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第3話


セクター家のロランは早起きである。目を覚ました後、服を着替えて顔を洗って一番にやる事は軍人の家の子供らしく、剣術の自主稽古だ。雨が降らない限りは、教えてもらった型を中心に大体三百くらい振る。


『軍人としての本領が発揮されるのは、常に不測の事態の中心』


ロランは父の言葉を反芻しつつ、練習用の木剣の両端を左右それぞれの手のひらで握ったまま腕や腰の曲げ伸ばしをしながら、屋敷の近くにある乗馬用の囲いのそばまで一人で歩いた。最初の頃は、まだ夜の明けきらない時間に起床する、という生活リズムに変えるのが辛くて仕方がなかった。


『日々の訓練の中にこそ、対処の鍵が存在する』

 

 しかし何事も、慣れが重要である。朝日の昇る前の時間でも結構明るい。深く息を吸い込むと、澄んだ空気の心地よさを楽しむ余裕ができてきていた。小鳥のさえずりが聞こえて来るのでそちらの方へ視線を向けると、大抵の鳥は群れか、最低でも二羽で連れ立って、森の梢にちらちらと姿を見つける事ができる。近くに巣があるようだ。

 


「おや、今日も早いですね、ロランお坊ちゃん」

「……坊ちゃんはやめて」


 東の森の空に太陽が昇って来る頃、ロランが一人でもくもくと剣を振っていたところに、近づいて来る人影があった。街の方からやって来たケニーはこの家の使用人だ。背筋のまっすぐに伸びた凛々しい二十歳前後の青年である。格好良くて剣の腕もよく、気の良い青年だった。


 本人が言うには市井の貧しい家の出身だそうで、子供の頃から働きに出されて、色々な場所で様々な仕事を覚えながら、今は父の下で動いている。同年代の子供に気安い相手のいないロランにとっては数少ない話し相手でもあった。



「……動きがやや精彩を欠いていますね。まだ、この前の事を気にしていらっしゃるので?」

「……そういうわけじゃない」


 二人はしばらく打ち合った後、二人は木の囲いにもたれて息を整える。その間に、ケニーが指摘して来た。いつもの、剣先が下がっているとか、右にばかり逃げる癖を意識して直した方が良いとか、その類ではない。口元が、完全に笑みの形を作っている。


「コーディ様、だったかな。気立ての良さそうな、可愛らしいお嬢さんだったじゃありませんか。お茶にでも招いてみたらどうです? たまには女の子と話すのも楽しいですよ」

「……冗談じゃない」


 息抜きになりますよ、等としきりに勧めて来るケニーに、ロランは不貞腐れてそっぽを向いた。幸か不幸か、セクター家はお堅い雰囲気なのだ。父は仕事以外の人付き合いはあまり熱心ではない。気軽にお客様を招いて楽しいひと時を、という時間とは縁遠かった。



 一昨日の話である。父が突然、レヴァンス家の屋敷に顔を出す、と言い出した。その家の女の子と、ロランはそのうちに祭事で嫌というほど顔を合わせる予定で、その挨拶に向かう、と本当に前触れなく決定した。ロランは軍の子供向けの訓練が終わって、迎えの馬車の中でうとうとしていたのをたたき起こされたのである。その時点で、女の子と話す機会がほとんどないロランの失敗は半分位決まってしまった。


 ケニーがレヴァンスの当主に予定外の訪問の意思を伝えに出向き、許可を得たので馬車を向かわせた。入り口で待っていた相手は医務官であるレヴァンス先生と、その家の子供のうちの一人が興味深そうに待っていた。



「ケニーはどうして、あの子が女の子だってわかったの?」

「私くらい背が高くなると、後ろで髪を結んでいたのがちゃんと見えたのですよ」


 彼は後頭部を軽く叩きながら言う。ロランの目線からだと後ろで括った彼女の髪は短くしているようにしか見えなかった。そこまで来るともう、わざとやっているとしか思えない。大体コーデリア、というお淑やかなお名前のご令嬢が、家の中では男の子の格好が好き、と誰が想像できただろうか。


「まあでも、あの家の子供達が、同じ顔を利用して悪戯するのはいつもの事らしいですから。多分、あのお嬢さんも大して怒ってはいらっしゃらないでしょう」

「……本当に、怒ってないと思う?」


 顔を上げてみると、やっぱり気になっているんじゃないかと、とでも言いたげなケニーの顔である。今朝は剣の稽古ではなく、完全に冷やかしに来ている。仕事中はあんなに生真面目な顔をしているくせに、とロランは足元の草でもちぎって投げつけてやりたい気分である。

 

 一昨日はロランの発言に対し、彼女は大いに同意した上で親し気に握手まで求められた。それが本当に心の底からなのか、それとも親の目があるので仕方なく許した風を装っているのか、ロランには判断がつかなかった。もともと王族に仕えていた医務官の娘ともなれば、本音を隠して振る舞うくらいわけないだろう。


 というわけでレヴァンス親子は、あまり良い印象を、少なくともロラン当人には抱いていないであろう事は嫌でも察しが付く。思わず清々しい朝の空気に似合わない、どんよりとしたため息をついた。一つできる事が増える度、二つ三つとできない事が目の前に現れて、ロランは少しも進歩した気がしないのだった。


「……まあ、旦那様がわざわざ頭を下げて坊ちゃんのフォローをしましたからね。向こうもこれ以上は蒸し返せませんよ、この話題」

「それは何の解決にもなっていないと思う」


 ロランの父はいかつい、いかにも軍人と言った見た目とは裏腹に、普段から怒鳴ったり威張り散らしたりする人ではない。まだまだ学ぶべき事の多い息子には手厳しいが、その他の人達は使用人をはじめとして優しい旦那様、と口を揃えている。

 ロランが父とコーデリアとの丁寧なやり取りを思い出して黙っている横で、ケニーは朝から饒舌で、レヴァンス伯爵家の噂話をとりとめなく喋った。

 


 レヴァンスは元々、王家に仕える医官の家系である。それがこの地域の医療の更なる発展に貢献するため、赴任して来ている状態らしい。それが一時的な話なのか、それとも恒久的なのかは、まだ不明との事。


 当初はよその土地から来たレヴァンス一家に対し、一体どのような経緯でこの土地へ家族揃ってやって来る事になったのか、多くの人が知りたがった。その中にはきっと都会から来た高慢ちきで威張りくさった医者に違いない、一体どんな失態を演じて王都を追い出されたのやら、と悪し様にけなす者までいた。


 しかしそんな閉鎖的な声に対し、レヴァンス先生はきちんとした人物であった。まず街に診療所を開設し、また自分の足で患者の元へ赴いて言葉を交わした。寄付や慈善事業の担い手である神殿や現地の医師とも話し合いを根気よく行い、王都での最新の医療知識や薬を惜しむ事なく尽力している。


 この土地をおさめている公爵閣下の信頼を得ている、という情報が出回る頃には、一家に関しては良い噂がずっと多くの割合を占めるようになった。


 レヴァンス先生自身、他人の事を少しも悪く言わない。そんな人柄が伝わるにつれ、まだ二年弱くらいの期間にも関わらず、もうずっとここで仕事をしているような顔で暮らしている。ずっとここにいてくれたらいいのに、とこの地域の人間の声は一致しつつあった。


 

「あの先生はたとえ使用人の家の子供でも、病気になったら診てくれるそうで、なかなか評判が良いんですよね」

「……他所の家の事情に、随分と詳しいよね」


 話の最後に付け加えられた一言に、それはどこからの情報なのか、と聞いてみると使用人同士の情報交換という名目で集まり、お酒を楽しく飲む場があるのだそうだ。

 

「……それなら、セクター家の評判はどうなの?」


 そうですねえ、とケニーは首を捻った。実は昨日も集まりがあって二日酔い気味なのです、と顔を顰めている。 


「……仕事は厳しいし、旦那様は良い方ですが甘くはない。給料はそこそこ、しかし割が良いとは言い難い。というところでしょうか」

「……褒めているのかけなしているのか、よくわからない」


 どっち、と聞くとケニーは肩を竦めた。


「仕事に楽を求めるような輩が集まって来たら困るじゃありませんか。私の信用問題にも関わります」

「じゃあ、……父上に頼まれて、あちこちで情報を売ったり買ったり流したりしているわけだ」


 レヴァンス先生と比べるわけではないが、自分の父はほとんど人付き合いをしない。仕事に支障をきたさず、そして軍人として土地を治める公爵閣下から信用されているのでそれで十分、とばかりに集まりにも顔を出さない。その代わりにケニーなどの使用人を信頼して、他とは違う方面からの情報収集は欠かさないようにしているのだろう。そういうやり方もあるのか、とロランは今後に向けて参考にしておく必要がありそうだ。 


「私が、子供の時分に借金の形に売られた先を入れて四つの主人を渡り歩いた経験から申し上げますと、この職場、今のご主人様が一番、尊敬していますよ」

 

 さらりと苦労したであろう生い立ちの片鱗を覗かせつつ、おしゃべりはこのくらいで、と彼は剣を構えた。ロランも頷いて、木の囲いから腰を上げた。




 剣の稽古を終えた後、朝食の席は静かである。別に一日のどこかに限った話でもないが。当主である父が人付き合いを制限しているので、そもそも必要な連絡事項自体が少ない。

 父は仕事、ロランは軍の訓練か家で自主学習、母は生まれたばかりの妹の世話をしながら留守を守っている、と各自予定はほとんど決まっている。給仕を除いてこの場にいるのは、早起きな父とロランの二人だけだ。


 そこへ顔を出したケニーが、父に数枚の手紙の封筒を差し出している。ロランはそれを横目にしながら、朝食をとった。以前は体力仕事の父に合わせた食事の量の多さに辟易としたが、身体を動かし量が増えるにつれて、最近は物足りないと感じる日もある。


 試しにそれを訴えてみると、待っていましたとばかりにパンの量が倍になり、果物もスープも好きなだけ給仕にお申し付け下さい、と卓上に関してはとても賑やかである。

 

ロランは好みの固さに仕上げられた目玉焼きの黄色を突きながら、先ほどのケニーの話を思い出していた。同じ顔の子供が三人もいるレヴァンス伯爵家の団欒風景はきっと騒々しいのだろうな、と。


「ロラン」

「はい、父上」


 父はちょうどそばを通った給仕の女性に手紙を渡した。彼女が丁寧にどうぞ、とこちらへ手紙を運んで来る。どうやら自分宛のようで、珍しい事もあるなあ、と暢気に受け取った。淡い水色の封筒にはロランの名前が書いてあり、裏にはコーディ・レヴァンスと綺麗な筆跡で署名されていた。






 

「それで、昨日の手紙には何て書いてあったんです?」

「……一緒に、前に祭事の主役をやった事のある知り合いがいるから会いに行きませんか。……だって」


 翌朝、ロランが剣を振り回しているところへやって来たケニーは、興味津々と言った様子である。


「へええ。楽しそうですねえ」

「……」


 ロランは昨日、父との夜の剣術稽古を早めに切り上げさせてもらって、手紙の返事を書く作業に追われた。繕い物をしている母の横で、初めてのお手紙作法、という本を相手に格闘していたのである。作業は冒頭に、季節の洒落た挨拶をちゃんと書くところから始まった。


「これを、何かのついでで構わないから、レヴァンス先生の家に届けて欲しい」


 ロランは頑張って書き上げた手紙を使用人に見せた。受け取ろうとしたケニーは、しかしこちらが手紙を渡そうとしないので、不思議そうな視線を向けて来る。


「……でもさ、正直に言うと、直接会って話した方が手っ取り早いような気がするんだよ」


 ロランの知っているコーデリアは、理由はよくわからないが男の子の格好をしていた。しかし、ロラン宛の手紙自体はいかにも女の子らしい、封筒も便箋も実にあか抜けた色やデザインの品が使われていた。横で見ていた母が感心したくらいである。都会から来た女の子はやっぱり趣味が良いのね、と称賛していた。

 対してロランは手紙を、しかも女の子に書いた事はなかったので、正直出来に自信はない。全然上手に字が書けず、納得いくまで書き直す作業の繰り返しだった。おかげで、昨日は少し寝るのが遅くなった。


「いやでも坊ちゃん、せっかく手紙を書いてくれた女の子のところに、『まどろっこしいから直接来たぜ』って行くのはどうかと思いますけど」

 

 ケニーに指摘されて、ロランはしばらく考え込んだ。ロランは正直コーデリアという女の子の事がさっぱりわからないのだが、なるべくその気持ちを慮るべく頭を働かせた。服装は男の子寄り、持ち物はお洒落な女の子、と何だかちぐはぐで余計に混乱して来た。


「……確かに、なんだかそれだと野蛮人みたい」

「そうでしょう。手紙には手紙ですよ、やっぱり」

  

 ロランは手紙がケニーの懐に仕舞われていくのを見届けた。それでようやく、一仕事終わったような謎の充足感を得たのである。

 

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