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第4話


「……そうそう。祭事の最中は催し物がたくさんあって、すごく賑やかなの」

「花が綺麗な季節ですから。祭事の主役でなくても、女の子はみんな花飾りをつけて。聖女様役と剣士役が神殿と街の広場にやって来るのを待つの」


コーディのお茶の相手をしてくれているのはこの近くに住んでいる、齢が三つ上の二人の女の子である。レヴァンス邸で女の子だけの小さなお茶会が恒例となっていた。


 他所から引っ越して来たレヴァンス一家は、残念ながらこの土地の慣習には明るくない。コーディは祭事の主役に選ばれてから、人と会う時には折を見てはこの話題を持ちだして、情報収集を欠かさないようにしていた。ちなみに去年は、広場に集まった人々の勢いに呑まれてゆっくり見る事もできなかった。今年選ばれる事を知っていたら、と非常にもったいない気持ちである。



 母はコーディにたとえば姉のような、年上のお手本がいると良い、と思っているらしい。少なくとも、いつまでも男兄弟のジョシュとグレンと一緒に遊ばせて、少しも女の子らしい振る舞いを好きにならないよりは好ましい影響を得られるのでは、くらいは考えているはずだ。

 今日、本当は父と一緒に孤児院への巡回診療へ行く予定だった。しかしこの二人が来るので急遽、お茶会に予定が変更されている。


 この街には王都に次ぐ規模の上級学校があって、医療を含めた様々な分野を熱心に学ぶ学生達がたくさんいる。医者になるためにはその学校へ入るか、もしくは既に資格を持った人の許へ助手や弟子入りという形で決められた年数を知識の習得に励み、国の試験に合格しなければ正式に認められる事はない。


 こちらへ移って来た医務官である父は、領主である公爵からの意向も取り入れて、若い学生に実践経験を積ませるために診療へ連れて行くのだが、元気いっぱいの幼いたくさんの子供達は少々手に余る。コーディが小さな女の子達の相手をまとめて引き受けて、仕事の手間を少し減らす程度には役に立つ自信があった。


良家の子女が、そういった施設で支援の手伝いをするのは、心優しい女性であるとのアピールにもなるので、裕福な家では特に推奨されている。だから母親も、父の仕事に一緒に行くな、とは言えない。


 今日のコーディはお客様の前なので、ちゃんと女の子の格好をしていたし、髪の毛だって新しいリボンで結んであった。また、家庭教師による作法の勉強は真面目に取り組んでいる。自慢するわけではないが、ピアノも刺繍も、言われればちゃんと練習して、この辺りの女の子の平均よりずっと上、とお褒めの言葉も頂いた。


 言いつけはちゃんと守っている。後はやり方次第、とコーディは紅茶に口をつけた。

 

「もちろん、神殿から女神様役に選ばれた女の子は結婚する時、相手の家からの心証も良くなりますよ。何しろ、特別ですから」

「ああ、やっぱりそういう扱いになるのですね」


 母親が、熱心にコーディを女神様役に推したわけだ。なるほど、と納得できた。彼女は、コーディが結婚する時の心配をしきりにしている。


「それならやっぱり私のような、他の地域から来た者がやるべきではなかったかも」

「でもだって結局のところ、なれるのは一年に一人だけですもの。数がどうしたって限られるし、それに」


 二人はちらりと、部屋には三人しかいない事を確かめてから先を続けた。コーディは侍女達に、女の子だけで喋っているので、部屋にはいる必要はない、と言づけてある。


「親の立場なら是非ともなって欲しい、と期待しているでしょうけど。他の子に妬まれる立場でもあるから、選ばれなくてほっとしている子も多いの」


 ははあ、とコーディは感心した。


「でもレヴァンス先生は尊敬される立場ですから、大丈夫ですよ。優しいお医者様ですもの」    

「コーディちゃんはこちらに来て、まだ日が浅いですから」


 話が途切れたタイミングで、侍女頭がお菓子のお皿を運んで来た。スミレの花の砂糖漬けが飾り付けられ、クリームにも少し入っているらしい。淡く優しい紫色のおかげで、お菓子は小さな可愛らしい装飾品のようでもあった。今日は女の子の集まりなので、お腹を空かせたわんぱく達のためのパンのバター炒めではなく、気を遣って洒落たものを用意してくれたのだ。


「そう言えば、相手役の子はどんな風なのか、少しはわかった?」

「いいえ、それがさっぱりで。兄も訓練の時に、あまり話さないんですって」

「セクターの家の方々は、全然社交の場には出ていらっしゃらないもの。仕方ないわ」


 コーディは取り澄ました顔で返事をした。スミレの花の砂糖漬けを入れた紅茶は好きなはずなのに、何故だか家族と一緒に楽しんでいる時より、味が感じられない。嘘と本当の事を混ぜて話す、というのはやはり気分の良い物ではない。


「あら、それは残念。ところで、ディオン子爵とミリアの噂、耳にしまして? 私はやっぱり、当然の結末を迎えただけのように思えますけど」


 コーディとのやり取りは一段落した、と思ったらしい二人が、内輪の話に切り替えた。先ほどまでの、この土地の事情を色々と教えてくれている時よりも目が輝いている。正直なところ、放っておかれるほうが気が楽であるので、黙って聞いているフリをして、再びお茶に口をつけた。


 コーディは彼女達が喜ぶような情報を提供できるわけではないし、するつもりもなかった。齢の違う、世情に疎い子供の相手は退屈だろうな、とも思う。

 この二人の様子を見る限りでは、毎年の聖女様役と剣士様役の子供の噂は、きっとお茶会での楽しい噂話のタネになるのだろう。そうなるとロランと会った事までいちいち報告し、それが一体どんな尾ひれのついた噂話になるのか、わかったものではない。


『医者が患者から信頼されるためには、まずは秘密を守る事だよ、コーディ』


 ロランは別に患者ではないが、きっと人間関係にも置いても同じ事が言えるだろう。コーディは言い訳をするように、父が何かの折に口にしていた事を頭の中で繰り返した。大好きな穏やかな声は、お菓子やお茶よりずっと、心を落ち着かせてくれた。


 そして、数日前にロラン宛で、一緒に出掛けて欲しい場所があると手紙を出した事も黙っている。今日の朝に了承の旨の返事が来て、予定の日時と昼食をこちらで用意するから好物を教えて欲しい、と書きつけてまた送り返した。


『……手紙なんてまどろっこしいな。直接呼びつけて決めれば一時間もかからないって』


 コーディが手紙の下書きをしている時、コーディの手元を覗き込んだ兄からそう指摘された。ごもっともな意見だと思ったが、しかしまだ一度顔を合わせただけの相手であるので、できる限り丁寧な手順を踏みたかったのである。そして、ロランから返事がやって来た時にはほっとした。 


 彼の好物は何だろう、とコーディは楽しい事を考えようと試みる。料理長が張り切って、美味しい昼食を作ってくれるそうだ。身体を動かしている男の子なので、きっと肉か魚のどちらかだろうな、と検討をつけた。牛やヤギのミルクやチーズも好きかもしれない。


 そろそろお開きにしましょうか、と母が声を掛けにくるまでコーディが残りの二人の輪に加わる事はなかった。







「……コーディ、今日のお茶会はどうだったの?」

「二人共、わからない事を丁寧に親切に教えてくれたよ」


 客人が帰って行くのを親子で見送りながら、コーディはお行儀よく聞こえるように返事をした。本心ではこの動きにくい服装や靴を早く替えてしまいたいのだが、母親はどんな風に、とやんわりと追及して来た。


「……とりあえず、聖女様役と剣士様役は毎年、注目の的なんだって。何だか恥ずかしいね。それから……」

「……お母さん、コーディも。ただいま!」

「あらジョシュ、おかえりなさい。今、帰りなの?」


 そこへ、軍の訓練を終えたらしいジョシュが、門を潜ったところである。午前中で終わりのはずだが、今はもう日が暮れかけている。腰に提げている練習剣が、以前よりしっくり来る立ち姿のような気がした。連れて行った番犬も一緒で、敷地内に入ったところで、兄は犬のリードを首輪から外した。子供のお守りから解放された犬はやれやれ、とでも言いたげな顔をして、ぶるぶると身体を震わせた後で、コーディに甘えにやって来た。


「……随分遅くまで鍛錬しているのね。それとも、終わった後で皆で遊ぶの?」

「まさか、遊んでいるだなんて!」


 ジョシュは大げさに嘆くフリをした。そして母から見えない角度で屋敷の方を指差して、コーディに早く行けと手で合図している。


 兄は、母親と妹の間の微妙な空気を、何となく察しているらしかった。


「あの、ほらコーディの相手役の子。ロランは僕ら全員に模擬試合で勝っても少しも嬉しそうじゃないから、悔しくて。皆で秘密の居残り特訓をして、追い越してやろうって。だから次の参加の時には、僕がお昼ご飯を用意する番だから、厨房にお願いしても良いでしょう、お母さん?」


 コーディはロランの強さにも、それをどうにかして打ち負かさんとする兄達の気概に感心した。母が驚きと感嘆の言葉をジョシュに掛けている間に、コーディは番犬と一緒にこっそり身を翻して玄関の方向へ向かったのだが、途中で犬の足音がぴたりと止まった。


「……チョコちゃん?」


 レヴァンスの番犬はくるりと身を翻し、裏庭の方へ駆け出す。不審に思ったコーディがそれを追いかけると、その先には意外な姿が待ち構えていたので、思わず足を止めた。


「……え、ロラン君?」

「……ど、どうも」


 屋敷の裏の門のところに、中の様子を窺っているらしい、見覚えのある紅茶色の髪の少年がいた。番犬は不審そうな顔で、自分の飼い主と彼とを見比べている。見知らぬ相手を吠えたてるべきかどうか迷っているらしい。大丈夫、とコーディは撫でて落ち着かせてから、彼のそばまで行った。


「ジョシュを呼んで来ようか。ちょうど帰って来たところ」

「……いや」


 彼は首を横に振った。てっきり軍の剣術教室関連の何かだと思ったのだが違うらしい。コーディに、と彼は淡い黄色の封筒を差し出した。 


「お手紙の返事。ちょうど近くを通ったから、馬車を止めて待っててもらっている」

「……そんな、わざわざ。それならジョシュに持たせれば良かったのに」

「……いや、便利扱いは悪いと思って」


 手紙の一通くらい、とコーディは苦笑する。ロランの手紙は毎回封筒の色が違うので面白いなあ、と思いながら受け取った春らしい淡い黄色の手紙を眺めた。いちいち文章でやり取りするのはまどろっこしいから直接やって来た、というわけではないらしい。


 あの、と彼が小さな声で話し掛けて来た。


「……好きな食べ物は何? って、手紙の中に書きそびれたから」

「食べ物? 私の?」

「うん、出かける時にお昼ご飯を用意してくれるって書いてあったから。それなら、好きなお菓子を聞いて持って行った方が良いって。厨房の使用人が、早めに聞いて下さいって。手紙に封をした後だったから、書けなかった」

「……リンゴかな。でも、お店にないかもしれない」

「干したのは売っていると思う。それを買ってもらうようにするよ」


 コーディは先ほど、お茶の席で考えていた事と、単なる偶然にしても重なった事が不思議で、何故だかとても嬉しかった。


 それじゃあ、と用件を済ませたロランは来た道を足早に引き返して行った。その背中にまたね、と声を掛けると、彼は今度は軽く手を振ってくれた。コーディは番犬の頭を撫でながら、その後ろ姿をしばらく見送っていた。








 父が帰宅したのは、先に夕食を終えた後の事だった。急な患者が入って帰りが遅くなるのは珍しい事ではないので、レヴァンス家では夜のテーブルに父がいる日の方がずっと少ない。


「おかえりなさい、お父さん。シルバも」

「ああ、ただいま」


 父は疲れているようだ。後ろにいた助手もこちらに会釈をして、そのシルバが父の荷物のバッグと着ていた白衣を自然に受け取り、洗濯場と執務室へ歩き去った。父の手に残ったのは、小さな紙袋だけだ。


「すごく疲れているね」

「ああ、女の子達はてっきりコーディに会えると朝から楽しみにしていたらしくて。検診の前から大いに機嫌を損ねてしまったよ」


 おやおや、とコーディは目を丸くした。その情報に、自分の同行したかったという残念な気持ちが少しだけ慰められるような、複雑な気分である。

 終わりがけに急患が入ってね、と父は本当に疲れているらしく、壁際にもたれながらこちらを見た。コーディも大変だったろう、と付け加えて、持っていた紙袋を娘の手に渡した。


「お土産だよ、ジョシュとグレンにも分けておいてくれないか。暑くなると、大好物が食べられなくなるのは難儀だな」

「……うん」


 父が紙袋から取り出したのは、赤い包装紙に包まれた、綺麗な黄色の飴玉である。包装紙にはご丁寧に、緑と小枝の絵まで描いてあった。可愛い、と目を輝かせたコーディに、ご飯後だから一つだけだぞ、とひとさし指を口元に当てた。

 

「お父さんはどうして、私がリンゴを好きなのか知っている?」

「……まだ小さい頃に、熱を出した時は母さんがよく食べさせていたからだろう」


 双子、というのは普通の赤子よりも小さい事が多いらしい。まだ母親のお腹にいる時に、一人分を二人が分け合うので仕方ないのかもしれないが。その分、生まれた後も色々と苦労があったのだ。ジョシュとコーディもその例に漏れず、小さい頃は揃って熱を出していた。リンゴはとても栄養があるから、とよく食べさせてくれた。そのおかげで、今は兄も含めてすっかり丈夫になったと思っている。 


 コーディが部屋の天井と、それから母がずっと看病で傍にいて、リンゴが美味しかった事を覚えている。熱を少しでも冷まそうと、額に当てられた冷たい氷のうや、母の声が寝台から動けない子供のために本を読んでくれたのを覚えている。


 聖女ユニス様が護衛剣士を連れて、国中のあちこちを巡った物語である。災害や疫病から人々を救い、横暴な振る舞いをする者を諫めて、二人の旅はいつまでも続いた。別れを惜しむ人達には、鏡を通していつも見守っている、と不思議な言葉を残して去って行くのだ。

 もしかしたら今も、そして聞き手にも、その奇跡がもたらされる日が来るかもしれない。だから常に、聖女様達に胸を張れるような正しい人間でありましょう、というのが結びの定型句である。コーディの母はその最後に、早く元気になりますように、といつも子供達のために祈ってくれていた。


 コーディが口の中で転がしているリンゴの飴玉は、そんな大切な記憶に繋がっていた。


「……でもね、お父さん。私には楽しみな事も出来たから頑張れるよ」

「そうなのか?」


 うん、とコーディは飴玉を口に入れながら頷いて見せた。ロランが、美味しいリンゴのお菓子を約束してくれたのだ。

 兄と一緒に風呂に入れてもらったらしい弟に見つかるまで、父と廊下で立ったまま一緒に飴玉を舐めていた。



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