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第12話


「明かりを節約するべきだって、ロランもそう思わない?」

「……一理あると思う」


 コーディとロランは額を突き合わせて、今後の方針を話し合っていた。今はまだ雨空とは言え日中の時間帯なので、不思議な神殿の建物の内部を探索するのに支障はない。しかしこのまま時間の経過と共に、この場所に日が昇る、沈むの概念があった場合、ランタンなしでは動けない時が来るはずだ。

 途中で雨が止んでこの建物から出られる可能性もあるけれど、とりあえず暗くなったら大人しく過ごすべき、とコーディが主張するのに、ロランも反対しなかった。


「いつもよりずっと早い時間だから、なかなか寝付けないかもしれないけど、目を瞑っているだけでも随分違うそうだから」



 そうと決まれば二人の足は再び、『ユニスの神殿』探索に向けられる。階段を上りながら、ロランは昨晩の事を思い返していた。


 コーディ以外には知らない神殿の大人達に囲まれて、やや緊張しながら夕食の時間を過ごした事が、随分と過去の出来事のように感じられた。一緒の食事を摂りながら、祭司からコーディの父親であるレヴァンス先生が、医者としてこの土地の人々に早くも親しまれている事。ロランの父が軍において、若い士官達に随分と慕われている事を教えてくれた。

 ロランはそんな自分の父親の話を、どこか上の空で聞いていた。一方のコーディはその横で、愛想よく受け答えをしていたような気がする。


 それからロランの母親が、いろんな形で神殿の関係する施設に多くの寄付をしている事にまで言及された。彼女は一人で裁縫して作った子供用の衣服や寝具を、神殿が援助をしている孤児院に寄付している。量は決してたくさんではないけれど、とても感謝されている事を教えてくれた。ロランは完成品の出来栄えをせっせと褒めるくらいしかできる事はないので、もっと手伝える事があればいいのに、と感じた。



「ここは絵がたくさんあるね。どんな人が描いたんだろう」


 コーディの言う通り、神殿を訪れる人を楽しませるためか、明るい印象の油絵が並んでいる。描いた本人が寄贈したのか、それとも誰かが買い集めた収集物の一部が持ち込まれたのかは定かではないが、全部で十枚ほどの絵が、大小様々な額縁に入れられて壁に飾られていた。そのために設計された空間なのか、廊下の一角が小さな美術館のようだ。


 まだこの神殿のどこかに、二人が元の場所へ戻るためのヒントが隠されているかもしれない。二人は並んで熱心に廊下の一画を観察した。

 絵には特に共通点がないのか、草原や、一面に大きく青い紫陽花が咲いている作品、夏の空の下と思われる海辺の風景もあった。それから二人の子供、おそらくは二人が参加するはずだった祭礼の場面を描いた物も一つあった。


「……コーディは絵が好きなの?」

 

 熱心に絵に見入っているコーディに聞いてみると、そうだよ、という明るい声の返事である。まだ王都で暮らしていた頃に、絵の先生をお屋敷に呼んで、鑑賞や描き方の初歩は教えてもらったそうだ。家族も一緒に美術館に出掛けたりして、楽しい思い出として記憶にあるらしい。


 コーディの話によると、本当に魅力的な絵というのは見ている自分自身も、その額縁の中へ入り込みたい、と思わせる魅力を持っているのだそうだ。楽しむのは目だけではなくて、想像力を駆使して、耳へ入る音や指先への感触まで思い浮かべて、と繰り返し言っていたそうだ。


 ロランは彼女の言葉を受けて、実際に絵の中に入ったら、という感覚を頭に思い浮かべてみた。しかし、本当だったら二人は聖女様と護衛騎士の役を務めながら街と大きな神殿へ向かうはずだった。それなのにどうして、という困惑が邪魔をして、絵に集中できるような気分ではないせいだろう。あまり、上手くは行かなかった。









 絵はどれも神殿に寄付されるだけの事はあって、街の美術館に収蔵されている作品と遜色ない出来栄えが並んでいたが、結局手掛かりになりそうな物は見つからなかった。


 どこで休むべきか、という問題は結局、二人で礼拝所の長椅子を動かし、簡易の寝台を作る方向に固まりつつある。何となく子供とはいえ男女が同じ空間で眠るのは抵抗があったが、別々の部屋で休んで万が一、起きたら片方が姿を消していた、なんて事態になったら目も当てられない。


「なんだか、虫かごの中に入れられてしまったみたいだって思わない? グレンが好きなんだよ、虫で遊ぶの」


 探索を諦め、礼拝所へ戻る廊下の途中で、レヴァンス家の末っ子の行動について教えてくれた。彼は屋敷で飼われている大きな犬をはじめとして、生き物が大変好きな子供らしい。誤って屋敷の中へ迷い込んだ蛾や蜘蛛等の小さな生き物を、掃除係の使用人より先に見つけた場合、ガラスの瓶に捕まえて閉じ込めて、一晩観察するらしい。


 そんな末っ子グレンの行動は、一緒の部屋で寝ている兄には不評であるらしい。脱走して行方不明になったらどうするのだ、と。しかし、素知らぬ顔で小枝や葉っぱと小さな生き物が入った瓶を枕元に置いて眠るのだそうだ。そして翌日の朝に、外敵のいなさそうな場所に放してやるのだという。


 虫かご、というのはなかなか的を射たたとえのように思われた。外敵からは隔離され、逃げ出す事は難しい。つるつると滑るガラスの壁に阻まれて、閉じ込められた小さな生き物。ロランとコーディも、差し迫った危険があるわけではないものの、元の神殿へ戻る方法もわからないまま、時間だけが過ぎている。


「でもそれなら、見ている存在がいるって事だよね」


 さらっとコーディが口にして、二人は思わず無言になる。視線は礼拝所に設置されている鏡に向けられた。壁や床はそのまま映しているのに、何故かコーディとロランの事は素通りだ。二人が口を閉ざした代わりに、雨の降る音が静かに、しかし止む気配もないまま響いている。


「止むと思う? 雨」


 二人は半ば諦めながら、回廊へ出て空の様子を窺った。天気の良し悪しは、父が稽古をつけてくれるかどうかや、軍の年少者向けの訓練が開催されるかどうか、と一日の行動に影響を及ぼす。空模様にはいつも注意深く見ているが、この空の暗さと雨足からして、しばらくは降り続くだろうと予想できた。


「そうと決まれば、……ずっと言いたかったんだけど、着替えて来てもいい? 汚したらいけないし」

「うん、それなら僕がその間に椅子を動かしておくよ」

「それは流石に悪いからさ。協力しようよ」


 ロランはこの小さな聖女様役に最大限の気遣いを提案したのだが、敢無く却下である。不安をかき消すためなのか、いつも通りに賑やかなコーディがその場を離れたため、ロランの周囲は急に静かになった。この古い建物が、かつては神官達の厳かな修行の場だった事が、改めて思い起こされた。


一人残されたロランは到底、落ち着けるわけもない。礼拝所へ運んでおいた、神殿へ持ち込んだ着替え等の荷物と一緒に持ち込んだ時間潰しのための練習用の木剣を手に掴んだ。実際に振るうわけではないが、持ったままで目を閉じた。


『あなたを守り導き、前を向くための場所』


 ロランは練習剣を手に握ったまま、この神殿の鏡からコーディが読み取った言葉を、心の中で復唱した。守り導くため、という割には放置されているような気がする。それに、鏡の中にいた子供は一体、誰だったのだろう。顔立ちはコーディに似ていたが、全くの別人だという確信はある。


 

 なんとなく目を開けて、視界の隅に動く物を見つけた時に、ロランは思わず息が止まる程に驚いた。礼拝所の中、正確にはあの鏡の中に人影があった。ただしじっとこちらを見ているのは小さな女の子ではなく、セクターの家の使用人、ケニーと同い年位の男だった。


 髪の色は鮮やかな紅茶色で、この地方ではそこまで珍しくはない。顔立ちに柔和な印象は全く見られず、冷たい眼差しがこちらへ向けられている。見た目の年齢にそぐわない威圧感があった。もし彼の職業を予想するなら、愛想の良い商売人や役所の人間ではなく、父と同じ軍人や、貴族の後ろに付き従う護衛の類だと答えるだろう。

 

 彼は口を開いて何かを言ったけれど、鏡越しに音が伝わる事はない。


「コ、コーディは……」


 今、彼女は別の場所で着替えをしている。ロランにはコーディのように、声を使わない意思疎通の方法である、指文字は解読できない。こちらが慌てているのをよそに、彼は直接鏡面に指を走らせた。


「えっと……」


 相手がすらすらと書いているのはロランの知らない言語、ではなくおそらく左右が逆に見えている。鏡の向こうはロランの反応を見て眉を顰め、二回目は速度と文字の大きさに訂正が入った。


『お前が名に課せられた役目を自覚しない限り、ユニスに解放する気はない』


 ロランは鏡の向こうからの言伝を張り付くように解読して、思わず相手の顔をまじまじと見上げた。そして神殿の祭司ですら聖女様、と丁寧に敬称で呼んでいるのに、目の前の男はユニス、と随分な物言いである。


『必要なのは己と対話する事だ、ロラン・セクター。今のその有様では、永遠に迷子のままどこにも辿り着く事は叶わない』


 文字を読み取ったロランは、今まで以上に言葉を失う。てっきり事故か何かのように迷い込んでしまったのだろうという認識が覆され、ロランが原因だ、とはっきり示されたのは衝撃だった。そのせいでコーディが巻き込まれ、大人達は今頃必死で、ゆくえのわからない子供を探し続けているだろう。


『守り、導く使命を全うせよ』


 ロランの知っている、聖女ユニス様は巡礼の旅で各地を回り、人々を救うために天候を操り、災害を予知し、横暴な権力者を屈服させ諫めている。そんな神にも近いような力を持っているのに、彼女を守るための存在が確かにいたのだ。名前も姿形も失われているのに、後世の人々は皆、彼がずっと付き従っていた事を知っている。




「……ロラン、どうかしたの?」


 足音が近づいて来て、鏡の前に立ちつくすロランの横に、着替えを手に持ったままのコーディが顔を出す。まばたきの間に男の姿は鏡から消え失せて、ただ壁と床を映すだけの装置に戻ってしまった。


「大丈夫? ねえ」


 言葉が出ないロランを心配しているらしい。聖女ユニス様の衣装は脱いで、以前に見た少年のような格好に着替えた彼女は鏡と、ロランの顔とを見比べている。きれいに結い上げられていた黒髪を下して緩くまとめ、化粧も落としたらしくさっぱりとしている。その姿は、ロランが初めて会ったコーディに一番近かった。


 ロランは今年の祭事のために神殿が、聖女ユニス様の名前を授けた彼女の事をじっと見つめた。自分が負った役目はおまけの護衛剣士ではなく、鏡の向こうにいた男の話を信じるのなら、コーディを守ってどこか正しい場所まで誘導する事だと考えられる。



 そもそも、どうしてこんな男の子みたいな恰好をしているのだろう。男兄弟に合わせているのか、単純に動きやすいから好んでいるだけなのか、他に何らかの理由が隠れているのか。ロランはそんなコーディに対して知りたい、聞いてみたいという気持ちが、自分の中に生まれているのを自覚した。



 こんな時に、と呆れたような自分の声が聞こえる。しかし即座に打ち消すように、こんな時だからこそ、と強く響いた声があった。それは自分の中から聞こえたようにも、鏡の向こう側から届いたようにも聞こえた。

 

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