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第13話


「……そんなに落ち込む事ないって」

「そういうわけじゃなくて、考え事をしているんだ」


 ロランは今まで以上に口数が少なくなってしまった。コーディが戻って来ると消えてしまったという、礼拝所の鏡の中に現れた男はロランを名指して、色々と言って来たらしい。その理屈が正しいなら自分は一体何なんだろう、という気持ちで、コーディは薄暗い礼拝所を映している鏡を振り返った。


 今、コーディとロランは椅子の一つを入り口から外が見えるように設置し、少し隙間を開けて並んで座っている。回廊の向こうに広がる湖に、銀糸の雨が降り注ぐ光景を眺めていた。

 礼拝所の中は段々と、普段の一日を過ごす時と同じように、時間の経過と共に暗くなってきている。雨が上がればこの場所も、綺麗な空を眺める事ができるのだろうか。もし今、晴れていれば少しずつ日が沈み、代わりに星が一つずつ姿を現す様子を見る事ができる時間帯である。


 礼拝所にはもう休む場所が完成していて、二人は協力して長椅子をいくつか動かし、二つ並べて簡易の寝台をそれぞれ作った。建物の中には寝泊まりのための部屋は幾つかあったのだが、あくまで個室なので、寝台が一つしかないという大問題が二人の前に立ちはだかった。どちらが言い出すでもなく、複数の部屋から身体の下に敷く用と、被って眠るための布を運び込んだ。


 周囲はもう、ランタンの明かりなしでは見通す事が困難な暗さになっていた。私はこっち、とコーディは鏡に近い側の即席のベッドを選び、靴を脱いで上がり込んだ。


「それでは、明かりを消します」

「どうぞ」


 コーディは手元の古い大きなランタンの夕焼け色がゆらゆらと揺れるのをしばらく眺めて、一気に吹き消した。吐息の音と共に真っ暗になると、他には光源がないせいで、何も見えなくなった。すぐ近くにいるはずのロランの姿も同様である。


「ロラン、いる?」

「いるよ」

「寝られそう?」

「……頑張る」









 ロランは宣言通りにしばらく目を瞑っていたが、しかし普段なら夕食の時間帯なのに、さあと言われてもなかなか難しい。神殿の中は暑くも寒くもなくて、決して不快ではないのだが、それと寝付く事ができるかどうかはまた別の問題だった。


『己と対話せよ』


 鏡の中の男に言われた台詞を思い出し、今がその機会なのでは、とロランは目を開けた。するとさっきは全く何も見えなかったのに、石造りの天井の模様がはっきりと見えた。普段は意識していないが、ロランに父が剣の稽古をつけてくれるのは仕事の都合上、夕食後のすっかり暗くなった時間なので、知らず知らずのうちに夜間の視力がある程度鍛えられていたのだ。


 横でごそごそと、視界が効かない分、コーディの声と身じろぎする音ははっきりと耳に届いた。ちょっとこれは無理があった、と呟くような声がしたので、ロランは苦笑した。


「ねえ、それなら聞いてもいい? ロランは絵が好きなの? さっき、熱心に見ていたでしょう」

「……絵は、なんというか」


 コーディが言っているのは、まだ神殿の内部を探索していた時に、寄贈されたらしき絵にしばらく見入っていたからだろう。しばらくの間二人は足を止めて、彼女はまだ王都で暮らしていた頃、絵の先生を屋敷に呼んで色々と教えてもらったのだと話してくれた。


 それから先日二人で、ここの領主である公爵が管理している庭園と思わしき作品も一枚あった。あの緑の園の奥で奥様が、ここを訪れる芸術家も多いなんて話をしてくれたことも思い出していた。



「本当は」


 ロランの最初の言葉はそこで止まってしまった。口は開いているのに、肝心の中身は喉の奥の、それこそ心臓の辺りで止まってしまって、外になかなか出せない。

 自分の方はそんな風に、教える事を生業にしているような人をわざわざ呼んで習うような、本格的な事をしているわけではない。父が一日休みの日にどこかへ出かけよう、となると向かうのは大抵美術館だが、それは母の意向である。ロランが文句を言わずにいそいそと出かけるのは、決して二人に気を遣っているというわけではない。


「……教えて。聞きたい」


 彼女は身体の向きを少しこちらに変えた。一瞬だけ目線があった、のではなく、コーディはロランがまさかこの暗い中で見えているとは思っていないようだ。彼女は暑く感じているのか、まだ横になったばかりなのにシーツはお腹の辺りに掛かっているだけだ。枕にもたれた頬とか、首筋や緩くまとめた髪までよく見えた。


 ロランは身体の向きを仰向けに変えた。なぜか悪いことをしているような気分である。石造りの天井を眺めて、何でもない風を装った。右の手の親指の付け根あたりを触ってみると、いつもよりはっきりと脈打っているのが感じられた。


「……ゆっくりでいいから」


 コーディが小さい子供を落ち着かせるみたいな優しい声を出すので、ロランは若干恨めしい気持ちになる。誰のせいで、とやっぱり別々の部屋で寝るべきだったと考えているうちに、落ち着いてきた。早く、言うべきことを口にして、そうしたらすっきりするような気がする。



「本当は、僕は養子で」


 何も知らないであろう相手にどこから説明したものか、と悩んだ。後にロランの母、つまりは養母となった女性はロランが預けられていた施設に顔を出すようになった。やがて彼女が結婚するというおめでたい話題が持ち上がった時、ロランにこっそり声を掛けて来た。一緒に来て、と。


「……複雑な生い立ちの子供を集めて、結構乱暴な子も多かったと思う。僕は身体が小さかったから弱くて、立ち向かえなかったから嫌だった。……まだ、同い年位の子達と上手に関われないのも」


 今は、父やケニーが手ほどきをしてもらった分があるので、他の子供に負けた事はない。それでも怖いのだ、まだ。


 他の子供に見つからないように隠れている時に、施設の片隅で見つけたのは、絵を描くための不要な紙をまとめた薄い冊子だった。最初の何頁かには何が書いてあるのかもわからない落書きが載っていたが、大半は何も描かれていない紙が綴られていた。誰かの遊び道具として提供されたが、飽きられて放置がされているのだろう。質の悪い紙の手触りも覚えているが、ロランはそれを拾って、半分に折れた小さな鉛筆も見つけて、大事に隠して使い始めた。


「絵は、そういう時に描いていた。今は、父上みたいな強い男になりたいから剣の練習ばっかりで、雨の日くらいしか触らない。……でも、多分好きなんだと思う」


 父と母は一緒に住んでいるので、ロランがたまに絵を描いている事は知っているかもしれない。けれど恥ずかしいので見せた事はなく、街で定期的に開催されている賞に応募するわけでもない。絵を見る機会があれば観察して、こんな描き方もあるんだと勉強する程度である。


「……最近は何か、描いた?」

「ナタリー様の秘密のお屋敷が可愛かったから、……まだ半分位だけど」 


コーディにお出かけに誘われて、一緒に公爵の母君を尋ねて行った時の記憶。描こうと思ったのは、その時の時間とやり取りが、眠る前に何回も思い出しているくらい、自分にとって心地よい思い出になりつつあったからだ。



「僕は、……もうコーディはよくわかったと思うけど、人と話すのが得意じゃないから」


 しかし祭事の直前に参加した軍の訓練で、コーディの兄弟であるジョシュがこれからよろしく、と言ってくれたのは嬉しかった。グレンが勝手にロランお兄ちゃん、と呼んでくるのは調子が良いなあ、とは思いつつも、頼りにされるのに悪い気はしなかった。

 

「……でも、嫌いなわけじゃない。もっと上手に笑わせられたり、ぜひ会いに来て欲しいって頼まれたり、人の輪の中に当たり前の顔で入って行ける人が、羨ましい」

「ジョシュの話?」

「違う、コーディの話」

「……私?」


 コーディはこちらを向いたまま、口元が微かに、むず痒いような変な形で閉じたままだ。ロランの知っているコーディなら、もっと素直に乗ってそうでしょう、なんて言いそうな気がするのに、こういう時は黙って視線を泳がせているだけだ。

 前にも似たような光景を見たので、彼女は案外照れ屋なのかもしれない。


「コーディが喋っているのを聞くのは……」

「……聞くのが、何?」

「ごめん、ちょっと話し過ぎた」


 なんでもない、とロランは不自然な話の終わらせ方をしてしまった。喋り過ぎて口の周りがいつのまにか痛いのは事実である。しかし、聞いているのが好き、と相手が解釈に困るような発言を、最後まで言い終えるのだけは何とか踏みとどまった。


 礼拝所には微妙な沈黙が下りたままである。代わりにコーディが何か喋ってくれないかと期待したが、彼女はそれ以降、何故だかずっと押し黙ったままである。雨の音だけが聞こえていた。



「じゃあ、ロランのお父さんとお母さんは、この子と友達になりなさいって、誰かを連れて来たりしないの?」

「全然ない」

「いいなあ。……いや、今のは聞かなかった事にして。お願い」


 コーディがあんまり真剣に頼むので、ロランは意図がわからないながらも、わかったと返事をした。横では身じろぎする気配がして、彼女は仰向けに姿勢を変えたらしい。あのね、と彼女は話題を変える事にしたようだ。


「今、住んでいるお屋敷の庭にさ、枝と枝の間にハンモック吊るしてくれるの。……ゆらゆらしていると、大抵のことはどうでもよくなるから、今度遊びに来てよ」


 ジョシュと仲良くなれば呼んでくれるよ、彼女は兄の事を持ち出したので、ロランは昨日のやり取りをようやく思い出した。


「……すっかり忘れていたけど、ジョシュとグレンとは友達になれたと思う。それにしても兄弟三人揃って、そっくりだよね。顔じゃないところも」


 良かったね、と素直に何の含みもない晴れやかな表情で祝ってくれるコーディは、やっぱり良い奴だと思った。コーディはロランに近い方の手を長椅子の背もたれに伸ばして、ロランにも手の平をこちらに伸ばすように要求して来た。暗闇の中で、小指だけを伸ばしているのが見える。


「約束。絶対来てね」

「……どさくさに紛れて、脈拍測らないでよ」

「今は数がおかしいって事?」


 大丈夫? とコーディは本気で心配しているらしく身体を起こそうとしたのを、ロランは慌てて止めた。余計な事言うんじゃなかった、とその後のロランは真剣に寝る努力をしようと試みているうちに、いつの間にか本当に眠っていた。








 翌朝、ロランはコーディよりずっと早く目を覚ました。やっぱりまだ、自分達が不思議な神殿から脱出できていない事、そして雨が相変わらず降り続いている事を確認して、ため息をつく。

 気を紛らせるために剣の稽古でもしようかと、ロランはもう一人を起こさないようにコソコソと寝台を抜け出した。持ち運びがしやすいように、小分けにされていた荷物を漁ると、妙に多い荷物の中に入っていたのは、予想外の物だった。



『もし時間が余るようであれば。祭事が順調に終われば、そのまま好きな時に使いなさい』


 父の字によるメモの切れ端が挟まっているのは、絵を描くための紙をまとめた質の良い画帳だった。鉛筆をはじめとした道具も一通り揃っている。どういう事態を想定したのかはよくわからないが、同じ物がもう一つ、用意されていた。


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