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エピローグ 下


「……じゃあ、コーディ達は先に会場に入っていてくれたんだよね?」

「ええ。奥様は坊ちゃん、じゃなくて旦那様を待ちたいとしばらく粘っておいででしたが。かえって気を遣わせてしまうからとレヴァンス先生に諭されて、渋々中へ入って行かれました」


 ロランが公爵家主催の夜会にようやく辿り着くと、先に向かわせておいたケニーが、まだ年若い主人に伝言を持って、待っていた。周囲には招待客が乗って来た馬車がたくさん停められている。しかし既に会が始まって時間が経っているせいで、この場所に限っては閑散としていた。



 少し前まで公爵領には、王妃陛下が第二子の出産のため、エレノア王女殿下と共に滞在していた。領地内の軍や医務官、神殿も役所も公爵家の血筋の者までもが、賓客のために奔走していたのである。その後、無事に授かった跡継ぎと王妃陛下の体調も安定したため、王宮からの一行は先日、意気揚々と引き上げて行った。

 領内の人間達は無事に産まれた幼い赤子を含めた王家の方々の絵姿を目にし、国王陛下夫妻や幼いながらも姉君として弟を慈しむ王女殿下の話も広まって、それぞれ癒されたり安堵したり、と領地内は徐々に落ち着きを取り戻しつつあった。


 本日の夜会はその件に携わった者達への、公爵家主催の慰労会が名目である。


 

「ケニーは何か食べた?」

「こちらの事はお気になさらず。それより早いところ、奥様を見つけて差し上げないと」


 これだとまるで自分の妻、セクターの夫人が迷子になっているかのような言い方である。今夜はコーディは仕事だったので現地で落ち合おう、そういう取り決めになってはいた。

 ロランも仕事を定時で上がり、医務室で勤務しているジョシュと一緒に向かうはずだった。しかし急な怪我人が入って、ロランも肩を貸すなどして途中までは手伝っていたのだ。その後、妹が待ちぼうけをくらったら可哀想だろう、ともっともな理由をつけられて先にやって来たのである。

 馬を借りに行くと、今晩は夜勤だと愚痴を零しつつ、近くに軍用犬達を放して戯れているグレンを見掛けたので、もし可能なら手を貸してやって欲しいとお願いをしておいた。

 


 ロランが会場に足を踏み入れると、もう既に主催の挨拶も終わった様子で、各自が楽しそうに時間を過ごしている段階だった。

 入り口付近にいた男女数名と目があって、不自然に視線を外された。こちらも真面目に取り合うつもりはなく、まっすぐに人の多い中心付近を目指して進んだ。コーディは人気者なので、きっとこの辺りで足止めされているだろうと踏んだのだ。彼女は国内初の女性医師の資格を取り、そしてかつては『ユニスの神殿』を開いて人々に祝福を授けた愛し子、特別な子供の片割れとして公爵領きっての有名人で通っている。



「あら、セクター殿。今日は来て下さらないのかと思っていましたよ」

「ナタリー様、お久しぶりです」

 

 人垣を割って進んでいると、公爵家の先々代の夫人であるナタリー奥様が声を掛けて来た。念のため車いすに腰かけ、杖を手にしてはいるが、相変わらず元気そうな様子だった。どうやらコーディとロランに張り合っているらしく、国内最高齢として有名になりたい、と冗談交じりに口にするようになった。


「ではセクター殿、お近づきの印に握手をして頂けるかしら」

「……よくご存じですね」


 このご婦人も相変わらずである。もう一人のユニスの愛し子のロランは握手をするフリをして相手の腕をねじ切る男だと噂が広まっており、今日もあちこちでひそひそと声を潜められていた。

 

 軍の基地の開けるのに一工夫いる倉庫の鍵を誤って折って壊したり、いつかの夜会で酔っぱらって喧嘩を始めた招待客を二人同時に取り押さえたり、毎月行われる食堂の上級食事券を賭けた腕相撲大会で連勝中なためか、変な尾ひれがついて広まってしまっている。

 野蛮人じゃあるまいし、と自分としては訂正する気にもならなかったが、同じ基地内で働いている父から、修繕の要望が通らないからと言って本当に鍵を破壊してどうする、と白い目で見られてしまうなど、真に受けている人間もそれなりにいるらしい。



「やあロラン君。随分、遅かったじゃないか。コーディは待つべきだって言っていたんだがね」

「何かあったのかも、とこちらから使いを差し向けるところでしたよ」


 次に声を掛けて来たのは妻の両親、レヴァンス夫妻である。ケニー君には会えたかな、と聞かれたので、先に入っていてくれた判断にお礼を述べた。待たせるよりも、楽しい時間を過ごしてくれている方が、こちらも遥かに気が楽だ。ロランは出発直前になって、急患が入ってジョシュと共に処置に当たった旨を説明した。レヴァンスの夫人に早くコーディを探してあげてと頼まれたので、慌てて身を翻した。


 しかしその後もなかなか見つからずに途方に暮れていると、おいロラン、と声を掛けてきたのは軍所属の友人である。彼の身体の向こうにいる女性が、こちらに向かって軽く会釈をして来た。ロランはコーディを見ていないかと尋ねたが、やはり姿を見ていないという返事だった。


 

「ところでセクター、ちょっと気になる話を耳にしたんだが」


 彼が口にした通り、コーディは王妃陛下に気に入られて、そのまま王宮で仕官するのではないか、という噂話である。流石に夫であるロランが把握していないわけがないのでありえない、とも言いきれないのは、エレノア王女殿下に気に入られていたのは間違いなく事実だったからだろう。


 なにせ王妃陛下滞在中のある日、軍の基地で職務に励んでいたロラン、ジョシュ、グレンの三人は突然公爵から招集がかかって、王女殿下の『コーディ先生の旦那様とご兄弟のお顔を見てみたい』という要望に応えた事もある。

 公爵は単純に気安い顔見知りを三人連れて行けばご機嫌取りができるのでやっておこう、という軽い気持ちだったらしい。しかしロランは自分が介入できない遥か雲の上で、自分達に関する何らかのやり取りがあったのではないか、という不安を拭いきれなかった。



「……そんなわけがあるか。公爵閣下が領内きっての有名人をそう簡単に手放すわけがない。そもそもまだ医師の資格を取ったばかりだぞ」

「……なんだ、ジョシュか。いつ到着したんだ?」


 いきなり後ろから背中をばしん、と引っ叩かれたロランが顔を顰めながら振り返ると、会話に入って来たのは基地で別れたレヴァンスの跡継ぎ、ジョシュアである。さっき着いた、と答えたが、既にグラスを何杯も楽しんでいるらしくいつもより血色が良かった。自分が出てからそう時を待たずに基地を出立したのだろう。


「やれやれ、あれだけ結婚したいしたいと大騒ぎした割に、まだ満足していないとは。困った弟だよ、全く。それでコーディなんだが、あっちでまだ年若いご令嬢に声を掛けているのを見たぞ。そのまま、親し気な様子でどこかへ連れ出した」







 ロランが夜会の喧騒を離れて、廊下の角を二つ曲がった。何回か警護任務についた事もあるので、大体の構造は把握している。ジョシュにお礼を言った後で公爵家の使用人を捕まえて、急な体調不良の者が出た時のために用意されている部屋の場所を確認した。それから熱い飲み物と冷たい飲み物、ついでに適度に温い物も用意してもらった。軽食も一緒に摘んで、医務室へと足を向ける。



「……コーディ、いる?」

「……もう少し待って。……あと、三分」


 施錠された扉を軽くノックして、中から聞こえたコーディの声に、わかった、とロランは返事をした。ちょうど廊下にあった壺を観察したり、ゆっくり数を百と八十まで数えてからもう一度、中に声を掛けた。


「よくここがわかったね、ロラン」

「一応、水をもらって来たけど、口にできそう? お茶もある」

「ああ、それはすごく助かる」


 中にいたのはコーディと、それから今日のような集まりに顔を出すようになったばかりらしい雰囲気のご令嬢が、大変恐縮した様子で、軽く会釈をした。ロランの推測通り、あまり顔色はよろしくない。

 おそらく、体調を崩して気分が悪くなり、しかし倒れるか動けなくなるかという状態に悪化する前に、コーディが上手に言い包めて連れ出したのだろう。借り物らしく、ドレスには少し不釣り合いなデザインのショールを羽織っている。


「……コーディ先生。先生も旦那様と参加する側なのに申し訳ありません」

「先に会場へ入った妻がなかなか捕まらなくてね。貴殿のおかげで、今日はいつもより早く捕まえられた」

「その言い方だとまるで迷子みたいじゃないか。彼は私の夫で、このくらいで気分を害するような器の小さい男じゃない。芸術を愛する紳士な一面もあるんだよ。優しいから気にしなくていい。ほら、好きなのをどうぞ」


 ロランはその紹介の仕方に満足をした。だから早く会場に戻った方がいいとか、そういう余計な事は口に出すのは控えた。二人が選んだ後の冷たい飲み物をもらって部屋の調度品や、近くの書棚に入っている資料が気になっているフリに務めた。


 その後ろではコーディが、今夜は早めに家に引き上げた方が良い、と彼女を諭そうと試みている。私が親御さんと話をしよう、とも続けた。相手は気の弱そうな少女なのだが、俯くばかりでなかなか首を縦には振ろうとはしなかった。小さくぽつんと、お父様が、とだけ聞こえた。



 外から部屋をノックする音が聞こえたのは、ちょうどその時である。中にいる人間を自分の来訪を気付かせるため、にしては随分と高圧的な叩き方だった。ロランはコーディやご令嬢が立ち上がるよりも先に扉の前に立って鍵を外し、相手を出迎えた。


 扉のすぐ前に立っていた、自分の父と大体同年代くらいの男性は、何か大きな声を出そうとして、目の前にいるロランの方が体格や上背が勝っており、更に騎士団の正装姿である事を認めると、気勢の大部分は削がれたらしい。

 頭の中ではロランが握手すると見せかけて相手の腕をねじ切る可能性が過っているんだろうな、とあからさまに不安げな表情を浮かべている。もごもごと聞き取りにくい声で、急に娘の姿が見えなくなって心配したと言い訳を始めた。


「……こんばんは、お初目にかかります」


 ロランは相手が男性だったのでこのまま自分が対応するべきだと考え、定型の挨拶口上を述べながら、自分がセクターの当主である事や軍での所属についても説明し、この会の主催とも懇意である事をできるだけ丁寧に話した。それから自分の父親と同年代か下の男性に、礼儀正しく握手を求めた。



「……会の途中でしたが、ご息女の気分が悪い様子でしたので、少し休ませました」


 後ろから顔を出したコーディは彼女の父親、レヴァンス先生がそうするように、穏やかな口調で相手に事情を説明した。相手はロランとコーディを交互に見やりながら、はあ、と歯切れの悪い返事を繰り返す。


「……今日はあまり人と話ができないままで、本人も残念がっています。けれど、私の兄が来月に、屋敷に若い方々を大勢呼ぶそうで、その時にでも改めて楽しむ事もできるでしょうから。規模は今日に比べるべくもないですがその分、色々と話す機会も多いはずです。私も気にかけるように致しますので」


 口調はあくまでも丁寧だったが、彼女の父親が仕事の際に使うような、どこか有無を言わせない言い方でもある。


「くれぐれも、ご息女を労わってあげて下さるよう」







 ロランはコーディと並んで、医務室を後にする親子を見送った。歩き始めてすぐ、ご令嬢だけがさっきより気分の良さそうな表情で戻って来て、コーディに向かって何かを耳打ちした。何かを伝え終わると、再び頭を深々と下げてから、父親の後を追って行った。


「……今のは何だって?」

「ロランみたいな頼れる人を絶対捕まえて見せるってさ。良かったね」


 コーディお得意の冗句かと思いきや、彼女は満足そうな顔で何度も頷きながら、華奢な背中が角を曲がって見えなくなるまで見送った。前日の睡眠不足、当日の食欲不振、それからコルセットの締め過ぎだね、とコーディは診断をまとめる。


「……やれやれ、ロランが来てくれて良かった」

「……あまり自分の存在意義を感じなかったけど」

「そんな事はないよ。南部騎士団幹部候補、ユニス様の愛し子で公爵閣下の覚えのめでたいロラン・セクターが後ろで睨みをきかせているからこそ、あんなにあっさり引いてくれたんだ」


 どう答えたものかと迷っているうちに、コーディに会場へ戻ろうと急かされて、二人は歩き出した。ロランは自分が遅くなった事情を説明すると、彼女は笑ってお疲れ様、と労わってくれた。



「ようやく一仕事終わって、しばらくはゆっくりできると思うんだよね」


 ちょうどコーディが廊下の一画に設置されている鏡の真横で足を止めて後ろを振り返ったので、本人と鏡像と、廊下の端を歩いていたロランからは、ちょうど二人いるように見えた。ドレスの代わりに仕事着である白衣の裾を軽く翻らせて、顔つきにもちょっとした身体の動きも、堂々とした自信が満ち溢れている。

 

 間違いなく彼女は綺麗な、美しい女性だった。コーディがまだ少年みたいな振る舞いや容姿をしていた頃の事をよく知っているロランは、今頃になってそれを強く意識するようになった。


 他の誰でもない自分がまだ幼かった頃の、迷って途方に暮れていた彼女の背中を押した。手を引いて導きなさいと、不思議な鏡の奥から託されたような気もする。あの時は本当に、彼女が苦しそうなのに耐え切れなくて、ロランは迷子の彼女に言葉を掛けた。


 それが今は医務官として一人前になりつつあり、公爵家から信頼され、聖女ユニス様の祝福を国中に届けた功労者である。

 決して彼女の力を侮っていたわけではない。けれど、この未来は想像してはいなかった。だから今頃になって、どこへでも行けるようになったコーディに、縋りつくような事をしてはいけない。


「……ロラン?」

「いや、何でもない」


 鏡の中のコーディが、本物とは違う笑い方を一瞬だけ浮かべたように見えた。きっと気のせい、そう簡単に言いきれないのは、あの不思議な神殿に迷い込んだ経緯を思い出したからだ。


「……それでロランに一つ、報告があって」


 動きを止めたロランにやや不審そうな視線を送りつつ、コーディがこちらへわざわざ戻って来て、誰もいない廊下で声を潜めた。まさか、と広まっている噂を思い出したロランに向かって、彼女はひそひそと内緒話を始めた。


「公爵閣下が今回の私の働きぶりを認めて下さって、びっくりするような金額を報酬として下さったんだ。だから、このお金で一泊か二泊でいいからさ、一緒にどこかに出掛けたいなって。もちろんシャーロットには新しいドレスを買って、それぞれの両親にも贈り物を選びたいけど、せっかく結婚したんだから。もう夫婦で堂々と出かけて、ロランときらきらした海を一緒に観たい……ロラン、どうかした?」

「……僕は本当に馬鹿だなって」


 ロランは自分がここしばらく延々と悩んでいた事がただの取り越し苦労だった事を悟って、恥ずかしくて片手で目を覆った。コーディが心配そうな顔で覗き込んで来たのでさりげなく腰に手を回すと、彼女は大人しくされるがままである。


「……コーディ、本当にお疲れ様。よくこんな大変な仕事をやり遂げたと思う」

「そ、そうかな?」


 褒めると途端に口数が少なくなる、という子供の頃から変わらない様子で、コーディは照れたように笑みを浮かべた。そんなお決まりのやり取りが今まで以上に愛おしく思えて、ロランはここが公爵家のお屋敷である事を重々承知の上で、しばらくコーディの事を抱きしめたままだった。

 

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