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 どうして自分が色を見ることができないのか。それについても考えたことがある。自分を知るということが、水が無色でありながら存在する理由に繋がると思ったからだ。

 もちろん、結論は出なかった。

 結論が出ないことを、考える日が何日も続いた。

 すぐに答えが出てしまうものについて、考えることに意味はない。そういうことは、本で調べれば大抵分かってしまう。

 読書家の祖母の小屋には、多くの本があった。僕はそれで、自分の知らない世界について知ることができた。

 海という大きな水たまりの存在。その遠く向こうにある別の国の話。金色の髪の人種。肌の黒い人々との戦争。

 書物には多くの色が登場した。僕はそれを見る度に、自分が世界から外れて存在していることを実感する。

 悲しいとは思わない。ただ、少しだけ勿体ないとは思う。

 それでも、他の人間と違うから、僕は自分について深く考えることができる。来る日も来る日も、「色」と自分について考えることができる。

 そうやって、僕は色のない世界で生きた。

 自分の世界の中だけで生きた。

 楽しくはない。けれど、つまらなくもない。ただ、虚しかったかもしれない。

 いつか、『灰色の人間』の女のような、僕に新しい世界を見せてくれるような人間を、僕は求めていた。

 それを、夢見ていた。



 あるとき、僕は丘で美しい少女に出会った。

 この目で、本当に「美しい」と感じるものを見たのは、もしかすると初めてかもしれない。

 それは大げさな表現かもしれないが、僕は彼女を一目見た瞬間、心を奪われてしまった。

 それは、表情だろうか。匂いだろうか。仕草だろうか。

 分からない。けれど、僕は彼女に惹かれた。

 もしかすると、彼女からあの『灰色の人間』の女と同じ匂いがしたからかもしれない。甘い匂い。僕は、今ではそれが何の匂いか言い当てることができる。

 あれは、ラベンダーの香りだ。

 彼女のいる方向から吹く風に、ほんのりとラベンダーの香りが乗っている気がした。色を見ることのできない僕は、他の人間よりもかなり鼻がいい。

 彼女は空を見上げていた。僕はそんな彼女をぼんやりと観察する。声をかけることをためらわれた。けれど、このまま何もしないで小屋に帰ってしまうことも、勿体ないことのように思える。

「こんにちは。空は青いらしいね」

 だから、僕は彼女に声をかけた。もっともらしい声のかけ方は分からなかった。ただ、彼女が見ているものが空だったから、それについて言ってみただけだ。

 僕に声をかけられた彼女は、驚いた顔で僕を振り返る。その表情は、『灰色の人間』が僕から水筒を受け取ったときのものとよく似ている。

『灰色の人間』。どうしてか、僕はあの『灰色の人間』の女と、目の前にいる少女を重ねていた。

「この丘に『青い人間』が住み着いているってことは聞いたけど、あなただったのね」

「僕ともう一人、祖母がここからすぐ近くの小屋に住んでいる」

 そう、と彼女は素っ気なく呟く。

 あまり僕と話す気はないらしい。その素っ気なさが、どこか懐かしい。

「青色ってどんな色なんだ?」

「哲学は分からないわ」

「いや、純粋な疑問」

 僕は彼女に自分の目について説明する。僕は色を知らない。色を見ることができない。

 彼女は少し驚いた顔をした。

「だから、あたしに声をかけられたのね」

「どういうことだ?」

「あたしは、『赤い人間』よ」

 彼女は、少し声を落として、僕に告げた。

「『赤い人間』がどういう人が、知らないってことはないでしょう?」

「いや、知らないね」

「目が悪いだけじゃなくて、頭も悪いのね」

 馬鹿にするように笑う彼女に、僕は肩をすくめることで応える。

「知識としては、『赤い人間』がどういう人間なのかは知ってるよ。でも、実際に会って話したことはない。だから、僕は君たちを知らない」

「『赤い人間』は罪人よ。それが全てじゃないの?」

 彼女は鋭く僕を睨む。

「心優しい罪人もいるんじゃないのか?」

「心優しくても罪人なのよ」

 彼女は自分の意見を変えるつもりはないらしい。

 僕はため息をついた。多くの人間は、色にこだわりすぎではないだろうか。罪人であるからといって、どうしてその人の全てを決めることができるのだろうか。

「でも、君はとても美しいじゃないか」

「……はぁ?」

 この返しは予想していなかったのだろうか。彼女は、ぽかんとした表情で僕の顔をまじまじと見る。

「何を言ってるのか分からないわ」

 呆れた、と彼女は嘆息を漏らす。

「そのままの意味だ」

「まあ、そうね。でも、仮にあたしが美しいとしても、罪人であることには変わりないわ」

「そうだね。罪人でも、美しい」

 きりがない、と先に肩をすくめたのは、彼女の方だった。

「あなた、変わってる」

「そうみたいだ」

 僕は自嘲するように笑う。

 彼女も呆れたように、遠慮がちに笑ってくれた。

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