と雨の先触れとしても知られている。羽ばたきをせず風を切るようにして、自在に飛び回っていた。


明日、祭事を控えている身としては、あまり良い兆候ではない。というのも神殿における信仰には、太陽が欠かせない。晴れていないと、その分ロランとコーディの役回りも延期である。過去には一週間ほどの長雨に見舞われ、その間延々と神殿に待機させられていた年もあったと聞いた。


「……天気が持つと良いけど」


 今すぐに雨が、というわけでもないが、晴天には程遠い曇り空だ。ロランが現在、訓練参加前のために待機しているのは、南部地区騎士団の訓練施設の一つである。ここでは希望すれば週に何度か、子供達に対して剣術や基本的な身体の動かし方等を指導してくれていた。日中は稽古をつけてくれる父もケニーも両者ともに仕事で不在のため、なるべく参加している。週に三回、雨天の場合は中止だ。


 そして、本日の参加者は少ない。いつもなら大体十人前後はいるのに、今は少し離れたところに年下の子供二人が談笑しているだけ。他の家、特に裕福な家の子供は祭事の手伝いや準備に追われているのだろう。



「あれ? 祭りの主役が、こんなところに」


そこへ声を掛けてきたのは、一瞬コーディかとも思ったのだが、そんなわけはなかった。彼女の兄の、ジョシュア・レヴァンスである。彼はいつものように、大きな尖った耳を持つ飼い犬を連れて来ていて、彼は既に近くの木に繋がれていた。チョコという可愛い名前の、おそらく軍用犬と同じ種類の犬は、きりっとした顔で遠くを見渡している。

 先日のコーディの話では、撫でられるのが好きで、目の前まで来てお腹を見せておねだりするとの話だが、とてもそうは見えない立派な立ち姿である。


「この間、コーディに付き合ってくれたんだってな。悪かったな、わざわざ」

「……後ろにいただけだよ」


 妹は喜んでいたよ、と彼はコーディそっくりの顔で屈託ない笑顔を浮かべた。本当に、ほとんど後ろで庭を眺めていただけのロランは居心地の悪い思いである。


 ジョシュアはロランとは対照的に気さくな性格で、二年前にこの地で暮らすようになった新参者の割には、いつも友人に囲まれていた。前回まではあまり喋らなかった間柄だが、今は周囲に子供が少なく、またコーディという存在を経て、今までより親しみを感じているのかもしれない。この口ぶりだと、ロランと出かけた日の事は彼女によって、食卓で楽しい話題として報告されたのだろう。


「それにしても、今日は人数が少ないよな。こういう日は何をやるんだろう」

「……さあ?」


 こういう時に、色々な話題を提供できるような人間ではない事が気まずい。以前のケニーのアドバイス通りに天気の話を振ってみるには、沈黙の時間が長すぎた。


 その日の指導役の采配と参加者の顔ぶれにもよるが、一人だけ年齢や体格や実力が合わない場合、隅の方で延々と筋力強化訓練と素振り、という事になりかねない。ロランはそれでも全く支障はないが、他の子供達は参加を示し合わせて来ているようだ。

 

「……君は、今日は一人なのか」

「ジョシュでいいよ。これから仲良くしよう、な」


 ロランは意を決して、当たり前のように近くに寄って来ている相手に聞いてみた。それがさ、とジョシュは後ろを振り返る。ロランは言われて初めて、彼の後ろに一回り小さな姿がぴったりと張り付いているのに気が付いた。顔立ちは双子かと思うほどそっくりなので、レヴァンス一家の子供は三人とも同じ顔立ちらしい。


 レヴァンス一家の末っ子グレンが、兄の背中に顔を半分隠しながら、どこか警戒するような視線をこちらへ向けた。初対面なので、当たり前の反応でもある。やれやれと、盾にされたジョシュアはため息をついた。


「割と人見知りなんだよ、こいつ。懐くと鬱陶しいくらい張り付くけど。グレン、人に会ったら挨拶って約束しただろう。……それで、祭りがあるから今日は、って話していたんだけど、やっぱり身体を動かしたくてさ。大人もコーディも忙しそうだから、弟の面倒も見なくちゃいけないし」


 ジョシュはロランと自分の弟の二人に交互に話をする、という兄弟の一番上らしい特技を披露した。三人とも同じ顔に見えるが、彼には双子の兄であり、長子であるという認識があるようだ。ジョシュから、とりあえずこれからよろしく、と握手を求められた。そのやり取りに、コーディと初めて顔を合わせた時の事を思い出した。彼ともう少し話しておけば、初対面で見分けられたのに、と少し悔しい。


「グレン君も。僕はロランだ」 

「う、うん」


 ロランは彼らの腕を順番に握手して、一つ確信した。


「……手のひらを触れば、三人の区別がつけられる」


 グレンとは目の高さが違うので区別できる。よくよく観察すれば、そっくりではあるが全く同じ顔というわけではない。その事に少しほっとした。

 手の剣を振り回した形跡があるかないかで判断すれば、この相手は間違いなく彼女の兄のジョシュアの方だ。どういう事だ、と言わんばかりのレヴァンスの兄弟に、ロランは説明した。


「……手の感触で判別できるようになった。喋り方も少し、違うような気がする」

「そんな変わった方法で見分けようとする人は初めてだけど」


 なんだそれ、とジョシュアは無邪気な笑い声を上げた。


「……ロランさんは、お姉ちゃんみたいに神殿に行かないの?」

 

訓練は午前中で終わるので、父が仕事を切り上げ迎えに来てくれる予定になっていた。家に寄って身支度を整え、その後で神殿に向かう手はずだ。日暮れ前に、というお達しだったので、時間的には充分な余裕がある。ロランはグレンにそう説明した。


「……正直、やる事がないとあまり落ち着かない」

「ああ、なるほどね。緊張しているんだ、頑張れよ。儀式で、何をするのかもよく知らないけど」


 落ち着かない時は、普段と同じ行動を取りたくなる習性があるらしい。ジョシュは父さんに聞いた、と医者の息子らしい知識を披露してくれた。 



 そこへ集合、と明瞭な声の指令が飛んだ。その場にいた五人の子供達、初めて参加するグレン以外はささっと動いて、指導役の前に並んで整列した。指導役は、今日は流石に少ないな、と全員の顔を確認しながら、今日の訓練内容を頭の中で思案しているらしい。


「あー……。じゃあとりあえず、並んで馬跳びであの木のところまで行って帰ってきな。戻って来たら鍛錬開始だ」


 本日の指導役は、今まであまり取り入れた事のない準備運動を提案した。ジョシュとロランの顔にわざわざ視線をやって、お前達が引っ張るんだぞ、と言外に指示されたような気がする。要領がわかっているのはロランとジョシュアだけのようで、残りの三人は不安そうに顔を見合わせた。


「はいはい、集まって。とりあえず今日はよろしくな」


 ロランはいつものように集団の端に陣取っていたのだが、ジョシュに腕を引っ張られた。グレンはジョシュの三歩後ろにいる事にしているようで、水鳥の雛みたいにくっついて回っている。


「ロランさ、まさかいつもの調子で『他の皆さんでよろしくやって下さい』って、僕に年下の面倒を全部押し付ける気じゃないだろう、うん?」

「……まあ、うん」

「そうだよな、今日は一緒に最後まで頑張ってくれるよな。ほらグレンだって、薄目で見ればコーディに見えるだろう。この間みたいに面倒見てやってくれよ」


 コーディに似ているから何だよ、とロランが言い返す前に、ジョシュは一回り小さい弟をロランに押し付けた。


「いいか弟よ。ロランみたいな奴は前からずっと仲良しだったかのような雰囲気を作れば押し切れる。今日は一日、ロランお兄ちゃんと呼ばせてもらいなさい。コーディだって特に邪険にもされずに一緒にお出かけして来たくらいだ、実際は面倒見が悪くない奴だと見た」

「ロランお兄ちゃん!」

「……」


 なんだこの兄弟は、とロランが気の利いた返事を思いつかないうちにグレンこと、水鳥の雛はくっつく標的を変更した。身軽になったジョシュが手を軽く叩いて残りの二人を呼び寄せて、手始めに初参加のグレンを紹介してから、今の指導役の指示をわかりやすく説明し始めた。


「僕とロランの時はいいけど、他の子達が飛ぶ時はなるべく態勢を低くしてやって。ゆっくりでいいよ、確実に飛べるように。失敗するとただの体当たりだからね」


 最後におどけて付け足した冗句に、ロラン以外の三人は声を上げて笑った。しかし指導役の教官がこちらの様子をじっと観察しているのに気が付いてか、慌てて真面目な表情に戻った。


本日の参加者である五人の子供達は縦に並び、最後尾以外の者は背中が地面と平行になるように屈んだ。即席の馬の背中を後ろの者が全員、手をついて飛び越えるのを辛抱強く待つ。自分が一番後ろになったら、今度は目の前に並んでいる馬を飛ぶ番である。


「ロラン! なんで僕ばっかりそんなに高くするんだ、不公平だろ」

「……たまには高い馬を飛ばないと、つまらないかと思って」


 年長者二人、というかジョシュが騒ぎながら始めたので、全体の雰囲気としては悪くない。一番小さいグレンがどうにか楽に飛べるように、残りの子供は手や膝を地面につきそうなくらいに屈んで、励ましながら取り組んだ。







「ロランお兄ちゃんは妹さんがいるんでしょ。僕、お兄ちゃんもお姉ちゃんもいて羨ましいねって言われるけど、本当は下に弟か妹が欲しいんだ。やっぱり妹は可愛い?」

「それでね、僕が子犬のたくさんいる囲いからチョコちゃんを選んだんだけどね、大きくなっても四足で立って歩いているだけで可愛いんだ」


 レヴァンスの末っ子は休憩時間もこの調子で喋り通しだった。しかし、教官が途中で指摘したように、初参加にしては身体の動かし方が上手い。才能あるぞ、と褒められて嬉しそうにしていた。


 一方のロランはいつもとは違う慣れない事をしたせいか、いつもの倍くらいの疲労感を感じた。その横では他の二人の子供がバイバイまたね、と各自お腹を空かせながら家に帰って行く。


「ロランは帰らないの?」

「……父上が迎えに来てくれるのを待つ」


 そっか、とジョシュは待機していた番犬を連れて来て、その茶色の毛並みを撫でたり木の棒を投げたりして遊びながら、何故かなかなか帰ろうとはしなかった。グレンはまだロランの後ろに陣取って、今日の訓練がいかに楽しかったかをまだ嬉しそうに語っている。


 街の神殿から、正午を知らせる鐘の音が響く頃になって、訓練場の入り口にロランの父親が姿を見せた。レヴァンスの兄弟は二人そろって駆け寄って行き、元気よく挨拶をしているのが聞こえる。父は少し驚いたようだが、レヴァンス先生の息子、という事もあり、人懐こい二人に和やかに対応していた。


 そしてジョシュとグレンは、ロランにまたな、と言い残して自分達の馬車に乗り込んで行った。

 

「コーディによろしく」


 彼らは馬車から顔を出して、ここにはいないもう一人を含めたそっくりな笑い方で手を振った。訓練に夢中で忘れかけていたが、これからロランは祭事の主役という重大な任務が待っているのである。またな、と遠ざかる馬車に、やや投げやりな返事をした。


彼らが自分に気を遣って、父親と合流するまで待っていてくれた、と理解したのは、馬車が走り出してからしばらくした後の事だった。



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