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第18話 いつか、この日の事を


 季節は既に、夏へと移り変わった。コーディにとっては、春の祭事が無事に、とは終わらなかったあの日からもう、二月近くが経過している。

 レヴァンスの子供達と毛むくじゃらの飼い犬は、屋敷の中で少しでも涼しい場所を求めて移動しながら暑い、暑いと繰り返した。そういう年は涼しくなるのも早いのですよ、とこちらへ移り住んでから雇い入れた侍女が慰めてくれた。



「はあ、緊張しちゃった」

「ああ、楽しかった」


 領主である公爵閣下のお屋敷の敷地内を抜けた馬車の中では、コーディと母親で早速意見が対立した。どうぞ、とコーディはほっと息をついた母親に、軽食を兼ねたお土産にもらったパンのカゴを差し出した。

 今日は公爵家の先代夫人であるナタリー様がコーディと、コーディの母ともお茶がしたい、とおっしゃるので、一緒に屋敷を訪れていた。母は一昨日になって父が仕事で同席できない事がわかると、途端に緊張し始め、朝から食事も喉を通らないほどだった。


 なんでもナタリー様の知り合いの孫娘、という女性がどうやら双子を身籠っている、という事がわかったらしい。双子を育てた方から是非お話を聞きたい、とお鉢が回って来たらしい。庭園を眺めながら、お昼近くまでお茶をしていたのである。


「……大体ねえコーディ、私だってまだ子供を一人も育て上げた事がないのに」

「でもあの女の人、話を聞く前と後では、全然お顔が違っていたから。お母さんはきっと力になれたんだと思うよ」

 

 そうかな? と母親が照れ笑いを浮かべている横で、コーディはリンゴが練り込まれた甘いパンを齧って、サクサクの食感を楽しんだ。すっかり顔なじみになってしまったナタリー様が、わざわざリンゴを使った軽食を頼んでくれたのだろう。



 コーディは母親達が話し込んでいる間、いつも通りにナタリー様と庭園を歩きながらゆっくりとした散歩を楽しんだ。木々が強すぎる陽ざしの盾になって、庭園の小道には涼しい風が吹いていた。


「……それで、コーディとロラン少年はすっかり有名になったそうじゃないか」

「……どうなんでしょう。私はほとんど家で本を読んで過ごしていますから」

「そりゃあこのご時世に、聖女様の奇跡とやらを直に見せつけられたんだ。大騒ぎだよ」


 公爵領で行われた春の祭事に今年の主役として選ばれた二人の子供は、かの高名な『ユニスの神殿』を開き、信仰する全ての者達へ、神様と聖女ユニス様からの祝福を届けた。あの日の朝に響き渡った不思議な鐘の音こそが、その証明である。


 国中の神殿から公式にお触れが出たのは、祭事から一月ほど経った後だった。確かにコーディがロランと一緒に迷子になり、その後戻って来た時、高く澄んだ鐘の音を聞いた。その範囲は山間の古い神殿どころか公爵領、そしてなんと国中の神殿から聞こえたらしい。更に不思議なのは、普段は自分の耳が聞こえ辛い事をよくわかっている人達までもが『音がしたのがわかった』と、異口同音に訴えたそうだ。

 

 その奇跡と呼ぶに相応しい現象の切っ掛けになった二人の名前は公表されなかったものの、公爵領の人間であれば、今年の主役が誰だったのかは周知の事実である。コーディが屋敷で平和に過ごせているのは、公爵が好奇心を理由に二人が住む屋敷に直接押しかけるような迷惑行為を、固く禁じてくれたからだろう。



「それからですね、私は父のような立派なお医者様になる勉強を本格的に始める事にしたのです」

「ほう、偉いじゃないか。やっぱり有名人は言う事が違う。……私も一つ、コーディに負けないくらい有名になってやろうじゃないか」


 コーディは老婦人が何をするつもりなのか気になって尋ねると、このまま健康を保ちつつ齢を重ね、国内最高年齢の更新を狙う腹積もりらしい。この元気の良さなら本当に達成しかねない勢いだと思った。


「ところで、ロラン少年とは続いているのかい?」

「……続く?」

「前より随分お洒落な恰好をして顔を見せるようになっただろう、私の目は誤魔化せない。思えば二人で祭事の前に来た時から、ずっと怪しいとは睨んでいた」


 ナタリー様ったら、とコーディは庭園の緑に目を奪われているふりをして、明後日の方向に顔を背けた。最近は父から次々と渡される本に目を通す勉強の傍ら、以前は適当に選んでいた衣服や小物の選定にも時間を割くようになったのは事実である。

 以前はどれを選んでも大した違いはない、と半ば達観していたのだが、今は少しでも似合いそうな品を探さなければならない。母をはじめとした屋敷の女性陣はそれがとても嬉しいようで、レヴァンスの屋敷に服を扱う商人がやって来た時はとても賑やかになる。







「……そうそう、今日はもうロラン君が先に来ているのよ」

「え、そうなの?」


 パンを食べ終えたらしい母親が、娘にとっては重大な報告をのんびりと伝えた。今日の夕食にはセクターの一家を招いて、ちょっとした食事会を開く予定である。


「今日は暑いから沢で遊んでいるんでしょう。男の子は毎日元気でいいわね」

「……う、うん」


 コーディは平静を装ってそう返事をした。こんなに暑くても熱心に軍の訓練に参加しているジョシュとグレンは、最近はよくロランを屋敷に連れて帰って来るのである。自主練習と称して日暮れ近くまで剣を振り回し、どうしても暑くて我慢できない日は裏手の沢で水遊びをしているのだ。


 ロランとコーディの兄弟は家の外を朝から日が暮れるまで走り回っているだけあって、真っ黒に日焼けしている。それに伴って、コーディとは見分けるのが容易になった。兄がもうだーれだ、と遊べなくなったと嘆いていた。

 ジョシュとグレンは彼を昔から仲の良い友人だとでも言わんばかりに声を掛け、その様子を見てつられて他の子供達も、彼に話しかけるようになったらしい。口数は少なくても、冗談を言ったりすると、少しだけ笑ってくれるそうだ。






 

 奥様、と屋敷から出てきた侍女の一人が、外出から帰った母に何か連絡事項を伝えている間に、コーディはこっそりと、沢の方へ足を向けた。混ざって一緒に遊びたいわけではない。ただ、ロランがいるなら、彼が楽しそうに場に馴染んで笑っているのが見たかっただけだ。


 他に理由があるわけではない。三回心の中で繰り返して、よし、と歩き出した。


 買ったばかりの日傘を広げ、卸したての帽子を被って、コーディは屋敷の裏へと足を向けた。どっちも水色を基調にしていて気に入っていた。

 敷地内に放してある番犬のチョコが寄って来ないところを見ると、一緒に水遊びの最中かもしれない。毛むくじゃらなせいで暑さに弱いらしく、最近は舌を出してぜえぜえ喘いでいる。なるべく屋敷へ入れてあげたり、天幕の下に入らせたりして、暑さを凌いでいた。


 コーディは細い小道を歩いていると、がさがさとすぐ横で草を掻き分ける音がして、それから驚いた声が飛び出した。唐突に姿を現したおなじみの紅茶色の鮮やかな髪の持ち主を、コーディは思わずまじまじと見てしまった。


「……わあ、奇遇だね。ロランが服を着ずに歩いているとは思わなかったけど」

「待って、下は履いているからよく見……なくていいけど、ちょっと待ってよ」


 コーディが口元を引き攣らせながら二、三歩後ずさったのを見たロランは慌てた様子で弁解した。一瞬、服を着ていないのかと思ってしまった。しかし、下はちゃんとズボンを穿いているようだ。川の中ならともかく他所の家の敷地でその恰好はどうかと思ったが。


「色々あったんだって。最初から説明するから、ちょっと待って」


 ロランは手に持っていた、濡れたのを更に絞ったのかくしゃくしゃになったシャツをばんばん、と伸ばして羽織ったので、上に何も着ていないよりは、幾らかマシな恰好になった。

 


 ロランの話によると、今日の自主稽古は途中からもう沢で遊ぼう、と少し趣旨が外れたらしい。そのくらい、朝から暑いのだ。川辺にはお屋敷の一階と二階の間位の高さの崖があって、少し深さのある場所へ飛び降りて遊べるようになっている。


 コーディはロランの説明を聞いているうちに、そう言えば弟のグレンは去年、結局最後まであの高さから飛び降りようとはしなかったのを思い出した。

 今年こそ、と意気込んだグレンだが、やはり上から川面を覗き込むと、それなりに怖かったらしい。まごまごしているレヴァンスの末っ子に、ロランはとりあえずここまで来たら後は思い切りだけだ、と勇気づけていたのだが、そこに割って入る声があった。


 少し後ろで、兄のジョシュが飼い犬のリードを外した途端、犬は一目散に崖のてっぺんに走り寄り、その勢いと迫力に驚いたグレンは一人で落下し、犬はそれを全く無視して、全然別方向へ華麗に跳躍と着水を決めた。


 犬はグレンやロランを襲おうとしたのではなく、単純に飛び込みをしたかっただけらしい。ロランはまだ着替えていなかったが、グレンが自分の本意ではないタイミングで下に落ちたのを心配してとりあえず後を追った。幸いにもグレンは怪我一つなく、むしろようやく崖から飛べたのを喜んでおり、犬は犬かきをしていた。そのままジョシュとレヴァンスの使用人の一人が溺れないよう監視についているのに任せ、服を乾かすためにこちらへ戻って来たらしい。


  

「私の家の弟と犬が失礼を致しました。ごめんね、グレンの面倒を見てくれてありがとう」

「……お気遣いなく」


 相変わらず素っ気ない口ぶりだが、傘をそっと持ち上げて様子を窺うと、ロランと目が合った。コーディは何気ない風を装って傘を元の位置に戻した。

 全て聞き終わってみると、何もかもレヴァンス側の非である。これで怒らないロランはやはり良い奴だとコーディは思った。

  

「着替えはどうするの?」

「……この気温だから、ある程度乾くのを期待する」

「ジョシュの服を借りて着て、次来るときに返したらどう?」


 私のを貸してあげようか、というレヴァンス家の定番冗句を飛ばそうとしたが、通じない可能性を考慮して実際に口に出すのは止めた。これ以上変な女だと、ロランに思われたくはなかった。 

 

 二人の足は屋敷の方へと向かったが、彼は押し黙ったままである。別に珍しい事でもなかったが、今日のコーディは帽子と日傘でいつもより装備が多いので、思い切って口を開いた。


「ロランは今、何を考えているの?」

「……色んなコーディがいるなあ、と思って。……最近笑い方変えたよね。日傘とか帽子とか、女の子らしいというか」


 どうかな、とコーディは何でもない風を装ってそのまま歩き続けた。ただし内心では、彼が褒めたのは帽子と日傘だ、と言い聞かせなければならなかった。


「……褒めると口数減るのは一緒だね」


 コーディはその場を誤魔化すために、何度か咳ばらいを繰り返す事になった。









 それからまた一つ、季節が移り替わった。秋の収穫祭の最終日の朝、街には大勢の人が集まって、入り口から広場へと続く道を作った。お目当てはどうやら、ユニスの神殿を開いた二人の主役らしい。ざわざわと大勢の期待に満ちた声は重なって、街の正門近くに停めた馬車にまで届いた。


「さあ、時間だ」


 レヴァンスが手元の懐中時計で時間を確認し、祭事の衣装に身を包んだコーディとロランに声を掛け、馬車から下りるように指示を出した。


 どうしてそれぞれの父親がこんな時間ぎりぎりまで付き添っているのかと言えばもちろん、途中で主役二人がうっかり姿を消してしまったという失態を二度と起こさないためである。


 馬車から街の石畳へ降り立って、コーディは雲一つない秋の空を見上げた。涼しい風が気持ちの良い、正午前である。


「どう? ロランは緊張している?」

「……割と」


 ロランは普段から口数が少ない上、笑っているよりも真面目な顔つきをしている時間の方が長いので、いつも通りにも見える。


「本当がどうか検査してあげる」

「だーめ」


 コーディがロランの手を捕まえるより、ロランがさっと両手を挙げる方が早かった。彼は両手を、コーディがつま先立ちでも届かない位置まで掲げた。降参のポーズにも見える。


「……おっと」


 コーディは足元が歩きにくい木靴である事を忘れていたので少々よろけたが、ロランはささっと素早い動作で、相手の腕を捕まえた。態勢を整えるのを手伝ってくれた。やれやれと一息ついたロランが、おや、と声を上げた。  


「……脈の数がすごいけど、大丈夫?」

 

 まさか本当に脈拍を計測されているとは思っておらず、コーディは慌てて手を離し、後ろに回して隠した。


「ごめん、嘘。計ってないよ。ごめんって」

「……」


 ロランにからかわれたコーディはしばらくの間、後ろ手のまま抗議の目を向けた。その向こうでは一緒に馬車に乗っていた父の助手とセクターの若い従者が笑いをこらえている。仲良しですね、と野次が飛んで来た。


「……そこの二人、早く行きなさいよ」


 コーディの父が、二人が手を繋いだり離したりの一部始終を後ろで見ていたらしく、苦笑交じりに声を掛けて来た。ロランの父は明後日の方向に目を逸らしている。


「……ロランのお父様に、子供っぽい女の子だな、って思われちゃったかな」

「……母上の話によると、父上は女性の方と話をするのが苦手だから、僕がコーディと仲良くしているのを見ると自分の息子なのに、って思うらしいよ」


 ロランのお父様は可愛いところがあるね、とコーディは率直な感想を口にした。彼の方はあまりピンとは来ないようで首を傾げている。父がやって来て、コーディにベールをそっと被せる。良く似合う、と太鼓判を教えてくれたた。


「……それじゃあ、行こうか」


 お互いを促す言葉は示し合わせたように、二人の口から同時に突いて出た。それだけでコーディもロランもおかしくなって笑いながら、群衆が待つ方へゆっくりと歩き出した。


「……こんなにたくさん人がいるのに私達が主役、なんて一生忘れられない体験になりそう」 

「そうだね。いつか、……五年とか六年とか、もっと先の十年経った時に、この日の事を思い出せたら」


 ロランがコーディにしか聞こえない声で呟いた。彼が口にした時間が過ぎる頃、コーディはきっと医者になるための勉強に、ロランは立派な軍人になるための訓練に勤しんでいる頃だろう。他の事はあまり想像がつかない。

 けれど今、とコーディはベール越しにロランを窺った。もう少し大人びた感情で、隣にいるロランの事を愛おしいと思えるなら、それはきっと素敵な事だと思うのだった。


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