4
どうして自分が色を見ることができないのか。それについても考えたことがある。自分を知るということが、水が無色でありながら存在する理由に繋がると思ったからだ。
もちろん、結論は出なかった。
結論が出ないことを、考える日が何日も続いた。
すぐに答えが出てしまうものについて、考えることに意味はない。そういうことは、本で調べれば大抵分かってしまう。
読書家の祖母の小屋には、多くの本があった。僕はそれで、自分の知らない世界について知ることができた。
海という大きな水たまりの存在。その遠く向こうにある別の国の話。金色の髪の人種。肌の黒い人々との戦争。
書物には多くの色が登場した。僕はそれを見る度に、自分が世界から外れて存在していることを実感する。
悲しいとは思わない。ただ、少しだけ勿体ないとは思う。
それでも、他の人間と違うから、僕は自分について深く考えることができる。来る日も来る日も、「色」と自分について考えることができる。
そうやって、僕は色のない世界で生きた。
自分の世界の中だけで生きた。
楽しくはない。けれど、つまらなくもない。ただ、虚しかったかもしれない。
いつか、『灰色の人間』の女のような、僕に新しい世界を見せてくれるような人間を、僕は求めていた。
それを、夢見ていた。
あるとき、僕は丘で美しい少女に出会った。
この目で、本当に「美しい」と感じるものを見たのは、もしかすると初めてかもしれない。
それは大げさな表現かもしれないが、僕は彼女を一目見た瞬間、心を奪われてしまった。
それは、表情だろうか。匂いだろうか。仕草だろうか。
分からない。けれど、僕は彼女に惹かれた。
もしかすると、彼女からあの『灰色の人間』の女と同じ匂いがしたからかもしれない。甘い匂い。僕は、今ではそれが何の匂いか言い当てることができる。
あれは、ラベンダーの香りだ。
彼女のいる方向から吹く風に、ほんのりとラベンダーの香りが乗っている気がした。色を見ることのできない僕は、他の人間よりもかなり鼻がいい。
彼女は空を見上げていた。僕はそんな彼女をぼんやりと観察する。声をかけることをためらわれた。けれど、このまま何もしないで小屋に帰ってしまうことも、勿体ないことのように思える。
「こんにちは。空は青いらしいね」
だから、僕は彼女に声をかけた。もっともらしい声のかけ方は分からなかった。ただ、彼女が見ているものが空だったから、それについて言ってみただけだ。
僕に声をかけられた彼女は、驚いた顔で僕を振り返る。その表情は、『灰色の人間』が僕から水筒を受け取ったときのものとよく似ている。
『灰色の人間』。どうしてか、僕はあの『灰色の人間』の女と、目の前にいる少女を重ねていた。
「この丘に『青い人間』が住み着いているってことは聞いたけど、あなただったのね」
「僕ともう一人、祖母がここからすぐ近くの小屋に住んでいる」
そう、と彼女は素っ気なく呟く。
あまり僕と話す気はないらしい。その素っ気なさが、どこか懐かしい。
「青色ってどんな色なんだ?」
「哲学は分からないわ」
「いや、純粋な疑問」
僕は彼女に自分の目について説明する。僕は色を知らない。色を見ることができない。
彼女は少し驚いた顔をした。
「だから、あたしに声をかけられたのね」
「どういうことだ?」
「あたしは、『赤い人間』よ」
彼女は、少し声を落として、僕に告げた。
「『赤い人間』がどういう人が、知らないってことはないでしょう?」
「いや、知らないね」
「目が悪いだけじゃなくて、頭も悪いのね」
馬鹿にするように笑う彼女に、僕は肩をすくめることで応える。
「知識としては、『赤い人間』がどういう人間なのかは知ってるよ。でも、実際に会って話したことはない。だから、僕は君たちを知らない」
「『赤い人間』は罪人よ。それが全てじゃないの?」
彼女は鋭く僕を睨む。
「心優しい罪人もいるんじゃないのか?」
「心優しくても罪人なのよ」
彼女は自分の意見を変えるつもりはないらしい。
僕はため息をついた。多くの人間は、色にこだわりすぎではないだろうか。罪人であるからといって、どうしてその人の全てを決めることができるのだろうか。
「でも、君はとても美しいじゃないか」
「……はぁ?」
この返しは予想していなかったのだろうか。彼女は、ぽかんとした表情で僕の顔をまじまじと見る。
「何を言ってるのか分からないわ」
呆れた、と彼女は嘆息を漏らす。
「そのままの意味だ」
「まあ、そうね。でも、仮にあたしが美しいとしても、罪人であることには変わりないわ」
「そうだね。罪人でも、美しい」
きりがない、と先に肩をすくめたのは、彼女の方だった。
「あなた、変わってる」
「そうみたいだ」
僕は自嘲するように笑う。
彼女も呆れたように、遠慮がちに笑ってくれた。