8
日が沈むころ、彼女は丘の向こうへと帰って行く。僕は彼女の姿が見えなくなるまで見送り、祖母のいる小屋へと帰宅した。
祖母と僕は長く同じ小屋に住んでいる。しかし、僕は祖母についてよく知らない。僕にとって祖母は、丘の上に住んでいる物知りの老婆というだけの存在だ。
育ててもらった記憶も、あまりない。祖母は僕を蔑んではいないようだが、だからといって「可愛い孫」と思っているわけではなさそうだ。祖母にとって、僕は小屋で飼われている愛玩動物とさほど変わりがないのかもしれない。
僕が幼いころ、小屋には一匹の雄犬がいた。僕がこの小屋にいたときから、祖母に飼われていたはずだ。僕は彼とよく、丘を駆けて時間を潰していた。
遊んでいたわけではない。ただ、することがなかったのだ。
二年ほど前、雄犬は老衰で死んでしまった。そのとき、祖母は「死んじまったのかい」と言って、彼を土に埋めるように僕に命じた。僕は言われた通り、小屋のすぐ側に彼の墓を作った。
その日以来、あの雄犬のことが、僕と祖母の話題に上がったことはない。彼は今でも小屋の側で眠っているはずだが、僕自身、どの辺りに埋めたか、よく覚えていない。風が強い日、彼の墓の目印に立てておいた木の棒がどこかに飛ばされてしまったのだ。
僕が死んでも、あの雄犬のように、祖母から忘れ去られてしまうのだろう。また、祖母が死んでも、僕はあの人のことを忘れてしまうのだろう。
僕と祖母はその程度の関係だ。
運び屋の『灰色の人間』は祖母を『青い人間』と称していた。けれど、どうして祖母が町から遠く離れたこの丘に住んでいるのか、僕は知らない。
これもまた本からの知識なのだが、同じ『青い人間』であったとしても、彼らは自分たちと違う存在を忌み嫌うのだという。
僕が色が見えないために両親に捨てられたように、祖母もまた、何か理由があって町を追い出されたのかもしれない。
例えそうだとしても、僕は祖母に同情を感じることはない。僕にとって祖母は、この丘に住む魔力を失った魔女のような存在であり、それ以上になることはないだろう。
小屋に帰ると、祖母が僕を出迎えた。いつも祖母は僕に無関心な目を向けるだけで、自分の世界に戻ってしまう。
しかし、今日はその目には鋭い光が宿っていた。祖母は僕を睨みつけると、吐き捨てるようにこう言った。
「穢れた『赤い人間』と会っているね」
「何のことだ?」
僕は鼻から小さく息を吐く。想定していた展開だった。
「惚けちゃいけない。わしはこの丘のことなら、何でも知っているんだ」
「惚けてるつもりはない。何のことを言ってるのか、僕には分からない」
祖母の顔がだんだんと醜悪なものへと変わっていく。祖母がこのような表情をするのは、昔『灰色の人間』に水筒を渡したのを見つかったとき以来だ。いや、そのときよりも酷い。
「よくこの丘に来る、あの女狐のことだよ」
ああ、と僕はそこで初めて祖母の言うことを理解したような顔でうなずく。そして、「そんなことか」と肩をすくめてみせた。
「彼女はいい子だよ」
「だが、『赤い人間』だ」
「罪を犯すことに何か理由があったんだ」
「だが、『赤い人間』だ」
「彼女はとても美しい」
「だが、『赤い人間』だ」
僕は大きくため息をつく。実のところ、祖母がこのような反応を返すのは、『灰色の人間』の一件で分かりきったことだった。
祖母は根からの『青い人間』だ。『灰色の人間』や『赤い人間』を忌み嫌う。自分の色を誇りに思っている。つまり、色に縛られる、つまらない人間だ。
笑ってしまう。喉の奥が小刻みに震えてしまった。唇の端から、小さく押し潰した声が漏れる。それがますます祖母を不機嫌にさせると分かっていながら、抑えることできなかった。
「色なんて知らない」
すると、祖母は堤防が決壊するような勢いで、激しく言い散らした。彼女に関わると、僕が不幸になる。要約すると、その程度ものだ。
馬鹿らしい。神様でもないのに、どうして祖母にそんなことが分かるのだろうか。
僕は彼女のラベンダーの香りが好きだ。
ただ、それだけだ。
それだけで、いいじゃないか。