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第11話

  

「……コーデリア嬢は、屋敷の中ではどのような?」


 外へ出て、夜風は雨が近いのか、じっとりと蒸し暑い。眠れないからと屋外を歩き回っても、あまり気分転換にはなりそうになかった。二人は敷地内の座れそうな場所を探した。レヴァンスはセクターからの話の切り口と、相手の望む本題との距離がどのくらいなのだろう、と考え込みながら質問の答えを探した。

 


 もちろん、コーディは可愛い娘だ。生来の気質なのか男兄弟の影響なのか、あまり女の子らしい事に興味は薄いようだけれど。けれど家の外に出る時はちゃんとそれらしい恰好と振る舞いを欠かさないので器用だな、とは思っている。屋敷の中で、娘には自由に好きなようにさせていた。


 セクターがその辺りの振る舞いにわざわざ目くじらを立てるような人柄ではなさそうだが、外部にわざわざ公言する事でもない。


「可愛い娘ですよ。私が仕事で孤児院に行く時には一緒に来て、小さな子供達の人気者で……」


 レヴァンスは当たり障りのなさそうな紹介をした。実際、優しくて気配りもできて、人の事は絶対に悪くは言わない。それから好きな食べ物はリンゴ。幼少期に妻が、丈夫な身体になるからとよく食べさせていたせいだろう。


 それからどこまで本気なのかはまだ不明瞭だが、医者という職業に興味があるらしい。この辺りも、普通の少女とはやや異なる点として挙げられるだろう。本当に、正式に医者になった女性はまだ国内にいないのだが、本当に本気でなるつもりなのだろうか。


 気が付くと、返答の途切れたレヴァンスに、セクターは不安そうな表情をしている。どうぞ、と敷地内の枯れた噴水の縁に、座るように促した。


「……そう言えば私の家では、そちらの御子息のことを、私の息子も娘も、称賛の言葉を述べておりました。特に娘の方は、外出に同行までしてくれたそうで」


 レヴァンスは話の矛先をあちらの子供へ強引に変えた。コーディは、あのロランという名前の少年を連れて、一緒にナタリー奥様のところへ尋ねて行ったらしい。文句も言わずに一緒について来てくれた、と嬉しそうに話していた。

 ジョシュとグレンの方は訓練の時に少し話をしたらしい。朝も夜も自主鍛錬を欠かさない、という話を聞いたそうで、とても感心していた。強い男になるのは大変だ、とこの土地に馴染みたいらしい自分の息子が、夕食時にしみじみとこぼしていた。


「……先生は、大祭司様の見解を聞いて、どのように感じましたか?」

「どのように、とは……」

「子供達が悩んだ結果として、ユニスの神殿に行ってしまったのではないかというくだりです」


 レヴァンスはロランという少年をできる限り褒めたつもりだが、相手の反応はあまり芳しくなかった。セクターは目を伏せながらしばらく躊躇して、ようやく重い口を開いた。



「……あの子は養子でして」

「……」


 そうだろうな、とレヴァンスは知っていた話ではあった。祭事の主役にコーディが選ばれた時、公爵に相手役の子供がいるセクターという家の事を教えてもらっていた。とりあえず口を噤み、目線で相手に先を促した。


「……そもそも私自身が、容姿が優れているわけでもなく、親から継ぐ事のできる財産もなければ、人を楽しませるような教養や振る舞いに明るいわけでもないのです。軍人として公爵閣下に目を掛けてもらう事がなければ、ずっと一人きりのままでした」


 訥々と、軍の幹部として知られている姿とは随分印象の違う発言を、レヴァンスは黙って聞いた。今のセクターの妻である女性が子供のできない身体であるのを知っていて、それでも求婚したと言う。結局は娘を授かる事になったのですが、と話はあちらこちらへ前触れなく飛びつつ、しばらく続いた。


「私の妻は神殿から支援を受けている孤児院で、熱心に子供達の面倒を見ていました。私の申し出を受け入れてくれた時に、その中から養子を選ぶ事を提案されて、言われるがままにロランを息子として引き取ったのです。他の子供に小突き回されているのが不憫だから、と説き伏せられて」


 レヴァンスが自分の子供達から聞いているロラン少年は、同年代の子供に剣術で負けた事がないという話である。やはり直接会って確かめない事には色々な事に見方が偏るな、と思った。


「セクターの家に連れて来る前のロランは、大人しい子供でした。妻の話では、本当は一人で工作や絵を描いて遊んでいたと。それが今は、私の家の子供として十分過ぎるぐらいに頑張っていて。しかし、大祭司様がおっしゃったように、自分の在り方に悩んだ結果として、今、どこかで迷っていると言うのなら」


 責任は自分にある、とセクターは話を終わらせた。







「親と子はお互いに写し鏡である、と先人は上手な事を言ったとは思いませんか」


 こんな時にこのような話をして申し訳ない、と呟いたセクターに、レヴァンスは何か言葉を返すべく思考を巡らせた。できれば神殿で、ちゃんとした祭司に向けて打ち明けて欲しい内容ではあるとは思いつつ、何かしらは返答しなければならない。

 往々にして反面教師でもありますが、とレヴァンスは前置きをした。いつから言われるようになった言葉なのかは定かではない。聖女ユニスの信仰において鏡が重要な役割を果たす事に、由来の一部があるのかもしれない。


 要するに親の行いを子供はよく見ているから愛情を注いで、かつ振る舞いに気をつけなさいという、育てる側に対する忠告である。


「その前提を持ってすれば、鏡像とはありのままの姿ではない。正面からこちらを覗き返す『わたし』は、少しでも美しくありたい、という願望ですよ」


 こちらの意図を図りかねているのか、彼はじっとどこかを見つめたまま、黙っていた。レヴァンスは、容姿ではなく、自分の在り方の話として、と先を続けた。


「必ず影響は受けるものです、望むにしても、望まないにしても。……私が知っているロラン君は、ほとんどが子供達の目を通した姿でしかありませんが、きっと」


 コーディからは、気難しいという兄からの前評判に反し、気の良い奴に見えるらしい。こちらに来てから初めてちゃんとした友達ができた、と喜んでいた。ジョシュは、試合で誰かに勝った時に少しも嬉しそうじゃないのが悔しい、と言っていた。グレンからは口数こそ少ないものの、訓練では面倒を見てくれたと嬉しそうに報告してくれた。  


「彼は、あなたのような立派な軍人になりたいのでしょう」


 今の彼にとって、同い年の子供達の事は残念ながら眼中にないのかもしれない。もっと高い次元にいる自分の父親こそが、真に追いつきたい対象なのだ。指摘は、セクターにとってどうやら予想外だったらしい。相手は長い事、その言葉を意味を考え込むように押し黙っていた。


「それは、セクターの家の子供になるように強制した結果だとは思われませんか」

「失礼を承知で申し上げると、……ロラン君はその辺りを取り繕う子供ではないように思います」


 レヴァンスは、セクターの隣に腰を下ろした。自分がロランという少年を実際に見たのは一度きりである。確か、風が気持ちよく吹いている日の午後だった。

 コーディとジョシュのどちらが目の前にいるのか判断しきれずに、正直に男の子の方だと思った、と零したあの時だけだった。


「貴殿の前で失態を演じても大丈夫だ、という信頼に基づいた確信が根底にあるからこその発言ですよ。親が怖くて従っているだけの子供は、まずあの手の事は口にはしない」


 レヴァンスは医者として、普通よりは多くの子供達と接して来たので、今しがた自分が口にした推測が、全くの的外れではないだろうと思う。

 こちらの理屈に、セクターはそれ以上の反論をしなかった。彼は座ったまま、一体どこへ行ってしまったんでしょうね、と頭を抱えて深々と息を吐いた。



「……では、私の方からも。娘のコーディは、私のような医者になりたいと、まあ嬉しい事を言ってくれたわけですが」

「……医者に」


 立派な心掛けですね、とセクターは女性が家を守る事ではなく、仕事を得る道を目指す事を否定はしない。世間は外で働こうとする女性に対する目は冷たくて、親に従い、結婚した後は家に従って跡継ぎを産んで、という姿が理想とされている。セクターは複雑な顔で考え込んでいた。


 レヴァンスは、娘の将来について、この祭事が終わったら本人と、妻も交えて話をするつもりだった。この状況に陥ってみると、見事に言い訳をしているようにしか聞こえない。


「私はコーディに、自分で決めなさい、と言いました。それが彼女にとって、突き放したように聞こえていませんように、と思い始めたところです」


 妻は反対だ。今までは双子で、男兄弟と同じように家の中では自由にさせていたのを、改めるべきだと主張している。理由はいずれ、結婚して家を出て行く娘だからだ。コーディが医者になるのを諦めさせる事に対して、自分が悪者でいい、恨まれても憎まれても構わない、と言い切る段階に来てしまっている。


 今回の祭事で、明らかに乗り気ではないコーディに聖女ユニス様の格好をさせて、近所の年上の女の子をお茶に呼んで、少しでも女の子らしい振る舞いに興味を持って欲しいと考えているのは明白である。

 コーディの方も言葉や態度にはっきりと示さなくても、面白いとは露ほども思ってはいないだろう。


「……どうするのが正しいのでしょうね、本当に」


 厚い雲に覆われているのか、月明かりも星明かりもほとんどわからない夜だ。持ち出した手元の小さなランタンだけが頼りである。それはどこか、コーディが進みたいと言い出した道の先のようにも思えた。行ってはいけない、と制止しようとしている妻の気持もよくわかる。



「……貴殿のような方でも迷う事があるのですか?」

「私ですか? 私はいつも失敗ばかりですよ」


 失敗、と言えばこちらへ移るきっかけになった出来事が頭を過った。まだ王族の医務官として務め始めの頃はまだ幼い、国王陛下の第三子の担当をしていた。素直で可愛らしい気性の王子だったが、上二人に比べれば政治上の立場は大きくない子供だった。王族に多い銀色の綺麗な髪を兄弟の中で自分だけ有していない事に対しても、複雑な思いがあったようだ。単なる医務官であるレヴァンスに懐いていたのは、その辺りに寂しさを感じていたからなのかもしれない。


 しかし時間と共に配置が変わり、レヴァンスは彼の上の兄である王太子付き医務官の末席に加えられた。彼は残念がっていたが、同じ城の中で顔を合わせる事もあり、親子間はともかく三人の兄弟の関係は悪くなかったので、しばらくは平和に時間が過ぎて行った。先生の方がずっと良かったのに、と彼は散々口にしていたが、一介の医務官に過ぎないレヴァンスは愚痴に耳を傾ける事しかできなかった。


 しかしある年の冬に、三番目の王子は酷い猩紅熱を患った。レヴァンスがその話を知ったのは、彼の兄である王太子殿下が弟の話をわざわざ振って来たからである。隔離された塔の中で高熱にうなされながら、家族に会う事が禁止された彼はそれなら、と別の要求を寄越して来た、と。 

 

『レヴァンス先生がいい。先生なら絶対治してくれる』



「……まだ、私の中ではっきりと決着のついていない話なので、またいつか」


 一体どんな失敗を、と言わんばかりの顔をしているセクターを、レヴァンスは苦笑で躱しておいた。もちろん、彼は大人でも渋るような苦い薬とひどい高熱を耐えきって、見事に回復して見せた。今も王都で元気に暮らしているだろう。

 

 対するレヴァンスの方は、本来の職務を放棄したとか、管轄外が出しゃばったせいでかえって病状を悪化させたとか、王太子殿下を蔑ろにしたと散々な評価を、医務官の上層部と国王陛下から頂いてしまった。 

 王太子殿下の命によって、という書面がなければ職を失う事態に陥っていたかもしれない。しばらくはここを離れていた方がいい、と諭され紹介されたのが公爵領での仕事だった。レヴァンスに助力するどころか、嘘をばら撒いて現場を混乱させた他の医務官に至っては本当に資格を剥奪されたので、本当に危なかった、と今は思っている。



 どうにか元の居城に戻った第三王子殿下に呼び出されたのは、レヴァンスが王都を引き払う日の前日だった。彼は大事をとって寝台に横になったまま、声を詰まらせた。二人の兄王子がちょうどお見舞いに来ていて、寝台の傍にいた。僕の我儘でごめんなさい、と謝ろうとするのを、レヴァンスは慌てて制止した。


 必要であれば迷わず呼んで欲しい、殿下が呼んで下さった事は、医務官として誇りであると。それが最後に会った時のやり取りだ。だから、医務官をやめるわけには行かない。



「……子供には、一つでも多く幸せになって欲しいと、そう思ってはいます」


 妻は失望しただろう。真面目に力を尽くした事の結果がこれなのか、と。そんな姿を見せてしまって、妻が娘に医者になって欲しい、なれるかもしれない、と思うわけもない。止めようとするのは当たり前の感情である。

 

 それでも、とレヴァンスは思う。その理屈は、本人が抱いている希望を諦めさせる事は、本当に正しいのだろうか。案外上手に立ち回って、見事を成功を収める可能性だってある。


 コーディは大人になったら、彼女に限った話でもないが、間違いなく苦労はするだろう。楽な方には流されない性格で、良い子であろうとするのだから当たり前だ。その時に子供の力になるのは、親に愛され育ったという自覚や職務への使命感や、好きだからという強い気持ちや、自分以外の仲間の存在がいるとか、そういう理由で案外頑張れたりもするものだ。


 親が心配するまでもなく、コーディ自身が、女の子が女の子らしい振る舞いをしない事に対し、周囲がどのような目を向けるのかはよくわかっているはずだ。それを承知で医者になりたい、と言い切るのなら、レヴァンスは応援するのも親の役目なのではないか、と思っている。

 

 だから、可愛い娘が、女の子に生まれた事を後悔する事だけはして欲しくない。

 

「……今頃、何をしているんでしょうね」

「流石に、もう子供は寝ていて欲しい時間ではあります」


 少し休みましょう、と意見は一致した。しばらくお互い、黙り込んでいた二人の父親は、どちらからともなくそう口にして、苦笑を浮かべた。

 

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