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第17話 顛末



二人が運ばれたのは医務室として使用している部屋のようで、寝台が等間隔に全部で六台並んでいる。コーディ達が寝かされたのは本来は大人用なので、随分とスペースが余ってしまっていた。

 壁際の大きな時計にちらりと目をやると、やはりまだ朝の早い時間だった。どうしても気になって、今日は一体何日なの、と父に訊ねてみた。返事はやはり祭事の当日から、ロランと不思議な場所で過ごしていただけの時間が経過していた。


 神殿にはたくさんの人がいる。部屋の外からざわざわと、話したり移動したりする気配が途切れる事はない。父によると領主様が、二人の捜索のためにあちこちから掻き集めたらしい。その時間の分だけ心配を掛けてしまったであろう事を考えると、おなかが痛くなりそうだった。


 部屋に入れたのは医務官である父と、そしてロランの保護者でもあるセクター、それから神殿の関係者が数人だけだ。その人達も子供達を寝台に横にさせた後、部屋の隅で何やら話し合いを始めた。やがて、コーディとロランに話を聞くのは食事と休養を済ませてから、という方針が特に揉める事もなく決まると、静かに退室して行った。


 去り際にはどうかお大事に、と神官らしく穏やかな人達だった。彼らと入れ替わりで消化に良さそうなスープとやわらかそうなパンが二人分、お盆に載って運ばれて来た。リンゴが手に入らなくてごめんな、と寝台に腰かけた父が冗談を言うのを聞きながら食事を開始する。


「今までは何を食べていたんだい?」

「……うーん、リンゴかな。美味しかった。冬の一番美味しい味がしたんだ、ちょっと不思議でしょう?」


 向かい側で食事をしているロランは、相当お腹が空いているらしい。ひたすらせっせと口に運んで、食事の手が休まる事はない。彼の父親は傍の椅子に腰かけて、その様子をやれやれと疲れと安堵の入り混じった表情で見守っている。


 心配を掛けてごめんなさい、とコーディは父に伝えたのは覚えている。ただその後はすごく、目を開けているのが難しくなって、すっかり寝入ってしまった。










「……祭事の、二人の出番に関しては延期だよ。流石に今日明日で、無理はさせられない。表向きはあの不思議な鐘の音を調査するためだから、他のイベントはなるべく予定通り行うらしいがね」

「さっき公爵の遣いの人が、領地中の神殿から同じ音がしたって報告していたのが聞こえたけど、本当にそんな事起きる? まあ、コーディとロランが本当にいなくなっていたのも信じられないけど。どうして、今日まで知らせてくれなかったの?」

「……ジョシュ、公爵様が一番良いように考えて下さったんですから」


 父と兄、それから宥めるような母の声が聞こえてた。そっか、と相槌を打ったのは、多分弟のグレンだろう。どうして家族のみんなは、コーディだけを仲間外れに喋っているのだろう、と不思議に思った。


「それで、いつに延期になったの? お父さん」

「秋だよ、秋。何しろ神殿の偉い方々はご多忙でいらっしゃるからね。収穫祭の時に、領主様にも相談して、できなかった分を調整して行うという話だ。それまでにはあのおかしな鐘の鳴り方にも、調査の結果が出るだろう」


 ええ、と母が父に同意している声が聞こえた。コーディは何回か瞬きをして、眠ってしまう前より薄暗くなった部屋で目を覚ました。のろのろと身体を起こすと、その理由はすぐにわかった。窓の外はもう夜になっていて、部屋は幾つかのランプによって照らされている。それから、反対側にいたはずのセクター親子はいなくなっていた。その代わりに部屋にいたのは、コーディの母親と、兄と弟だ。


「……コーディ!」


 状況が呑み込めずに目を擦っていると、コーディが起き出したのに気が付いたらしい家族がやって来た。父以外の面々は屋敷で待機している予定だったのが、わざわざ心配して来てくれたのだろう。コーディを抱きしめてくれたのは母だった。目がすっかり赤くなって、涙声で娘の名前を何回も読んだ。ジョシュとグレンは隣の寝台に座って、おはよう、と安心しつつもどこか、からかうような声を掛けて来た。


「……どうして、もう夜になったの?」

「疲れているんだよ、しょうがないって」   


 コーディがまだ少しぼんやりとしている頭を押さえつつ状況を整理すると、要するにすっかり夜まで寝過ごした、というわけだ。それから何故か兄が向かい側に座りながら、どこか様子を窺うような意味ありげな視線を送って来る。

 兄の行動の意味をぼんやり考えていると、知らない場所に閉じ込められて気疲れを起こすのは当然だよ、と父が慰めてくれた。熱は無さそうだけどね、とそばに来て、自分と娘の額に手を当てている。

 コーディは残酷にも思える時間の経過に言葉を失った。軽食を取って少し休んだら、何が起きたのかを大人に説明するという重大な役割があったのだ。それをすっぽかして寝ていたのは少なくないショックだった。


「……ロラン君が、三時前くらいに目を覚まして、大まかな事は説明してくれたよ」


 コーディがすっかり寝入っている間にロランが大体の事情を話してから、一足先に家に戻ったらしい。なんてこった、と部屋の隅の時計に目を走らせると、今は午後の七時を既に過ぎていた。


「お姉ちゃん、本当にユニス様の神殿に行っちゃったの?」

「……うん、多分」

「へええ! すごい、おとぎ話みたい! でもねえ、他にも不思議な事が街の神殿に起きたんだよ」


 コーディは寝起きのぼんやりとした頭のまま、今日の早朝までいた不思議な場所の事を思い出す。あそこはずっと雨が降っていて、薄暗い場所だった。けれど、あまり怖いとは思わなかったのは、きっと一人ではなかったせいだろう。ロランがずっと一緒にいてくれて、そして話を聞いてくれた。


「……ロランは大丈夫なの? 元気になった?」

「流石に日頃から体力勝負の訓練に励んでいるせいなのか。元気そうだったよ。あっちは自分の屋敷の方が、気を遣わず安心して眠れるという判断なのかもしれない。セクターの奥様が心配していらっしゃるからって、もう引き上げた」


 ありがとう、とかまた会おうとか、そんな話を一切せずに家に帰ってしまったロランである。コーディによろしくってさ、と反対側のベッドの端に座っているジョシュが肩を竦めた。その足元には番犬が、大人しく目を開けたまま伏せている。少し心配そうな顔で、母が口を開いた。 


「……私達が押しかけたから、先方に気を遣わせてしまったのかしら」

「いや、あちらの奥さんも小さな娘さんも、屋敷で帰りを待っているのだから、その辺は心配しなくても大丈夫だろう」

「何が大丈夫なの」

「私と、セクターの当主殿は友人だから。丁寧に今日のお詫びをして、それから心のこもった贈り物をして、そうすればお互い悪いようにはとらないよ」


 父がそう説明したので、とりあえずセクター親子の事は置いておくことになった。今度家に呼ぶって事? と弟が尋ねると、そうかもしれないと父は答えた。やった、と嬉しそうなグレンの様子を横目に、父はやれやれ、とそばのベッドに腰を下ろした。


 まだ少し釈然としないままのコーディに、グレンがこの部屋の説明をしてくれた。神殿には遠くから来た客人のための部屋も整備されているのだが、突発的に、しかしやむをえない事情で宿泊が必要となった一家全員分が泊まる事ができるのは寝台の数的な問題で、医務室しかなかったらしい。貸し切りだよ、と弟が喜んでいる。


 それからコーディとロランが保護されたのと同時刻に、この神殿どころか離れた街の神殿でも、不思議な高く澄んだ鐘の音があたりに鳴り響いたらしい。こんな時間に、と目を覚ました人々が窓から顔を出して神殿の方向を見上げると、言葉では言い尽くせそうにない程、美しい朝焼けが広がっていたらしい。祭事で賑わう街の中は、そんな話題で朝からずっと持ち切りだそうだ。



「……お水が飲みたい」


 大体わかった、と弟に返事をしてから、母親に抱き寄せられた姿勢のまま水差しを受け取った。コーディはロランに借りを作ってばかり、とまだ呆然としていた。外から涼しい風が入って来て、ランタンからの明かりがゆらゆらと揺れているのを見ながら口をつける。

 その途端に、自分が何をしなければならないか、それを残らず思い出して、思わず手が止まった。少し、震えていたかもしれない。


「……コーディ、どうしたの、大丈夫?」

 

 娘が突然硬直したので、母親は顔を青くしながらコーディを覗き込んだ。それを横目にとりあえず、水差しの中身を飲み干した。


「心配掛けてごめんなさい。あんな事になるなんて、……まだ信じられないけど」


 数日間、まぎれもなく消息がわからなかったのだ。それも、人の往来の激しい場所や、逆に人里離れた山野、というわけでもない。コーディ達も突然迷子になったが、それは残された大人達もいきなり子供達二人を見失った事になる。家族だけではなく、色んな人が心配してくれたに違いない。


「いいのよ、コーディ。あなたは悪くないの」


 母はそう慰めてくれたけれど、コーディはもう十分休ませてもらったので、やるべき事がある。そういう取り決めをして、こちらに戻って来たのである。 



「お母さん、私、お父さんみたいなお医者様になるって、あの不思議な場所で、ロランと聖女ユニス様達に約束したの」


 簡単な状況の解説や、ぐっすり眠っていたコーディが目を覚ました事で安堵していた一家の空気は、急に張り詰めた。え? と言葉を失い、顔を強張らせた母親に、コーディはもう一度同じ宣言を繰り返した。


「本気なの、お母さん。お母さんは女の子に医者なんて無理って言ったから、すごく悩んだけど、心配してくれているってわかっているけど、……やっぱり諦めたくない」

「……」


 コーディが話し終えた後も、しばらくの間は誰も口を開かなかった。父は明りをじっと見つめていて、その目にちらちらと映っているのが見えた。


「……コーディはやっぱり、どうしても医者になりたいんだって。もう許してあげたら? 案外需要ありそうだし、コーディは外面だけは良いから、案外上手にやるかもよ」

「……ジョシュ」

「さっきロランが帰りがけに、コーディだけで説明するのが大変だろうからよろしくってさ。あっちのお父さんに引きずられながら」


 沈黙を破った兄は、家族からの視線を集めたのは不本意だと言わんばかりに肩を竦めた。あいつ良い奴だよ、とジョシュはずっと座っていた寝台を降りて、コーディの横に座った。釣られて、話がよくわかっていないらしい弟のグレンと、足元の犬も一緒にこちらへ移って来た。落ち着かない雰囲気を察しているのか、くんくんと子犬のように鼻を鳴らしている。コーディの横になっていた寝台、というごく狭い範囲に、一家全員が集合した。


「お母さん」

「コーディ、……お父様が立派なお医者様なのは確かよ。あなたが、その後を継ぎたい、というのも素晴らしい考えだと思うの。……でも」


 母は言葉を切って、抱き寄せたままのコーディをじっと見下ろした。


「心配で仕方がないの。いくら真面目に勉強してお医者になって、認めてもらえるとは限らない。女の人のお医者様なんて、この国にはまだいないもの。それに、どんなに真面目に仕事に取り組んでも、気に入らないって理由で悪く言う人だってたくさんいる。嘘の噂を流されて、それを信じる人が出て来たら……」


 医者の仕事ばかりが人生ではない。女性なら年頃になれば結婚の話だって出て来る。その時に、医者という選択肢をとった事が後になって悪手になって、取り返しがつかなくなってしまったら。


「……心配でたまらない。それだけはわかってよ、コーディ」

「私、ロランと一緒に頑張ろうって、負けたりしないって約束したよ。お母さんが味方になって応援してくれたら、私は何一つ惨めに思ったりしない」


 母は以前のように、コーディの主張を我儘だとは言わなかった。それだけで随分、自分が悩んでいた事が少し、軽くなったような気がする。せっかくなので一層強く、大好きな母親に抱き着いておいた。


「ハリエット」


 レヴァンスの三人の子供達は、普段はお父さん、お母さんとしか呼び合うのしか聞いた事がないのに、突然父が母の名前を口にしたのでびっくりして口を噤んだ。


「王都からこんな遠い所まで、文句も言わずについて来てくれて、……感謝している」


 迷惑ばかり掛けて申し訳ない、と父が頭を下げて謝罪をして、母は慌てたように制止している。


「もう少しだけ、私がこの地でどう生きていくのか、見定める時間をくれないか。私の医務官として課された責務は、まだ終わっていない。……コーディの事も、できれば応援してやって欲しい」


 父は自分の妻の目を真摯に見つめている。母がどのような顔でそれを受け止めているのか、ここからはその表情は見えなかった。それから何の話をしているのかよくわからずに兄弟の顔色を窺うと、視線の先の弟は同じような顔で困惑している。しかしその横にいる兄はじっと考え込むような顔つきで、二人を見上げているのが見えた。


 長い間、母親は黙ってじっと父の顔を見つめていた。やがて、わかりました、と小さな声で返事をした。そして、一層コーディを抱きしめた。


「私の、優しいコーディ。以前にお父さんが、あなたはどんな道を選んでも、頑張り屋だから苦労するに違いないっておしゃっていたけど。……お父さんとお母さんはあなたの味方だって、忘れてはいけませんよ」

「じゃあ……」


 コーディが顔を上げると、母親がぎゅうぎゅうとより一層抱き締めて来たので、それ以上言葉を続ける必要はなかった。負けないくらい、感謝の気持をこめてコーディは母の腕にしがみついていた。



「……一応話は終わったって事でいいの?」


 コーディがお腹が空いている事を思い出した頃に、兄のジョシュが声を上げた。さっきから何か言いたそうにしたのを、ようやく番が回ってきたとばかりに家族全員の視線を集めてから、口を開いた。


「……コーディはロランと結婚の約束したっていうのは本当?」

「……何だって?」

「な、なんでお兄ちゃんはその話を持ち出すの!」

「いやだってあいつが、ロランが、コーディの旗色が悪くなったらその話を持ち出せって言うから。それに、兄貴としてはそっちが気になってコーディが医者になるどころじゃないんだけど……」


 一体どういう事なのか説明しなさい、とコーディは真顔の両親から詳しい説明を求められた。おかげで、朝にロランが剣を格好良くかざしての宣言を思い出せる限りで繰り返す羽目になった。

 自分で口にしてみると、あの時はコーディもいたく感激して受け入れてしまったが、今となってはロランのどこまでも真面目な誓いは、やっぱりとんでもない内容である。


「……それ騎士の誓いってやつだよ。破ったら領地追放になるんだって」

「本当にロランお兄ちゃんになるんだ……へええ」

 

 兄はわざとらしく咳ばらいを繰り返した。弟はチョコちゃーん、と猫なで声を出して、忙しない一家の空気についていけず、しょんぼりしている番犬を撫でている。


「よかったなコーディ。医者の夢もロランの事もがんばれよ。お兄ちゃんは妹の味方だって、忘れてはいけませんよ」

「……チョコちゃん! ゴロンして!」


 ご丁寧に母の口調を真似した兄の腹部に、コーディの命令を聞いた飼い犬の頭突きが入ったため、兄は寝台にひっくり返った。これからどうなるの、と一人だけ楽しそうな弟が両親に尋ねたが、大人二人はしばらく考え込んでいた。


「……そもそもお父さんは、ロラン君のことはよく知らないから。……ジョシュ、今度屋敷にロラン君も呼んで遊ぶようにしなさい」

「はーい」


 今日はもう休む、と家族会議は強制的にお開きになった。コーディはなるべく急いで持って来てもらった夜食を口にして、それから兄弟三人で歯を磨き、くんくん鼻を鳴らしている番犬を思う存分撫で回す作業の途中で、ベッドに追い立てられた。


「お母さん」


 コーディは横になってから、あのね、と母親を呼んだ。父や兄弟には聞かれたくなかったので、尚更小さな声になってしまった。けれど母にはちゃんと聞こえたようで、屈んで傍に身を寄せた。


「……お母さん、これから私にお洒落を教えて下さい、お願いします。医者の勉強も頑張るけど、少しは可愛くなりたいから、お願いします」

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